自閉症児の母として(43):グループホームを見学して2017年08月01日


息子は、昨年9月に30歳になりました。

30代からは、親元を離れて生活することにチャレンジさせよう、と考えています。チャレンジ失敗となっても、いつでも帰って来られるわが家があるうちに。

私たち夫婦は高齢者の仲間入りも近い。息子も、いつまでも子ども扱いのまま家庭で過ごしていては、いざというときに困るのは息子本人です。親亡きあとの暮らしを考えるのに、早すぎることはありません。

グループホームで暮らすことを、この30代の目標するつもりです。

 

障害者のためのグループホームでは、数名の障害者が、スタッフの支援を受けながら共同生活をします。アパートやマンションを利用したり、空き家を再利用したりして運営されているようです。

基本的には個人の生き方が尊重され、個室を持ち、昼間は各自そこから通勤する。週末には自宅に帰るなどして、自由に過ごします。

グループホームの数は増えているそうですが、希望者も多く、すぐに適当な場所が見つかるとは限りません。まずは見学を、と申し出ておくと、「近くに空きが出ました」と、さっそく連絡が入りました。知的障害を持つ成人男性6名が利用するホームとのこと。とりあえず私ひとりで見学に出かけました。

 

自宅からバスで15分。まだ新しそうな2階建て。20畳ほどのLDKには、オープンキッチンと6人掛けのテーブル、テレビなどが置いてありました。

そこにいた70歳前後の男性が、どうやらオーナーのようです。

「タバコは吸いませんか」

テーブルに着くなり、そう聞かれました。

「火事が怖いので、タバコをやる人はお断りなんです」

たしかに、タバコの火は火災の原因になりますね。カーテンも壁紙も、燃えにくい素材でできているそうです。

管理責任者の女性が、そのほかにも詳しい説明をしてくれました。何事も、時間や順番などのルールを決めて、それを守ってもらう。食事はスタッフが作る。個室での過ごし方は自由。ただし部屋の行き来は禁止……などなど、利用者への配慮が感じられました。

その後、家の中を見せてもらいました。最初からグループホームを目的に新築したとのことで、至れり尽くせり。リビングの南側にサンルームがあり、洗濯機が3台、物干しざおも6本そろっています。洗面台もトイレも3つ。個室には、ベッド、クーラー、広いクローゼットが付いており、テレビやパソコン利用のための設備もあります。

ルールを守るのは、几帳面な自閉症者の得意とするところ。息子でもやっていけそうです。管理もしっかりしているし、室内もきれい。前向きに考えてみようか……と思いました。

 

ところが、仮入居の話になって、雲行きが変わりました。

「1ヵ月間、体験入居してもらいます。その間、休日に自宅に戻ってもいいのですが、泊まってくるのはダメ。外泊は一切禁止です。他の利用者やスタッフとなじんで、お互いに理解し合うための期間ですから、少しは我慢をしなくては。テレビもリビングでみんなと一緒に見ます。パソコンは持ち込み禁止。のめり込んでしまう人もいるので……」

これじゃ、まるで軍隊です。一気に気持ちが冷めました。

息子は毎日パソコンに向かいます。インターネットでスポーツの試合結果を調べたり、Jリーグのデータを打ち込んだり、ゲームや音楽のさまざまな情報を得たり……と、彼の趣味や生活に欠かせない存在です。コミュニケーションが難しい自閉症者にとって、パソコンが「友達」という人も少なくありません。乱暴な言い方をすれば、生きるよすがともいえるパソコンを1ヵ月も取り上げてしまうことは、目の不自由な人から白いつえを取り上げるようなものです。

自閉症に限らず、知的障害の人々にとっては、最低限の息抜きが保障されて初めて、新しい環境に適応する努力ができるのではないでしょうか。健常者だって同じでしょうに。家に泊まってリフレッシュしてくることに何の支障があるのでしょう。パソコンにのめり込んで困るのなら、「一日一時間だけ」というようなルールを作ればいいのです。なぜ、体験入居の締め付けにそれほどこだわるのでしょう。個性を消して暮らせるなら、障害者支援など必要ないわけで、そもそもそれができないことが障害なのです。

オーナーはパソコンになじめないアナログ世代? スパルタ教育をよしとする昔気質な人? 百歩譲ったとしても、私には納得できませんでした。障害者を支援してやる――そんなおごりが感じられて怖くなりました。

 

後日、この一件を主治医の精神科のドクターに話しました。地域の障害者支援に詳しく、頼りにしている先生です。

「そりゃ話になりませんよ。世の中の支援の流れに逆行しています。こちらからお断りだ」と一笑に付されました。

グループホームは、入所施設ほど規定が厳しくないので、経営者によって、それぞれに特色があるそうです。

「この件は、グループホームを監督する部署に伝えておきますね。諦めないで次を探しましょう!」

そうですね、もっと自閉症に理解のあるホームがきっとあるはずです。

先生の言葉で、やっともやもやが収まって、次へ進む気持ちになれました。


 

 

 


自閉症児の母として(44):ちょっといい話2017年08月14日

 



今日は、精神科の主治医のところで、安定剤を処方してもらってきました。月に一度、4週間分の薬をお願いしています。そして、その処方箋はいつも、友人M子が務める近所の薬局に持っていきます。

受付に処方箋を出してしばらく待っていると、「お薬ができました」と名前を呼んでくれたのは、ほかならぬM子でした。薬や代金の受け渡しをしながらも、小声でおしゃべりをしてしまいます。M子とは子どもたちが幼いころから家族ぐるみのお付き合いをしてきました。私にはかけがえのない友人の一人です。

