ダイアリーエッセイ:22年目の今年も2017年01月17日




22年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、産科のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

同じ病室に、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいた。幸い家族は無事だったけれど、里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……、と話していた。

退院後も、育児のかたわらで、泣きながら報道を見続けた。

6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実を想いながら。

 

だから、次男の誕生日は、阪神淡路大震災の記憶の節目とともにあって、どちらも忘れることはない。

 

……と、私は毎年のように、年の数だけ増やして、ほぼ同じことを書いている。思いは変わらないし、変わってはいけないと思うのだ。




 

 

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2017/01/17/8326101/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki