「笑っていいとも!」終了によせて2014年03月28日


 

少なくとも私のブログを読んでくださる皆さんなら、知らない人はいないでしょう。よけいな解説は不要ですね。32年間続いたフジテレビの「笑っていいとも!」が、31日をもって終わりになります。

ちょうど、私が結婚した年の秋に始まった番組で、言ってみれば、私の結婚生活はこの番組とともに続いてきたことになります。在宅の日の正午には、「いいとも!」にチャンネルを合わせて、さてお昼、というのが習慣になっていました。

 

ところで、結婚して2年目には、エッセイ教室に通い始めました。

この番組のことも、エッセイの中に登場させたことが2回ほどあります。

その最初の作品を、あえて載せてみましょう。

1983年、今から31年前のエッセイ。もちろん、手もとに残っているのは、黄ばんだ手書きの原稿用紙です。留めてあったクリップも錆びていました。

             

 

 

「幸福」の黄ばんだ原稿用紙。

 

 

  

「幸福」

 

暑い夏の昼下がり、『幸福』というドラマを見ている。向田邦子氏が亡くなって二年目の夏に、追悼番組と称して、彼女の脚本によるドラマが再放送されているのである。生前から向田ドラマの大ファンで、いつも欠かさず見ていたが、今回は数年ぶりのうれしい再放送である。

おりしもホームビデオを買ったばかりで、これを収録しない手はない。彼女の著書とともに大切に保存するつもりで、新しいカセットテープに一回一時間のドラマを毎回録画しているところだ。カセットの背には、収録内容を書き入れるように、幅2センチほどの白いシールが貼ってある。ビデオ愛好者向けの雑誌には、録画されそうないくつかの番組タイトルがそれに適したサイズできれいに印刷され、ただ切り取って貼ればいいようになっているのだが、あいにく『幸福』はその中に含まれていなかった。

かといって、末永く残すテープに手書きのタイトル、というのもアカ抜けない。そこで手持ちの女性雑誌からこの二文字を切り抜いて貼ることにした。「幸福」なんて、いかにも記事の見出しに使われそうだ。「私の幸福なひととき」とか「○○の幸福感」とか……。雑誌の四分の一を占めるカラフルな広告のページにだって、いくつか見つかるにちがいない。高をくくってページをめくり始めた。一冊一冊、記事や写真にも目を留めながら、「幸福」の二文字を探し続けた。何十分かの後、投げ出された雑誌の中、ついに「幸福」を見出せなかった不幸な私がいた。

       

 

使われているようで使われていない言葉というのは、意外に多い。あのタモリ氏の「いいかな?」とたずねて「いいとも!」と答えるやり取りも、決して新しい言い回しではないのに、今や立派な流行語である。彼いわく、あの「いいとも」は誰でも口にするようでいて、じつは日常あまり使われず、芝居のセリフでしか聞くことのない言葉だという。それを仲間うちで使ったらウケた。あとはテレビの電波に乗せて流行らせてしまったというわけである。

逆に、よく使われるから使わないほうがいい、ということもある。いわゆる陳腐な表現、月並みな言い回しは、ものを書くときには避けなければならない。

「……と思う今日この頃である」でエッセイを結ぶのはタブー。新聞記事なら、「今後の成り行きが注目される」でニュースを片付けてしまうこと。毎日新聞の記者の中には、自戒として「ナリチュウ」と呼んで使わないようにしている人もいるとか。そのことを何かの本で読んだ翌日に、朝日新聞のディズニーランドホテル用地売買をめぐる記事が、このナリチュウでおわっていた。まさに、朝日に輝く他山の石、などと笑ってはいられない。

 言語には、さまざまなルールや約束事があり、創作とはいえ、それらは守られなければならない。その範囲の中で、読む人にわかりやすく、ただし慣用表現は避けて新鮮な文章を書くとなると、文才のない私にとってはもうお手上げである。しかし、だからといって、使い古しの語句を捨てないかぎり、読む人を惹きつけることはできないだろう。

「幸福」という言葉が使われないわけもその辺にありそうだ。私たちは幸福を求めて暮らしてはいるが、なかなか手に入れることができない。どんなに物質的に豊かになっても心の悩み苦しみは一向に減らない。何が本当の幸福かもよくわからなくなる。それを、いともかんたんに「幸福」と書いてしまったら、あまりに直截で安易に過ぎる。しらじらしいのである。

 ところが向田氏は、そこを逆手にとって、あえてドラマのタイトルに使ってしまった。意表を突かれた感じである。「いいとも!」がウケたのも同じ理由だろう。使われているようで使われていないものを、ホラ、とでもいうように目の前にさらけ出して見せている。いかにもふがいなげな旋盤工の物語が『幸福』とは、何ともにくいではないか。

   

 

 

 昨年の夏には、ある週刊誌の別冊として、『向田邦子の手紙』という本が発行されたので、買って読んだ。個人の手紙や遺品が公開され、知人友人が彼女の人となりを語り、既刊の本十六冊も表紙の写真入りで紹介されていた。

