2000字エッセイ:ロクマルの呪い2015年04月19日

322日の「じつは、私……」は、じつは〈続く〉となっていました。

その続きを書かないままでしたが、続編の内容を混ぜ合わせて、2000字のエッセイにリメイクしてみました。

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ロクマルの呪い

好きなスポーツは、と聞かれたら、スキーです、と答えてきた。

始めたのは大学生のときで、札幌に住む叔父の家に泊まりこむと、従兄たちが手取り足取り教えてくれて、気分よく滑りを覚えた。

その後も、学生仲間でスキーに出かけた。安い宿を予約し、スキー板を担いでは電車や夜行バスに乗りこみ、ゲレンデに繰り出したものだ。その仲間には、未来の夫となる人もいた。楽しくないわけがない。

子どもができてからは長いブランクもあったが、末っ子が5歳になったころ、思い切って家族5人でスキーへ。夫婦の夢だった。子どもたちはスキースクールで手ほどきを受け、大人は懐かしい雪の感触を堪能した。

数年たったころ、スキーウェアを新調した。イタリア製で光沢のある抑えめの赤が素敵だ。値は張ったが、「還暦まで着るから」と宣言して買ったのだった。

しかし、子どもが3人もいれば、受験やら就職やら、スキーどころではない年が続く。ひと段落すると、こんどは腰痛に悩まされる。

去年あたりからそれも治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、一回りも年上の従姉からスキーの誘いが舞い込んだ。

が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩む。

結局は日程の都合がつかず、スキー場の間近で地震が起きたこともあって諦めたのだが、それと入れ代わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かけた。そのとき、雪の中の寒さが妙に心地よく、「私、氷点下ハイよ」などと言っては子どものようにはしゃいでいた。

帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立ててしまった。

それでも不安がつきまとう。体が動くだろうか。けがをしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか……。

昨年の暮れに、還暦を迎えた。女優の夏木マリさんが、60歳をロクマルと言っていたので、私もマネしてみたが、あまり市民権を得ていないらしく、友人たちにはきょとんとされた。呼び名がどうであれ、60の大台に乗ったことはゆるぎない事実なのだ。

半年前から、憂うつでたまらなかった。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。でも、現実はあなどれなかった。

この冬は初めてインフルエンザにかかった。それ以外に3度も風邪を引いた。体のあちこちが痛むようになった。医者には、変形した関節は治らないと言われる。

さらに、3つ年上の女性から、とどめを刺された。

「還暦になると、今までかからなかった病気になったり、けがをしたりするから、気をつけなさいね」

まるで呪いの言葉だ。冗談じゃない。

泥縄で筋トレのスクワットをせっせとやっていたら、ふとひらめいた。

そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。娘と二人旅なら気遣いはいらない。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫だろう。

やっと気持ちが楽になった。

そして、予言どおり、赤いちゃんちゃんこ代わりに赤いスキージャケットを着ることができた。3月はじめの越後湯沢は暖かく、快適な春スキーとなった。

自転車と同じで、ひとたび体が覚えた滑り方は忘れないものだ。とはいえ、頭では覚えていても体がいうことをきかないかもしれないから、慎重に、慎重に……。ちょっとでも疲れると、娘をゲレンデに残して、ロッジでひと休み。でもビールは飲まない。ほろ酔い滑走はみずから禁止。ここで怪我でもしたら、「年寄りの冷や水」と笑われてしまう。

23日、最後まで上級コースには近づかなかった。なだらかな斜面でのんびりゆったりの滑りを、鼻歌まじりで楽しんできた。

何度も転んだし、筋肉痛にはなったけれど、けがひとつないまま帰宅。やれやれ、呪縛を解き放つことができた。来年は従姉と一緒に滑りに行こう、と思った。

ところが、帰宅して2日目、ビルの廊下で転んだ。ぺったんこのブーツを履いていたのに、かかとが斜めに着地してツーッと滑った。次の瞬間、左ひざをガツンと着いた。まさか、こんなところで転ぶなんて……。骨折はなかったが、青あざが10日たっても消えなかった。

あ、これかぁ……。

 




コメント

_ SACHI ― 2015/04/28 00:32

ひとみ様 久しぶりに2000字のエッセイ拝見しました。大学生でスキーを覚えられてから、「ロクマル」にいたるまでのスキーとご家族の歴史が、軽妙にテンポよく、、。こんなエッセイが書けたらいいな、と憧れます。また、イタリア製の赤いスキージャケットがお似合いの60歳、呪縛も溶け、今後のスキーシーズン、毎年毎年進歩されていく予感を孕んでいて、素敵です。上級コースの方となられるのも遠くないでしょう!! ご主人もお誘いになりませんか?

_ hitomi ― 2015/04/29 21:36

SACHIさま、
ありがとうございます。
季節を過ぎたスキーの話にロクマルをひっかけてみました。
昔は上級コースでも平気でチャレンジしていましたが、さすがに用心する気持ちが強くて、もうだめですね。
さて、次のシーズンはどうしようか、まだ本当はいろいろと迷っています。でも、無理せずに行けるようだったら、行ってみたいですね。

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