戦争体験をエッセイに2012年08月09日



今日は、67年前、長崎に原爆が落とされた日です。
家にいて、テレビで平和祈念式を見ながら、一緒に黙とうをささげました。
同じように、6日の広島原爆の日にも、自宅で黙とうをしながら、平和を祈りました。

この日、平和宣言の中で、広島の松井市長が次のように述べました。
「広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。」


被爆者の体験談はもちろんのこと、さまざまな戦争体験も風化させてはなりません。

私のエッセイ教室には、70代、80代の方々がたくさんおいでです。
私はそのご高齢の方々に、
「ぜひ、戦争体験をお書きください」
と、口ぐせのようにお願いしています。

現在、横浜・磯子の教室の最長老は、85歳になるKさん。
歩くときは杖をついていますが、自宅から車を運転してきます。
Kさんは、自分の戦争体験をよく覚えていて、それを子どもや孫たちに書き残しておきたい、と言います。

Kさんは19歳のときに終戦を迎えました。その直前まで魚雷に乗る訓練を積んでいたのです。1ヵ月後には復員しますが、お母さんは病床に伏していました。
「よう帰ってきた、夢じゃないよねえ」と、お母さんは自分の手をつねってみる。
心優しい息子のKさんは、おはぎが食べたいというお母さんのために、台所で餅を作り始めます。軍歌を口ずさみながら、終戦の4日前に戦死した仲間や、終戦直後に自決した親友のことを想っているうちに、世論が反転した世の中に対してむしょうに腹が立ってくる。無意識のうちに「エイッ!」と叫んで、釜を倒してしまう。
「やけを起こしたらいかんぞね」
お母さんの光る目に、Kさんは心底を見透かされたような気がしたのでした……

これは、Kさんのエッセイを要約したものですが、原文は、まるでドラマのシナリオのように生き生きとしています。
教室で、Kさんが自分の作品を朗読したあと、ほかのメンバーも講師の私も、涙ぐんでしまって何も言えませんでした。

Kさんの原稿には、旧かな遣いや難しい旧字体がたくさん使われています。それでもかまいません、と言うと、
「先生、遠慮しないで、どんどん教えてください。正しい書き方をしないと、孫に変なのって言われてしまいますからね」
向上心旺盛なKさんです。

どんどん書いてください。そして、戦争を知らない世代に読ませてください。
戦争の記憶を書き残してもらうこと。
エッセイの講師として、大切な仕事だと思っています。




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