「おふくろ」たちの集い ― 2016年03月01日
前回の袋の話の続きです。
女性は、男性に比べたら、実生活の中でいろいろな袋を手にしているので、「袋」というテーマはお手の物だったように思いました。
なんと言っても、「おふくろさん」ですもの。
私がエッセイ教室を担当するなかで、唯一女性だけのグループというのが、湘南エッセイサロンです。先週の木曜日に集まりがありました。
「袋」がテーマのエッセイを合評して、その後は、お雛祭りとなりました。まさしく、「おふくろ」たちの集いですね。

メンバーのTさん宅の和室には床の間があり、この日のためにと、立派な掛け軸とかわいらしいお雛様が飾られています。

掛け軸の絵は、大正・昭和と日本画壇で活躍し、この湘南の地にゆかりのカトリック美術家、長谷川路可画伯の作品です。ご近所のかたが飾ってほしいと持ってこられたとか。戦前に描かれたもののようです。
「なんでも鑑定団に出したら、良い値が付くわ」と、ほんの冗談にしても、みな考えることは同じ……。

お雛様は、Tさんのお母さまが大事にされていたもので、100年以上も経っているとか。やはり骨董品といえるでしょう。
手前の五人囃子は、別の揃いのお雛様だったようですが、いずれも表情が愛くるしいこと。

そして、いつものようにおしゃべりは多岐にわたり、楽しいひと時はあっという間に流れて、お開きとなりました。
帰り道、梅の枝にウグイスが……!
いえいえ、ウグイスではなく、メジロです。
つがいで飛んできて、暖かい春も遠からじ、と教えてくれました。


自閉症児の母として(28):雛人形を飾りながら ― 2016年03月03日

今日は、3月3日、桃の節句。
娘は去年の夏に家を出たので、娘のいない初めての雛祭りです。そのせいか、いつもより早く雛人形を飾りました。
昨年3月に飾ったとき、長男のパニックに巻き込まれ、人形は無残にも床に転がりました。よく見ると、お内裏様の烏帽子は曲がり、横に突き出た細い棒の部分が欠けています。屏風にも小さな穴が開きました。顔が傷にならなかったことがせめてもの幸いでした。
雛人形は娘の身代わりになったような気がしました。
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先日、エッセイ通信教室の受講生の方が、「きょうだいの会」の話を書かれました。この “きょうだい”というのは、障がい者をきょうだいに持つ人のことを表す特別な言葉だそうです。
その女性は、弟さんが知的障がい児でした。子どもの頃は、両親の気持ちが弟ばかりに向けられているようで複雑な思いでしたが、大人になってからはきちんと理解を深めていきました。今では親の代わりとなって弟を見守る頼もしいお姉さんとなったのです。
そして、「きょうだいの会」にも入りました。”きょうだい”には、たとえば就職のとき、結婚のとき、さまざまな困難があるといいます。同じ境遇の立場で、互いに不安や悩みを相談したり、慰め合ったり、ときには明るい話題で希望を持ったり……と交流を続けているとのことでした。
彼女は関西在住の方ですが、この会は全国的な組織だということを私は初めて知りました。
「きょうだいの会」は、障がい児の親としては、本当にありがたい存在です。親とはまた違った立場の”きょうだい”を支えてくれるだけでなく、社会に向けて発信をすることで、偏見をなくし、正しい理解を深めていく大きな力にもなるでしょう。彼女のエッセイは、その意味からも、大きな意義を持っていると思いました。
障がい者にとっても、その”きょうだい”にとっても、もっともっと社会的なバリアフリーが実現していくことを願わずにはいられません。
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そういえば、思い出しました。
去年は、雛祭りから1週間たっても、雛人形を片付けなかったのでした。
自閉症の長男にとって、この世のすべての物事が、スケジュールどおり、カレンダーどおり滞りなくしゅくしゅくと行われていくことは、何より心の安らぎを得る基本なのです。
そのとき、長男がパニックを起こしたきっかけはもう忘れてしまいましたが、目の前のお雛様のせいで、彼のいらだちは大きく膨らんでいたにちがいありません。
今年は彼の心の平安のため、明日の朝にはしまっておきましょう。もちろん、娘が行き遅れないためにも……。

