新年のご挨拶~2012年を振り返って~ ― 2013年01月03日
2012年は本当にあっという間の1年でした。
写真とともに、ちょっと振り返ってみます。
まず、エッセイに関わることから……
☆新しくエッセイ教室を開講。
横浜市磯子区の区民センターで10回の講座の後、「磯の綴り会」という自主グループが生まれました。30代から80代までの生徒さんで、いつも笑いの絶えない2時間です。
☆銀座のエッセイサロンも充実していました。
毎回、常連さんと新しくご参加の方がたとの出会いが生まれ、講師としてうれしいひと時です。
私もまた新しいエッセイ教室のご縁をいただきました。今年の春から横浜南部にも、もう一つ開講の運びとなりました。
☆著書をオンデマンドで再版することになりました。
在庫がいつの間にかなくなってしまった……ということは、まだまだ皆さんがご購読くださっているからにほかなりません。改めて御礼申し上げます。
また、時流に乗って、電子本にもしてみました。
新しいものにはなかなか飛びつけない性格なのですが、ここにも新しいご縁があり、その方のお勧めでした。
OFFの時間も充実していました。
まるで向こうからやって来たような、思いがけない体験がたくさんあった年でした。
☆2月にチーム東松島に加えていただき、初めてのボランティアに参加したことは、私の人生でも大きな出来事です。
たくさんの方がたとの出会いが広がりました。
☆7月には湘南の海でセイリング~~~!!
船酔いするかと思いきや、潮風に吹かれていると、まるで波の一つになったような心地よさ……! これも初体験です。
ヨットの上で飲むビールの美味しさと言ったら……!
☆夏の北海道の旅は、ブログにも詳しく書いたとおり、次男が受験生だから、旅行はしないつもりでした。が、ひょんなことから行くことになってしまった。
レンタカーのドライブ旅行も初めてでしたが、改めて北海道の素晴らしさを実感してきました。
☆京都で紅葉狩り。
障害児の母として講演するというありがたいお話を頂戴して、大阪まで出向き、その帰りには京都であでやかな紅葉を楽しむことができました。
前年訪れたときは11月の初めで紅葉には少し早く、今回は11月下旬。まさに紅葉絶頂期でした。
☆クリスマスのゴスペルライブ。
横浜の商業施設が募集した「100人で歌うゴスペルライブ」。
コーラス仲間で受験生の母3人が、祈りを込めて歌いました。
イルミネーションの灯った大きなツリーの前で、おなかの底から出した声が、夜空の下に響き渡っていく快感。これもまた初めてでした。病み付きになりそうです。
☆何といっても最後を締めくくったのは、7年ぶりの横浜アリーナ!
桑田君の年越しライブです。
チケットは、ファンクラブに入っていても「抽選」の狭き門。もちろん、自閉症の長男と二人で行ってきました。
13000人のファンとともに、2013年の到来をカウントダウン。0時の瞬間には花火の代わりに銀色のテープが放たれた。舞い降りてきたそのテープを、息子は大事に持ち帰ってきました。
サザンとの出会いは、13年前に彼がもたらしてくれたものなのです。著書に詳しく書きましたので、お読みいただければ幸いです。
そして、今年もまた、皆さんに支えていただきながら、ぼちぼちとブログを続けていきたい、と思っています。
明るく楽しいことばかりではないけれど、心のなかには闇もたくさん抱えているけれど……
私の言葉を皆さんのハートに、生き生きと届けられたら、うれしいです。
今年も、~HITOMI'S ESSAY COLLECTION~をどうぞよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございます!
ダイアリー・エッセイ:一瞬の贈り物 ― 2013年01月05日
今日は、仕事始め。車で横浜の磯子教室へ。
帰り道、首都高速湾岸線。地上からかなり高い所を走る。
非日常的な湾岸エリアの景色を、ちょっとずつ脇見しながら、運転する。
一瞬視界が開けて、暮れてゆく空が広がる。
その瞬間の景色に、息をのんだ。
右側には、横浜ベイブリッジの端正な白い姿。
正面にはマリンタワーがそびえ、その向こうにみなとみらいのビル群が薄青い色をして立ち並び、大観覧車にだけ灯るカラフルな光。
そして左手には、夕陽に赤く染まってたなびく雲の上、富士山が紫のシルエットとなって浮かんでいた。
これぞ横浜の絶景……!
