旅のフォトエッセイ:Vacance en France 13 モネの庭 ― 2016年07月14日
2年前のちょうど今ごろ、娘と二人でフランスを訪れていました。
このタイトルは12回で終わってしまっています。続きを書くつもりでいたのが、2年目にしてようやく13回目をアップ。お待たせいたしました。

私が油絵を始めたのは、高校生のときだ。
まだ、何の知識もないころで、なんとなくいいなと感じる絵は、光をまとったような風景画。おそらくそれが印象派の作品だったのだろう。
やがて、クロード・モネの睡蓮の絵と出合う。
高校の中庭には、小さな池があり、初夏になると、睡蓮が咲いた。
美術の時間、モネを真似て、それを描いてみた。先生は描きたいように描かせるだけ。麻布のキャンバスなどではなく、せいぜい6号ぐらいのボードだった。
混ぜれば色が濁るが、乾いてから上塗りすると、油彩画らしい色の重なりが出てそれらしく見える。試行錯誤で学んでは油絵具の質感を楽しんだ。
やがて大学に入るとすぐ、美術部に籍をおいて、油絵を続ける。
ある夏の合宿では、野反湖へ。湖畔にイーゼルを立てて、1本の木の枝の向こうに、湖を描いた。
秋の合評会で、部の大先輩でもある著名な画家先生がやってきて、
「印象派のような構図ですね」と、この絵にお褒めの言葉をいただいた。
しかしながら美術部では、絵の描き方より、お酒の飲み方を教わったような気がする。
そのころの仲間の一人と、今も一つ屋根の下で暮らしている。
彼は今でも写実的な植物画を楽しんでいるが、私はもう絵はやらない。
ときどき本物を見に出かけるだけである。
そして、憧れていたモネの庭を訪れるために、パリからバスに乗って1時間、ジヴェルニーへと出かけていったのだった。
バスを降りて、静かな通りを歩いて……

小川に添って進めば……







印象派の人々は、屋外に出て、自然光を絵筆でとらえようとしたのである。
その名前の由来となった『印象・日の出』を描いたクロード・モネは、光の画家とも呼ばれた。














家の中には、たくさんの浮世絵のコレクションが飾ってあった。
日本庭園に憧れていたモネは、太鼓橋や蓮池のある庭を造った。
彼の描く絵の中には、浮世絵が登場したり、モデルがあでやかな和服を着ていたりする。
そんなモネの住んだ家を、今は日本からの観光客がおおぜい訪れている。
またいつの日か、バラの花の香るころ、そしてまた、藤の花房が咲き垂れるころ、光が満ちあふれるお天気の日に、もう一度訪ねてみたい。
願いは叶うだろうか。

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