旅のフォトエッセイ:Vacance en France 7 モン・サン・ミッシェル① ― 2014年09月04日

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いくつかの古城の見学のあとも、ノルマンディーのロングドライブは続く。
うとうとと眠っていたのだろうか、ふと目を開けた。
窓の外はあいかわらず、見渡す限りの田園地帯が広がっている。畑となだらかな丘と、少しばかりのこんもりした木立。
……が、ドライバーの肩越し、フロントグラスの遥か彼方に、一瞬、目指す山のシルエットが浮かんだ。夢の続きを見ているように。
長い間あこがれてあこがれて、ようやくそれを目指して日本からやってきた。
お椀を伏せたような形、その真ん中に1本の塔。
紛れもなくモン・サン・ミッシェルのシルエットだ。
思いがけず胸がふるえた。
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2キロ手前の陸地から先は、一般の車は入れないので、シャトルバスに乗り込む。もう目と鼻の先。

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そして、ついに到着! 夜の8時。風が強い。
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モン・サン・ミッシェルは、フランス北部にある江ノ島ほどの小さな島。修道院やホテルなどの建築が所狭しと建ち並び、その秀麗な姿が魅力的な世界文化遺産である。
世界中から巡礼者や観光客がやって来る。特に、日本人には人気が高いようだ。
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始まりは708年にさかのぼる。
ある晩、オベール司教の夢に、大天使ミカエルが現れた。
「この岩山に、聖堂を建てよ」
ところが、司教はこのお告げを無視。悪魔のいたずらだろうと思って信じなかったのである。すると、三度目に現れた大天使は、怒って彼の額に指を触れた。稲妻の夢を見て目覚めた司教の額には、指の穴が開いていた。ようやくお告げを信じたオベールは、ここに最初の礼拝堂を建てたのである。
今でも保管されている彼の頭蓋骨には、指の跡が残っているという。
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以後1300年にわたり、修道院が建立され、はたまた英仏百年戦争や宗教戦争においては城塞となったり、フランス革命では牢獄になったり……。
革命後の19世紀には、修道院も復活。教会の鐘楼や聖ミカエルの尖塔が作られて、今の姿が出来上がり、1979年に世界遺産に登録された。
なんとも数奇な運命をたどってきた聖地。「西洋の驚異」と呼ばれる由縁である。
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要塞の名残がある大通り門を入り、グランド・リュと呼ばれる参道を歩いて、この日の宿、オーベルジュ・サン・サンピエールに着く。上の写真の右側の建物。文化財にも指定されている古めかしい宿屋だ。それでも三ツ星ホテルだそうで、女性の従業員が、強いフランス語なまりの英語で、応対してくれた。
部屋はこの通り沿いではなく、さらに石畳の道を上り、階段を上り、ようやくたどり着いた別館の中。石の壁にいきなりドアが付いていて、カードキーでドアを開けると、今度はいきなりじゅうたん敷きの階段が続いて、部屋に入る。
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でも室内はこぢんまりと整えられ、バスルームも新しかった。
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さて、夕食。
グランド・リュのお目当てのレストランは満員で入れない。
それでも、ちょうど宿泊するホテル本館のレストランが空いていて、席に着くことができた。
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もちろん、名物料理のオムレツを注文。ふわふわでとてもジューシー。
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娘は同じく、仔羊のロースト。
海水を含んだ草を食べているので、臭みがなくて美味しいのだとか。○
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おっと、のんびりもしていられない。10時になろうとしている。
もう一つ、見ておかなくては。
満腹、満足。急いでレストランを後にした。
〈続く〉
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