旅のフォトエッセイPortugal 2018(8)聖地ファティマへ2018年07月28日

 


 ポルトガルに行くと決まったら、ファティマに何としても行きたいと思った。バチカンお墨付きのカトリックの聖地である。

 

 わが家は、父方の叔母が若い頃にカトリックの洗礼を受け、祖父母の代から親族みなクリスチャンになった。私たちの代はほとんど幼児洗礼だ。しかしと言うか、だからと言うか、熱心な信者とは言いがたい。それでも、仏壇も神棚もない家には、十字架やマリア様の絵がどの部屋にもあった。両親のしつけの根っこには、道徳のようにキリストの教えがあったようだ。

 子どもの頃は教会学校に通わされた。高校生になると、教会で出会う友達も増え、神父様とも仲良くなり、教会は楽しい場所になる。信仰の厳しさもないまま大人になり、苦しいときの神頼みはカトリックの神様にお任せ。クリスチャンだと名乗るのも申し訳ないお気楽な信者だった。

 私が20代後半の頃、当時の教皇ヨハネ・パウロⅡ世が来日する。「空飛ぶ聖座」という異名をとる行動的な教皇だ。2月の小雪が舞う日の午後、東京ドームが出来る前の後楽園球場で野外ミサが行われた。オープンカーで場内を回る教皇に、私たちが「パパさまぁ!」と手を振ると、人懐こい笑顔でこたえてくれて、カリスマ的なアイドルのようだった。 


 

 最近になって、聖地ファティマについて調べてみて、驚いた。この教皇に深い関わりがあることがわかったのである。

 ファティマは、ポルトガル中部に位置する小さな村だった。村の信心深い羊番の子どもたち3人の前に、あるとき聖母マリアが出現した。何回か現れては予言を行い、奇跡を行ったという。大昔の話ではない。時代はほんの1世紀前、第一次世界大戦のさなかのこと。聖母は戦争の終わりを予言する。さらに、教皇の暗殺をも予言した。

 それから64年後の1981年、予言どおりに時の教皇がバチカンで銃撃されるという事件が起きた。その方こそ、ほかでもないヨハネ・パウロⅡ世だった。幸いにも一命を取り留めた教皇は、「聖母のご加護のおかげ」と感謝してファティマを訪れる。暗殺未遂が起きたのは、来日した3ヵ月後の513日。それはファティマの聖母出現の記念日だったのである。

 

 


▲ファティマの街に入ると、マリア様と出会った3人の子どもの像がありました。(小さくてわかりにくいですが、ポールの右側に羊を連れています)







▲十字架を頂く高い塔がそびえるファティマのバジリカは、半円を描くように両側に回廊が伸びている。その屋根には大天使や聖人たちの像が並ぶ。バチカンのサンピエトロ大聖堂を模して造られたそうで、なるほどと思った。

▼バジリカの聖堂内部。



 

 その前には競技場のように広大な広場があり、祭礼の日には10万人もの巡礼者がここを埋め尽くすという。でも、私たちが訪れたその日は、三々五々と人がいるだけで、閑散としていた。




▲バジリカから見て右手、聖母が現れた場所に建てられた「出現の聖堂」がある。ガラス張りの開放的な造りだ。そこには、カボチャ型の王冠を頭に載せた聖母像が、やさしげな表情で小首をかしげて佇んでいる。


▼(写真が撮れなかったので、買ってきた本のページを写したものです)




 大小のろうそくをささげる場所があり、娘と二人で火をともす。▼ 




 バジリカを背にして広場を歩き始める。緩い上り坂だ。遠方からもバジリカの祭壇が見えるようにという工夫なのだろう。

 途中、ヨハネ・パウロ二世の大きな石像があった。パパさま、お久しぶりです。▼

 



▲巡礼者の中には、白い道をひざまずいて祈りながら歩を進める人もいる。



 広場の向かい側には、10年前に建てられた近代的な教会「聖三位一体教会」がある。内部にいくつもの聖堂があり、一日中どこかでミサが行われるそうで、覗いてみると、どの聖堂にも祈る人々がいた。

 残念ながらミサにあずかる時間はなかったが、聖堂に入って祈りをささげた。障害を持つ長男や、道に迷う次男、生きがいをなくした高齢の母、そして、わが身の来し方行く末のこと……。こんなに真剣に祈ったことがあったろうか。私はこのファティマの地で、巡礼者の一人に過ぎなかった。

 

 

 ふたたび広場に戻り、バジリカを仰ぎ見る。もう夕刻だというのに暖かく、冬の西日がベージュ色のバジリカを照らし、浮かび上がらせている。その背景には、澄んだ青空に白い雲がたなびいていた。なんという清らかな世界だろう。

「神様が近くにいるような気がするわ」

 私が呟くと、

「気持ちいいね」と、言葉少なに娘が答えた。

 

 そのとき、鐘の音が聞こえてきた。四時を告げる鐘だ。なぜか私は、そのメロディを一緒に口ずさんでいた。

「アベ、アベ、アベマリアー……」

 ああ、子どもの頃に習った歌だ。こんな遠い場所で、懐かしい歌を歌うなんて……。ここにやって来たのも、あの頃の神様に呼ばれたのかもしれない。

 途中から胸がいっぱいになって、歌えなくなった。






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