旅のフォトエッセイPortugal 2018(1)初めての国へ2018年02月08日




「そこに、何があるの」

ポルトガルに行くと話すと、5人中3人までが、そう言って首を傾げた。

ところが、行ったことがある人は、ほとんど全員が絶賛する。懐かしい感じがするとか、食べ物がおいしいとか、物価が安いとか……。

たしかに、天ぷらもパンも金平糖も、語源はポルトガル語だ。

 

昨年の秋のこと、社会人の娘が、年次休暇を消化するから、一緒に旅行しない? と誘ってきた。二つ返事で飛びつく。ヨーロッパのどこか、二人ともまだ行ったことのない国にしよう。出かけるのは真冬だから、寒すぎない所がいいね。そんなわけで決めた先はポルトガル。ヨーロッパ最西端の国だ。

 

とはいえ、家事も仕事も母の世話も、いつも忙しがっている私。楽に行けるツアーを探していると、娘が言った。

「お母さん、おしきせツアーじゃ文句たらたらでしょ」

うーん、たしかに。結局、娘に丸め込まれて、旅の計画や準備をしょい込む羽目になった。

娘とはこれが3回目のヨーロッパ旅行。一番気楽である。

 

1月下旬の出発当日は大雪の予報で、午前中からじゃんじゃん降りだし、雪が積もるにつれて私の不安も募った。深夜のフライトが欠航になったら、どこで交渉して、だれに連絡を取って……と、気の小さい私は気が気ではない。

 

午後2時過ぎには、すでにこの状態。▼


 

空港バスが走らなくなっても困るので、はやばやと家を出る。ノーマルタイヤの車を出すのはとうてい無理。最寄りの駅までは夫がスーツケースを運んでくれた。(感謝♡)

電車で8分、バスの出る駅へ。通常の経路となっている首都高が雪のため通行止めになり、迂回したので20分遅れたが、なんとか空港着。

久しぶりの羽田は、オシャレに変わっていた。





その日の勤めを終えてやって来る娘を待ちながら、わくわく気分どころか、胃がキリキリと痛んだ。それでも、京都のおばんざい料理にワインで、ちょっと気持ちが落ち着いた。なるようにしかならない、と。

こんな旅立ちは初めてだ。ま、これも後から忘れられない思い出となるのだろうか。



 

幸い、フライトは2時間少々の遅れですんだ。ポルトガルへは直行便がないので、ドイツで乗り継ぐ。それも本来は4時間の待ち時間があったので、事なきを得た


残念ながら、機内食を食べたばかりでおなかがいっぱい。楽しみにしていたビールとソーセージは、帰りにね。フランクフルト空港内のカフェで。▼

 


フランクフルトからは3時間ほどで、いよいよ初ポルトガルに到着だ。

 






旅のフォトエッセイPortugal 2018(2)ポルトの街で2018年02月10日

 



まず降り立ったのは、ポルトガル北部に位置するポルトである。

ポルトガルという国名の元になったほど、国の要所として古くから栄え、歴史ある町。日本人にとっては、ポートワインでおなじみかもしれない。

 

空港に迎えの車を頼んである。ただし、ドライバーは現地語しか話さないという。ゲートを出ると、横文字の私の名前がすぐ目についた。それを掲げているのは口髭の小柄な男性だった。もちろん何を言っているのかチンプンカンプン。二人のスーツケースを軽々と運んで、車に乗せてくれた。

冬とはいえ、緑の街路樹や公園も多い。大きな建物があると、ドライバーが指さしてナントカカントカ、と名前を教えてくれる。

「イングレッシュ? ああ、イグレーシャ、教会のことね」と英語で答えると、「シー、シー!(そうそう)」。

その言葉がガイドブックの地図にあったのを思い出してピンときたのだ。彼のポルトガル語と私の英語が通じ合う……!

