旅のフォトエッセイ:東松島へ(3)~千佳子さん~2013年06月01日

「東松島に、一度おいで!」
銀座の物産展のとき、最初にそう言ってくれたのが、千佳子さんだった。東松島からやってきた、のり工房矢本のメンバーの一人だ。
Facebookのプロフィール写真には、ハワイのお姫様のようなステキな写真が使われている。
「あの写真は、どこかで撮影したんですか」と聞いたら、
「ハワイで撮ってもらったの。もう何年も前だけど」という。
「私だって、7年前の写真よ」と私。
おたがいナイショにしとこうね、と二人で笑った。
(ただし、私の現在のプロフィールは半年前のです。誤解のなきように……)
あとからわかったのだが、千佳子さんはフラダンスの名手。ハワイのお姫様にだって負けていないわけだ。

千佳子さんと清美さん

清美さんと千佳子さんは義理の姉妹。海苔養殖を営む千佳子さんの実家に嫁いできたのが清美さん。お兄さんと結婚した。
二人とも、私より年下だが、お孫ちゃんがいる。若くてかわいらしいおばあちゃんたちだ。

清美さんの運転する車に、千佳子さんも乗り込んで、私と娘をまる一日案内してくれた。
まずは目的の大曲浜へ。
清美さんの住居、つまり千佳子さんの実家も、大曲浜にあった。
そして、津波によって、跡形もなく流された。
その場所へ連れていってくれたのである。

(青い鯉のぼりについては、「東松島へ(1)」に書きました)

防波堤のこちらからは、海が見えない。海を見ようよ……。
防波堤へ
なんと穏やかで、美しく青い海だろう!
どうしても、あの日、豹変して狂暴となった海を想像することができない。


昨年8月に完成した慰霊碑。


この地域で犠牲になった方々の名前が刻まれている。
その数、311名。悲しすぎる偶然だ。
観音様の頭のてっぺんまで、約6メートル。この地を襲った津波の高さだという。


千佳子さんが、強い海風をよけて、手際よくお線香に火をつけてくれた。
どれだけの数、火をともしてきたのだろう、とふと思った。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
今日はここまで。まだまだ続きます。
なかなか続きが書けないのは、目下、超多忙という事情もあるのですが、軽々しく書き進めることができません。
被災地の状況は、聞いてはいたつもりでした。テレビや新聞などからも、情報を得て知っているつもりでした。
それでも、実際に足を運んだ場所について情報を確かめるたびに、被害の大きさ、重さに圧倒されるのです。
それらをひとつずつ受け止めながら、少しずつ書き進んでいきたい、と思っています。

東松島市のホームページには、被害状況についての情報や、当時の被害状況の写真が掲載されています。2年を経た私の写真と、比べてみてください。



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お久しぶりです、T先生!2013年06月02日


私のエッセイ集『歌おうか、モト君。』をお読みくださった皆さま、T先生を覚えておいででしょうか。
長男モトが小学校3年・4年のときの担任で、あの「T先生からの手紙」の主人公です。
年賀状のご挨拶だけで、もう10年以上ご無沙汰でしたが、ついに今日、本当に久しぶりにお目にかかることができました。
先生は、まったく変わっていませんでした。いえ、むしろ当時より、若々しく見えたほど。
それでは、本邦初公開のT先生です! (シールの上で、クリックしてください)

お久しぶりです、T 先生!

当時の先生は、自閉症の長男を受け入れながらも、教職を辞めるべきか否かという大問題に直面していたのでした。
先生の中学生のご長男に脳腫瘍が見つかって、助かっても重い障がいが残るかもしれない、まさに危機的な状態だったのです。
そのことを、担任が終わるころに、手紙にしたためて告白されました。私も泣きながら読んだそのお手紙を、エッセイ集を上梓するときに、原文のまま掲載させてもらったのでした。

やがて先生は、人事異動でほかの学校に移って教頭先生となり、それも引退。
現在は子どもの相談に関わるお仕事など、ボランティアのように続けているそうです。
「相談に来られたお母さんや、学童保育のスタッフさんに、あなたの本を読んでもらっているのよ」
私の本が、先生のお仕事に役に立っていると聞いて、本当にうれしくなりました。

あのころは、担任の教師と保護者の間柄。私は心から尊敬し、信頼していました。
さらに、お互いに障がいを抱える子の母親同士になって、先生との語らいは、理解しあえる大きな安心感に包まれるようになりました。

