ただいま臨時休眠中2016年10月05日


先週の金曜日、朝から風邪気味で、夕方から熱が出ました。測るたびに上がっていきます38度を軽く超えました。翌日も下がるどころか、頭痛がひどく、39度まで上がりました。

鎮痛解熱剤を呑むと、カッと汗をかいて熱は下がる。でも頭痛は消えず。薬が切れるころには、また熱が8度超え。

結局、5日間ものあいだ、その状態でした。インフルエンザでもこれほど長引いたことはないのに。

医者に診てもらい、血液検査もしましたが、ただの風邪でしょう、とのことでした。

 

原因は、わかっています。母の入院から7ヵ月、長引くストレスフルな日々に、とうとう体が悲鳴を上げたのでしょう。

母の世話をする生活にも慣れてきたので、先月からは以前のように自分の時間を楽しむことを少しずつ増やしてきました。その時だけ気持ちは軽くなっても、やはりハードスケジュールであることには変わりない。ストレスがなくなることもありません。


 


医者からはたくさんの薬を処方してもらいました。

でも、なによりも、並木エッセイ会のMさんから届いたメールの言葉を、実感として受け止めています。

「何もせず、ただゆったりした呼吸で、体が持っている治癒力を引き出してください」


この5日間、三つのエッセイ教室と、二つの個人的な約束をキャンセルしました。とくにお教室の皆さまには、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。

 

明日は、母の外来予約の日で、病院へ連れて行かなくてはなりません。皆さんから「無理しないように」と、あたたかい言葉をいただきますが、それも哀しいかな無理なのですね。

本日をもって休眠終了。まだ頭痛は治りませんが、明日からまた元気になって、動き回れますように。

 

 




自閉症児の母として(36):30回目の誕生日2016年10月10日

 

「ボクは、あと10日で三十路(みそじ)です」

例によって、カウントダウンが始まりました。

毎日、「あと○日」を宣言して、当日はいたって冷静に迎えていました。

 

自閉症の息子モトは、子どもの頃から、予定変更や予測のつかない状態をとても嫌いました。だからこそ、24時間たてば予定どおりに翌日がやってくる、というカレンダーが大好きなのです。

もっとも、世の中には予定どおりにいかない場合がたくさんあるのだということを学んできた30年でもありました。最近では、変更の理由が明らかならば、納得できるようになっています。

けっして彼の心の中のこだわりがなくなっているわけではない。折り合いをつける強さを身につけてきたのです。


 


929日の誕生日には、家族4人のスケジュールが合い、近くのイタリアンレストランで食事をすることにしました。

両親からのプレゼントは、職場でタイムキーパーを務めている彼にふさわしく、G-Shockのデジタル腕時計です。それまで使っていた時計のバンドが切れてしまい、1ヵ月前の29日に贈呈式だけ行いました。

 

30歳になった抱負は?」と尋ねます。

「就職に向けてがんばります」

「それより先に、やることがあるでしょ。『桜の風』にお泊りとか」

「それより先にやることがありますよ……」とモトはオーム返し。

 

先日、見学した障害者支援施設「桜の風」に泊まってみようというばかりで、私は忙しさを理由に、申し込みを先延ばしにしていました。

数日後、リビングのテレビでサッカーJリーグの試合中継を見ていたときのこと。川崎フロンターレの大久保選手がレッドカードをもらった、その刹那、モトはひさびさの大パニックを起こしたのです。独りで見ていたので、詳しい状況はわからないのですが、おそらく中継画面の選手たちの怒りや抗議など、緊迫した負の感情をそのまま自分の中に流し込んでしまったらしい。これまでにも、何度かそういうことがありました。彼の中にもルールがあって、負の感情の高まりが限界に来たら大声を上げて扇風機を投げつける、と決めているようです。

「じゃ、ボクは『桜の風』には絶対行かない!!」

大声で叫んだのは、それでした。レッドカードうんぬんではなく、彼の心の中の不満が吐き出されたのです。

宿泊の予定すら立たない状態が、彼の不安と拒絶感を膨らませていることに、うかつにも気がつかなかった。しまった、と悔やんでも後の祭り。

扇風機がまた一つ壊れてしまいました。

 

30歳になっても、まだまだ課題が山積みです。

社会に出ていく親離れももちろんですが、家庭内だけで爆発するパニックのことは、親にとっても大きな課題の一つです。


 



娘は、職場の忙しい時期だから諦めていたのに、遅れて駆けつけてくれました。

 

モト君、30歳のお誕生日おめでとう!



 


『デトロイト美術館の奇跡』を読んでから観るか、観てから読むか!2016年10月22日

 




この本の著者は、私の好きな原田マハさん。

そして現在、上野の森美術館で開催されているのは、デトロイト美術館展。

そこで、読んでから観るか、観てから読むか、という悩ましい問題が生まれたのです。

 

私が興味を持ったのは、本が先でした。大好きなマハさんの新刊でもあり、著者お得意の美術にまつわる物語のようです。

これは読まないわけにはいきません!

 

さらに、デトロイト美術館展のために書かれた小説だということを友人が教えてくれました。

しかも、表紙のセザンヌの人物画が、この美術展にやってくるというのです。

これは観に行かないわけにはいきません!