赤信号で止まると、彼は後ろを向いて、何かしきりと言っている。ぽかんとしていると、自分の財布を取りだして指さし、ポルト・ナントカカントカ。今度は自分の目を指して、ナントカカントカ。

「わかった! ポルトはスリが多いから気をつけなさい、ね?」

「シー、シー!」

 横で娘が、「お母さん、よくわかるねー」と尊敬のまなざしを向ける。

「会話はね、ハートよ」

ポルトガル語、恐れるに足らず。

 

30分ほどでホテルに到着。フロントの若い女性がまくしたてる英語のほうが、よほど難解だった。

日本でも、「朝食は7時から10時まで、1階奥のレストランへどうぞ。大浴場は3階でございます、午後2時から11時までご利用いただけます」などとペラペラと言われると、もう1回言って、と言いたくなる。毎日同じことをしゃべっているから、心がこもっていないのだろう。



 

時はお昼過ぎ、ポルトの街に繰り出した。曇り空だけれど、暖かい。手袋もマフラーもいらない。

ホテルは旧市街の中心にあり、辺りは賑やか。行きかう人々が、こちらを見る。けっして冷たい感じはしない。東洋人の女性二人連れはそれほど珍しいだろうか。確かに、観光シーズンでもないこの時期、あまり日本人は見かけない。


予習してきたとおり、起伏が多い。ほとんどが石畳の坂道だ。

クレリゴス教会を目指して、古い建物が立ち並ぶ坂道を上っていく。

 



振り返って見下ろせば、今歩いてきた道の、そのはるか先には別の教会の塔が見える。胸のすく眺めに、疲れも吹き飛ぶ。坂があるからこそ、景観も良くて風情があるのだ。

日本からはるか遠くのこんな場所で、「高低差ファン」を自称するタモリの顔が浮かんだ。



▼坂を上りきったところにそびえ立つクレリゴス教会。18世紀に建てられた。内部は、当時の経済力を物語るように、絢爛豪華なバロック様式だ。




 


 

▲教会の裏手には高い塔もある。76メートルあり、国内でも一番の高さを誇るとか。上まで登れば、当然、眺めも素晴らしいのだそうだが、225段のらせん階段と聞いておじけづき、明日にしようね、ということに……。




旅のフォトエッセイPortugal 2018(3)ドン・ルイスⅠ世橋を渡って2018年02月15日

 




ポルトは、大西洋に注ぐドウロ川の北岸に街が広がり、南岸には古くからワインセラーが立ち並ぶ、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアと呼ばれる地域がある。

この国に来てポートワインは外せない。代表的な「サンデマン」というワインセラーを見学しようと、向こう岸へ向かう。

ドン・ルイス一世橋を歩いて渡るのである。



 

この橋は二層構造で、上層は北側の高台から南側の高台まで、長さ約400メートル、どーんと鉄のアーチの橋がかかっている。下層の橋は水面に近い位置にあって、車と人が通る。

 

どこかで見たことがあるような……と思ったら、19世紀後半、パリのエッフェル塔を手掛けたギュスターヴ・エッフェルの弟子が造ったそうだ。当時の最先端技術を用いた鉄橋なのだ。アーチの感じが似ている。


驚いたことに、上の橋には幅8メートルの道路上に線路が敷いてあって、地上45メートルというこんな高い場所を、なんと地下鉄が路面電車となって走っているのだ。しかも、同じ道路を人も通行する。


 


 

歩いてみると、足元には隙間があり、下が見えるではないか。手すりも低くて怖いこと怖いこと。下半身がぞわぞわする。

事故が起きたりしないのだろうか。日本だったら、歩道が仕切られて、高いフェンスが必ずあるだろうに……、などと独り言ちて気を紛らわしながら、なんとか渡りきった。


眺望はすばらしい……のだけど。▼


 ▼ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアには、赤茶色の古い瓦屋根が並び、それを見下ろしながらロープウェイも動いている。



かつて、ワインを運び出すのは川を上る船だったから、建物は皆、川の方を向いて建っている。

橋から川べりまで坂道を下りてくると、SANDEMAN の裏返しの文字が屋根の上に突き出て見えた。もうすぐだ。


ところが、お目当てのワインセラーは、やっていなかった。手前にあるレストランに尋ねても「クローズド」の一点張り。シーズンオフだからだろうか。ガイドブックには、冬期の見学時間まできちんと書かれていたのだが。

 