そして今、10年以上の歳月を経ても、その安心感は変わりません。
人生のなだらかな下り坂を、楽しく一歩先行くT先生とのおしゃべり。話は尽きません。
やはり小学校の校長先生まで務めたご主人とふたりで、畑仕事に精を出しているとか。
来月は、3人目のお孫さんが誕生。忙しくなるその前に、来週はお友達とフランス旅行に行かれるとか。

居場所が決まらないモトと違って、先生の息子さんは、ずっと同じ、自宅のそばの障がい者通所施設に通い、平穏な日々を送っているそうです。
「相談の仕事はストレスになるけど、家に帰って、やさしい性格の息子の笑顔に、ほんわかと癒されるの」
モトの言動にイライラするばかりの私は、反省することしきり……。

気がつけば、あっというまに3時間。
泣き虫な私は、やっぱり何度も涙があふれてくるひとときでした。
今日の空は、夕方5時を過ぎても、梅雨とは思えないさわやかな青い色をしていました。

5時を過ぎても、こんなに明るく晴れた空!


おみやげにいただいた朝どり野菜たち。
今夜はきたあかりをいただきました。美味しかったです、ごちそうさま!



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6月4日は、何の日?2013年06月03日


正解は?
虫歯予防デー。

11年前のこの日は?
サッカーワールドカップが日韓で開催中。トルシエジャパンが、初めてベルギーに引き分けた日。
そして……父が亡くなった日。


晩年は総入れ歯だった父が、虫歯予防デーに亡くなるなんて。
まだ幼かった次男が、父が入れ歯を外すのを見てしまい、
「おじいちゃんの歯がこわれちゃった……」と、半泣きになったのを、今でも思い出す。

入院して、4年がたっていた。
その日も昼間見舞ったときは、安定した状態で、すこし安心して帰宅したのだった。

その夜の試合で、日本はベルギー戦にようやく引き分けて勝ち点1を上げた。
日本中が喜びに沸きかえっていた。

そのころ、父は病院でひっそりと息を引き取った。
夜遅く、病院から電話を受けて、タクシーで駆け付けたときには、すでに父の顔の上に白い布がかぶせられていた。
享年86歳。

明日64日、日本はオーストラリアと対戦し、予選突破を目指す。
大丈夫、あの夜のように、きっと引き分ける。
あの夜のように、応援しよう。
お酒が一滴も飲めなかった父の分まで、ビールを飲みながら。

埼玉スタジアム




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Thank you,everyone!!!2013年06月04日


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エッセイ:「父の絵」2013年06月05日

 父は子どものころから、絵を描くことが好きだったという。
 写生をしているときに、近くに住む画家と知り合いになり、彼の家に遊びに行くようになった。それを知った祖父は、激怒した。
「お前を絵描きなんぞにするつもりはない。男の子は勉強だけしておればいい」
 軍人だった祖父は厳格で、父はおとなしく従った。画家にもらった絵筆も、言われるままに捨ててしまい、後はひたすら勉学に打ちこんだ。

 私が子どものころの記憶に、およそ父の笑い声というものがない。寡黙な人だった。お酒も飲めないから羽目をはずすこともなく、いつもタバコの煙の中で押し黙っていた。
 やがて、50歳を過ぎて、長年勤めた会社を退職。大学で教鞭を執ることになった。このころから、父はよく笑いよく喋るようになった。人間関係がわずらわしい会社勤めより、学問の場に身をおいているほうが性に合っていたにちがいない。
 何より、父を変えたのは、ふたたび絵を始めたことだろう。絵を描く時間が取れるようになったのだ。道具を少しずつ買い揃え、絵のサークルにも入った。胸のポケットに何本も鉛筆をさして、風景画を描きに出かけるようになった。
 写生会の後には、必ず仲間と話しこんで帰ってくる。あれほど口の重かった父が、
「絵のことなら何時間でも話していたい」と、目を細める。