「こないだ、モト君を駅で見かけたわよ。電車の発車時刻が書かれてなくて、モト君、隣にいた女の人に、『電車、遅れてるよね』って聞いたの。そしたらその人も、『そうね、遅れてるね』って、ちゃんと答えてくれてね。私たちと同じぐらいのオバサンで、モト君のことをわかってくれたんだと思うけど、いい雰囲気だった」

そんなうれしい報告をしてくれました。ありがたいことです。

その女性にはもちろん、M子にも感謝です。

 

じつは、10数年も前、モトが中学生の頃、隣町の養護学校までリュックを背負って電車通学をしていました。ある日のこと、車内でサラリーマン風の男性がモトに向かって、リュックがじゃまだから下ろしなさいと注意をしました。ところが、息子は自分のことを言われているとは気づかず、知らん顔をしていたようで、ホームに降りると、男性は怒りだすし、息子は大きななりをして泣きだす始末。ホームに人だかりができ始めました。駅員もやって来ました。

たまたまそこに通りかかったのが、M子だったのです。

「あら、モト君じゃないの」と、事情を話し、その場をさばいてくれたおかげで、事なきを得たのでした。

 

渡る世間に鬼はなし。

M子だけではありません。

「今日、モト君、見かけたよ。いつも走ってるね」

「モト君、いつも同じ時刻の電車に乗って、同じ場所に立ってますよ」

地元の友人たちが、たびたびそんな報告をしてくれます。

皆さま、本当にありがとうございます。

社会に見守られて、彼は生きていけるのです。








 


ダイアリーエッセイ:母を見舞って2017年08月19日

 

母が大たい骨を骨折して、人工股関節を入れる手術をしてから、ちょうど2ヵ月がたちました。

入院中は、寝たきり状態のまま、リハビリもおざなり。病院からは、「本人にやる気がないので、元どおりになって自宅に戻れる見通しは立たない。施設を探してください」と宣告されました。

冗談じゃない、このまま寝たきりにはさせられません。母の終の棲家は、わが家の4軒隣の、自分のマンションです。

 

結局、つてを頼って、姉の地元のリハビリ専門病院に転院することができました。前向きな医療で高い評価を受けている病院です。

ところが、入院そうそう、ひとりで歩けるつもりになったのか、トイレに行こうとして転倒。腰を痛めてますますやる気も失せ、リハビリは遅々として進みません。

 

病院へは、車を飛ばして2時間。秋川渓谷のそばで、緑の木々に囲まれています。特に夏休みのこの時期は道路も渋滞し、一日がかりになってしまうのですが、スケジュールをやりくりして、週に一度は様子を見に行くことにしています。

でも、毎回、私が顔を見せても、母はにこりともしません。

窓の外の木々を眺めているので、「避暑地みたいね」と言うと、「避暑地だもの」と答える母ですが、表情も乏しく、スタッフの皆さんの声掛けにはあまり応じません。

おとといは、美容師さんにヘアカットをしてもらいました。それでも無言。





 

母はすっかり骨と皮だけの体になってしまい、もう自宅に戻れないのでは、という不安がよぎります。

入院前までは、弱った足腰でも、杖を突いたり手押し車を押したりして、何とか歩けました。また、負のエネルギーを発しては、そばにいる私を何かと悩ませていたのに……。あの母はどこに消えてしまったんでしょう。

 

この病院に移るまでは、一日も欠かさず母と向き合うことが私の日課でした。母にとって、遠慮なく言いたいことが言えるのは私だけ。私は精神的なストレスがたまり、せっせとストレス解消にも励みました。

今、母が離れて、私はそのストレスからは解放されました。それでも、母と向き合わないわけにはいきません。血のつながる母と娘だからです。

 

母のことを、こうして書くのは難しい。

変わってしまった母を見るのは辛い。目をそらせていたいのです。

母のようには老いたくない。でも、いずれはそうなる運命かもしれません。

こんなふうに思うのは、冷たい娘だろうか。いえいえ、できることは精いっぱいやってきた。葛藤は繰り返されるばかりです。

 

 

入院は、3ヵ月という期限があります。それまでには、少しずつでも母の状態が良くなってくれることを祈って、希望を捨てずに、母の病院にせっせと通うことにしましょう。

 

 



ダイアリーエッセイ:二度あることは三度あった2017年08月26日

 

二度あることは三度ある……?

いやいや、三度目の正直ともいうではないか。

もし、もう一度同じような症状が起きたら、そのときこそ医者に行こうと思っている。三度目はないことを祈りつつ。


 

……と書いて、729日の記事をしめくくっている。

この夏、6月末、7月末と二度も、高熱を出したというお話。

 

その三度目が、昨日、起きてしまった。前回はいずれも39度近い熱だったが、今回は38度止まり。とはいえ、さすがに不安になる。心に決めていたとおり、近所の医者へ出向いた。

ドクターは、喉をのぞき、胸に聴診器を当て、風邪の症状のないことを確認。そのうえで、血液検査をしましょうと言われた。

今朝は、解熱剤が効いて熱が下がっていた。楽になった体で、結果を聞きにふたたび医者へ。

パソコンのデータを見ていたドクターは、開口一番、

「細菌感染ですね。白血球が減っていて、炎症反応も出ています」

体のどこが感染しているのか、前の二回もそのせいなのか、それはわからない。今回は原因が分かったので、抗生剤を出しておきましょう、とのこと。

「また熱が出たら、今度は大きな病院で診てもらってください」

 

何だか、ほっとしたような、よけい不安になったような……。

四度目にならないうちに、大きな病院に行ったほうがいいのだろうか。

 

 




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