大気が冷たく澄んだ真冬の黄昏どき、フロントグラスの向こうは見事なパノラマだった。
ハンドルを握る手で、カメラを持つわけにはいかない。まぶたに焼きつけた。
年の初めに、素敵な贈り物をもらった気がした。
8歳のときから、結婚で家を出るまでの19年間、この横浜に暮らした。
私のふるさと。いろんなことがあった。
……ちょっと泣きそうになった。
自閉症児の母として(6):「障害児保育」の感想文レポート ― 2013年01月14日
千葉県松戸市にある聖徳大学の「障害児教育」という講義のなかで、私の著書『歌おうか、モト君。』を課題図書として、履修する学生さんに読んでもらっています。
そんなわけで、私も大学に出向いて教室でお話をする機会があります。
そして、学生さんたちが提出する感想文のレポートに目を通します。
今回の履修生は、200名を超えていました。
昨年12月に、学生さんたちのレポートがどさりと届きました。思いがけず、私にも冬休みの宿題です。
担当の教授が作ったレポートには、印象に残ったエッセイを2つ選んでその理由を書く、という設問があります。
お読みくださった方、ご自分だったら、どれを選ばれるでしょうか。
統計を取ってみると、ベスト5は以下のとおりでした。
①ママと呼んで
②ギフト
③おにいちゃんのこと
④TSUNAMI
⑤夢のシドニー二人旅
この結果は、なんと前の学期でも同じだったのです。
学生さんのほとんどは、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭を目指しています。①と②は息子が自閉症と診断された3歳のころの話ですから、関心が高いのもうなずけます。
③は、学生さん自身の立場で、わが家の長女と次男に思いをはせてくれたようです。
④は、小学6年の担任U先生が登場。そのほか、T先生の登場する話にも多くの支持がありました。息子と心を通わせてくれた先生や、能力を見出してくれた先生に対して、学生さんたちの心が動いたのだと思います。
⑤は、たくさんのエピソードがあるので、理由もさまざまでした。
自由に書いてもらった感想文を読み、ひとことコメントを書いて、可愛いスタンプと自分のシャチハタを、ペタン&ポン。
さすがに201名分。書きでがありました。
学生さんのレポートは、若い感性にあふれています。
本を読んでもらって、感想を書いてもらって、それを読ませてもらって……いつもながらに感謝です♡
自閉症児の母として(7):母に「もしも」は、ありません。 ― 2013年01月15日
昨年再版した著書のあとがきに、こう記しました。
*****
あるとき、学生さんから、こんな質問を受けました。
「石渡さんは、もう一度生まれ変わっても、またモト君のお母さんになりたいです か」
答えに詰まりました。生まれ変わったら? そんなこと、考えたこともありません。
正直にこう言いました。
「残念ながら、生まれ変わるつもりはありません。やり直しのきかない、たった一度の人生だからこそ、今を精いっぱい生きているのではないでしょうか」
*****
これは、数年前に聖徳大学でお話ししたときに、受けた質問でした。
昨年12月に提出されたレポートのなかにも、同じような質問がありました。
「もしも、モト君が自閉症ではなかったら、どんなことがしたいですか」
息子は、自閉症児だからこそ、わが家にやって来た。彼が自閉症でなかったら、それはもう長男モトではありえません。
それほどまでに、あるがままの息子を、受け入れてきたのです。
自閉症は彼の一部ではなく、彼のアイデンティティーそのものです。
耳の不自由な人が、補聴器をつけたら聞き取れるようになる。
足のない人が、義足をつけたら走れるようになる。
心臓に重篤な病気を持つ子どもが、心臓移植で元気になる。
同様に、自閉症を取り除いたら、健常者になる……? いいえ、それは不可能です。
学生さんにしてみれば、他愛のない質問だったかもしれません。
でも、改めて息子の障がいを考えるきっかけになりました。
若い感性でつづられたレポートは、いつも新鮮な発見があるのです。
ダイアリー・エッセイ:1.17と、1.18と、そして船出 ― 2013年01月19日
18年前の1月17日、早朝。
「淡路島で大きな地震が起きたらしいですね」
とその一報を聞いたのは、産科のベッドの上で、看護師さんからだった。
空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと、貧血状態になったのを今でも覚えている。
おなかの中の3人目は、予定日をとっくに過ぎているのに、なかなか出てこない。
ようやく陣痛が始まって、夜中に入院。
それでも夜明けとともに陣痛は消えてしまう。そろそろ点滴をしましょうか、と針を刺された直後のことだ。
結局生まれたのは翌18日。
入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。
同じ部屋に、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいた。幸い家族は無事だったけれど、里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……、と話していた。
退院後も、自宅で授乳のときには、泣きながら報道を見続けた。
だから、次男の誕生日は、阪神淡路大震災の記憶の節目とともにあって、忘れることはない。
☆☆☆
さて、今年の1月18日。
次男の18歳の誕生日である。
そして、彼が大学受験に突入する、センター試験の前日でもあるのだ。
夜のNHKニュース7、最後の話題は、
「今夜は、受験生にエールを送るため、東京タワーが“サクラサク”のピンク色に輝いています」
「受験生の皆さん、がんばって!!」
武田キャスターの、なんと温かい声……!
