「笑っていいとも!」終了によせて(その2)2014年04月01日


「笑っていいとも!」が、昨日とうとう最終回を迎えました。

いつの間にか、タモリさん自身は歌わなくなっていたオープニングのテーマソングを、久しぶりに歌っていましたね。

さて、前回お約束のとおり、もう一つの「いいとも」登場エッセイをお読みください。16年前のエッセイです。

次男3歳のころの信号の絵

 

   昼間の生態観察

 3歳になる次男が、結膜炎にかかり、保育園の登園禁止になった。万事休すだ、とクサる母親のそばで、赤い目の息子は機嫌がいい。

「バラ組さん、いかないの? いいよぉ」

 医者から戻ると、自分から手を洗い、「信号の絵、かく」と、クレヨンを持ってきた。

 しかたがない。外出の予定がなかっただけでもよしとしよう。つき合うか、と添削の仕事を持ち出して、同じテーブルについた。

「ママもおべんきょう?」

 きょうは兄も姉もいない。久しぶりで母親とふたりきりの休日。息子はうれしそうだ。仕事にならないかと思いきや、彼はおとなしく何枚も信号の絵を描きつづける。思いのほか仕事がはかどった。

 11時を過ぎると、「ヒロね、おやつ食べないよ」などとぶつぶつ言い始めた。

 あ、おなか空いたのね。保育園の昼食は早いんだっけ。あわてて食事のしたく。マカロニサラダやヒジキの炒り煮、息子の好物ばかり。ゆうべの残り物だけれど。

「おみそ汁はない?」

 そうか、給食は必ずお吸い物があるものね。それは残ってなかった……。

 息子はきれいにたいらげ、ごちそうさまぁと、おもちゃの車にまたがった。私はいつものように、正午まえのニュースを見て、そのまま次の番組で笑いこけて腹ごなし。

 ふと見ると、息子が寝そべっている。お昼寝タイムだ。園ではパジャマに着替えて布団を敷きカーテンをひくと、魔法にかかったように寝入るらしいのだが、家では魔法がきかない。すぐにまた車で走り回るのだった。

 結局、息子は4日間も家にいた。園での生活ぶりがかいま見えるようで、おもしろかった。

 やっと登園の朝、息子が何やら歌っている。

「イイトモ、イイトモ、イイトーモーロー」

 昼間の生態がばれたのは、母親のほうだった。

                       199811月 記 

あまロスの次は、ともロスになりそうな32年目の春です。

 

 



自閉症児の母として(20):世界自閉症啓発デー2014年04月02日

今日42日は、国連が定めた「世界自閉症啓発デー」です。

自閉症は、英語ではautismといいます。

日本語でも、少しずつ「オーティズム」という訳語が使われるようになってきました。「自閉症」という字からくる誤解を避けるためでしょう。

まだまだ、わかりにくい障がいです。少しでも皆さんが理解を深めてくださって、自閉症者が暮らしやすい社会になるように願っています。

 

私はいつも長男モトを通して、自閉症を知ってもらおうと、広めているつもりですが、その症状は人によって違いがあります。

世界自閉症啓発デーの公式サイトには、一般的な自閉症について、わかりやすく解説してあります。

ここに紹介しますので、お読みください。

 

 

自閉症は、「常に自分の殻に閉じこもっている状態」と考えられたり、「親の育て方が冷たかったということが原因ではないか」と思われたりすることがありますが、これは正しくありません。

脳の発達の仕方の違いから、

「他の人の気持ちや感情を理解すること」

「言葉を適切に使うこと」

「新しいことを学習すること」

などが苦手であり、一般的な「常識」と思われることを身につけることも苦手です。このため、真面目に取り組んでいても、誤解されることがあります。

なお、自閉症の人たちは、とても「純粋」で、自分の感じたままに話したり、行動したりすることがあり、感覚が過敏であったり、抜群な記憶力を持っていたりする人もいます。

このような、自閉症の人たちの行動や態度の意味を理解していただき、愛情をもって支援していただくことを願っています。

自閉症の人たちは、周囲の愛情と支援によって大きく育つことができるのです。

☆では、どのように接したらいいのでしょうか。

自閉症の人には、会話が苦手な人が多くいます。このため、その人の発達に応じたわかりやすい説明をお願いします。

例えば、その人が理解している言葉を知り、その言葉を使うことや、写真や絵などを添えて説明する。そして、抽象的な表現をさけて、短い表現で話すことなどで、理解しやすくなります。