諦めて、そこで早めの夕食をとることにした。時差のせいで、この日は1日が33時間の長丁場だというのに、恐怖の橋渡りでエネルギーを使い果たしてしまった。

エビ・魚・ベーコンの串焼きと本場のポートワインは、そんな疲れを吹き飛ばすのに十分過ぎる美味しさだった。



▲日本の居酒屋にいるおにいさんという感じ? この30センチもありそうな串に刺して焼く。2本で一人前。もちろん2人で食した。


▲お皿の上のほうに写っている黄色いのは、甘くないサツマイモのようなお芋。魚はmonkfish だという。アンコウの一種らしいけれど、柔らかくておいしかった。

 

 


帰りは、下の橋を渡った。ちょうどその場所からケーブルカーが斜面を上っている。思いがけず楽ができて、しかもライトアップされた夜景も楽しめてラッキーだった。




沖仁さんのライブへ♫2018年02月24日

 




大好きなフラメンコギタリスト沖仁さんのライブへ。

それは不思議なコラボでした。

会場からして、能楽堂。日本の伝統芸術文化が公演されるような場所です。

今回は、この舞台で、バイレ(フラメンコの踊り)と長唄とのコラボです。

 


全員が黒ずくめの衣装と地下足袋姿で登場しました。

バイレの女性ダンサーもパーカッションの男性も、靴は履かずに足袋。床を踏み鳴らす音が木の温もりを伝えます。

繊細なギターの音色と、リズミカルに床を打つ音と、一点の曇りもないほどに澄んでなおかつ力強い長唄の声音とが、重なり合っていきます。

黒いスカートのダンサーは、時に素早く、時に緩慢に、豊かなフリルのストールやスカートの裾を揺り動かしては、狭い舞台を無言で動き回ります。


 この舞台に邂逅した洋の東西は、やがて見事に溶け合い、独特の情感を醸し出して会場を包み込み、観客を魅了したのでした。

 


 

中学生か高校生のころだったでしょうか。わが家にギターがありました。

ギターは右手で弦をはじいて奏でる楽器です。左利きの私は、どうもうまく弦がはじけません。試しに、6本の弦を張り替えて左右逆の順番にしてみました。こうすれば、左利き用のギターになるわけです。

あら、左手で弾ける! 

「禁じられた遊び」のさわりの部分も、何とか爪弾いてそれなりにメロディーになるではありませんか。

 

小さい頃から左手で字を書いていた私は、矯正され、右手でも書けるようになっていました。そもそも日本語の文字は、右手で書きやすいように書き順が決まっている。つまり、左手だと裏返しの文字が書きやすいということです。右手で普通の文字が書けるようになると、左手で鏡文字がすらすら書けるようになっていたのです。

そんな私ですから、コード表を裏返しで読み取ることなど、さほど難しくもなかったようです。

 

うれしくて、コード進行もいくつか覚えて、ギターを弾きながら、当時流行っていたフォークソングなど歌っては、楽しい時間を過ごしました。

そんな幸せなひと時も、長くは続きませんでした。きょうだいたちからギターの弦を元に戻すようにと言われ、従わざるをえませんでした。

私は左ぎっちょだからギターが弾けない。そう決めつけて、諦めたのです。

 


 

さて、不思議な音楽の世界に酔いしれて2時間、ライブは終了。

その後、アルバムを買って、沖仁さんにサインをもらいました。





彼はなんと、字を書くのは左手。私と同じサウスポーだったのです。でも、ギターを弾くときは右利きの人と同じように弾く。それを知ってますます彼のとりこになりました。

左利きの彼は、どれだけの努力をして、右利きの世界に挑んでいったことでしょう。ハンデをものともせずに、ギターを習得し、スペインで開催されたフラメンコギターのコンテストで優勝するなど、並大抵のことではありません。

 

そんな内に秘めた強さなど感じさせないような、穏やかでやさしい微笑みの沖仁さん。言い訳ばかりの私は、自分をおおいに恥じたのでした。




旅のフォトエッセイPortugal 2018(4)ハリー・ポッターのふるさと、リブラリア・レロを訪ねて2018年02月28日

 


ハリー・ポッターは英国生まれだと思っていたら、意外なことにポルトガルにもふるさとがあったのだ。

物語の作者J.K.ローリングは1990年代、ポルトに3年ほど住んでいたそうだ。ハリー・ポッター・シリーズの第1作目を世に出す前で、『ハリー・ポッターと賢者の石』は、ポルトで書かれたという説もある。

