映画『感謝離 ずっと一緒に』本日公開! ― 2020年11月06日
これまでにもたびたびご紹介してきました、エッセイ仲間の河崎啓一さん。
新聞に投稿した一編のエッセイが、日本中に大きな感動の渦を広げました。
亡くなった奥さまの遺品に感謝しながら別れを告げるとき、それを「感謝離」と言ったのでした。「断捨離」をもじった言葉が、共感を呼んだのでしょう。
反響は収まらず、さらなる記事になったり、テレビに出演したり、著名人と会談したりして、やがて大手の出版社からは「本を出しませんか」とオファーを受けました。
そして、この世に出たのが、『感謝離
ずっと一緒に』という一冊の本でした。(今年の3月22日に、紹介記事を書いていますので、ご興味のある方はお読みください)
今度は、その本を原作とした映画が誕生したのです。
本日、イオンシネマなどで全国公開されました。
映画の公式サイトはこちらです。
▼新聞に掲載された映画広告です。

さっそく見てきました。
河崎さんと、奥さまの和子さんを演じているのは、往年のアイドル、尾藤イサオさんと中尾ミエさん。私たちの世代には、なんとも懐かしい二人です。
90歳になった河崎さんよりは少し若い感じですが、仲良く寄り添う老夫婦を明るく演じて、好感が持てました。
そして、なにより、尾藤さんは本物の河崎さんによく似ています。ハスキーボイスなところも、笑顔で受け答えをするソフトな雰囲気も。
私は、河崎さんとはもう10年以上のお付き合いになります。奥さまとのなれそめも、病気になられた時のことも、さらにそのお世話に毎日通っていたことも、彼のたくさんのエッセイを通して、よく知っていました。
だからこそ、和子さんが亡くなって泣き崩れる尾藤さんの姿には、河崎さんもどれほど悲しかったことかと今更ながらに感じられて、一緒に泣きました。
いえいえ、河崎さんをご存じなくても、同じ思いをされた方には、きっとその悲しみがわかるはずです。そして、彼が「感謝離」を通して、悲しみを少しずつ手放していったように、映画を見ることで、気持ちの折り合いをつけるすべを見つけることができるのではないでしょうか。
ぜひ、ご覧になってください。
お二人は本当に仲が良く、支え合って暮らしていました。
たとえこれほど仲良しではなくても、やはり長年連れ添った夫婦の別れは、耐えがたいものがあるに違いない……と思わず自分の来たるべき日を考えていました。先に逝くか残されるか、神のみぞ知る、ではあるけれど、せいぜい悔いのないように日々暮らしていかなくては、と反省しています。
もうすぐ11月22日「いい夫婦の日」がやってきます。