母親の私は、思わず涙ぐんでしまう。
誕生日のお祝いは延期しようね。
以前から、約束していたけれど、スイーツ大好きの息子に、ケーキだけ用意した。
誕生会&壮行会に、夫も娘もそろわず、長男と3人で食べる。
本邦初公開の次男の近影。
このうれしそうな表情。子どもみたいだ。
試験前夜の緊張もなさそうだ。
まるで遠足の前の晩のように、荷物をリュックに詰めて、早々と寝た。
今朝、とうとう船出していった。
いつもは遅刻の常習犯なのに、1時間以上も前に起床。お餅を2つ食べて、きれいに歯を磨き、寝ぐせの髪を整え、ゆっくりと支度をして、出かけた。
長い航海が始まった。38日間、受験の荒波にもまれる。
18歳。
3人きょうだいの末っ子も、確実に大人に近づいている。
おススメの本『楽園のカンヴァス』 ― 2013年01月25日
推理小説が好きな人に、
面白い本が読みたいと思っている人に、
絵が好きな人に、
美術史が好きな人に、
特に、近代絵画に興味がある人に、
アンリ・ルソーが好きな人に、
ピカソが好きな人に、
パリが好きな人に、
感動したい人に、
読書も美術も好きな人に、
本が苦手な人にも、
絵がよくわからない人にも、
絶対におススメの本です。
書評で知り、以前から「読みたいリスト」に書いてあったのが、この本でした。
著者は原田マハさん。作家になる前は美術関係のお仕事をしていた専門家です。
私も、大学で学んだのが西洋美術史でしたから、大いに興味があったのです。
昨年は、いろいろな悪条件が重なって、半年ほど小説を読まない日が続きました。
けっして活字中毒ではありませんが、あるとき急に時間が空いて、無性に本が読みたくなり、本屋に飛び込んで、見つけました。
乾ききった心に、この小説の魅力が、慈雨のように沁みました。
あなたも、上記のおススメしたい人のいずれかに当てはまったら、ぜひ読んでみてください。新潮社刊です。
エッセイ:「心に残る」――母バージョン ― 2013年01月28日
私は、受験生がいる年だけは家族で予防接種をすることにしているので、今年は難を逃れています。その次男が、3年前の春、インフルエンザにかかりました。
その時に書いた2000字エッセイをアップ。ひさしぶりの長編です。
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「心に残る」――母バージョン
5月の連休が明けた日、ひさしぶりに独りの静けさを味わっていると、次男の中学校から電話がかかってきた。
「38度5分のお熱がありまして、今保健室で休んでいるのですが……」
車を飛ばして15分後、保健室には青い顔の息子がいた。
ちょうど、アメリカ帰りの大阪の高校生が新型インフルエンザで隔離された、というニュースが日本列島を不安に陥らせていたころだ。先生の話では、息子のクラスにもインフルエンザの生徒が数名出ているという。
私も青くなった。中3の息子たちは、5日後に長崎への修学旅行を控えていたのである。
「でもご安心ください、B型ですから」
先生はにこっと笑った。恐怖の新型はA型で、こちらは安心のB型というわけだ。おそらく息子もその菌をもらったのだろう。
「発熱して一日経たないと菌が出ないことがあるので、検査は明日のほうが確実かもしれませんね」
とりあえず息子を連れて帰って寝かせる。夜には40度になり、解熱剤を飲ませた。大丈夫、出発まで5日ある。あきらめるにはまだ早い。
あいにく私は、翌日の午前中は自分のおけいこごと、さらに午後からは仕事先の年に一度の総会が控えていた。が、しかたがない。午前中は休むことにして、医者に連れて行こう。総会では大事なお役目もあるから休むわけにはいかない。薬を飲んで眠っているうちに出かけてこよう。
わが家にはもう一人保護者がいるのだが、夫の育児への協力は土日祝日限定。その日も、帰宅した夫は、息子の病気の話を聞いて心配そうな顔はしたが、修学旅行までにはなんとか治るといいね……とそれだけ。翌朝、いつもと変わらない半分眠った表情で出勤していった。