ポルトの商店街に並ぶ小さな書店、リブラリア・レロは、彼女がここで着想を得て「ホグワーツ魔法学校」の図書館を描いた、と言われている店である。

 

その後、2008年には、イギリスの新聞ガーディアン紙が選ぶ「世界で最も素敵な10の書店」の第3位に輝いた。

これは、ぜひとも行ってみたい。

 


▲クレリゴス教会の近くにあり、外から見ても見飽きない愛らしさだ。

狭い間口には、シーズンオフのこの時期でも、観光客がひっきりなしに訪れている。2軒先のチケット売り場で4ユーロの入場券を買う。本を購入すれば、その分は代金から差し引かれるとのこと。

 

この書店は、1906年にレロとイルマオンという二人の人物によって建てられた。当時19世紀末から20世紀初頭にかけては、ヨーロッパ各地に、既成の価値観にとらわれない新しい芸術文化の湧きおこる気運があった時代。彼らもまた、その時代にあって、文明の進歩を享受し、知的文化の発展につながる書店の創設に、情熱を燃やしていたに違いない。

この店舗も、当時のネオゴシックからアールヌーボー、アールデコなどの装飾が余すところなく施されている。


▼狭い扉を入ると、まず天井の美しさに見とれる。手の込んだ木彫だ。

 



▲中央のシンボル的な階段は、その美しさから、「天国への階段」と呼ばれている。階段の裏側一段一段にも植物の文様が施されている。

私には、ドラゴンが大きな口を開けたように見えるのだけれど。

 

見上げれば、2階の天井には明るいステンドグラスが。▲





2階から見下ろすと……▼


▲床に2本のレールが埋めてあり、今でも本を運ぶのにトロッコが使われていた。




▲店内のスケッチ画を表紙にしたノートや、しおりもたくさん売られている。


この書店は、創設当初の気運を現在にもつないで、書店として一般図書の営業を続けている。その一方で、時代を超えた今もなお、当時の店舗が訪問客を魅了する。一人の無名の作家を世に送り出すほどの魔力に満ちているというわけだ。


私も、J.K.ローリングになったつもりで、気の向くままに店内を歩いてみたけれど、何のインスピレーションもわかなかった。(いやいや、エッセイのネタぐらいは拾えたかも??)

それでも、遠く日本から丸一日かけてやってきて、この不思議な空間に身を置いている自分が、不思議だった。

果たして、ホグワーツ魔法学校の図書館がこの書店に似ているかどうかはわからない。でも、J.K.ローリングが心を揺り動かされて着想を得た、というのは真実だろうと思う。

ハリー・ポッター・シリーズは全巻わが家の本棚にそろっている。帰ったら、もう一度読み直してみよう。魔法学校の図書館のくだりを読んで、ポルトのこの店を思い浮かべることができるだろうか。

 

▼せっかく本代として使えるという入場料だから、おみやげを買った。

写真集[PORTO graphics15ユーロと、小さなノートが5.9ユーロ。罫線もないはがき大のノートが800円以上もする。概してヨーロッパの文房具は高い。それでも、私は買う。旅人の一期一会の思いをこめて。 

 


ところで、ポルト散策の翌日は、電車で1時間、コインブラ大学を訪ねた。

ヨーロッパの中でも、古い歴史のある大学で、創立は14世紀初頭にさかのぼるという。

この大学の図書館がすばらしい。18世紀に建てられたそうで、内部は華麗な金泥細工が施され、高い天井までびっしりと設えられた書棚には、30万冊を超える蔵書が収められている。

古い匂いがする。おそらく、日本と違い、湿気も少ないから、かび臭いというのとも違う。長い歴史を持つ歳月の粒子が立ち込めている……そんな雰囲気だ。

この図書館こそ、ハリーの魔法学校の図書館を彷彿とさせるではないか。立てかけてある長い梯子たちが、今にも動き出しそうだ。後ろの扉から、ハリーやハーマイオニーたちが、顔をのぞかせる気がした。

 

▼内部は撮影禁止なので、絵ハガキを買った。

(似ていると思いませんか)





コインブラの街も素敵だったので、また次回に。

 

 リブラリア・レロのホームページでは、360度の視界が動画で見ることができます。




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