また、過敏で、人混みや大きな音、光といった刺激を苦手とする人も多くいます。このような刺激による不快感を増幅させないよう、安心できる環境を調整して作ってあげてください。

新しい事や、いつもとやり方が違う時に、困って混乱することがあります。

また、「できない時」「間違っていた時」に叱って教えようとすると、本人が混乱して余計に理解できなくなったり、将来に悪影響を及ぼしたりすることもあります。どうすればよいのか、正しい方法をできるだけ具体的に教えることを基本に、穏やかに根気よく接して、良い関係を作るようにしてください。

 

 




ふたたび・ジョニーからの伝言2014年04月08日

なみなみジョニー

覚えておいででしょうか。

ジョニーというのは、以前の愛車のニックネームで、ベージュ色の7人乗りオデッセイのこと。

昨年の12月、車の買い替えで、10年乗っていたジョニーとさよならすることになりました。とはいえ、まだ車はきれいで、走行距離はわずか35000キロ。なのにディーラーに渡せば下取り価格もつかず、廃車になるという。もったいない。

そんなとき、偶然が重なって、第2の人生をアフリカで過ごす話が浮上したのです。ケニアの貧村で献身的な支援活動を続けている塩尻さんのもとで、救急車代わりの足となって走る……。

ところが、ジョニーがケニアを走るには、大きな壁がありました。8年を超える車の持ち込みは禁止という法律があったのです。塩尻さんがあらゆる手段を検討したものの実現不可能という結論に至ったのでした。

その後、ご縁があって、ジョニーは東北の被災地で活躍する道が開かれました。今も仮設住宅の子どもたちを乗せて走っていることでしょう。

でも、車を必要とされていた塩尻さんは、どうなるのだろうか……。ずっと心配していました。

 詳しいいきさつは、以下の記事に書いています。ご興味のある方は、ぜひお読みください。

2013127日:「私の愛車がアフリカの大地を走る!の夢

20131211日:「愛車がアフリカを走る!の夢は、形を変えて……

20131213日:「ジョニーからの伝言

 

 

塩尻さんが車を探していると知って、ほかにも行動を起こした方がいました。映画『うたごころ』の榛葉監督です。

この映画は、震災直後からの南三陸を舞台にしたドキュメンタリー映画で、2011年版と2012年版、私は2編の上映会に足を運び、監督の講演とあわせて深い感銘を受けました。

榛葉さんは、中古車を扱う企業に話を持ちかけて賛同を得たのです。

この春、神戸港から一台の中古車が、ケニアの塩尻さんのもとに輸送されていきました。

そして、榛葉監督自身も現地におもむいて取材し、毎日放送のテレビ番組を制作。先月、関西圏で放映されましたが、インターネットでも同じ動画を見ることができます。

ケニアの子どもたちの現状、そこで支援活動をする塩尻さん一家、中古車寄贈の様子など、「中古車、未来を走る」という4編の短い動画ですので、ぜひぜひご覧になってください。

私個人の力では、どうにもなしえなかったことを、榛葉さんはその行動力で実現させてしまった。おそらく、多くの方がたの協力あってのことだったと思います。

本当にうれしいかぎりです。

 





春の京都へ(1):平安神宮2014年04月16日

4月9日、お花見ツアーで京都まで出かけました。

同じマンションに住む仲良し4人組の私たちは、予定した京都旅行を、これまでに2回もキャンセルしているのです。今度こそ、3度目の正直でした。

数えてみたら、私が京都を訪ねるのは、中学の修学旅行に始まって、7回目。でも、ほとんどが秋ばかりで、春は初めて。しかも桜の季節に、ようやく念願の京都でお花見です。

 

枝垂れ桜を楽しみに、まずは平安神宮を訪ねました。

まるで絵葉書のようなこの写真、私が撮ったものです。

朱塗りの社殿に負けないくらい、青空も鮮やかな快晴でした。

そう、私たち、いつも晴れ女なのです。

 

