エッセイの書き方のコツ(21):推敲は楽しい!!2014年01月28日


怒涛の2013年が去り、一段落したので、私も某エッセイ教室に通い始めました。
人さまに教えるためには、自分もまた勉強です。

さっそく縦書きで2000字のエッセイを提出します。
ありがたいことに、ふだんからブログにつづっているので、それを利用してまとめれば簡単に書ける。今回は、そんな私の手の内を公開しましょう。

エッセイのタイトルは「ジョニーの第二の人生は」としました。
ブログ読者の皆さんには、おわかりですね。昨年12月に、3回に分けて書いていた愛車の話です。
でも、初めてタイトルを目にした読み手は、だれのことかと思う。
そこがネライです。意表を突く。

次に、ブログの原稿3回分をコピーして、20字×20行の縦書きの書式に貼り付けます。もちろんパソコン上の作業。横書きが縦書きに換わります。
原則として、縦書きには漢数字を使いますから、アラビア数字ではなく、漢字に直します。10年→十年 のように。
それから、私の場合、ブログでは段落をきちんと設けずに、1行空けることで代用させています。だから、それをつめて、段落の頭を1字下げる。

と、ここまでは機械的にできますが、さて、ここからが頭をひねるところ。
字数を気にせず書いているブログと違って、2000字という規定の中に完結させなくてはならない。主題、つまり一番書きたいことを念頭に置いて、取捨選択の作業をしていきます。
ジョニーの第二の人生が、4つもの偶然が重なって決まった。これが主題。
1
つ。90歳の母にはジョニーの乗り降りがきつくなってきた。
2つ。ニュー・オデッセイが発売になる。
3つ。アフリカで車を必要としている人がいる。
この3つが、ほぼ同時に起こった。そして、アフリカの夢がついえた時、知り合いが車をほしがっていた。これが4つ目。
この4つをバランスよく盛り込みたい。ブログでは、アフリカの塩尻さんについての情報もかなり書き込みましたが、エッセイでは、破れた夢の話なので、最少限にとどめます。モロさんの説明もしかり。焦点はたった1点、ジョニーの行く末です。

さらに大事なことは、ブログには写真があるから一目瞭然。でも、エッセイは原則として、ビジュアル素材に頼ることはできない。冒頭に、ジョニーの姿かたちを描写しなくては。

こうして、2200字ぐらいに凝縮してきました。
あとは、語句を減らしたり、言い換えたりして、1字ずつでも削っていきます。うまくいけば、1字削ることで、1行分カットできることもある。内容を書き換えることなく、字数を減らすのです。
たとえば、「エイズ孤児のための施設、助産院、診療所」と3つ並んだ中から、「助産院」は割愛。また、「お手伝いさせてもらったことがある」→「お手伝いしたことがある」のように。

不思議なことに、長い習慣というものはなかなか抜けないものですね。
いえいえ、私が単なるアナログ人間だからなのか、どうしてもプリントアウトして紙面で読みたい。パソコンのディスプレイで読んだときには気づかなかった問題点が、即座に見えてきます。
この方法で、少しだけ読み手の気持ちに近づいて、わかりにくい個所を書き換えたり、同じ言い回しの重複を手直ししたりします。
そして、一晩寝かせてから読み直す。すると、さらに自分の文章が遠くなっていて、あら探しが楽にできるようになるのです。
これが推敲です。

この推敲を始めてから、今日で3日目。
そろそろ完成にしてもいいかな、と思います。もう少し詳しく書きたい部分もありますが、もうこれ以上一字一句削れない。そういう思いになったからです。
のめりこんで、楽しい時間でした。完成に近づいていく昂揚感、達成感。これこそエッセイを書く醍醐味。久しぶりに味わいました。

そういえば、ブログの文章はあまり推敲をせず、書きあげたその日にアップしてしまいます。ブログはスピードが命。紙面に表す縦書きエッセイとは別のものだ、と自分に言い訳をしていますが、読んでくださる皆さんに失礼ではなかったか、思いがけず反省もしています。

はじめに、「ブログの文章を利用すれば、簡単に書ける」と書きましたが、そこからの推敲は決して簡単ではない。それも改めて実感しました。
でも、だからこそ面白いのです。

明日、完成版「ジョニーの第二の人生は」を掲載しましょう。



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