 

さらにびっくりなことに、この美術展では、月曜・火曜に限り、写真撮影が許可されるというのです。

ヨーロッパの美術館では当たり前のように写真が撮れます。パリのルーブル美術館では、モナリザや、ミロのビーナスとのツーショットを写して、ミーハー気分も堪能しました。

日本では非常に珍しいのではないでしょうか。

(ただし、ピカソの6点をはじめ、その他数点の作品は、SNSなど不特定多数への公開は禁止とのことです)




 

私は結局、本を読み終わらないうちに、美術展の入り口に来ていました。

今年の5月、終了間近の若冲展を観るため、やはりこの上野公園で、平日でも3時間行列して待たされた記憶がよみがえり、とにかく一日でも早く行かなくては、とスケジュールの空いた日に上野に急いだのです。

開催から4日目でした。

 

若冲展の教訓は見事に生きて、館内は空いていました。

ゆっくりと解説を読み、絵に向き合い、そして、最後に写真を撮る。

なんと優雅な美術鑑賞でしょう。



本の表紙の絵の前でさえ、このとおりです。

ポール・セザンヌ作『画家の夫人』。

彼女の衣服は、表紙の写真より青みが強く、そして淡い。どちらかというと、ブルーグレイという感じでした。

やっぱり本物を見なくては、見たことにはならないのだ、と思いました。



自分で本を持って、絵にかざして、パチリ!

空いていたので、こんなことも簡単にできました。



本展のポスターにも使われているフィンセント・ファン・ゴッホの『自画像』。



クロード・モネの『グラジオラス』。明るい陽光が満ちあふれています。




アンリ・マティスの『窓』。

白いカーテンの帯状の縦線、窓枠の縦と横のライン、椅子の脚、テーブルのふち、カーペットのジグザグ模様……という具合に、目線がたくさんのラインに沿って絵の中を移動していく。いつまでも見飽きない絵ですね。



芸術の秋。 

皆さまもぜひ、デトロイト美術館展に足を運ばれてはいかがですか。

会期は来年の1月21日までですが、なるべくお早めに!


ところで、この本は100ページほどの短編で、すぐに読み終えました。

マハさんの美術にまつわる物語は、月並みな言い方ですが、実在の絵に新たな命を吹き込んでくれるようで、わくわくします。

ほこりをかぶって眠っていた宝物が、磨かれて輝きだすようです。


読んでから観るか、観てから読むか。

どちらでも、楽しめるのは同じかもしれませんが、私のように、本を買ってから観ることをおススメします。

その訳は、本にはさまれているしおりで、入場券が100円割引になりますから。



 



追悼 平幹二朗さん2016年10月27日

 

先日、俳優の平幹二朗さんが亡くなりました。

朝のニュースに言葉を亡くしました。

 

923日の夜、平さんの舞台『クレシダ』を観たばかりでした。

それからちょうど1ヵ月後の1023日、急逝されたのでした。

 

舞台ではもちろん、お元気そのものでした。軽やかな身のこなし、朗々とした声の響きに、だれがひと月後の死を予感できたでしょう。

連続ドラマにも出演中で、次の舞台も決まっていたそうです。まだまだ活躍してほしいと思っていました。

本当に残念です。ご本人が一番悔しい思いで逝かれたことでしょうけれど。

 

これまで、親しい友人を介して、直接平さんにチケットを手配してもらっていたので、毎回特等席でした。だからというわけではありませんが、生の演劇の魅力を私に教えてくれたのは、平さんの舞台だったといっても過言ではありません。

 

昨年2月、さいたま芸術劇場で、5月に亡くなった蜷川幸雄氏演出で上演された『ハムレット』も観ました。

このときのことは、「別世界を訪ねて」というエッセイにつづり、ブログ記にも載せました。


追悼の気持ちで、もう一度掲載します。



 

  別世界を訪ねて 

 重い扉を開けると、中は暗かった。一歩また一歩と、ゆっくりと通路を進む。空間が開けても、靄がかかっていて、なお暗い。

暗闇に目が慣れてくると、昔懐かしい古井戸が見えた。その小さな広場を、壊れかかった二階建ての木造家屋が取り囲んでいる。

突然、背後で男性の大声が聞こえた。私の横を走り抜けて広場へ向かう。

やがて、黒ずくめの服をまとった細身の男性の独白が始まる。苦しみに顔をゆがめ、ときに涙しては悲嘆にくれている。

「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」

 彼の口から、あまりにも有名なセリフがこぼれ出す。

2月のある日、自宅から1時間半かけて、さいたま芸術劇場にたどり着いた。舞台は蜷川幸雄演出のシェイクスピア作『ハムレット』。タイトルロールは藤原竜也だ。10年前に華々しくデビューしたのも、同じ蜷川ハムレットだった。今回、精魂込めての再演を、私は初鑑賞。彼は、一見ナイーブな美少年のイメージだが、低い声の響きも、迫力ある剣術試合の立ち回りも、じつに男性的である。

この芝居を引き締めているのは何といっても平幹二朗だ。ハムレットの父を殺してデンマーク王の座についたクローディアスと、殺された元王の亡霊との二役で、大物俳優の貫録が十二分に発揮される。その一方で、井戸の水を汲んで頭からかぶるシーンでは、80歳を過ぎた裸体を観客の目にさらすことも惜しまない。役者魂に脱帽である。

みずからの配役になりきって、よどみなくセリフを語る演者たち。人物が入り乱れるさまをスローモーションでやって見せたり、役者がお内裏様や三人官女に扮した巨大な雛壇が出現したり……と、意表を突く演出の数かず。日常を忘れ、まさしく生で創り出された別世界に引き込まれて堪能しつくした3時間半だった。




 

心からご冥福をお祈りします。

 




copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki