自閉症児の母として(8):「こだわり」にこだわって2013年02月05日


こだわりが強いこと。自閉症の顕著な特性です。
自閉症児の母であれば、これに泣かされたことがない人はいないでしょう。

時間にこだわる。
道順にこだわる。
食べ物にこだわる。
色にこだわる……。
挙げていけば、きりがありません。

自閉症者を描いた「僕の歩く道」というドラマでは、スマップの草薙剛さんが動物園の飼育係を務める主人公を演じていました。
彼は、黄色が好きで、持ち物も、部屋のインテリアも、自転車までも、黄色でしたね。
また、勤務先の昼食時には毎日欠かさず、「カレーはやっぱりチキンカレー」と言って、食べていました。

こだわりが通るうちはいいのです。
もし、洗濯が間に合わなくて黄色の服がなかったら、不機嫌になる。
チキンカレーがなかったら、空腹も働いて、怒り出すかもしれない。
自閉症のこだわりは半端ではないのです。

健常者といえども、大小さまざまなこだわりはあるでしょう。
朝起きたら、靴下は左足から履くとか、かならず新聞を読んでから食事をするとか、卵は半熟とか……。
いつもと違うと気持ちが悪い。それもわかります。
でも、こだわりが窮屈ですか。
こだわりを通すためなら、不自由な生活もいといませんか。

自閉症児のこだわりは、はたから見ても、がんじがらめです。
何もそこまでこだわらなくても……と思ってしまいます。

でも、本当は違うのかもしれません。
バリヤーのようにこだわりを張りめぐらせることで、理解できない不安だらけの外界から、自分をシャットアウトしているのかもしれない。
こだわりに縛られているのではなく、こだわりで身を守っているのかもしれない。

長男が幼いころのこだわりは、本当にきびしいものがありました。
今だからこそ、それを語れるのです。

それについては、また明日……。

長男が子どものころから愛用の日替わりカレンダー。一日たりとも違っていたことがない。




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著書『歌おうか、モト君。』より: エッセイ「こだわりを脱いで」(前半)2013年02月06日

息子の本棚にずらりと並んだ雑誌「ストライカー」。
   

   こだわりを脱いで

   
 26歳の息子の部屋には、本棚にたくさんの雑誌が並んでいる。 
 テレビ情報誌「週刊ステラ」や、「みんなのうた」、最新の「八重の桜」まで、NHKの番組に関するものが多い。最近では、「ストライカー」などのスポーツ関係も加わった。どれもバックナンバーをひとつと欠かさず順番に並べてある。
 ちなみに「ステラ」は1年分50冊以上。1年経ったらリサイクルに出すルールを決めてある。「みんなの歌」は97年から100冊以上。それ以前のバックナンバーは私の思い出も多く、私が押入れのどこかにしまい込んだはず。大河ドラマの本は2007年の「風林火山」から前編・後編、すべて揃っている。
 コレクションは購読雑誌ばかりではない。ホンダの車のカタログもそのひとつ。新車の発売やモデルチェンジの発表のたびに、ディーラーさんにもらいに行く。恩返しのつもりで、わが家はホンダ車を乗り継ぎ、よそのメーカーの車には乗ったことがない。

 息子は小さいときからそうだった。なにか1冊絵本を買ってやると、目ざとくそのシリーズを見つけて、それもほしがる。上巻を買えば下巻を、2号を買えば1号も、さらには3号も4号も……と続いていく。
買いそろえた本をきちんと並べては、うれしそうに前から横から眺めていたものだ。
〈シリーズ・コレクター〉とでもいおうか、完璧を愛する自閉症児のこだわりのひとつである。

 息子の場合は本だったから、まだよかった。
 M学園のお仲間のS君は、食品だった。しかも、子どもらしいお菓子なんかではなく、なぜか、おでんだねのセット。それも銘柄は紀文。スーパーマーケットで新しいセットを見つけると、買い物かごに入れてしまう。
 コレクターは、食べたくて買うのではない。ときどき冷蔵庫から袋を出してきて並べては、うっとりと至福の表情を浮かべるのだという。
「同じものをほしがっておかしいなあって思いながら、あんまりほしがるから買って帰るでしょ。よくよく見ると、ちくわの数が違ってたり、はんぺんの形が違ってたりするのよ」
 さすがにひと月もたつと傷んできて、捨てるに捨てられず、お母さんは閉口した。

