自閉症児の母として2012年01月29日

昨日は、冷たい北風の吹く中、千葉県松戸市にある聖徳大学に出かけました。ある授業のゲストとして呼ばれ、お話をしてきたのです。
1月17日の記事にも書きましたが、今日初めてブログを読んでくださる方のために、もう一度、そのいきさつを書きましょう。

『歌おうか、モト君。』

これは、200510月、文芸社から上梓した本です。
副題は、~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~ 。
25歳になるわが家の長男は、3歳の時に「自閉症」と診断されました。
その息子の子育ての日々は、たくさんの人々に支えられながら、泣いたり笑ったりの連続でした。障害がわかったころのこと、小学校でのこと、サザンの歌との出会い、母子二人の海外旅行、側わん症との闘い、きょうだいの葛藤……それらを少しずつエッセイに書きつづって、1冊にまとめたのが、この本です。
書かれているのは子育ての記録ですが、そこに浮かび上がっているのは私自身の半生にほかなりません。

この本は、2007年から、ご縁があって、聖徳大学の「障害児保育」の科目で、テキストとして読んでもらえるようになりました。
履修する学生の皆さんに、そのレポートや感想文を書いてもらい、私も読ませてもらっています。そして、学期に一度、授業にも出向いて、自閉症児の母としてお話しする機会がある、というわけなのです。

今学期のレポートでは、一番印象に残ったエッセイを一つ選び、それについて書いてもらっています。
一番多く取り上げられていたのは、「おにいちゃんのこと」というエッセイでした。
3つ下の妹、8つ下の弟。自閉症の兄を持った二人に焦点を当てて書いたものです。
若い学生さんたちは、それぞれにきょうだいがいて、共感しやすいテーマだったのでしょう。
「私が妹だったら……」
「じつは私も弟が自閉症で……」
「泣きながら読みました……」
たくさんの思いがつづられていました。

ブログを訪れてくださった皆さまにも、お読みいただければ幸いです。
出版社にはすでに在庫がありません。私の手元に何冊かありますので、送付先をお知らせいただければ、お送りいたします。

コメントにお書きいただくか、
hitomi3kawasaki@gmail.com  まで、メールでお知らせください。
定価1,260円のところ、送料込み1,000円とさせていただきます

著書『歌おうか、モト君。』より エッセイ「おにいちゃんのこと」(前半)2012年01月29日


平成元年夏、当時3歳の長男モトは自閉症と診断されました。生まれたばかりの長女を連れて、療育施設に通う日々が続いていました。
エッセイの前半は、その娘についてつづっています。
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   おにいちゃんのこと

    ◇きょうだいがほしい

 娘は、生後2ヵ月から息子の療育のお供をさせられていたから、幼いころは家庭と障害児施設とが彼女の世界のすべてだった。なんのわだかまりがあるはずもなく、あるがままのモトが、唯一無二の兄であった。
「あたし、いくつになったら、ほのぼの組さんになるの。はたちになったら?」
 兄の通うM学園に、いつか大きくなったら自分も入れてもらえる。それを楽しみにしている時期もあった。
 1歳、2歳、3歳と、娘が日増しに言葉を覚えて成長していく日々。コミュニケーションの障害を抱え、生きる困難を背負っている息子を見ていると、娘の人並みの成長こそが、奇跡のようにすばらしいことなのだ、と感じられてならなかった。
 そして、おしゃまな娘との会話に、どれだけ慰められてきたことだろう。
「大きくなったら、だれと結婚していい?」
「お友達のなかで一番好きな男の人と結婚したらいいわ」
「じゃ、あたしはモト君と結婚する。一番好きだから」
 やがて娘は保育園へ入る。普通の子どもたちと関わるようになって、少しずつ、自分の兄が園児たちとはどこか違っていることに気がつき始めたのかもしれない。あるとき、こう言ったのである。
「もっと、おりこうさんのおにいちゃんがよかったなぁ……!」
 一瞬ドキッとしたが、彼女の屈託のない言い方に、心配ない、と直感した。
「あーら、どして。かけ算もできるし、英語だって読めるし……」
と、モトの得意なことを並べてたててみる。
 そうだね、とそのときはあっさり思い直してくれた。

 〈中略〉

 ある日の夕方、子ども部屋でテレビを見ていた娘が、私のところへやってくると、しょぼんとしてつぶやいた。
「あたし、きょうだいがほしい」
 え? モト君がいるじゃない。
「遊んでくれるきょうだいがほしい」
 ははーん、相手になってくれないからだな。
「でもね、けんかしたり、いじめたりするおにいさんも多いのよ、お友達に聞いてごらん。うちのおにいちゃんはそんなことないよね」
とかなんとか、モトを弁護した。
 娘は黙って、人差し指で目じりをこするいつものやり方で涙を拭いていた。
 私の大きなおなかの中には、赤ちゃんが入っていることを、娘は知っている。でも、それとは関係なく、兄に対する寂しさ、物足りなさのような気持ちを、そんなふうに表現したのだろう。
 3人目ができて、よかった。
 本気でそう思えるようになったのは、ようやくこのときからだった。


