自閉症児の母として(44):ちょっといい話 ― 2017年08月14日
今日は、精神科の主治医のところで、安定剤を処方してもらってきました。月に一度、4週間分の薬をお願いしています。そして、その処方箋はいつも、友人M子が務める近所の薬局に持っていきます。
受付に処方箋を出してしばらく待っていると、「お薬ができました」と名前を呼んでくれたのは、ほかならぬM子でした。薬や代金の受け渡しをしながらも、小声でおしゃべりをしてしまいます。M子とは子どもたちが幼いころから家族ぐるみのお付き合いをしてきました。私にはかけがえのない友人の一人です。
「こないだ、モト君を駅で見かけたわよ。電車の発車時刻が書かれてなくて、モト君、隣にいた女の人に、『電車、遅れてるよね』って聞いたの。そしたらその人も、『そうね、遅れてるね』って、ちゃんと答えてくれてね。私たちと同じぐらいのオバサンで、モト君のことをわかってくれたんだと思うけど、いい雰囲気だった」
そんなうれしい報告をしてくれました。ありがたいことです。
その女性にはもちろん、M子にも感謝です。
じつは、10数年も前、モトが中学生の頃、隣町の養護学校までリュックを背負って電車通学をしていました。ある日のこと、車内でサラリーマン風の男性がモトに向かって、リュックがじゃまだから下ろしなさいと注意をしました。ところが、息子は自分のことを言われているとは気づかず、知らん顔をしていたようで、ホームに降りると、男性は怒りだすし、息子は大きななりをして泣きだす始末。ホームに人だかりができ始めました。駅員もやって来ました。
たまたまそこに通りかかったのが、M子だったのです。
「あら、モト君じゃないの」と、事情を話し、その場をさばいてくれたおかげで、事なきを得たのでした。
渡る世間に鬼はなし。
M子だけではありません。
「今日、モト君、見かけたよ。いつも走ってるね」
「モト君、いつも同じ時刻の電車に乗って、同じ場所に立ってますよ」
地元の友人たちが、たびたびそんな報告をしてくれます。
皆さま、本当にありがとうございます。
社会に見守られて、彼は生きていけるのです。