おかげさまで10000回!!2013年05月06日


昨日、201355日、ブログ開設以来、アクセス数が5ケタになりました。
カウンターをつけたのが20111020日ですから、約1年半、560日余りです。
毎日読みにきてくださる皆さま、本当にありがとうございます。

もちろん、数字だけが伸びればいいのではなく、記事の内容もグレードアップ、エッセイもブラッシュアップさせていかなくては、と思います。
1年後には20000回を数えることができるように、決意も新たにがんばります。

皆さんの応援だけが励みになります。

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ダイアリー・エッセイ:母の日だから2013年05月12日



カステラが大好物の義母に、花より団子、文明堂のカステラを持っていく。
義母は92歳。
先日、東京スカイツリーに上り、3時間もかけて、東京をぐるり俯瞰したという。さらに、地上に降りて、浅草見物もしたというから、びっくり。聞いたこちらがどっと疲れた。


長男モトは、朝起きてくるなり、
「母の日、おめでとう!」と言ったので、
「おめでとうじゃなくて、ありがとうでしょ」と答えた。
几帳面な彼は、毎日ニンテンドー3DSに日記をつけている。
なかなか見せてはくれないのだが、今日だけは、ほら、と見せてくれた。

モトのニンテンドー3DS




最近、とうとうスマホに替えた。
しかし、指先がカサつくお年頃のせいか、タッチがうまくできなくてイライラすることしきり。
そこで、娘がプレゼントしてくれたのは、スマホ専用のタッチペン! ボールペンのお尻がタッチペンになっている2wayのすぐれもの。
これからは、と、と、と、と、とっと、はかどりそうだ。
娘はいつも、母の欲しいものをよくわかってくれる。

ダブルスクリーンのスマホ



わが家は、休日はたいてい夫が料理をする。
だから、今日ぐらい、料理担当は母の日



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(1)2013年05月17日


2011
年初めのころ。
当時の私には、乗り越えなければならない大きな挫折が重くのしかかっていた。
そろそろ答えを出すべき、行き詰まりの問題も抱えていた。
「具体的に書きましょう」と、いつもエッセイ教室では口にするのだが、上記の内容だけはお許し願いたい。 

そして、311日。東日本大震災。

あたりまえの日常があっけなく覆されるのを目の当たりにした。
これまでの価値観の修正を迫られた。多くの日本人がそうであったように。

明けて2012年。
何かしなくては。気持ちだけは突き動かされるのに、何をしたらいいのかわからない。
被災地と直接関わりのない自分は、何をすべきなのか。模索し続けているときに、友人を介して、東北の復興支援をするためのボランティアグループと関わるようになった。
2月から8月まで、月に一度、銀座で行われる「東松島物産展」の手伝いをさせてもらった。白状すれば、東松島市という存在さえ知らなかったのだが……。


大勢の仲間ができた。年齢的なギャップは多少の引け目だったけれど、それでも楽しく銀座に通った。
さらに、Facebookを通して、世界が広がった。
いつか被災地に行ってみよう。行かなくては、と思うようになった。

そんなある日、Facebook上の1枚の写真に吸い寄せられた。青い空に、青い鯉のぼりだけが泳いでいる。
そこで初めて、東松島市大曲浜の「青い鯉のぼりプロジェクト」を知ったのである。

それは、大曲浜に住んでいた、当時17歳の青年のエピソードから始まる。
彼は、祖父母、母、そして5歳の弟が津波の犠牲になった。がれきの中から見つかったのは、弟が好きだった青い鯉のぼり。家族の象徴であり、天に昇って竜となる伝説もある鯉のぼりだ。
彼は、その泥だらけの鯉のぼりを近くの川で洗った。やがて、次々と出てきた鯉のぼりを、母や祖父母たちへの思いも込めて、家の在ったあたりに空高く揚げた。
さらに、その年の55日には、全国から200尾以上の青い鯉のぼりが集められ、震災で亡くなった子どもたちのため、青空に掲げられた。
その年だけに終わらせずに、毎年311日から55日まで、青い鯉のぼりを泳がせよう。犠牲になった子どもたちの鎮魂のためにも、復興のシンボルとしても、続けていこう……。
それがこのプロジェクトである。

泣き虫の私は、二人の男の子を持つ母親として、涙が止まらない。
今すぐには無理でも、来年こそは、この鯉のぼりの下に立ちたい。
その願いが、私を被災地に向かわせるきっかけとなった。