「幸福」の二文字は、やむなくその中から切り抜いた。『向田邦子TV作品集Ⅱ・幸福』の表紙であった。

                           1983年9月 記

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

なんとも理屈っぽくてくどい文章。まだ始めたばかりの青臭さですね。自分で赤を入れたいところです。

でも、内容は一つひとつ懐かしい。

31年前、皆さんはどうしていましたか。

「いいとも!」は32年目で終わりますが、私の結婚生活はこの先も続きます。(やれやれ……)

 

次回は、もう一つの「いいとも!」登場エッセイをアップする予定です。

 



コメント

_ kattupa ― 2014/03/29 06:04

Hitomi様 三十年前のエッセイですか!
何とも言葉になりません。かくいう私はまだ七年のエッセイ小僧です。
古希を過ぎましたので、あと何年書けるやら。これからもよろしく。

_ 片割れ月 ― 2014/03/29 10:42

幸福が見つからなかった話、おもしろかったです。
参考書どおりで完璧なエッセーだと思いました。
下地をきっちりと学ばれていた頃が窺えて微笑ましいです。
そういえば、70歳代の方のエッセーには「明日から希望を胸に幸福を探し凛として生きていきます」みたいな感じの結びって多いですね。ヾ( ̄o ̄;)オイオイ
タイトルも大切なことが分かりました。
「32年の結婚生活お疲れさま~」って、そちらのほうはまだまだ続くのか。(*゚.゚)ゞポリポリ

_ 片割れ月 ― 2014/03/29 10:47

追伸
気づいたけど今と比べると一つの文章が長めかも。

_ hitomi ― 2014/03/30 00:51

kattupaさん、
古希なんてまだまだお若いですよ。
私のお仲間には94歳の女性、生徒さんにも90歳になる男性がいます。
頑張ってくださいね。

_ hitomi ― 2014/03/30 01:09

片割れ月さん、
当時はまだ子どものいない主婦だったので、生活感のないエッセイでしたね。参考書どおりと言われても、参考書で勉強していたわけではないので、よくわかりませんが。
とにかく理屈っぽい。その理屈をいかに構築するか、けっこう原稿用紙相手に苦心していたと思います。
一文は確かに長かったですね。その後、文は短いほどよろしい、というどこかの先生の教えをごもっともだと受け入れて、意識して短くするようにしていった覚えがあります。

30年以上もたつと、エッセイは書くことが面白くなってきたのに、結婚生活のほうは、面白くなくなってきました。だれか「暮らし方のコツ」を教えてください(苦笑)

_ ブーちゃん ― 2014/03/31 16:51

最近の作品からは推測できないタイトル、内容も抽象的、昔こんなエッセイを書かれていたとは驚きました。私の読解力不足なのか、作者が幸福について、何を伝えたいのか、読み取れません。「幸福」と「いいとも」は同じ範疇らしい。「幸福」は使い古しの語句なのか。色々なことが書かれているので、かえって混乱するのか。う~ん、分からない。

_ SACHI ― 2014/04/02 00:33

hitomi先生 私も、向田邦子の大ファンです。演じた俳優は年をとり、映像は所謂『昭和」となってセピア色がかってきました。でも、あのドラマのタイトルに『幸福」とつけたセンスは未だに素晴しいと思います。
 話が変わるようですが、私は時々、何かを代表して、私個人でない挨拶文のような物を書かなければならないときがあります。そういうときは、ある程度陳腐でも、普通に使われ世間に出回っている言い回しのほうが、受け入れられやすい、と思うようになりました。でも、そういう文章を折りにふれ読んでいると、そういうなかにも、たまにごく平凡なのになぜか気持ちのよい、いい文章に出会う事があります。文は人なり、といいますが、、、。面白さはつきませんね。

_ hitomi ― 2014/04/02 19:56

「ブーちゃん」さん、
仰せのとおりです。なにぶん書き始めたばかりの肩に力の入ったエッセイだもので。
でも、タイトルはかぎカッコ付きですよ。「幸福」の文字を探したけど見つからなかったという具体的な素材で、「幸福」も「いいとも」も使われているようで使われていない言葉だ、だから逆手にとって、それを用いると意外性が生まれてヒットするのだろう、ということを言いたかったのだと思います。
それにしても、使い古しの表現云々のところまで突っ込んでしまったので、何が言いたいかわからなかったのかもしれませんね。私も添削したら、バッサリ切りたいところです。
ごめんなさい。若かりし頃の作品ということで、ご容赦願います。

_ hitomi ― 2014/04/02 20:04

SACHI さん、
個人的なエッセイと違って、公の場での挨拶文は紋切り型のほうがいい場合もあるでしょうね。それを用いてなお、人柄が表れる……。仰せのとおりに、文章は奥が深いです。終わりはありませんね。

_ 村上 好 ― 2014/10/26 13:24

hitomi さん

hitomi さんの最初のエッセイ、拝読しました。

深い思考です。
「書けるひと」だと感じさせます。

貴重な作品、ありがとうございます。

村上 好

_ hitomi ― 2014/11/02 18:43

村上好さん、
「いいとも」が登場する最初のエッセイということで、もう少し古い作品もあるのです。とにかく、理屈っぽかったですね。

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