旅のフォトエッセイ:今夜は予告編。 ― 2014年07月16日
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大変ご無沙汰いたしました。
しばらく更新をさぼっていたら、
〈何かありましたか。心配しています〉
と、涙が出そうなほどうれしいメールが届きました。
もちろん、メールをしないまでも、きっと皆さんは、
「どうしたのかな。そろそろアップしたかしら」
と気にしてくださっていたことと思います。
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この写真、朝ではありません。午後10時3分前です。
どこか、おわかりでしょうか。
パリのオペラ座の前で撮りました。
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この1週間、フランスを旅しておりました。
ちょうど今、ブログを書いている時刻に、ようやく日が沈むのです。
朝は6時前後に起きて、夜は日没まで歩き回るという濃密な1週間。
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美味しいものや、
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ちょっと足を延ばして訪ねた所など、何ヵ月かかるかわかりませんが、仕事の合間に、少しずつ写真とともにご紹介していきたいと思っています。
というわけで、今日はその予告編でした。
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旅のフォトエッセイ:Vacance en France 1 オペラ座 ― 2014年07月21日
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7月8日から1週間、娘とフランス旅行に出かけた。以前から、モンサンミッシェルに行きたいね、と二人で話していたのである。
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私は大学で西洋美術史が専門だったので、4年生の夏に、ヨーロッパを1ヵ月かけて回る学生向けのツアーに参加した。それ以来、ヨーロッパ旅行のとりことなり、旅行資金を貯めては出かけていた。
いつも貧乏旅行で、ロンドンからパリへは、ドーバー海峡をホバークラフトで渡ったこともある。
ユーレイルパスで鉄道の一人旅もした。事前にミシュランの時刻表と首っぴきで旅行計画を立て、日暮れ前には目的地の駅に着くようにする。駅前の旅行案内所でその晩のホテルを紹介してもらって泊まるのだ。
それでも、治安の悪い国は避けたから、怖い思いも危ない経験も、とくになかった。
親切な人たちとのふれあいや一期一会の思い出だけが、懐かしく残っている。
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そして、前回フランスを訪ねたのは、新婚旅行が最後というのだから、なんと32年ぶりのパリ! フランスはパリしか訪ねたことがないのだが、すっかり忘れてしまっている。あれほど試験前に勉強させられたフランス語も、すっかり錆びついた。
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娘は、今年社会人3年目。ちょうど、私が一人旅を楽しんでいた年頃だ。
ヨーロッパはまだ2度旅行しただけで、フランスは初めて。
それでも、6年前にロンドン・バルセロナ旅行に連れて行ったときに比べれば、大人になっていることだろう。体力的にも、記憶力にも、自信がなくなっているのは母親のほう。
さてさて、「引率者」逆転となるのだろうか。
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フランスとは時差が7時間。
直行便で東京-パリ間は約12時間半かかるので、羽田を朝7時半にたつと、13時にはパリ到着となる。まだまだ昼日中である。
あいにく、出迎えてくれたのは土砂降りの雨。シャルル・ド・ゴール空港からリムジンバスで向かったパリの街角では、傘を持つ人さえ軒先で雨宿りをするような降り方だった。
が、旅の神様はほほ笑む。オペラ座の横にバスが着いて、私たちが降り立ったとたん、雨は止んだ。
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その代わり、方向音痴の二人は、バス停から近くのホテルまで5分の道のりを、スーツケースを転がしながら15分以上もさまよい歩いた。親切なパリジェンヌから声をかけられて、ようやくたどり着くことができた。
Hotel France d’Antin。便利な所だから、狭くても三ツ星ホテル。
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元気のあるうちに、すぐにパリの街へ繰り出した。
今回の旅はツアーではないので、お決まりの市内観光などはない。どこも地図を片手に自分の足で歩く。私はともかく、娘のためにはパリの名所と呼ばれるところは押さえておきたい。
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手始めに、最寄りのオペラ座から。
19世紀にシャルル・ガルニエという人が設計したので、ガルニエ宮とも呼ばれている。今でも、オペラやバレエが上演され、東京ならさしずめ歌舞伎座のような場所。2007年には海老蔵さんたちが歌舞伎の公演をしたとか。
娘も私もオペラにはあまり関心がなく、建物の見学だけにとどめた。
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まあ、それにしても、豪華絢爛!