仕切り直して、パリへ ― 2016年03月13日
昨年の11月、予定していたパリ旅行をキャンセルせざるを得なかったことは、11月24日の記事「ときめきのパリが、悲しみのパリに……」で読んでいただいたとおりです。
同行するはずだった友人M子は、長男がパリで研修中なのですが、今年の4月には帰国する予定です。ぜひ、その前にパリを訪ねたい。彼女の思いに、私ももう一度乗り合わせることにしました。
仕切り直してパリへ、明後日から行ってきます。
昨年《Paris 2015》と書いたノートのタイトルに、2016と書き加えました。

ドミニク・ブシェというパリの一つ星レストランをご存じでしょうか。
銀座にも支店があります。
2年前、娘とパリへ行く直前にテレビ番組で紹介され、行ってみたいと思っていましたが、そのときは、願い叶わず……。
そのオーナーシェフの奥さんという人が日本人で、じつはM子の元同僚であることが、彼女の親しい友人を介してわかったのです。
マダムは、その名を松本百合子さんといい、フランス語の翻訳家としても活躍しているのでした。
ちょうど、私たちの再出発に合わせるように、彼女のエッセイ集が発行されました。
『それでも暮らし続けたいパリ』主婦と生活社発行。

15年以上もパリに在住している彼女の目を通して、フランスの魅力、その豊かさ、おおらかさが楽しくつづられています。
まえがきで、パリの同時多発テロのことが語られていました。パリの人々の心意気に、目頭が熱くなりました。
迷いなく、パリへ行ってきます。


旅のフォトエッセイParis2016(1)共和国(レピュブリック)広場にて ― 2016年03月25日
21日夜、無事に羽田に帰り着きました。
ご心配くださった方もいらしたかと思いますが、ベルギーのテロ事件は、帰国翌日のこと。1日違いで恐怖を味わったかもしれず、他人ごとではありませんでした。犠牲者のために祈ります。
しかし今回は、これまでの旅と違って、何かと小さなアクシデントがありました。
第一弾は、気がついたのが成田に着くまでの車中。出発前の記事にも書いた大事なParisノートを、自分の机の上に置いてきてしまったこと……!
ま、パスポートではなくてよかった、と気を取り直して出発しましたが。
さて、そのほか旅行中のことは、これから少しずつ、書いていきます。
そして最後の(これが最後だと信じたい)アクシデントは、帰国翌日、咳がひどく熱も出てダウン。市販薬を飲んでも熱が下がらず、医者に診てもらうと、インフルエンザA型でした。
特効薬を飲み始めるのが遅れたのか、4日目の今日になって、ようやく平熱に戻りました。
昨日は講演をキャンセルするという最悪の事態に。どれほど迷惑をかけたかと思うと、情けないやら悔しいやら。これからはきちんと予防接種を受けることにします。

ところで今日は、キリストが十字架にかけられて亡くなった金曜日。
そこで、こんな写真の記事から……。

パリ最終日、共和国広場を訪れました。
共和国としての問題が持ち上がると、人々はここで集会を開くそうです。昨年1月にシャルリー・エブドが襲撃されたときも、「私はシャルリー」のスローガンとともに、デモはこの広場から始まっていったとか。
そして、11月14日、同時多発テロの後にも、この場所に人々は終結しました。
自由と平和の象徴であるマリアンヌ像の周りには、今も人々が訪れ、花やキャンドルが手向けられています。
そして、たくさんのスローガンがかかっている。
「愚かな行為には立ち向かって」
「平和のために立ち上がろう」
「不安にされたって、パリは変わらない」
フランス人の精神的な強さが伝わります。
私の目を引くのは、遺影のかずかず。昨日まで平和な日常を送っていた若い女性や子どもの笑顔が痛々しい。
曇り空の下、冷たい風に吹かれて、思わず涙。彼らの死を無駄にしないため、これ以上犠牲者を増やさないためにも、心から平和を祈らずにはいられませんでした。
キリストは、罪深い人間を救うために、十字架の上で死んでいきました。
たとえ普通の人々であっても、その人の死には、何かの復活や新生のための力を残していくという意味があるのだと信じていたいものです。