 父は自然の風物を好んで写生した。水辺の景色、新緑の山々、紅葉の街路樹、桜並木……。帰宅したばかりの父のスケッチブックを開くと、風景と向き合ったときの父の感動が伝わってくる。ちょっとふるえた線描や、濃く淡く走らせる筆さばきで、風のきらめきや匂いまでもが手にとるようだ。スケッチならではの新鮮さが生きている。
 ところが父はそうやって外で描いてきたものを、書斎の机の上で手を入れてしまう。写真を見たり頭で考えたりしながら描き加える。木や家はぎこちなくちぢみあがり、とってつけたように人物が置かれ、絵はつまらなくなる。
「どうだ」
 得意そうに、父が新しい絵を見せる。私も大学生のときに油絵をやっていたので、わが家で絵の話し相手は、私の役目だ。
「その人物、ないほうがいいのに」
 遠慮なく言う。
「…………」
 おれはよくなったと思うぞ、と言わんばかりに、父は口をへの字にむすんで黙り込む。
 ほめれば父が喜ぶのはわかっている。でも父の上達を願ってこそ、感じたままを口にする。多少なりとも絵のことはわかるつもりだ。娘が本当のことを言わなかったら、だれが率直な批評などしてくれるだろう。ひょっとしたら私は、父の絵をほめない唯一の人物かもしれない。父も頑固なら、娘にも意地がある。
「ひとみに見せてもケチばかりつける」
 父は、かげで母にこぼしていたらしいが、そんな父娘の確執を楽しんでいたのは、ほかならぬ父と私自身だったかもしれない。

 晩年、父は、前立腺がんにかかる。その治療の副作用で体中がこわばり、自由が利かなくなっていった。その後、敗血症になり、入院。そのまま、老人専門の病院に移った。
 家族が見舞うと、父を車椅子で三階のホールへ連れてくる。冬晴れの日には、病院の西側の窓から、連なる山々の向こうに富士山が見える。
「ひさしぶりに描いてみたら?」
 ある日、病院のホールで、父の膝の上にスケッチブックを広げて、鉛筆を持たせてみた。
 父はしばらく富士山のほうを眺めていた。やがて、ゆるゆると山の稜線のような筋を一本描いた。が、あとは鉛筆を胸のポケットにさす仕草をくり返すばかり。鉛筆は、何もないパジャマの胸をむなしくこすっていた。
 父は筋力を失っただけでなく、あれほど好きだった絵を描く気力さえも失くしたのだ。
 もう、以前の父ではなかった。

 告別式の最後に、棺の中には眼鏡と絵筆とスケッチブック、そしてたくさんの白い花が納められた。盛り上がるほどの花の底で、父は微笑んで見えた。
 天国の父には、もう痛みも苦しみもない。心おきなく大好きな絵を描き続けていることだろう。


****************************************************
昨日64日は父の命日でした。
父の遺作を写真に撮りましたので、ご覧ください。
199555日、車椅子で昭和記念公園に出かけたとき、ポピーの花畑を描いたものです。これが最後の絵になりました。

父の遺作



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(4)~それぞれの家は~2013年06月06日


「あの辺に、市民公園があってね、桜の木がたくさんあって、お花見してたの」
二人が指さす先には、何もない。わずかに残された松の木が、並んでいるだけ。
私たちと同じように、子育てのときには何家族も集まって、桜の木の下にシートを敷いて、大人たちは酒盛りをして、子どもたちははしゃぎまわって……。
目を閉じれば、そんな光景が見えてくる。でも、目を開けたら、何もない。


「ああ、ここだ、やっとわかった!」
わずかに家の土台が残っていたり、門柱の跡が残っていたり……。それさえも、雑草が生えてきて、わかりにくくしている。
それでも、清美さんにはわかった。自分の家があった場所が。

さいわい、千佳子さんの家は、海から離れていたので、流されはしなかったが、床上1メートルぐらいまで、泥が流れ込んだという。
「初めて戻ってみたら、どこも泥だらけで、冷蔵庫が倒れてたわ」
どれだけ大変だったろうか。
「でも、うちだけじゃなかったから。みんな同じだったから、何とかがんばれたのよ」


千佳子さんの家は、2度リフォームをして以前のように住めるようになった。
リビングまでおじゃましたけれど、被害の跡形もなく、きれいに片付いていた。
(わが家よりずっときれいだった……)
ピンク色の「ぷりん」は、千佳子さんの美容室。もう営業はしていない。
名前の由来は……プリンが好きだったから? プリンセスだったから?
今度会ったら、聞いてみよう。


大曲浜は地盤が沈下して、いたるところで水が引かなくなった。池に囲まれてしまった家は、重機が近寄れず、撤去もできないままになっている。


「これ、カズちゃんの実家。まるで、金閣寺だよね」
そう言って、二人はカラカラと笑った。私たちもつられて笑ってしまう。
和子さんも、のり工房のメンバーだ。実家で立派な家を建てたばかりだったという。近代的な工法の家の構えは、津波の猛威にも流されなかったのに、だからこそ無残な姿をさらすことになってしまった。
カズちゃんはどんな思いで、2年もの間、この姿を見ているのだろう。

