エッセイ「父の絵」 ― 2015年06月04日
今日、6月4日は、父の命日です。
このエッセイは30年前に書いたものですが、少し手直ししてみました。
お読みいただければ幸いです。
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父の絵
父は子どものころから、絵を描くことが好きだったという。
屋外で写生をしているときに、近くに住む画家と知り合いになり、彼の家に遊びに行くようになった。それを知った祖父は、激怒した。
「お前を絵描きなんぞにするつもりはない。男の子は勉強だけしておればいいのだ!」
軍人だった祖父は厳格で、父はおとなしく従った。画家にもらった絵筆も、言われるままに捨ててしまい、それからは、ひたすら勉学に打ちこんだのだった。
私が子どものころの記憶に、およそ父の笑い声というものがない。寡黙だった。お酒も飲めないから羽目をはずすこともなく、いつもタバコの煙の中で押し黙っていた。
やがて、50歳を過ぎたころ、長年勤めた会社を退職した。大学で教鞭を執ることになったのである。このころから、父はよく笑いよく喋るようになった。第二の職場が、人間関係がわずらわしい会社勤めより、ずっと父には向いていたにちがいない。
何よりも父を変えたのは、ふたたび絵を始めたことではなかったろうか。絵を描く時間が取れるようになったのだ。水彩画の道具を少しずつ買い揃え、絵のサークルにも入った。胸のポケットに何本も鉛筆をさして、風景画を描きに出かけるようになった。
写生会の後には、必ず仲間と話しこんで帰ってくる。あれほど口の重かった父が、「絵のことなら何時間でも話していたい」と、のたまう。
父は自然の風物を好んで描く。水辺の景色、新緑の山々、紅葉の街路樹、桜並木……。帰宅したばかりの父のスケッチブックを開くと、風景と向き合ったときの父の感動が伝わってくる。ちょっとふるえた線描や、濃く淡く走らせる筆さばきで、風のきらめきや匂いまでもが手にとるようだ。スケッチならではの新鮮さが生きている。
ところが父はそうやって外で描いてきたものを、書斎の机の上で手を入れてしまう。写真を見たり頭で考えたりしながら描き加える。木や家はぎこちなくちぢみあがり、とってつけたように人物が置かれ、絵は別のものになっていく。
「どうだ」
得意そうに、父が新しい絵を見せる。私も大学生のときに油絵を描いていたので、わが家で絵の話し相手は、私の役目だ。
「その人物、ないほうがいいのに」
遠慮なく言う。
「…………」
おれはよくなったと思うぞ、と言わんばかりに、口をへの字に結んで黙り込む父。
父の上達を願ってこそ、感じたままを口にする。多少なりとも絵のことはわかるつもりだ。娘が本当のことを言わなかったら、だれが率直な批評などしてくれるだろう。ひょっとしたら私は、父の絵をほめない唯一の人物かもしれない。
「ひとみに見せてもケチばかりつける」
父は、かげで母にこぼしていたらしいが、そんな父娘の確執も、今思えばかけがえのない時間だったかもしれない。
やがて、私が27歳、父が60代半ばという頃、私の結婚が決まった。そんなある日、母と結婚式の衣装を決めるために出かけるとき、父も誘ってみた。別段いやな顔もせず、父はついてきた。
目星をつけておいたウェディングドレスを試着して、父の前に立つ。
「どう?」
私が聞いても父は例によって黙っている。口をへの字に曲げて見ているだけであった。
それから数日後、父の留守に母が言った。
「昨日、お父さんの机の上のスケッチブックを見たらね、女の人が描いてあるの。どうも、あなたのこのあいだのドレスらしいのよ、こんなふうで……」
と、母は両手の人差し指で、ウェストのくびれたドレスの形をくうに描いてみせる。
「何度も消しては描いたみたいなんだけど、カッコ悪いの、それが」
母はおかしそうに笑った。
こっそり、書斎兼アトリエの父の部屋へ入ってみた。