願い叶って、今年のゴールデンウィーク、娘と二人、ついに東松島を訪ねることができた。5月3日、大曲浜の空に泳ぐ青い鯉のぼりたちを仰ぐことができたのである。

20130504 東松島市大曲浜の青い鯉のぼり


真っ青な空。強い海風。
津波に押し流されたたくさんの家々が在った場所。
近くにはまだ、家の中を波が暴れていったままの立派な住宅が1軒、撤去されず残っている。

残されたままの家


聞こえるのは、鯉たちが空に泳ぐ音だけ。
その向こうの空の高みから、子どもたちの走り回る歓声が、聞こえてくるような気がした。

去りがたかった。
翌日も、ここを訪れて、鯉のぼりを見上げて立ち尽くしていた。 

21030504 青い鯉のぼり

                        
                                 (続く)


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旅のフォトエッセイ:東松島へ(2)~清美さんと「のり工房矢本」~2013年05月23日


5
2日の夜、娘の勤務が終わるのを待って、二人で東京をたち、夜遅く仙台に到着。
翌朝、快晴の仙台から、予約しておいたレンタカーに乗って、東松島に向かった。

インターを降りてすぐ、真っ赤な車で迎えに来てくれたのは、
「のり工房矢本」の社長、清美さんだった。
同じ色のスカーフがおしゃれに決まっている。


清美さんの赤い車

清美さん

☆ ☆ ☆
宮城県は美味しい海苔の養殖地だ。
県内の塩釜神社では、年に一度、乾海苔品評会が行われ、優勝・準優勝した海苔は、皇室に献上されるのだという。東松島の大曲浜で作られる海苔は、この6年連続その栄誉に浴してきた。漁師たちの努力と研鑽があってのことだろう。
そして、その妻たちも、海苔を使った商品を販売しよう、と数年前に立ち上げたのが「のり工房矢本」である。

しかし、津波はすべてを流し去った。
清美さんの自宅も、工房も、船も、養殖の道具も、何もかも。

このままでは、大曲浜の海苔がすたれてしまう。忘れ去られてしまう。
そんな絶望の淵で、泥の中から優勝トロフィーが見つかった。発見したのは、清美さんのご主人。もちろん海苔養殖の漁師だ。
彼はそのとき、「海苔を作れ、ということなんだ」と感じたという。
さらに、奇跡は重なる。被災を免れた地域で、出荷を待っていたワゴン車の荷台に、大曲浜の海苔が残されていたのだ。

清美さんたちは、希望を見出して、立ち上がった。
大曲浜の海苔を買い戻し、自分たちの手で少しずつ加工して販売を再開。さらに、東松島市の学童保育用に建てられたプレハブが借りられることになり、そこに移転する。機械を入れて、以前の海苔作りが、なんとかできるようになった。

銀座の物産展で、清美さんたちと出会ったのは、そんな時期だ。
「皇室御献上の浜」と書かれたのぼりを立てて、販売のお手伝いをさせてもらった。
☆ ☆ ☆

清美さんの車の後をついて、まずはのり工房へ。
のり工房の玄関


室内には、商品が並べられ、加工機械も据えられている。

海苔を加工する機械

そして、これがくだんのトロフィー。足の付け根がひしゃげてしまっているが、きれいに磨かれていた。
漁師さんたちは、泥の中からトロフィーを見つけ出したことで、プライドも取り戻したのだ、と思った。

栄誉あるトロフィー、奇跡のトロフィーの説明も。


工房の向かいは、震災以前から広々と畑が広がっていたところ。
瓦礫もようやく片付けられたとか、広い広い空間と、青い空が視界を占める。





の向こうに住宅街があったが、すべて消えてしまった。だから、海沿いの松が見える。
「家がなくなって初めて、こんなに海が近かったんだ、って感じたのね」
清美さんが言った。



千佳子さんと清美さん
さて、この日、工房で再会したもう一人の女性、千佳子さんは、清美さんの義理の妹だ。
清美さんと二人で、あちらこちらに案内してくれた。
その話は、また次回。どうぞお楽しみに。

                       (続く)

 

☆ ☆ ☆
 偶然にも、

 今日5月23日は、清美さんのお誕生日。
 ぜひともこの日に、清美さんのことを書きたかったのです。
 おめでとうございます!
 さらに、偶然にも、
 娘も同じ誕生日。東松島で出会った二人。不思議なご縁がうれしいです。