ダイアリーエッセイ:重なる日 ― 2020年11月24日
今日は、午前中に長男の主治医のクリニックに行く予定だった。
ところが昨日の夕方、母のホームから連絡が入った。
「右手の腫れがひどくなって、痛くてご飯の時も使えないご様子です。整形外科にお連れいただけますか」
前日に、手が腫れているが、痛くはないとのことなので様子を見たい、という電話があったのだった。どうやらそれが悪化しているらしい。骨折かもしれない。
原則、通院は家族が付き添うことになっている。もちろん、ホームから車いす専用車で送迎はしてくれる。
「わかりました。午前中に行きます」と返事をした。息子のクリニックへは、朝一で予約の変更をしてもらえばすむ。
その電話から、1時間もしないうちに、今度は息子のグループホームから電話が来る。
「モトさんが、食欲がないと言って、夕飯を召し上がらないのですが」
世話人さんの言葉にびっくりした。腹痛もなければ熱もないし、風邪気味でもないという。それなのにご飯を食べないなんて、あの子に限ってありえない。どうしたんだろう。
もしかして、コロナ……? 最悪の事態が脳裏をよぎる。
とりあえず、夜中にお腹がすくかもしれないので、おにぎりを作っておいていただけますか、と丁重にお願いをして、明日まで様子を見てもらうことにした。
もし、明日の朝、熱が出ていたら? どこの医者に、どうやって連れていく?もし、コロナだったら? どこで隔離する? どこに入院する?
息子は独りでは無理だ。私が防護服を身に着けて看病する???
たくさんの疑問の湧き上がるなか、はっきりしているのは、明日、息子の体調が悪化していたら、母はホームにお任せして、いち早く息子のもとに駆け付けるということ。母を世話してくれる人はたくさんいても、病気の息子にはこの私が必要だ。いずれ母亡き後は、福祉にお世話になるけれど、今はまだ私しかいない。
緊張して朝を迎えた私に、電話の息子の声は明るく元気だった。
「朝ごはんは全部食べました。お腹も痛くない。大丈夫です!」
世話人さんの話では、換気のため窓を開けたままで、ゲームに熱中していたので、体が冷えたのではないか、ということだった。
とにかくほっとした。
安心して、母を連れて外科へ。
レントゲンの結果、骨折はなく、細菌が入って腫れたのでしょうとのこと。念のため、採血して検査をし、明日もう一度、私一人で結果を聞きに行く。こちらも、ひとまずほっとした。
通院のおかげで、9か月ぶりに生の母に会えた。文字どおり怪我の功名に感謝する。
長引くコロナ禍でも、感染対策をしながら、何とか楽しみや生きがいを見つけて日常生活を送れるようになってきた。とはいえ、いつどこでコロナを拾ってしまうかわからない。そのリスクは誰もが持っているのだ。
私にはまだ、家族を守る役割がある。
改めて、そんなことを考えた一日だった。
それにしても、私の〈GoTo旅行〉の日と重ならなくてよかった、と三たび胸をなでおろしたのでありました。

自閉症児の母として(67):洗剤の香りに ― 2020年11月29日
長男がグループホームに移ったのは、昨年の3月3日。丸一年目の今年の「自立記念日」には、息子の変化について書きたいと思っていたのに、ほかならぬコロナ禍の変化に押し流されて、書きそびれたままになってしまった。
今でも気にはなっているのである。
そんなおり、9月25日の朝日新聞「天声人語」は胸に刺さった。
詩人23人が輪番でつづるサイト「空気の日記」が紹介されていた。
「コロナで世の中の変化がすさまじい。僕ら詩人の感性で日々を克明に書きとどめる実験です」
というのは、発案者の松田朋春さんの弁。
さらに、いくつもの引用では、「緊急事態」や「不要不急」という言葉に戸惑ったり、カタカナ言葉や横文字の羅列を「犬みたいだ」と揶揄したり……と、詩人たちの思いや感覚がみずみずしい。
この記事を読んで、数日前の小さな出来事が頭に浮かんだ。
息子は、毎週土曜日に帰宅して1泊していく。その時に、職場で着た作業着を私が洗濯する。ほかの衣類は週2回自分で洗っているのだが、作業着だけは週末に持ち帰って月曜に間に合うように、自宅で洗わなくてはならない。
その日、背負ってきたリュックの中から、作業着を取り出すと、見知らぬ香りが立ち昇った。
そういえば、ホームのお世話人さんから、「今までの液体式ではなくボール状の洗剤を使ってもらうことにしました」という報告を受けていた。その新しい香りだ。
次の瞬間、思いがけず、寂しさが込み上げた。わが家とは違う匂いの衣類を身につけて、もう息子はよその人だ、家族ではない、と感じたのだ。
そのことを書いておかなくては、と思った。
あの日から2か月もたったけれど、やっと書けた。
今ではその香りをかいでも、なんとも思わない。作業着を持ったまま固まってしまうほどの寂しさは、どこに消えたのだろう。
天声人語の文章は、白井明大さんの次の一節で結ばれていた。
〈わざわざ書くまでもないような ささいなことを ううん わざわざ書いておかないと あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから〉。
