東北ドライブ1000キロの旅:女川へ ― 2014年05月17日
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2日目は、宮城県牡鹿郡女川町へ。
女川は、海に突き出た牡鹿半島の付け根の辺りに位置し、東日本大震災では津波によって壊滅的な被害を受けた。
そして、この町には昨年から暮らしている友人がいる。
彼女に会いたくて訪ねてきたのである。
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タカコさんは、2012年に銀座で開催された東松島物産展の手伝いをしたときの仲間だ。
被災地のために働きたいという高い志を持ち、たまたま女川町に求人があるのを知り、独身ゆえのフットワークの軽さから、思い切って移り住んでしまった。
彼女が就いた仕事は、女川の蒲鉾製造業「高政」のウェブ業務。
被災地から現地の人々の声を発信したい。町の産業を復興させて、被災地だからというのではなく、都会の消費者を相手に営業をしていくために、ウェブの充実は欠かせない。だから、企業で働く地元の人々の意識も変えていきたい……。
彼女の口調には、無理な気負いもなければ、危うさもない。彼女なら、時間がかかっても、少しずつ目標をクリアしていけそうな気がする。頑張ってほしいと思う。

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さすがに4連休の初日とあって、郡山からの道は混んでいた。約束の時間を大幅に過ぎて、ようやく女川町に到着。入り江の向こうに、高政の工場が見えてきた。
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高政の店頭で、ようやくタカコさんと再会。
笹かまを目の前で焼きながら、震災被害の説明をしてくれた。
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ビデオも見せてくれた。
スクリーンに、女川の街が津波に流されていく凄まじい映像が流れる。
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工場見学もさせてもらった。
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見下ろす街に、あの日、津波は襲ってきた。

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ほとんど片づけられて、今残っているのは、横倒しになった七十七銀行女川支店の建物。緑色のところが屋上だ。当時、建物内にいた人たちが屋上に逃げて、犠牲になった。
銀行社屋ということで、いまだに撤去できない事情があるらしい。
「ビルが倒れている下に、高政の店長の実家があったんですって」
だから店長は、店頭であのビデオを流すのも、本当は嫌なのだという。車は水に浸かると警笛を発し続ける。何台もの車が流されていく、その大音響を店長は聞きたくない。当時の記憶がよみがえるからだろう。
それでも、遠方から訪ねてくる客のために、あえてあの映像を流す。
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さらに病院の裏手から、200段の階段を上ったところに、熊野神社がある。あの日も高いところから津波を見下ろしていたのだ。
ちょうど訪ねた日が例大祭で、神輿や太鼓も出ていた。
境内の八重桜も、女川湾を見下ろすように咲いていた。
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タカコさんと、二人の旅の仲間。真ん中が娘の友人のチカさんで、右側が娘。
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被災した地域は5メートルほど嵩上げしてから、ふたたび家を建てるのだという。
そのため、この神社のある丘を一部崩し、その土が使われる。神社はまもなく解体されて一時移転ということになるそうだ。
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女川は、まだまだ気の遠くなるような復興の途上だった。
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コメント
_ kattupa ― 2014/05/18 11:51
_ hitomi ― 2014/05/18 15:38
いえいえ、人はいなくなってはいません。仮設住宅に暮らしながら、復興をめざしてがんばっている人たちがたくさんいるからこそ、私も応援しているのです。
高政の蒲鉾も美味しいですので、ぜひお試しくださいね。
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こんな写真を拝見すると、建物も人もいなくなって、残るのは
思いでだけなのでしょうか。タカコさんの勇気にエールをおくります。