 

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ダイアリーエッセイ:ウマクイカナイ2013年05月24日



長男モトの主治医のところへ出かけた。こころのクリニック。
養護学校を卒業するときからお世話になっている。
4週間に1度、本人は行かずに私だけがS先生と話して、彼の状態を伝え、対処法をうかがう。先生は障がい者の自立支援に詳しく、社会的な面からもアドバイスを受ける。
先生の穏やかな笑顔で、ほっと肩の荷が下りる。
柔らかな勇気をもらった気分で帰ってくる。
長男ではなく、私の主治医なのかもしれない。

モトの仕事先が決まらない。
障がい者就労支援センターの担当者は、定規を当てるように彼の能力を推し測り、それに見合っただけの仕事に就かせようとする。それが至上の任務であるかのごとく。
一方、母親の私は、彼の伸びしろを信じ、これまでの体験の上に次のステップを踏ませたい。そんなに世の中が甘くないことは承知のうえで、親の情もわかってはくれまいか、と思う。
どうもうまく思いが伝わっていかないのである。

今夜は満月がきれいだ。
見上げながら、ちょっぴり悲しくなる。
うまくいかないのはモトのことだけではない。
良かれと思っても、空回りばかりで。

「次へ進むことを考えないで、ちょっと休んでみるのもいいですよ」
S先生は言った。
私も、走るのをやめて、ウサギみたいに昼寝でもしてようかな。
……昼寝とならずに、永遠の眠りについてしまいそうで、それも怖いのである。


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半年ぶりのエッセイクラスin銀座2013年05月28日




本日は、銀座三越デンマーク・ザ・ロイヤルカフェのコミュニケーション・プレイスで、エッセイクラスを行いました。
前回は11月末に開催し、その後家庭の事情でお休みしていましたから、半年ぶりです。
今回は、欠席の方がいらしたので、ご参加は7名のマダムたち。


3
名の方が、作品を提出されました。作者ご自身が読み、皆さんが意見を交換します。
S子さんは、猫を飼っていたころの思い出エッセイ。このブログの「書き方のコツ」を読み、現在から過去に話が移るという手法をさっそく取り入れられていました。猫たちの描写は目に浮かぶようで、さりげなく会話が入っていて、家族の愛情も感じられる心温まるエッセイでした。

H子さんのエッセイは、福島の三春の滝桜を見に行ったけれど、時期が早く、結局苗木を翌年送ってもらい、娘さんの家の庭に植えるまでのストーリーです。春にふさわしい期待感が感じられました。また、思いやりにあふれた作者のお人柄が伝わるエッセイでした。

M子さんのは、エッセイではなく、ご専門の聴覚トレーニング指導のメソッドについて書かれた文章です。その大変珍しい指導法に皆さん興味津々……!
「多くの人に伝えていくために、これから文章として残したいのです」
と、M子さん。あせらず少しずつ、言葉をていねいに探しながら書いていってくださったらうれしいです。

皆さんの合評はとても活発で、的確な意見や率直な感想が、テーブル越しに交わされます。感動のため息も交じり、なごやかな笑いもあり……。あっという間に時が流れました。



さて、このマカロンは教材です。これを召し上がって、五感を使って味わい、それを表現してみましょう……と、実際に原稿用紙に書いてもらうつもりでしたが、熱心な作品鑑賞に時間を割くことにして、この実習はまた次回、となりました。
もちろん、マカロンはおみやげになりましたよ。

作品を持たずに参加された方は、ちょっと残念だったかもしれませんが、それなりに充実したひと時を持っていただけたのではないでしょうか。

そしていつものお楽しみランチタイム。
スパークリングワインの乾杯から、「いただきます!」。

スペシャルランチのオマールエビのブイヤベース。

ズッキーニのケーキ。

とても初めての出会いとは思えない今日の集い。40代から70代まで、世代を超えた大人の女性の交流のひととき。本当に楽しく素敵な時間でした。
ご出席の皆さま、どうもありがとうございます。お疲れさまでした。

さて次は、730日(火)、924日(火)を予定しています。
ブログをお読みの皆さまも、ぜひ一度ご参加になりませんか。
お問い合わせ・お申し込みは、コメント欄にお書きいただくか(その場合は公開しません)、または、hitomi3kawasaki@gmail.com まで。
詳細は、ロイヤルカフェのサイトでもご覧いただけます。


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