そして、神苑の中に咲き誇る枝垂れ桜の見事なこと。

何の解説もいりませんね。




 

最後に、桜みくじを引いてみました。

私は、7つ並んだ桜のうち、2つが咲いている状態で、「つぼみふくらむ」とあります。

 

「目は口ほどにものを言う」

偽るな、必ず露見する

……ドキッ。

 




春の京都へ(2):妙心寺2014年04月18日

京都に着いて、最初に訪ねたところが、妙心寺の退蔵院庭園でした。

昨年の春に、JR東海の「そうだ、京都行こう。」のCMに使われた桜の名所です。

朝から快晴、春の光が満ちた庭に、ピンクの枝垂桜が、それはそれは美しく輝いていました。


 

そして、桜だけではなく、椿も……。

私は、読みかけの『利休にたずねよ』の小説を思い出していました。




春の京都へ(3):哲学の道を南禅寺へ2014年04月21日


哲学の道を銀閣寺の方から歩きました。

この道も初めて。さほど川幅も広くない琵琶湖疏水に沿って、そぞろ歩きをしたくなるような小道が続いています。

両側には桜の木々。

大正時代、日本画家の橋本関雪が桜を寄贈したことから、「関雪桜」と呼ばれるそうですが、染井吉野が盛りを過ぎて、しきりと桜吹雪を降らせていました。

桜のみならず、雪やなぎは真っ白に咲き誇り、れんぎょうはあでやかな黄色、川べりの若草とともに、色のシンフォニーを奏でているようです。

川面には花筏がゆっくりと流れていました。




道沿いのお店で、桜色をしたシルクのスカーフを見つけました。お店の人が上手に巻いてくれたので、そのまま付けていきました。気分も桜色……! 

(写真はまた後日)

若王子神社の境内、緋毛氈の上で桜と抹茶のアイスクリームをいただいて、ひと休みしてから、南禅寺へと向かいました。

南禅寺には、201111月にも訪れています。紅葉には少し早過ぎるころでした。

でも、こんなにたくさんの桜があることには気がつきませんでした。

 

三門の五鳳楼へ。

上るにはこの急な階段を這うようにして登らなければなりません。

(じつはこの写真、3年前に撮ったものですが)

ここからの眺めは、あの石川五右衛門の「絶景かな絶景かな……」という名セリフで有名になったところ。確かにどちらを向いても気持ちの良い景色が広がっていました。

境内を横切る水路閣。

明治時代に作られたそうで、レトロなたたずまいが、禅寺とよく似合っています。

水路閣の上を、今も疏水が流れています。

南禅寺の名物といえば、湯豆腐。

「順正」というお店で夕食をいただきました。

顎関節炎で固い物が噛めない今の私には、じつにありがたい名物でした。


松の枝の間に、京都の夕日が沈んでいき、夜になりました。

さて、夜桜は……

                      (続く)

 




春の京都へ(4):40年前の思い出の街2014年04月23日

夜桜見物は、円山公園の枝垂れ桜。大きな1本の桜の木が、ライトアップされていました。

でも、ずいぶんお年を召した桜のようで……。上から枝をつるしてもらって、やっとのこと立っているといった風情です。

そろそろ引退させてあげたいような気持になりました。

 

円山公園から、八坂神社へと歩きます。

八坂神社の舞殿


ここは、とても懐かしい場所。

高校の修学旅行で京都へ来たとき、この近くの祇園のホテルに2泊しました。

夜には自由行動の時間があり、仲間と連れだってにぎやかな夜の街を散策します。

カップルは申し合わせたように、静かな八坂神社の境内へと入っていきました。

私も背の高いボーイフレンドに誘われて、つかの間のデート。神社を歩いたあと、四条通の喫茶店で、フレッシュジュースを飲んだ覚えがあります。

さて次の晩には、神社の境内のベンチで、別の女の子と楽しげに語らう彼の姿がありました。そして、私の隣にも別の長身のお相手が……。

もう40年以上も昔のこと。ちまたでは、渚ゆう子の歌う「京都の恋」が流行っていました。

 