清美さんも、千佳子さんも、和子さんも、じつに明るい。屈託なくよく笑う。
だから、一緒に笑う。私はみんなが大好きだ。
だから、「行くよ~!」と、押しかけてきたのだ。

彼女たちの乾いた笑い声を聞きながら、ふっと自分のことを思った。
私も、「明るいね」と言われる。障がい児の母なのにね。
26歳の長男は、自閉症という障がいを持っている。たくさんの人々に支えられて、ここまでやってきた。落ち込んではいられない。暗くなんかしていられないのだ。
でも、人知れず泣いた。何度も、何度も……。
その時があったからこそ今がある。少しは強くなった。明日を信じて楽しく生きていける。

彼女たちを、私と同じというつもりはない。
息子は命に関わる障がいではなかった。命を燃やして成長し続ける存在でいてくれた。
しかし、彼女たちは、未曽有の災害の恐怖にさらされ、生死の境に立った。かけがえのない人々の命を奪われた。培ってきた家や仕事場や財産を失くした。
どれだけの涙を流したことだろう。どれだけの絶望を味わったことだろうか。
2年がたった今だからこそ、それを乗り越えて、笑えるようになったのかもしれない、と思う。

たしかに、同じ体験をしないかぎり、その気持ちを完全に理解することはできない。
でも、できる限りの想像をしてみる。気持ちに沿ってみる。
それが、愛でしょ、愛。

キザな結論に至ったところで、この続きは、また次回。
次回からは、復興に向けて明るく……!

***************************************************
ここで、お知らせ!
明日7日から3日間、東松島の美味しいものたちが、東京にやってきます。
調布市で開催される「日本陸上競技選手権大会」会場の味の素スタジアム内で、東松島市ブースが出店されます。
牛たんつくねやスペアリブ、海産物なら炙りイカに炙りホタテ、そして、きゅうりの一本漬けなどなど。ぜひ、この物産展でお求めください! 
当日は、元漁師さんがその場で焼いてくれますよ。



そして、清美さんも、8日・9日に「のり工房矢本」を引っ提げてお出ましです。
私も9日にお手伝い参上の予定です。
皆さん、味スタでお会いしましょう!



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エッセイの書き方のコツ(16):心のアルバム2013年06月10日

ご縁あって、この春、3つのエッセイ教室が誕生します。
横浜市金沢区と磯子区、そして今月からお隣の藤沢市でも始まる予定です。

初めてのときには、いつも必ずお話しすることが、いくつかあります。
「エッセイとは何でしょうか」もその一つ。

心のなかは、ほかのだれにも見ることができない。それはあなた自身のものです。
それを言葉にして書き残すことができるのも、あなた自身です。
写真や映像に撮ることができない心のなかを、読める形にして残す。
つまりエッセイは「心のアルバム」といえるでしょう。

あなたも、心のアルバム作りを始めてみませんか。
新しい教室には、初心者の方もたくさんおいでです。
ご興味のある方、見学もできますので、
hitomi3kawasaki@gmail.com まで、ご連絡ください。




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旅のフォトエッセイ:東松島へ(5)~復興に向かって~2013年06月13日


そろそろ明るい写真を載せよう。
大曲浜の漁港。



港のライブカメラから。5月6日の映像。

こちらは、定置のライブカメラからの映像。
Facebookページ《「皇室御献上の浜」復活へ》から拝借した写真です)

少しずつ、整備されて、船もそろってきたという。
海底のがれきもみんなで撤去してきた。
そして、海苔の養殖も再開された。

新しい海苔の乾燥庫もできた。いくつかのチームが交代で利用する。
清美さんが中を案内してくれた。

海苔の乾燥庫

冬場には、摘み取った海苔をこの機械で乾燥させる。梯子を上って、中を覗く。

がれき処理もずいぶん片付いてきたという。
人手を使って、一つひとつ手作業で分別してきたから、東松島市のがれき処理は進んでいる、とテレビのニュースで聞いたことがあった。

遠くに黒く見えるのががれき。


この日、「皇室御献上の浜」サポーターズクラブに入会した。

リストバンドの後ろにあるのは、清酒「がんばっぺ!大曲浜」

この地域の海苔生産者を支援するために設立されたクラブで、11万円でサポーターになれる。この水色のリストバンドがサポーターの証。これをしていれば、船で漁に同行させてもらえるほか、海苔の加工所の見学や、地引き網の体験もできるという。
次回は、サケ漁に連れていってもらって、船の上でお刺身をごちそうになろうかな……!