 M学園の療育は、スーパーバイザーである石井哲夫先生の考えのもとに実践されている。どんな障がい児でも人として生きる尊い存在なのだから、まずその存在をあるがままに受け入れてプライドを認める。そのうえで、人との関わりのなかで指導していくべきだという。「受容的交流方法」という療育の名称はちょっと硬くてわかりにくいけれど、「受け入れる」という人間的なやさしさに、私は惹かれた。
 自閉症児のこだわりも、けっして抑えたり奪ったりしない。強制的な厳しいやり方は逆効果。まず子どもを愛し、こだわりに共感し、こだわりを保障してやって、たくさんの安心を与える。一見甘やかしているように取られるが、そうではない。そこから心の通う指導が始まるのだ。子ども自身がプライドをもって行動できるまで、根気よく時間をかけて導いていく。

 息子はM学園に通い始めたころ、私と離れて部屋に入ることができなかった。そこで私も中に入って、彼の目の届くところにいる。すると、安心して、先生と遊んでいられる。
 2週間くらいたってから、おやつのときだけ私は外に出て、ガラス窓から顔を見せる。「ママちょうだい!」と泣きながら母親を求める息子。
「だいじょうぶ、ママはどこへも行かないよ、あそこにいるからね」と、先生は根気よく言って聞かせ、なだめるのだ。これにも何日もかけて、少しずつ少しずつ、安心させながら、母親と離れる指導を進めていった。

 通い始めのころ、自宅からの通園には車を使っていた。2人の子どもをチャイルドシートにくくりつけ、10分ほどで着く。が、車を降りてから園までのほんの50メートルに、時間がかかる。
 息子は、ふと目についた自動販売機の動く仕掛けの広告に見入ってしまって動かない。真夏の昼下がり、親子3人、汗をたらたら流しながら、買うつもりもないコーラの自販機の前に立ち尽くすこと20分。
「くるくる動いておもしろいね。でも、ママは暑いから早くM学園に行きたいなー。先生が待ってるから、行こうか」
 私はひとり言のように言い続ける。彼は聞こえていないようで、じつは聞いていて、ふっとその気になって立ち上がる。その瞬間を忍耐強く待ち続ける。
 忍耐、忍耐、ひたすら忍耐あるのみ。

 当時住んでいた社宅には、同じくらいの年の子どもたちを持つ若いお母さんがたくさんいた。みんな子育てが大変なのは同じだろうけれど、なかよく砂場で遊ばせたり、自宅で誕生会を開いたりしている。私にはまったくその余裕はない。毎日M学園に通い、帰ってきたら、掃除や洗濯をしながら子どもたちに食べさせてお風呂に入れて寝かしつける。無事に一日が終わってくれればそれだけでいい。
 どうしてうちの子に限って、と何度も思った。外から見えないように、台所の隅にうずくまって泣いたこともあった。
「2年がんばってみてください。2年たつと、ずいぶん変わってきますよ」
 園長先生の言葉に、ため息が出る。2年が途方もなく長い時間に思われた。それでも、息子なりの成長を信じてがんばるしかない、と思った。
 若かったからできたのかもしれない。

   ――後半に続く――
 

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著書『歌おうか、モト君。』より: エッセイ「こだわりを脱いで」(後半)2013年02月07日


20年前の手作り。色あせても捨てられない。

 

   こだわりを脱いで(前半に続く)

息子は、小さいときからとにかくテレビが大好きだった。友達のように日がな一日、いっしょに遊んでいた。ただし、外国語だけはいやがり、子ども向けの英語番組さえも見たがらなかった。
 3歳ぐらいのころだったか、あるとき、子ども番組が終わって、風景が映し出されたとたん、悲鳴を上げてテレビを消した。何だろうと番組表を見たら、次はスペイン語講座。オープニングのシーンをひと目見ただけで、わかったのだ。きっと以前にもそのまま見続けてしまって、なじみのない言葉によほど恐ろしい思いをしたのだろう。