床も、柱も、天井も、シャンデリアも……。
当時の富裕層の社交場だったというから、うなずける。
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私がたった一つ興味があるのは、劇場内の天井。その絵はマルク・シャガールが手がけているのだ。
見学では、観客席には入れてもらえなかったが、客席の裏部屋の窓から、覗きみることができた。青や黄色の地の上に、浮かぶような人物が描かれている。紛れもなくシャガールの絵だ。
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それにしてもオペラ座のゴシック様式の外観と、赤いじゅうたんのきらびやかな客席と、そしてロシアからやって来た画家の「夢の花束」という幻想的な天井画。その取り合わせは、現代の私の目から見ると、どうしても不釣り合いな気がする。あえて言えば、歌舞伎座の天井に草間弥生さんの絵……といったところ。
しかし、そのミスマッチに新しさを見出して、歓迎した当時のフランス人の心意気こそ、パリが芸術の都であるゆえんなのかもしれない、と結論付けてみた。
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目の保養をした後は、今度は舌の保養。
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ピエール・エルメのマカロンを二つ買って、チュイルリー公園へ。池の周りのベンチで一休みしてマカロンを食べてから、公園内にあるオランジュリー美術館へ。
ここはぜひとも娘に見せたい。クロード・モネが描いた「睡蓮」の部屋がある。
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ところが、ぐるりと回っても入り口が見つからない。それもそのはず、火曜定休ということを失念していたのだ。早くもうっかり第一弾。
でも、こんなことでは、へこたれない。
エッフェル塔がそびえるパリの空を眺めているだけで、あの雲のように、モクモクと元気が湧いてくる。
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〈続く〉
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旅のフォトエッセイ:Vacance en France 2 ギャルリー・ヴィヴィエンヌ&オペラ・レストラン ― 2014年07月22日
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オランジュリー美術館が休み!? じゃ、次へ行こう!
ということで今度は、友人からのたってのススメで、ギャルリー・ヴィヴィエンヌに行ってみた。
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パリにはパッサージュと呼ばれる場所がいくつかある。日本でいうなれば、屋根付き商店街、アーケード街だが、フランスのそれは、格段におしゃれ。特にこのヴィヴィエンヌは19世紀に造られた時から美しさの評判高く、パッサージュの女王と呼ばれているとか。
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すでに6時を回っていたから、閉店した店もあったけれど、それでも外からじゅうぶんに楽しめた。
自然の光を取り入れる天井も、床のモザイクも、女王の名に恥じない美しさだ。
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これは紅茶の店に貼ってあったポスター。
キャリー・パミュパミュみたいな女の子の絵が描いてあると思ったら、帰国してからよく見ると、HARAJUKU MODEの文字も。
タイトルの〈ANGELIC PRETTY〉というのは、いつまでも天使のようにかわいらしく、夢見る女の子でいましょ、というパーティのことらしい。日本からも大勢参加して、前の週に行われたということを、日本のサイトで知った。
クール・ジャパンもいろいろなシーンで活躍中というわけね。
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まだ開いていたこの店は、L’Aparte。
紙で手作りされたアートフラワーが所狭しと咲き誇っている。大小の花のひとつひとつ、そしてそのレイアウト。すっかり魅了されてしまった。
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小さくたたんで持ち帰れるものを、花の好きな母のおみやげに買った。
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アンティークなオルガン。
立ち去るころになって、演奏が聞こえてきたが、時間もないので、先を急ぐことにした。
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やって来たのは、ふたたびオペラ座。オペラではなく、ディナーのため。
出発前から、娘に本場のフランス料理をごちそうする約束をしていた。旅行会社のひとに相談したところ、2年前にオープンしたL’OPERA RESTAURANT を教えてくれた。あのオペラ座の内部にモダンなレストランができたという。
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まだ旅の初めの元気なうちに、美味しく食べたい。楽しみにしていた。
メニューは英語とフランス語でわかりやすい。前菜、主菜、デザートから1品ずつ選べばOKだ。
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初めに、アミューズと呼ばれる突出しのような一品が、白ワインのグラスとともに運ばれた。トマトの軽いジュレのようなグラスに、セロリスティックが添えられている。
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前菜に、娘はナス、私はホワイトアスパラの料理を頼んでみる。
野菜がふんだんでうれしくなる。しかも、見た目も味も、よく素材を生かしている。
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8時を回るころには、店内はほぼいっぱいになった。日本人は見当たらない。パリの人たちが仕事の帰りに食事を楽しんでいる、といった感じだろうか。
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娘の主菜は、チキンにキノコソース添え。大きな二切れ。胸肉だけれど、とてもやわらかくて濃厚な味わい。こんなにおいしい胸肉の料理は、日本ではなかなか味わえないのでは、と思った。
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私は、固いものを敬遠して、グリーン・リゾットを注文。グリーンアスパラ、グリンピース、ソラマメなどをベースにして、生クリームとともに仕上げているようだ。トッピングにはチーズクラッカーやクレソンのような野菜も載って、見事なグリーンの一品だ。くせのない味で、野菜好きな日本人の私も大満足!