サポーターズクラブのサイトはこちら。
http://ohmagarihama.jimdo.com/サポーターズクラブ/

                           (続く)

**********************************************************
先週末、味の素スタジアムで東松島のブースが出店しました。
そこで買い求めた品をご紹介します。

チョコボ
中身は、個包装のクランチチョコ。

ちょこっとボランティア、略して「チョコボ」。
美味しいクランチチョコレートが18個入って、1,000円。
売り上げの半分は、東松島市の皇室御献上の海苔と、奥松島のカキ養殖の復興支援にのために使わるのです。
包装紙には、漁師さんたちの写真が並んでいます。じつは、この中に清美さんの息子さんも写っています。彼らのために、食べるだけでボランティア、というわけですね。
残念ながら、流通経費がかかるため、遠方のお店にはありません。現地で、あるいは物産展などで、お求めください。



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(6)~あの店・この人~2013年06月19日


そもそもの出会いは復興支援のための「チーム東松島物産展in銀座」だった。
月に一度、美味しいものが銀座に運び込まれて、それを販売するお手伝いをしてきた。
だからおのずと、その生まれ故郷、生み出してきた人々に、興味を抱くようになる。
物産展に関わる人たちが、Facebookでつながる。毎日たくさんの情報がもたらされる。
こうして、私には縁もゆかりもなかった土地が、特別の場所に変わっていったのだった。


「東松島あんてなしょっぷ まちんど」。早い話、この町のよろず美味しいもの屋さんだ。
ここの商品も、銀座で販売してきた。そして、店員のゆきさんとも親しくなった。

ゆきさんと娘、すぐに仲良しになる。

娘と写っているのがゆきさん。
長身を生かしたバレーのエースだけあって、宝塚の女優さんみたいで、かっこいい。
しかも、お店の商品のことは、じつにきめ細やかに説明してくれるので、美味しいものは彼女に聞けば間違いない。まちんどのカリスマ店員なのだ。

オレンジ色のまちんど&ブルーのあごら

そのお隣の店「あごら」は、地元の食材で美味しいものを食べさせてくれるお食事処。
清美さん、千佳子さん、ゆきさんと5人で楽しくお昼ご飯。



娘は海鮮丼、私はお隣の石巻市の特産、えごま豚のメンチカツ定食をいただく。
メンチカツは、期待どおりに美味しかった。
さらに、意外な美味しさにうれしくなったのが、白いご飯! シャキッと甘くて、噛むほどに味が出る。
「私たち、いつも美味しいお米を食べてるのよ」と、清美さんがにこっと笑った。
そういえば、生協で予約購入しているわが家のお米も、宮城産だ。

ゆきさんは、毎日Facebookに「今日のまかない」をアップしている。
この日は、その本物をまのあたりにして、ちょっとカンゲキ!

物産展のときに、甘党の私が熱心に販売したのは、ジュリアンのお菓子。


地元産の米粉を使ったマドレーヌや、名物ずんだ餅ならぬ「ずんだ大福」。和洋ミックスの味がなんともいえず美味。甘党を満足させるだけの、妥協のないきっぱりとした甘さ。これがまた安心な美味しさのだ。


トトロやクロスケのケーキがかわいくて、買って帰りたいけれど、写真で持ち帰っただけ。

小柄なマダムには銀座でもお目にかかった。

マダムの3倍はありそうなご主人には、初対面。パティシエはシャイなのである。

ケーキも珈琲もごちそうになり、店頭には並んでなかったのに、奥から出してきた「ずんだ大福」まで、おみやげにたくさん頂戴してしまった。
本当にごちそうさまでした。
(日持ちのきく焼き菓子は、たくさん買って帰りましたので、あしからず)

さて、昼間は甘党、夜は日本酒党の私、物産展ではこちらのお酒も熱心に宣伝販売に努めてきた。
「がんばっぺ!大曲浜」
この日本酒は、仮設住宅の一角に店舗を構える相栄商店の店長、高志さんのオリジナル。


ダンディな彼は、代々続く酒屋さんでありながら、大曲浜の漁師さんでもあり、しかも名スキーヤーときている。
この日、さりげなく袋に入れて、渡してくれたのがこの2本。
ごちそうさまです! これからも、がんばっぺ、大曲浜の皆さん……!