それがいつからか、本屋で見つけたテキスト片手に、「セサミストリート」を見るようになってしまったのである。わけがわからないから怖い。ならば、解説書とともに見ればいい。彼のこだわりは逆転し、この月刊のテキストもシリーズ・コレクションに加わった。
 さらに、毎週土曜朝の番組は欠かさず見る。テキストに載っている何分何秒の時間配分にまでチェックを入れて楽しんだ。
 ゆかいなモンスターたちのおしゃべりや、数字やアルファベットに興味を持っているうちはまだよかった。よかれと思って買い始めたテキストだったのに、こだわりが強くなりすぎて、こんどは毎月18日の発売日が気になってしかたがない。
「18日にセサミストリート、買うよ」
と、1週間も前から言いだす。
「あしたセサミストリート、買うよ」
 前日になると、感極まって涙まじり。しかも5分おきに言い続ける。
「だいじょうぶ、ちゃんと買ってあげるから。笑って待ってようね」
 そのやり取りが毎月何10回となく繰り返されるのだ。
 発売日に買いそびれたこともないのに、なぜこれほどまでに不安になるのだろう。自閉症児のこだわりのきびしさ。安心させることのむずかしさ。親の愛情と忍耐だけが治療薬なのである。

小学校に入ると、さらに困ったことになる。番組の放映は、土曜の朝8時、登校する時間である。ただでさえいやいや通い始めた学校に、大好きなセサミストリートを見ないで行かせるのは、あまりにダメージが大きいのではないだろうか。
 録画してあとで見る、などという妥協案は、彼の辞書にはない。テレビ番組はオンタイムで見るもの。時間はいつだって未来へ向かって進んでいる。
 悩んだすえ、土曜の1時間遅れの登校を、大目に見てもらうことにした。

半年後、息子のセサミストリートへの執着がようやく落ち着いてきたころ、次のステップを踏みだした。
「録画して学校へ行こうよ。帰ってきてからゆっくり見よう」
と、ひと月も前から説得を始める。毎日毎日、言って聞かせる。
「学校は、ほんとは8時に行かなきゃいけないものね」 
 彼は知らん顔をしているようでも、聞いてはいるのだ。こだわりを通したい一方で、学校の時間のルールも守りたい……。彼のなかの葛藤が目に見えるようだった。
 そしていよいよ決行の土曜当日、こちらも勇気を出して、声をかけた。
「じゃ、いい子だね。テレビを消して、録画ボタンを押して、学校に行こうね」
 もう覚悟はできていたのだろう。黙って言われたとおりにすると、「モト君、えらい!」というほめ言葉を背中に受けて、泣きながら学校へ走っていった。

さらにその4年後、番組は英語と日本語との2ヵ国語放送となり、テキストの発行はあっけなく終了。
 こうして息子は、セサミストリートのこだわりから解放されたのである。
 長い長い道のりだった。

園長先生の言われた「2年」がたったころ、気がつくと息子はずいぶん変わってきていた。聞き分けもよくなり、心を通わせることが多くなっていた。
 M学園には、就学を猶予して4年間通った。愛情深い療育のもと、彼は自分を閉じ込めていた堅い殻を、少しずつ脱いでいくことができたのである。旅人のマントを脱がせたのは、強い北風ではなく、やはり太陽の暖かさだった、といつも思うのだ。


 幼いころのS君のおでんコレクションも、お母さんがとことん付き合って、買い続けてあげることで、いつのまにか下火になっていったという。

毎年、S君一家からは写真入りの年賀状が届く。お父さんによく似た面長のハンサムな青年が映っている。
 7年前のお母さんの言葉。
「今年で20歳になります。この笑顔に励まされての20年間でした」
 おでんを肴に、お父さんと一杯やるんだろうか。それとも、もうおでんは見るのもいやかな、……なんて思ったら笑ってしまった。
 写真のS君も笑っていた。

 ****************************
そして、昨年暮れ、Sさんから届いたのは、訃報でした。
S君のお父さんが50代の若さで急逝されたとのこと。
すぐにお悔やみの手紙を出しましたが、お母さんはまだまだ涙にくれる毎日を送っている様子です。
「息子たちにも私にも、やさしい愛情深い人でした。もう一度会いたいです」
これからも天国から、S君の成長を見守り続けてくれることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。



