旅のフォトエッセイ:東松島へ(2)~清美さんと「のり工房矢本」~2013年05月23日


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2日の夜、娘の勤務が終わるのを待って、二人で東京をたち、夜遅く仙台に到着。
翌朝、快晴の仙台から、予約しておいたレンタカーに乗って、東松島に向かった。

インターを降りてすぐ、真っ赤な車で迎えに来てくれたのは、
「のり工房矢本」の社長、清美さんだった。
同じ色のスカーフがおしゃれに決まっている。


清美さんの赤い車

清美さん

☆ ☆ ☆
宮城県は美味しい海苔の養殖地だ。
県内の塩釜神社では、年に一度、乾海苔品評会が行われ、優勝・準優勝した海苔は、皇室に献上されるのだという。東松島の大曲浜で作られる海苔は、この6年連続その栄誉に浴してきた。漁師たちの努力と研鑽があってのことだろう。
そして、その妻たちも、海苔を使った商品を販売しよう、と数年前に立ち上げたのが「のり工房矢本」である。

しかし、津波はすべてを流し去った。
清美さんの自宅も、工房も、船も、養殖の道具も、何もかも。

このままでは、大曲浜の海苔がすたれてしまう。忘れ去られてしまう。
そんな絶望の淵で、泥の中から優勝トロフィーが見つかった。発見したのは、清美さんのご主人。もちろん海苔養殖の漁師だ。
彼はそのとき、「海苔を作れ、ということなんだ」と感じたという。
さらに、奇跡は重なる。被災を免れた地域で、出荷を待っていたワゴン車の荷台に、大曲浜の海苔が残されていたのだ。

清美さんたちは、希望を見出して、立ち上がった。
大曲浜の海苔を買い戻し、自分たちの手で少しずつ加工して販売を再開。さらに、東松島市の学童保育用に建てられたプレハブが借りられることになり、そこに移転する。機械を入れて、以前の海苔作りが、なんとかできるようになった。

銀座の物産展で、清美さんたちと出会ったのは、そんな時期だ。
「皇室御献上の浜」と書かれたのぼりを立てて、販売のお手伝いをさせてもらった。
☆ ☆ ☆

清美さんの車の後をついて、まずはのり工房へ。
のり工房の玄関


室内には、商品が並べられ、加工機械も据えられている。

海苔を加工する機械

そして、これがくだんのトロフィー。足の付け根がひしゃげてしまっているが、きれいに磨かれていた。
漁師さんたちは、泥の中からトロフィーを見つけ出したことで、プライドも取り戻したのだ、と思った。

栄誉あるトロフィー、奇跡のトロフィーの説明も。


工房の向かいは、震災以前から広々と畑が広がっていたところ。
瓦礫もようやく片付けられたとか、広い広い空間と、青い空が視界を占める。





の向こうに住宅街があったが、すべて消えてしまった。だから、海沿いの松が見える。
「家がなくなって初めて、こんなに海が近かったんだ、って感じたのね」
清美さんが言った。



千佳子さんと清美さん
さて、この日、工房で再会したもう一人の女性、千佳子さんは、清美さんの義理の妹だ。
清美さんと二人で、あちらこちらに案内してくれた。
その話は、また次回。どうぞお楽しみに。

                       (続く)

 

☆ ☆ ☆
 偶然にも、

 今日5月23日は、清美さんのお誕生日。
 ぜひともこの日に、清美さんのことを書きたかったのです。
 おめでとうございます!
 さらに、偶然にも、
 娘も同じ誕生日。東松島で出会った二人。不思議なご縁がうれしいです。

 

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