そして、もう一人、忘れてならないマルヤ鮮魚店のゴローさん。

いつも穏やかな笑みを浮かべて、物静かな雰囲気からは、荒海に漕ぎ出していくイメージはないのだが、もとは遠洋漁業の漁師さんだったという。わが子の誕生を機に陸に上がった。漁師ならではの味を、このたくましい腕で作り出す。
イカの塩辛、イカの一夜干し、漬け牡蠣、漬け魚、殻つきの牡蠣ポン(パックのままレンジでチンできるスグレモノ!)、などなど。
物産展でも何度かご一緒した。口数が少ないのは、頭のなかでいつも、美味しいアイデアと、面白いことを考えているらしい、とわかってきた。

私たちが食事の後、訪ねていくと、
「そうか、腹いっぱいなのか……」
と言いながらも、火をおこし、冷蔵庫からホタテの串刺しを出してきて、焼いてくれた。



正直に告白すると、私はあまり貝類を得意としない。ホタテもしかりだった。
しかし! 黒コショウだけでの味付けで、こんなに美味しいとは……!
ホタテが、こんなに美味しい食べ物だったとは……!
人生のヨロコビがまたひとつ増えた。ゴローさんに出会えてよかった! 心底そう思った。


コーヒーまでいれてもらって、本当に、ごちそうさまでした!!
牡蠣ポンは、宅配便で送ってもらい、わが家でも大好評だったことはいうまでもない。

ちなみに、彼の本名は康さん。なぜ、ゴローなのか。
「今度、教えてやる」とニヒルに言ったきり、いまだに教わっていない。


~あの店・この人~ さらに続きます。
次回も、とっておきの、もじどおり垂涎の写真をご覧いただきます。乞うご期待。

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お知らせです。
のり工房矢本、ジュリアン、マルヤ鮮魚店など、ご紹介してきた東松島の美味しいものたちが、ネット通販で手に入るようになりましたよ!
「復興デパートメント」プロジェクトは、ふるさと東北の息吹を感じられるさまざまなモノたち、東日本大震災で被災し、復興を目指す人びとの手による商品を紹介しています。
その中の「東松島フロア」はこちらです。ぜひ、お買い求めください!
http://fukko-department.jp/higashimatsushima/



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エッセイの書き方のコツ(17):あかぬける2013年06月21日

昨日、神奈川県藤沢市の個人のお宅で、エッセイサロンが始まりました。
その名も、〈湘南エッセイサロン〉。
グランドピアノが置かれた洋室と、床の間のある青畳もかぐわしい和室とがひと続きになった広々とした空間に、10名でも座れそうな大きなテーブルがひとつ。
この日、ここに6名の湘南マダムが集いました。
まずは、お茶菓子などいただきながら、ご挨拶……。



皆さんで読み合った作品のなかに、さんの「父の日に寄せて」というエッセイがありました。
父の日にちなんで、亡くなったお父さまの思い出をつづっています。
死の間際、私の腕の中の1歳の娘に向かって、渾身の力をふりしぼり、ベロベロバーをしてくれたのだ。私には父の最期のプレゼントだった……。
涙を禁じえない感動的なエッセイでした。

Iさんは、参加者の前で音読してみて、「父という言葉が多いですね」と、ご自身で気づかれました。
とはいえ、英語のように父親のことを「彼」と言い換えるのは、どうも……。
そこで、「父」を減らしてみます。
たとえば、最後の段落に「今年は父の13回忌にあたる」という文がありました。
お父さまの最期のエピソードの後なのですから、「13回忌」とくれば、当然「父の」に決まっている。こういうところは省けますね。

同様に、「私は」や「私の」も案外多いものです。
エッセイは、「私」が主人公。だからこそ、「私は」が多くなりがちですが、わかりきっているのですから、それがなくても意味は通じるはず。
そうやって、いらない「私」を省いていくと、文章がすっきりしてきます。

Iさんは、家に帰ると、さっそく指摘された無駄な言葉を省いてみたそうです。
「なんだか、グンとあかぬけた感じがします」

文章だってスリムにシェイプアップすれば、あかぬけるというわけです。
皆さんも、書き上げたエッセイのなかから不要な「私」を見つけ出し、省いてみてください。



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