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エッセイの書き方のコツ(13):字数制限でシェイプアップ2013年02月12日

つれづれなるまゝに、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく……のは、兼好法師の時代の話。現代のエッセイはそうはいきません。
エッセイには必ずと言っていいほど、字数制限があります。執筆や出版など、字数を決めて、契約が成り立つものです。
たとえばエッセイコンテストなどでは、字数がほんの少しオーバーしただけでも、選考対象から外されることもあります。

エッセイ教室の場合、たくさんの生徒さんの公平を図るためにも字数制限が必要です。
私のクラスでは、およそ1600から2000字程度の作品を書いてもらいます。エッセイを書くのにちょうどいい長さではないでしょうか。

テーマに沿って、書きたいことを書いていく。書き終わって、「やっと書けた」とせいせいする気持ちもつかの間、字数は規定を大きく超えている。やれやれ、これをいかに縮めるか……。
そういう場合が多いのではありませんか。かくいう私もそうです。
字数制限がなければ、このまま提出できるのに……と、恨まないでくださいね。

最後まで書き上げたら、こんどは推敲をします。
そのとき、長すぎた原稿は、規定の字数まで縮めましょう。
つまり、字数制限は、推敲の一つの手段と考えてください。

まず、段落ごとに、書いてある内容をチェックしてください。
それから、自分の書きたいこと、つまり主題、それは何かをもう一度考えながら読み直してみてください。その主題にとって、それぞれの段落が、本当に必要かどうか。
内容が主題からそれている、と思ったら、思い切って段落ごとカットしましょう。

もうひとつ、書き出しに着目。ついつい、くどくどと書いてしまうのが前置きです。
できれば、すぱっと本題から入っていくのが、読み手を引き付ける上手な書き方です。
とはいえ前置きには、いつのことか、場所は、人間関係は……などなど、削れない情報もあるでしょう。
季節感を取り入れた情報も、作品の入り口に飾りたくなるかもしれません。
でも、長すぎませんか。半分ぐらいになりませんか。検討してみましょう。

三つ目のチェックポイントは、具体的な情報。
具体的に書くことはもちろん大切です。でも、そのエピソードがたくさんありすぎると、今度は、大事な部分の印象が薄まってしまいます。
紀行エッセイにありがちなのが、このパターン。一番大事なところをヤマにして、あとは割愛の決断も必要です。

いかがですか。
字数制限がなかったら、しまりのないままだった文章も、規定字数の枠内に収めることで、ぜい肉を落とすことができるのです。
文章だってシェイプアップ。魅力的に変身します!



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ダイアリー・エッセイ:真夜中の涙2013年02月17日

わが家の次男坊、ただでさえ、ふがいないのである。
その彼が大学受験のまっただ中とあっては、いつもはぐうたら主婦を決め込んでいる私としても、かなり真面目にならざるをえない。
風邪をひかないように。おなかを壊さないように。
試験に臨む前夜の夕食は何にしよう。当日のお弁当は何にする。
地下鉄の乗り換えはわかっているのだろうか。雪にならないだろうか。電車はちゃんと平常運行しているだろうか。
受験票は持った? パスモは? ウィルスバリヤーは? 
……まあ、心配しだしたらきりがない。

だからストレスも大きい。
気疲れして、はやばやと寝てしまったら、夜中に目が覚めて眠れなくなった。
やはり気がかりな受験生のことが頭に浮かんでくる。
そういえば息子は、40年前の私のときと、同じ大学をいくつも受けるのだ。
同じ場所にあっても、当時は地下鉄も現在のように網の目状態ではなかったから、たいていは東横線で渋谷に出て、山手線に乗り換えた。
インターネットも携帯電話もなかった。
校舎だって建て替わっているにちがいない。
同じようでも、40年の隔たりがある。
40年後には、私はもう生きてはいないだろう。
……と思ったら、つーと涙が流れた。
あらら、今さら何なの、この涙は。
夜中には感情がむき出しになるの? 半分夢の中なんだろうか。

末っ子はかわいいでしょ、と言われることがある。そんなものだろうと思っていたけれど、そうではない、と気づいた。
子育てが終わっていくことがいとおしい。自分の人生がいとおしいのだ、と。