本棚には、父の風景画が雑然と立てかけてある。大きなデスクの上には、論文執筆のための鉛筆と水彩用の絵筆とが何本も仲良く並び、レポート用紙とスケッチブックが隣り合わせに広げてある。
ドレスの絵は、どこにも見当たらなかった。また私がケチをつけると思い、隠したのだろうか。
室内には、鉛筆と絵の具とタバコの匂いが、バランスよくブレンドされて漂っている。この匂いが、きっと懐かしくなるだろう……。そう思うと、匂いが鼻の奥にツンとしみた。
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あの日の気持ちを書き残しておいたからこそ、こうやって、今なお新鮮なまま、よみがえらせることができるのです。
エッセイを通して、あの日の父に会えました。
エッセイをやっていてよかった、と思います。
エッセイの書き方のコツ(26):大失敗の巻 ― 2015年06月18日
今回は、私の失敗をさらすことにしましょう。
10日ほど前のこと、2000字のエッセイ執筆にあたり、こんな書き出しで始めてみました。
病気についてのエッセイはあまり好まない。書くのも楽しくないし、読むほうもつらいだろう。わかってはいるのだが、今回はどうしても書いておきたくなった。ロクマルが近づくにつれて落ち込んでいった大きな理由の一つだからである。
いつもなら、
「前置きは、いりませんね。早く本題に入りましょう」
などと言うところですが、今回は〈好まないエッセイ〉を書くにあたっての言い訳をしておきたくなったのです。もっとも下書きですから、何を書いてもあとから削除すればいい。(と、これも言い訳かも……)
病気といっても、顎関節炎に始まって、歯がうずき、噛み合わせがおかしくなったこの2年間のこと。それとロクマルへの思いを交えたかったのです。
そもそもの原因はストレスだという自己診断。
歯科医難民となって、診てもらった医師は6名。
それぞれのいきさつや、医師の印象や、診断の結果を、ああでもないこうでもない、と胸の内を吐き出すようにつづっていきます。
ところが、途中で投げ出したくなりました。冒頭に自分で書いたとおり、ちっとも楽しくないのです。病気の苦しみをいかに伝えようかと、正面から向き合わなくてはならない。それはつらい作業です。
ついつい説明に力が入り、あっという間に制限字数を超えていく。それでも終わりません。
ギブアップしようかと何度も思いましたが、せっかくここまで書いたのだから……と、力を振り絞って最後まで書きとおしました。あとは、内容を絞りこんで縮めればいい。字数は一切気にせず、書くだけ書いたら、なんと、倍の4000字に……!
半分を捨てなくてはなりません。
2年前に、そもそもの原因になった、怒涛のごとく押し寄せたストレスフルな出来事は、カット。長身の若い先生が向井理みたいでときめいたのに、ある日マスクを外していてがっかりした話も、カット。
結局は、顎関節炎と歯の話に終始して、文字どおり骨と皮ばかりのエッセイになってしまいました。だからというわけではありませんが、タイトルは、
「ドクロ美人の憂鬱」。
タイトルだけは結構気に入っています。なにゆえ、ドクロ美人?
いずれ、お読みいただくかもしれません。その暁には明らかになります。
そこで、教訓。病気のエッセイは、やはり楽しくない。
そしてもう一つ。
じつは、治療はまだ終わっていないのです。だから、エッセイも中途半端なまま終わっています。これでは、明るい読後感も望めない。
すべてが終わってから書くべきでした。先走ってはいけませんね。
それにしても、珍しくパソコンの前で苦しみぬいた3日間でした。
やれやれ、エッセイは何年やっても奥が深いです。これも教訓でした。
写真は、内容とは関係がありません。
昨年7月、フランス・ジベルニーのモネの庭で撮りました。
池のほとりのアジサイ、今年もそろそろ咲き始めたころでしょうか……。