午前中、近所の小児科に連れていく。検査の結果は予想どおりのインフルB型。
「ほうっておいても寝てれば自然に治るんだけどね」と医者は前置きして、「一刻も早く治したい事情があるということなので、特効薬を処方しましょう」。
薬はリレンザ。従来のタミフルは、副作用でまれに幻覚や妄想が起こるとされている。子どもの患者が異常行動で亡くなって以来、未成年には許可されなくなった。
「リレンザでも同様の副作用があるという報告もあります。服用したら24時間、目を離しちゃだめですよ」
大声を上げて外へ飛び出したり、窓から飛び降りたりする可能性もあるというのだ。
万事休す。午後からの総会もあきらめ、急きょ欠席のわびを入れて、代理を頼んだ。
吸飲式のリレンザは、簡単な器具に薬のパックを装てんして投与する。息子はやがて眠りについた。1時間おきに部屋をのぞいても、いつも死んだように眠っていた。
結局その日は、夜まで息子の爆睡を見守っただけだった。総会に出かけても大丈夫だったのに、と思う。でもそれは結果論だ。
育児のために仕事が犠牲になるのはいつだって私。収入の多寡だと言われればそれまでだけれど、仕事である以上、私にも社会的な責任はある。でも夫は私の事情など知ろうともせず、私も話そうとはしない。そこに問題があるのはわかっていても、30年夫婦ともなると、すでにあきらめの境地……。
翌日には息子の熱も下がり、リレンザのおかげで快方に向かった。2日間平熱が続けば完治とみなされる。旅行の前日、医者の診断書をもらって、午後からは登校できた。危機一髪、なんとか修学旅行に間に合ったのだ。
さて旅行当日の朝、最後のリレンザを吸いこんで、いざ出発……のはずが、トイレに入ったきり出てこない。薬の副作用から下痢を起こしたようだ。今度は下痢止めを飲ませる。ぎりぎりの時刻まで待って、集合場所の羽田へ向かわせた。中学生にとって、修学旅行に行かれないことぐらい悲しいことはない。そんな私の信念が、息子を送り出したのだった。
3泊4日の旅を終え、元気に帰ってきた息子は、開口一番、こう言った。
「ありがとう、母さん!」
初日は辛かったけれど、2日目からは食欲も出たという。五島(ごとう)の海の青さ、班長として班別行動をとった思い出……口下手な息子の話でも、楽しかった様子が想像できた。
べつに母さんが治してあげたわけではないけど、でもよかったよかった。
1ヵ月後、さらにおまけがつく。
国語の苦手な息子が書いた「心に残る」というタイトルの修学旅行記が、学校通信に載ったのである。
「仕事を休んでまで看病してくれた親のためにも、楽しめなければ悪いという気がした……」
――私にも、心に残る最高傑作だった。
「人生に勝つ」って、ナニソレ!? ― 2013年01月31日
まったく同感だ。
最近はあまり言われなくなったな、と思ったら、「人生に勝つ」という言葉が、だれかの著書のタイトルに使われていた。
これも、「勝ち組」と同じ意味に思えて、不愉快になる。
そもそも、いったいだれがだれの人生と戦っている、っていうの。
人生は戦うものではない。
たった一度の人生、自分だけのかけがえのない人生を、いつくしみながら、精いっぱい生きるものではないだろうか。
なんて、かっこつけて言ってみても、前向きなことばかり書いていても、私にだって、舌打ちばかりして、「ったくぅ!」とひとり呟くこと30回の日も、ないわけではない。
加齢とともにあちこちガタがくる体、思いどおりにならない仕事、世話のやける家族……
心配も悩みも苦痛もゆううつも、愚痴を言いだしたら、きりがないのだ。
それでも、日はまた昇ってくる。
日の光をよりたくさん心のなかに受け入れることができるように、努力してみる。
見たかった映画、大好きなケーキ、花の香り、お気に入りのおしゃれ、おなかの底から声を出して歌うこと、気の合う友達とのひととき、次の旅行の計画、新しい仕事のプラン……
ほら、楽しいことをあげてみたら、こっちもきりがない。
そんな毎日の繰り返し。
戦いはどこにもない。
今日もまた、私の人生を生きていけることに感謝して、歩いていく。
それが人生ってもんさ。