エッセイの書き方のコツ(19):身内の話を書くときは?2013年10月09日

もう2週間前のことになりますが、924日、いつもブログでお伝えしている銀座エッセイサロンが開催されました。東京の銀座三越デンマーク・ザ・ロイヤルカフェで行っているエッセイ講座です。
涼しく秋めいた朝、銀座に集まった7名の参加者の皆さんと、いつものように楽しいひとときを過ごしました。



今回は、3名の方が提出されたエッセイを味わいました。
それぞれ、亡き母の思い出、98歳の祖母のエピソード、やはり亡き叔母とその家族にまつわる話と、偶然にも身内の方のことを綴った作品がそろい踏み。
いずれも愛情にあふれていて、心を打つものでした。

皆さんも、家族や親せきについてのエッセイを、書いたことがおありでしょう。
ちょっと難しいのは、呼び方ではありませんか。
母といえば、自分の母のことではありますが、「おばあちゃん」と呼ぶ場合もあるでしょう。
となると、
〈おばあちゃんは息子と出かけた。〉という文。
さて、どう解釈できるでしょうか。

解釈①:祖母は私の息子と出かけた。つまり、祖母の曾孫と。
  ②:祖母は彼女の息子と出かけた。つまり、私の父と。  
      ③:母は私の息子と出かけた。つまり、母の孫と。
  ④:母は彼女の息子と出かけた。つまり、私の兄か弟と。
もちろん、文脈でわかるのでしょうが、場合によっては、義母である可能性もあり、⑤姑は彼女の息子と出かけた。つまり、私の夫と。
ということも考えられますね。

ことほどさように、身内の話は、人間関係が複雑になりますから、意外と難しいものです。
誤解されないように書くためには、原則として、
作者である自分自身から見た呼称を使う。ぶれないことが大事です。

以前、あるエッセイクラスで、こんな作品が登場しました。
「我が家は100歳の祖母を筆頭に、母、私、娘と、女系四世代同居である」という書き出しで、血のつながった4人の共通点や性格分析があったり、楽しいエピソードがあったり、面白おかしく日常が綴られていきます。
「一緒に住んでいて発見したことは、娘は母の態度にカチンとくることだ」
ここで一瞬、私の脳裏に疑問符が点灯しました。孫とおばあちゃんとはあまり仲がよろしくないのだろうか?
ところが先を読むと、
「母は祖母にカチン……私は母にカチン……娘は私にカチン……祖母だけは、どこ吹く風……」
と書いてありました。この説明が続いていたので、作者の言わんとすることがわかりました。
合評の結果、
「一緒に住んでいて発見したことは、
娘というものは母親の態度にカチンとくるものだ、ということだ」とすれば、より理解しやすいのでは、ということになりました。呼称と同じにならないよう、「娘というもの」「母親」という抽象的な概念で置き換えただけです。
そのほかは、作者から見た呼称で一貫していて、わかりやすく読めました。

身内の話は、作者は当然、人間関係を把握していますから、すらすらと書けるのですが、読み手は、初めての人間関係に戸惑うこともあります。
私が読むときには、知らず知らずのうちに、自分の親戚すじに当てはめて想像しています。
咀嚼して飲み込むまで時間がかかるので、
少しだけかみくだいて説明するように心がけると、親切かもしれませんね。
また、年齢や風貌を書く、できれば名前で呼ぶ、などの工夫で、読み手は会ったことのない人物を、頭の中に描きやすくなります。

だからと言って、何事も経験がないと理解できないかというと、まったくそんなことはありません。身内の話でも、複雑な話でも、臆せずに書いてください。
読み手にわかりやすい工夫をして、ぜひ感動を伝えてください。
うまく伝われば、そこにエッセイのだいご味が生まれます。




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