ダイアリーエッセイ:やがて、いつの日か ― 2014年11月10日
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月曜の午前中は、たいていコーラスの練習がある。次男の母校で、子どもの卒業後も母親だけはいまだにママさんコーラスを続けている。車で20分足らずの距離だ。
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昨年から、その行き帰りを利用して、同じマンション内で独り暮らしをしている91歳の母を、デイサービスに送迎するようになった。
ちょうど学校のそばの、セコムが手がけている高齢者の施設。もちろんその送迎バスもあることはある。でも、少し遠いので、利用者が乗り合わせて走り回っていると、小1時間はかかり、それだけで疲れてしまう。そこで、ついでだからと私が送迎を買って出たのだった。
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毎週月曜日、母はおしゃれをして、車に乗り込む。到着すると、杖を突いてしゃきしゃきと歩いていく。施設では、簡単な体操をして、お昼ご飯を食べ、午後からはお仲間とのマージャンを楽しむ。いつも帰りの車の中では、朝と違って母は饒舌になっていた。
ところが、11月に入り、寒くなってくると、急に体のあちこちの痛みを訴えるようになる。冬はいつも血流が悪くなるので要注意だ。そこで、デイサービスは、マッサージ中心の施設に変更することになった。家からも近く、もう私の送迎が必要ではなくなった。
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今日も私はコーラス練習に出かける。でも、後ろの指定席に母はいない。
やがて、いつの日かほんとうに、私の車からも、母のマンションからも、母がいなくなる日が来るのだ。確実に来るのだ。
気づきたくないことに気づいてしまった。
それを振り払うように、一人きりの車をちょっと乱暴に急発進させていた。
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コメント
_ 村上 好 ― 2014/11/11 00:00
_ kattupa ― 2014/11/11 04:01
女性はみなさんげんきです。いつも思うのですが女性のエッセイには
旦那さんがでてきませんね。不思議です。
_ hitomi ― 2014/11/11 20:24
村上さんは、ホームからお母様がいなくなった後も、ホームに通い続けますか。それはありえないでしょう。
私は、母がいなくなった後も、母を乗せた車を運転し、そのマンションに住み続けなければなりません。
その違いがおわかりいただけるでしょうか。
_ hitomi ― 2014/11/11 20:30
女性のエッセイに旦那様の登場が少ないでしょうか? 一概にそうとも言えないと思いますよ。
私に限って言えば、少ないですが。エッセイに書きたい、という感動がありませんから。心を動かされるのはマイナスのことばかり。それをエッセイに書きたいとも思いませんし、読者にとってもつまらないと思います。いまさら新婚当時のようなことを書いても、リアリティがないだけで、それもまた面白くないことでしょう。
_ SACHI ― 2014/11/14 11:09
_ hitomi ― 2014/11/14 17:57
別れの日が来ることを想うのは、とてもつらいですが、いやでも想ってしまいます。それでいて、本当にひととき、ひとときを大事にしているだろうかというと、それはわかりません。心のどこかには、明日も今日が続くという意識があるのですね。少なくとも、姉弟に比べたら、大人になった今なおそばにいてくれてありがたいと思っていますが……。
_ 片割れ月 ― 2014/11/16 17:32
今年に入って父親を亡くしました。ずっと家で面倒見ておりました。
寂しさはありますが、まだ居なくなった感覚が無くて困ります(*゚.゚)ゞポリポリ
施設に預けるという選択肢は全くなかったもので。
去年は叔母の旦那が亡くなっていますが、何か月か施設に入ってそのまま…
叔母が家において我儘を聞いてやればよかったと悔やんでおりました。
寿命が分かればそうも出来ますが、こればっかりはエンドレス…介護って大変ですね。
先生のお母さんはお元気そうで何よりです、たとえ亡くなってからもずーっと後部座席に乗って先生を見守っているはずです。
コーラスは良いですね。腹の底から声を出されるんでしょうね。
女房もコーラスに誘われているみたいですが、そちらの団体は70代が横幅をきかせているようです。
私も対抗して風雪ながれ旅で頑張ります~(*^^*)ポッ
_ hitomi ― 2014/11/16 21:35
いただいたコメントを読んで、ふっと気持ちが楽になったような気がしました。今までいた場所からいなくなってしまうのではなく、姿かたちだけが見えなくなったと思えばいい。ずっと後部座席に座り続けて見守っていてくれる……。居ると思って話しかければいいのですね。どうせ、今でも耳のとても遠い母とは、会話もぎくしゃく。一方通行の会話はさほど変わりはしないでしょう。
そして、いよいよ寝たきりになったり、もっと手間がかかるようになったりしてきたら、思いも変わってくるかもしれません。
コーラスは、私の唯一の健康法。お腹の底から声を出すのは最高の気分ですね♪♪♪
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高齢の親がいると似たような感慨になるのだなと思いました。私の母も来月91歳になります。
<でも、後ろの指定席に母はいない。
やがて、いつの日かほんとうに、私の車からも、母のマンションからも、母がいなくなる日が来るのだ。確実に来るのだ。>
いなくなる日が確実に来ますね。遠くない将来。
私は明日朝、母をホームに訪ねます。毎週火曜日の定例です。車いすで整形外科に連れて行き、治療を受けて連れて帰ります。ホームの部屋ではパソコンで、一緒にビデオや写真を見ます。今、SDカードに明日上映するビデオを入力しています。
母のホームを訪ねる一回一回がカウントダウンの訪問です。親子の貴重な時間を大切に過ごしたいと思います。ビデオや写真も撮ります。
そうこうしている内に、私自身が早晩母と同じ道をたどることが感じられます。これもそれほど遠いことではない。
人生は短い。
村上 好