自閉症児の母として(2) 「ときにへこむ」の巻2012年03月14日


私だって、ときには落ち込むこともある。いつも前向きなわけじゃない。

わが家の長男モトは、25歳の自閉症者である。
中高一貫の養護学校を卒業してからの6年間で、すでに生活の場が3回変わった。
現在は、障害者の働く職場に勤めているが、それも来年の春まで。また、次の場所を探さなくてはならない。
これまでも、通所先が変わるたびに、息子の誕生から現在に至るまでの様子、障害の程度など、逐一説明してきた。
あれはできますが、これはできません。できませんが、こうすればできるようになります。できないのは努力が足りないのではなく、それが障害の特性で……。
ああ、また、それを繰り返すのである。

昨日、次の職場探しのために、就労援助センターなるところへ、息子を連れて出向いた。今度はそこに登録して、ハローワークの紹介する求人情報を頼りに、就労活動を始めるのである。

障害者といえども、自分の能力を生かした仕事をして、それに見合った賃金をもらい、健常者と同じように社会人として生きていく。それが息子の幸せだ。私はそう信じている。
でも、それは理想であって、現実はそんなに甘くはない。息子にふさわしい仕事が、そうそうあるはずもない。
それとも、私が息子を買い被っているだけだろうか。自閉症というコミュニケーションの障害を持っているのに、社会に出て働かせることは、つらい思いをさせるだけなのだろうか。
私の葛藤は続く。

センターからの帰り道、うなだれて歩いていた。
「どうしたの。背中に元気がないじゃない?!」
後ろから声をかけられた。同じマンションに住む友人だった。
「モトのことで、落ち込んじゃってさ……」
弱音を吐いた。
彼女は、子どもたちが小さい時から、家族ぐるみで子育てをしてきた仲良しグループの一人だ。モトのこともよく理解してくれている。私が障害児を抱えてこれまでやってこられたのも、彼女たちがいつも支えてくれたからだ。
「大丈夫、今までどおり頑張れば、きっとうまくいくから」
私はまだ真冬のブーツを履いているのに、彼女はさっそうと軽快な白い靴。そんな彼女に励まされて、ちょっとだけ元気が出た。

今日は、息子の職場を覗いてきた。
市民館の中にある喫茶室の店員として働いている。「お皿洗いの達人」と呼ばれ、皿洗いならだれにも負けない。
最近は、苦手としていたフロア係も進んでやっていると聞いたので、様子を見たいと思ったのだ。
伝票と注文の品とを見比べて、トレイにおてふきやストローを添え、「お待たせしました」と、お客さんのテーブルにきちんと運んでいた。
できなかったはずのことが、また一つできるようになっている。
息子は、まだまだ成長しているのだ。

ときには落ち込んでも、また希望を見上げよう。諦めないで。


喫茶室で働くモト


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