旅のフォトエッセイ:Vacance en France 10 モン・サン・ミッシェル④2014年09月15日

朝食をすませて、修道院の見学に出かけた。

石畳の坂道をえっちらおっちら……。

見上げれば、澄んだ青空に飛び交うカモメ。そびえたつ石の塔。

 

要塞として使われていた時期もあり、複雑な顔をしている。

下方の暗い所が、入り口。「哨兵の門」と呼ばれる。

門を入ってからも、さらに90段の「大階段」を上った。

 

上りきると、「西のテラス」と呼ばれる場所に出て、絶景を見はるかすことができる。

振り返れば、修道院付属教会が私たちを見下ろしている。屋根の向こうには、島で一番高い尖塔と、そのてっぺんに金色の聖ミカエルの像が。

付属教会の内部へ入る。海抜80mの岩山に土台を築いて、その上に建てられたという。

11世紀に完成した後も、崩壊、修復を繰り返している。ロマネスク様式からゴシック様式までそれぞれの時代を反映しているのがわかる。

 


教会の北側に位置する回廊。

建物全体の最上階にあたるため、構造的に軽くする必要から、天井などには木材が使われている。

また、列柱の位置が少しずつずれており、常に変化する視覚的な効果があるという。

単なる通路の役割だけではなく、聖職者たちの祈りと瞑想の場としてもふさわしい回廊だったのだろう。

 


柱に囲まれた中庭。西側からは海が見渡せる。本当に気持ちが穏やかになる。

いつまでも回り続けて歩いていたいと思った。

 

修道僧が全員で、沈黙のうちに食事をとったといわれる食堂。

 

壁に飾られていたレリーフ。よく見ると、大天使ミカエルがオベール司教の頭に指をさしこんでいる図だ。

 

夢に現れた聖ミカエルのお告げを信じなかったオベール司教は、頭蓋骨に穴を空けられしまった。そこで初めてお告げを信じて、この地に礼拝堂を建てた、といわれている。

  

 

階段を下って、迎賓の間。食堂の下に位置しているため、柱も多くなる。

  

 


さらに太い柱のある礼拝堂。ここも、付属教会の内陣、つまり一番重い部分を支えるため、15世紀になって、階下にこの部屋が作られたという。

 

  

聖エティエンヌのチャペル。死者のためのチャペルとして作られたという。

 


祭壇の下には永遠を表す意味で「AZ」と書かれている。

キリストの死を悲しむ聖母マリアのピエタ像もあった。

 

 

 

「修道士の遊歩場」、「騎士の間」と歩いていく。

どの部屋も上層部を支えるために柱が多い。

 

  

 

 

白状すれば、修道院の建物については、ほとんど何も知らないまま出かけた。

もちろん、入り口でもらった日本語のパンフレットには、3層構造の建物の解説も地図も載ってはいた。それでも、よくわからないまま歩き回って、これだけの写真も撮るだけは撮った。

 

結局、ブログに載せる段になって、もう一度調べ直した。そこでようやくわかってきた。

中世の建築家たちは、まず島のほぼ中央に教会を造り、その周りを取り巻くように岩肌に建物を作っていったのである。それが、天を目指す尖塔を中心にした奇跡の山の姿となって、今に残っているわけだ。「西洋の驚異」といわれる意味はそこにあるのだろう。


聖なる場所として始まったこの地が、やがて要塞となり、監獄となり、そしてまたキリスト教徒たちの聖地として、今なお修復が続けられている。その数奇な運命への興味も尽きない。

 

さらに、自然環境的にも保存が進められている。私たちの帰国後、島と陸地とを結ぶ橋の完成が報じられた。これによって、既存の地続きの道路は取り壊され、土砂の堆積にも歯止めがかかり、潮の干満も以前に戻りつつあるという。

島を去るバスに乗る前に、最後に振り返って撮った写真には、完成間際の橋が写っている。

 

 

ひとまず、さよなら、モン・サン・ミッシェル!

いつの日か、もう一度この橋を渡って、島を訪ねよう。

帰国後に知り得たことを、この目で、この足で、もう一度確かめてみたいから。

  

そして、たった1日だったけれど、沈む夕日を見つめ、寒空に月を仰ぎ、翌朝にはカモメの鳴き声で目覚め、昇る朝日に心を震わせた。潮風に吹かれて石の階段をたくさん上って、教会をめぐり、回廊を歩きながら祈った。

そのとき、かつてここで暮らした修道僧の息遣いを、ほんのわずかでも感じられた気がするのだ。

神様の国に少しだけ近いモン・サン・ミッシェル。この地を、もう一度訪ねてみたい。

人生の下り坂にあり、遠からずその坂も尽きるときには、天国への階段にあこがれる一人として。

  

 

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