自閉症児の母として(67):洗剤の香りに2020年11月29日


長男がグループホームに移ったのは、昨年の33日。丸一年目の今年の「自立記念日」には、息子の変化について書きたいと思っていたのに、ほかならぬコロナ禍の変化に押し流されて、書きそびれたままになってしまった。

今でも気にはなっているのである。

 

そんなおり、925日の朝日新聞「天声人語」は胸に刺さった。

詩人23人が輪番でつづるサイト「空気の日記」が紹介されていた。

「コロナで世の中の変化がすさまじい。僕ら詩人の感性で日々を克明に書きとどめる実験です」

というのは、発案者の松田朋春さんの弁。
さらに、いくつもの引用では、「緊急事態」や「不要不急」という言葉に戸惑ったり、カタカナ言葉や横文字の羅列を「犬みたいだ」と揶揄したり……と、詩人たちの思いや感覚がみずみずしい。

 

この記事を読んで、数日前の小さな出来事が頭に浮かんだ。

息子は、毎週土曜日に帰宅して1泊していく。その時に、職場で着た作業着を私が洗濯する。ほかの衣類は週2回自分で洗っているのだが、作業着だけは週末に持ち帰って月曜に間に合うように、自宅で洗わなくてはならない。

その日、背負ってきたリュックの中から、作業着を取り出すと、見知らぬ香りが立ち昇った。

そういえば、ホームのお世話人さんから、「今までの液体式ではなくボール状の洗剤を使ってもらうことにしました」という報告を受けていた。その新しい香りだ。

次の瞬間、思いがけず、寂しさが込み上げた。わが家とは違う匂いの衣類を身につけて、もう息子はよその人だ、家族ではない、と感じたのだ。

そのことを書いておかなくては、と思った。

 

あの日から2か月もたったけれど、やっと書けた。あの瞬間を書き残せた。

今ではその香りをかいでも、なんとも思わない。作業着を持ったまま固まってしまうほどの寂しさは、どこに消えたのだろう。

 

天声人語の文章は、白井明大さんの次の一節で結ばれていた。

 

〈わざわざ書くまでもないような ささいなことを ううん わざわざ書いておかないと あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから〉。

 

 





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