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一日限りのチャリティーレストラン@HANZOYA2013年02月20日

おととい18日に、新横浜のフランス料理のレストラン、HANZOYAでランチをいただきました。
お店は横浜アリーナの真裏にあり、かつて実家があった所からは歩いて20分。両親が健在のころ、二人でよく散歩がてら食事に出かけていたレストランなのです。
「一日限りのチャリティーレストラン」と聞き、なんとしても行かなくては、と冷たい雨の中、行ってきました。

チャリティーということで、売り上げは、宮城県気仙沼市の浦島小学校が閉校になるため、その思い出づくりに全額寄付。東京駅で脚光を浴びたプロジェクションマッピングを制作するのだそうです。

さらに、このプロジェクションマッピングは、東松島市の浜市小学校の廃校に伴う「卒業アルバム」制作にも活用されるとのこと。打ち上げ花火なども取り入れて、楽しい映像になるようです。
私がささやかながらお仲間に入れていただいたチーム東松島ともご縁があるような気がして、うれしくなりました。

オーナーの加藤英二さんは横浜育ちですが、レストランのシェフというお仕事を通して、食材豊富な気仙沼とご縁があったのだそうです。
また、横浜市に同名の「浦島小学校」があって、そのつながりも育んできていました。

チャリティーランチの特別コースは、真心のこもった素晴らしいものでした。
生ガキと白菜のジュレに始まって、メインの岩手牛やカジカ、日本酒のしみたフレンチトーストやお米のアイスクリーム、ハーブティーにいたるまで、すべて東北の食材がふんだんに使われていました。

オレンジ白菜と牡蠣のジュレ

「気仙大島産カジカのクレピーヌをブレゼして」

The東北フレンチトースト&お米のアイスクリーム


大きな心残りは、午前中に車で動いたので、そのまま出向き、ワインをいただけなかったこと……。
おいしいお料理たちにゴメンナサイの気分。今度は電車で行きますね。

また一つ、〈ご縁〉を感じた一日でした。



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ダイアリー・エッセイ:運勢最下位の日2013年02月27日

「ごめんなさ~い、今日もっとも運勢の悪い人は、いて座のあなたです」
朝の7時ごろ、テレビにそう言われた。
とたんにマイパソコンのインターネットが通じなくなった。10日に一遍ぐらい、そういう日がある。
仕方なく外出することにした。
横浜市営地下鉄に乗って、センター南駅のS銀行へ。

駅の改札を出ると、真っ青な空が広がった。赤い観覧車がきれいに映えて光っている。
思わず写真をパチリ!

銀行は、東急SCの右側だったはず……だけど、あら、東急はどこ?
……あ、間違えた!
観覧車はセンター北駅のシンボルだった。私は一つ手前の駅で降りてしまったのだ。
それにしても、センター南とセンター北。名前も似ていれば、ホームや駅構内の感じも、がらんとした駅前の様子も、まったくよく似ている。
そうそう、運勢最下位だった。この程度なら、ま、いいか。

結局、また一駅分の料金を払って、地下鉄に乗って、目的のS銀行へ。
口座解約の手続きで待たされる。
その間に読んだのが、「山あり谷あり」というエッセイ。
人生、悪いことが起きても、また良いことがめぐってくる――まるで今日の私をやさしく慰めてくれているように思えた。

センター南駅からも、北駅の観覧車が小さく見えている。
そういえば、あの観覧車に次男坊と乗ったことがあったっけ。
彼が小学校5年生、学校の創立記念日に、二人で映画を見た。トム・ハンクス主演の「クリスマス・エクスプレス」というファンタジックなアニメ映画だった。
その帰り、この観覧車に乗り込んだ。ジェットコースターが苦手な息子も、高い所は好きらしい。
丸顔二つ並べて、プリクラも撮ったっけね。


あれから8年。次男は今、大学受験に挑んでいる。
もっか答案用紙に向かっている受験生の代わりに、母が一つ間違えた。
そういうことにしておこう。

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インターネットはどんな手を使ってみても、一昼夜つながらないままでした。
今朝はいつもどおりにつながって一日遅れのアップです。


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