自閉症児の母として(28):雛人形を飾りながら2016年03月03日

 



今日は、3月3日、桃の節句。

娘は去年の夏に家を出たので、娘のいない初めての雛祭りです。そのせいか、いつもより早く雛人形を飾りました。

昨年3月に飾ったとき、長男のパニックに巻き込まれ、人形は無残にも床に転がりました。よく見ると、お内裏様の烏帽子は曲がり、横に突き出た細い棒の部分が欠けています。屏風にも小さな穴が開きました。顔が傷にならなかったことがせめてもの幸いでした。

雛人形は娘の身代わりになったような気がしました。


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先日、エッセイ通信教室の受講生の方が、「きょうだいの会」の話を書かれました。この “きょうだい”というのは、障がい者をきょうだいに持つ人のことを表す特別な言葉だそうです。

その女性は、弟さんが知的障がい児でした。子どもの頃は、両親の気持ちが弟ばかりに向けられているようで複雑な思いでしたが、大人になってからはきちんと理解を深めていきました。今では親の代わりとなって弟を見守る頼もしいお姉さんとなったのです。

そして、「きょうだいの会」にも入りました。”きょうだい”には、たとえば就職のとき、結婚のとき、さまざまな困難があるといいます。同じ境遇の立場で、互いに不安や悩みを相談したり、慰め合ったり、ときには明るい話題で希望を持ったり……と交流を続けているとのことでした。


彼女は関西在住の方ですが、この会は全国的な組織だということを私は初めて知りました。

「きょうだいの会」は、障がい児の親としては、本当にありがたい存在です。親とはまた違った立場の”きょうだい”を支えてくれるだけでなく、社会に向けて発信をすることで、偏見をなくし、正しい理解を深めていく大きな力にもなるでしょう。彼女のエッセイは、その意味からも、大きな意義を持っていると思いました。


障がい者にとっても、その”きょうだい”にとっても、もっともっと社会的なバリアフリーが実現していくことを願わずにはいられません。


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そういえば、思い出しました。

去年は、雛祭りから1週間たっても、雛人形を片付けなかったのでした。

自閉症の長男にとって、この世のすべての物事が、スケジュールどおり、カレンダーどおり滞りなくしゅくしゅくと行われていくことは、何より心の安らぎを得る基本なのです。

そのとき、長男がパニックを起こしたきっかけはもう忘れてしまいましたが、目の前のお雛様のせいで、彼のいらだちは大きく膨らんでいたにちがいありません。

今年は彼の心の平安のため、明日の朝にはしまっておきましょう。もちろん、娘が行き遅れないためにも……。


 



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