自閉症児の母として(59):グループホーム入所から1週間。2019年03月14日

 




一時帰宅の土曜日がやってきました。

8時半からのエレクトーンレッスンに間に合うように、平日よりも早く朝食を用意してもらって、ホームを出てきます。レッスンが終わるとその足で、自宅に戻ることになっています。


(ホームから駅へ向かう坂道。植え込みや並木があり、夏には木陰を作ってくれることでしょう。



「新生活は順調かい?」とは、誰あろう息子本人のセリフ。オーム返しは自閉症の得意技ですが、こんなふうに質問形式で自分の言いたいことを発することもあります。

「お洗濯、したの?」と、私が聞くと、「お洗濯した」とちょっと得意そう。お世話人の方に教わって、やっているとか。

表情も柔らかく、何の問題もなさそうな雰囲気で、まずはホッとしました。


(息子のエレクトーン。きれいに掃除をして、ヘッドホンも用意しました。▲)

 

先週、家を出た息子の後を追うように、3日後には息子の部屋のこのエレクトーンも、専門の運送屋さんのトラックで行ってしまいました。そして、エレクトーンの置かれていた場所にクリーナーをかけながら、突然ぽろぽろと涙がこぼれたのです。

息子は、毎日、家じゅうクリーナーをかけてくれていた。私が仕事でくたくたになって帰ってくると、玄関のドアの外までクリーナーの音が聞こえてきて、「ありがとう、モト君」と、感謝しながらドアを開けたものでした。

もう二度とあの日々は戻ってこない……そう思うと、たまらない喪失感に襲われたのです。

べつに、掃除をしてくれる人がいなくなったから悲しいのではありません。

思えば、31年間続けてきたあの子との暮らしを、たったの1ヵ月半で、あれよあれよという間に、あっけなく終わりにしてしまった。その日のために頑張ってきたはずなのに、なんともったいないことをしたのかと、悔やまれました。もっともっと別れを惜しめばよかった。もっともっと自立を喜んであげればよかった。もっともっと時間をかけて……。いえいえ、彼のためには、不安な時間を長引かせるより、早く新生活を始めるほうがいい、と考えての急な旅立ちだったはず……。

理屈はどうであれ、息子が出ていった日から、しんとした家にいると、朝な夕なに、何度となく涙がこみ上げます。私は自他ともに認める「人の10倍泣き虫」。ひさびさに寝た子を起こしてしまったのでした。

涙を止めるすべはないものか。このままでは、朝には私のまぶたがお岩さん状態になってしまう。なんとかしなくては。

とにかく週末になれば息子が帰ってくる。その時には、きっといつもの、こだわりの強い息子の吐く息が、あっという間に家じゅうに充満するだろう。その中で、私の感傷なんて嘘のようにかき消されてしまうにちがいない。

そうそう、きっと大丈夫。

 

案の定、息子は今までの土曜日と変わらずに、ルーティンをこなしていきます。みんなの食器を洗い、家じゅうにクリーナーをかけ、今日の新聞を私の部屋に届け、ソファにどかんとすわり、ゲームを始めます。

その合間にも、私の言葉づかいにチェックを入れたり、外出中の家族の行き先を確かめたり、天気予報の開始時刻になればパチンとテレビを付けたり、Jリーグの勝敗や対戦予定をいちいちアナウンスしてくれたり……。わが家は一転、賑やかなこと。一週間居なかったら、自閉症の息子のこだわりの多さが浮き彫りにされることに気づきました。

ちょうど、一匹のクモが見事な造形の巣を張って、その中でじっとしているように、息子もこだわりのネットを張り巡らせることで、安定して生活できるのです。長く一緒に暮らしてきた家族は、彼のネットにすっかり慣れて、気にならなくなっていたのでした。


 

息子は自分の部屋に入って、エレクトーンのあった場所ががらんとなっていることに、ちょっと感慨深そうに目をとめて、「エレクトーンは?」と言いました。これもまた、彼特有の表現。グループホームの自分の部屋に運ばれたことを再確認するかのように、質問してみるのです。

 

お風呂に入るとき、「週末用のパジャマはどこ?」と、息子が聞いてきました。

週末用と平日用。生活すべてをきちんと二つの枠組みに分けることで、新生活はつまずくことなくスタートできたようです。これから少しずつ新しい〈こだわりネット〉を作っていくのかもしれません。

 

私も見習わなくては。

あなたのいない平日の静かな時間をありがたく感じながら、有意義に過ごすことにしましょう。その代わり、掃除と食器洗いは、また私の仕事になりました。


 


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