数年前の同窓会で、そのフレッシュジュースの喫茶店が話題になりました。店に立ち寄ったカップルは少なくなかったようです。

京都在住の同級生の話では、「まる捨」という名前だそうで、当時のたたずまいのまま、いまだに健在とのことでした。

けれどもその後、今から2年ほど前にとうとう閉店になったことを、風の便りに聞きました。

いにしえの都にも、時は流れました。

 

八坂神社の西楼門。

ここから四条通がまっすぐに伸びています。

この通りの右側に、「まる捨」はありました。

境内の「恋みくじ」。

八坂神社は、縁結びのパワースポットだとか。神さまは、いつからお得意になったのでしょう。

写真を撮っただけて、通り過ぎました。

 

遠い昔の恋心が、しばし思い出された京都の夜でした。




春の京都へ(5):そして奈良の吉野へ2014年04月26日

いつかは吉野の桜を見にいきたい。ずっとそう思っていました。

昨年亡くなった連城三紀彦氏の小説『花堕ちる』の中に、吉野山で心中するくだりがあり、妖しい桜の魅力を感じたのです。



ところが、いざ訪ねてみると、とうていここで死にたくはなりそうにない、明るく賑やかな場所でした。

それでも、平安時代から植え続けられている何万本もの桜は、じつに圧巻。かつて、修行者たちが桜材で仏像などを彫ったことから、桜の木が神聖化されるようになり、信仰の対象として、桜の植樹がなされるようになったとか。

理由はどうであれ、これだけの桜が1000年以上の長きにわたって、大事にされているなんて、やはり桜には特別な魔力が秘められているような気がします。

あの豊臣秀吉も、ここでお花見大会を催したそうで、同じ場所で21世紀の私たちが平和なお花見を楽しんでいるのですから、不思議といえば不思議。日本人がどんな花よりも桜を愛してやまないのも、ご先祖様からのDNAの仕業でしょうか。

まあ、よきかな、よきかな……。


関東の私たちにとってお花見といえばたいてい染井吉野ですが、この山では白山桜が多いのだそうです。その赤茶色の若葉が、遠目にはオレンジ色にかすんで、ピンクの濃淡の中にあって、山の綾なす色に温かみを添えています。

下千本から先始め、中千本、上千本、奥千本へと、開花が上っていきます。

吉野山にはお寺や神社も点在し、山の尾根に沿って参道が続いています。

参道は、参拝客というよりお花見の観光客でたいそうな賑わい。この時期だけの出店も多く、楽しませてくれました。









名物の「柿の葉すし」の店。

帰りに買って帰りましょう、と目星をつけておいたのに、帰りには長蛇の列で、諦めました。



下千本

中千本

中腹にある吉水神社の境内からの眺めは、「綺麗!」のひとこと。

ため息まで、ピンク色に染まりました。



春の京都へ(6):最後に長谷寺へ2014年04月27日

このシリーズもようやく最終回。

吉野を去って、長谷寺を訪れました。


長い登廊。

高校の修学旅行で来たはずですが、記憶に残っているのは、長い登廊の石段だけ。

花の寺といわれるだけあって、古い寺院の建物が木々の花に埋もれるように点在するさまは、日常を忘れるほどの美しさでした。





本堂の舞台からの景色。





山あいに抱かれた静かな寺で、人の賑わいもない。

ただ、揺れる枝垂れ桜の愛らしさ、音もなく舞い散る桜の花びらに、俗世を離れたひとときの安らぎを感じました。

とはいえ、これまでに私が一番美しいと思ったのは、弘前城の桜でしょうか。

まさに満開のときに訪れ、城を取り囲む染井吉野も、公園に植えられた枝垂れ桜も、花としてこれ以上はありえないと思えるくらいに見事な美しさでした。

今もその思いは変わりません。

でも、京都や奈良では、見る側の歴史への思いが、桜の魅力をより深めるような気がします。古都ならではの桜の美しさを、この旅で再発見できたのだ、と思います。

桜の余韻に浸りながら、新幹線で東の都会に戻りました。       

                                                                            (完)

旅への長いお付き合い、ありがとうございました。     

                       


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