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さすがにおなかがいっぱいで、デザートは入りそうにない。
チーズの盛り合わせを頼むと、これにも野菜が添えてある。ドライフルーツやナッツが効いた美味しいサラダだった。
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私だけグラスワインをお代わりしたら、ボトルを持ってきてついでくれた。そのついでに、まだ空いていない娘のグラスにも、ワインをつぎたしてくれる。
メルシー、ムッュー♡
パリのギャルソンは、粋で気が利くのである。
〈続く〉
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旅のフォトエッセイ:Vacance en France 3 モンマルトルの丘であの人と出会う! ― 2014年07月31日
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パリで一番高い場所といえば、モンマルトルの丘。ここは外せない名所だ。
ここから見下ろすパリの街を、娘にも見せたい。
新婚旅行で訪ねたかどうかはまったく記憶にないのだが、まだ独身のころ、ここへ来た忘れられない思い出がある。
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それは、私が25歳になったばかりの、クリスマスを過ぎたころのことだった。
人通りもまばらになった夜のモンマルトルの街を、スイス人の友達マリスとふたりで歩いていた。
マリスは、ロンドンで同じ家庭にホームステイをして、同じ英語学校に通った仲良しだ。年は一つ下だけれど、何もかもお姉さんのようだった。秋学期が終わり、クリスマスはスイス・ベルン郊外のマリスの実家に招かれ、その後、二人でパリにやって来た。
この日、モンマルトルに住んでいるという彼女の友人に電話をしてみると、今夜はパーティをするから遊びにおいでよと言われた。
高級住宅街にある彼のアパルトマンには、たくさんの友達が集まっていて、パーティが始まっていた。とつぜんの訪問者も歓迎されて、仲間に加えてもらう。
ちょうど、ケーキを切り分けるところだ。ケーキといっても、殺風景な丸い焼き菓子。でも、この中に小さなマリア像が一つだけ入れてあり、それをゲットした人が今晩の主役になれる、という楽しい仕掛けがある。残念ながら、私の食べた中には入っていなかったけれど、それを手に入れた人は紙で作った王冠をかぶり、うれしそうに威張って見せた。
隣の部屋にも、別のグループがいた。
「あちらは、ハッシッシよ」とマリスが小声で教えてくれた。最後まで、こちらの部屋と交わることはなかった。
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そして、今、あの日の私と同じ年齢になった娘を連れて訪ねてきた。
まず、メトロをアベス駅で下車。改札を出てから、のぼりの螺旋階段がぐるぐるぐると続く。やれやれ……と思ってふと見ると、この階段の壁が楽しい。次々と絵が変わっていく。
いかにもパリだわ……と感心している間に、つらさも感じないで(いやちょっとだけ感じながら)出口に到達できる仕組みになっているのだ。
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階段を上りきると、アベス広場に出る。
さてどちらに向かうのでしょうねぇ、ときょろきょろしていたら、向こうからやって来る女性に目が留まった。
中山美穂さんだ!
黒髪で長めのボブスタイル。大きなサングラス。特徴のある口もと。細身の体。地味なモノクロファッションだが、一瞬でわかった。
パリに住んでいるという彼女が、最近日本のマスコミでも何かと騒がれている。日本人の観光客なんて、一番関わりたくないのだろう。そそくさとメトロの階段を降りていってしまった。
ミーハーの私がかろうじて撮った1枚。
アベス広場の向かいには、「ジュテームの壁」がある。
落書きではなくて、ちゃんとした現代アートだという。250の言語で書かれた、愛の告白の言葉。
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サン・ジャン・ド・モンマルトル教会。
エッフェル塔が作られたのと同じ時期に、鉄筋コンクリートで作られた珍しい教会だ。神聖な空間というより、どこか少女趣味的なかわいらしさのある建物。いかにもパリらしいと言えなくもない……?
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娘の地図を頼りに、丘の頂上を目指す。
坂道があり、階段があり、おっと、登山電車まであった。その名もフニクレール。
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駅から、15分ぐらいてくてくと登ってきたろうか。
ようやく、サクレクール寺院の前の広場に出た。
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なんだかたくさんの人で、にぎわっている。
空に人がいる! 街灯に登って曲芸をやっている。
よく見ると、サッカーボールまで足で動かしているのだ。空中ドリブル!?
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パリを見下ろす階段にも、サクレクール寺院にも、観光客がいっぱい。もちろん、お祈りのために来た人も。
内部のモザイクは20世紀に入って完成したという。
新しいキリスト像は、ちょっとハンサム過ぎ……。
学生のころ、ここを訪れてパリの街を見下ろした覚えが、確かにある。そのときの記憶の眺望には、エッフェル塔があった。
が、それはどこからも見えなかった。
かすんだ記憶は、夢の中の景色だったのか、絵の中の景色だったのか……。
「わあ、すごい!」
と喜ぶ娘の横で、自分の記憶の不確かさに、茫然としていた。
〈続く〉