    ◇守られなかった約束

 娘が、モトと同じ小学校に入学するとき、それなりに心配がなかったわけではない。
 おにいちゃんのことで、不愉快な思いをすることはないだろうか。傷つくことはないだろうか。どんなことがあっても、ひとりで抱え込まないで、話してほしい、と思っていた。
 入学式の日、娘とふたりで歩きながら、言ってみた。
「ママと三つだけ約束してくれるかな」
 きちんとあいさつをすること。
 だれとでもなかよくすること。
 学校でのことはなんでもママに話すこと。
 この三つめこそ、いちばん守ってほしいのである。
 ほかの二つは付け足しのようなもの。通っていく先が保育園から学校に変わったところで、「しっかり者」と呼ばれてきた娘には、言うまでもないことだ。新しい環境にもすぐに慣れてしまうだろう。
 入学式の翌日から、兄と妹は、そろいの青い制帽をかぶり、手をつないで登校していった。
「おにいちゃんね、きょうも図書室にいたよ」
「水道のお水で遊んでた」
 娘は毎日、学校で見かけた望人の様子を報告してくれた。もちろん自分の一日の生活ぶりもよくしゃべる。心配するほどのこともなさそうだ、と思っていた。

 娘がすでに2年生になっていたころのこと。
 休み時間の校庭で、コミュニケーションの行き違いから、モトとほかの子どもとのあいだに小さなトラブルが起きた。たまたま居合わせた妹が兄をかばって割って入り、泣きながら砂を投げ合うようなけんかになってしまったという。
 私がその話を耳にしたのは、一年も経ってからだった。しかも、娘の口からではなく、同級生のお母さんから聞かされた。
 今さら真偽のほどを確かめたところでどうしようもない。相手の子のことも気にはなったが、なにより、娘が私に黙っていたことのほうが心に重かった。
 娘は約束を守ってはいなかったのだ。だからといって、この一件を問いただす気持ちにはなれなかった。

 家庭のなかだけで一緒に暮らしてきたあるがままの兄を、娘は学校という社会のなかで見るようになった。普通の子どもとは違うという事実も、当然わかってくる。
 私に話さなかったのは、心配をかけまいとする彼女なりの気遣いだったかもしれない。おそらく、娘の小さな胸のなかには、言葉にすらできない、戸惑いも、葛藤もあるのだろう。兄をめぐるトラブルはこれだけではなかったのかもしれない。
 いつのまにか三つめの約束を守らなくなっていたのは、娘が成長している証なのだろう。
 娘は障害児の妹として生まれてきた。そういう星の下に生まれた、という言い方をするならば、その星は、彼女が成長するための栄養をたくさん与えてくれるだろう。そして、いつでも行く手を明るく照らしてほしい。
 私は、あえて何も言わないでおこうと決めた。望人の障害のことも、自閉症という言葉すら、面と向かって口にするのはやめよう。彼女が聞いてきたら答えればいい。おとなの言葉で娘の胸のうちをかき混ぜるよりも、これまでと同じように、あるがままの兄をよく見てほしい、理解してほしい……、それだけを思っていた。

 それでも、ついに、改まって兄の障害について話さなければならないときが来た。
 娘が私立の中学校を受験する。試験には面接があり、兄弟のことを聞かれることが多いという。しかも、親と子、別々の面接だから、話が食い違っては困る。このさい、きちんと共通理解を深めておかねばならないだろう。
「モト君が自閉症という障害児だっていうことはわかってるわね。面接で、おにいさんのことを聞かれたら、自閉症なので養護学校へ行っています、と言えばいいのよ。何も恥ずかしいことじゃないものね。だいじょうぶね」
 一気に言ってしまうと、娘はいつものように、こくりとうなずいた。
「中学校へ行ってからも、お友達におにいちゃんのこと聞かれたら、同じように答えればいいし、隠す必要なんてないんだからね」
 そこまで言うと、涙をこぼしたのは、ほかならぬ私のほうだった。
「今さら、なにもお母さんが泣くことないのにねえ」
 照れ隠しで饒舌になる私のそばで、娘は何も言わなかった。
 かつて、おしゃまでおしゃべりだった女の子は、もうそこにはいなかった。娘はいつのまにか、多くを語りたがらない少女に変わっていた。


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娘は、大学4年になりました。ますますしっかり者の妹……というより、お姉さんのよう。モトには一目置かれています。


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