2021年を振り返って、22年へ2022年01月04日


【喪中につき、新年のご挨拶を失礼させていただきます】

 

昨年は、本当にたくさんの別れがありました。

2月に娘が中国に単身赴任。しばらくはオンライン上でしか会えなくなりました。

 

★そして、8月に母との永遠の別れがありました。

 

その後も、まるで訃報を吸い寄せるかのように、親しかった人が相次いで亡くなりました。

★ママ友の他界。会えばやさしい微笑みに包まれ、低い声のおだやかな口調が印象的な人でした。進行性のがんで、あっという間だったそうです。

97歳の男性の逝去。20年以上前、エッセイクラブ稲城の立ち上げに尽力され、長きにわたり生徒さんだった人です。最期までエッセイのことを気にかけておられたとのことでした。

 

8年間講師を務めてきた横浜の教室を、さまざまな事情から終了しました。一人ひとりと繋いでいたはずの手を、私のほうから離してしまった。その思いは今もちくりと残っています。コロナ禍が長引かなかったら、続けていたかもしれません。

 

2021年は、もうこれ以上ないほど、落ち込んだ年でした。

でもそれは、見方を替えれば、ここからは昇っていくだけ、ということでもあります。

それに、悪いことばかりではなかった、と今にして思うのです。うれしかったことのベスト3を上げてみると……

 

8月にグループホームを追い出された長男が、11月にはかねてから「ここがいい!」と決めていた新しいホームに晴れて入居できたのです。

(もっとも、その入居の時にもふたたび長男が去っていく寂しさに見舞われてしまいましたが)

 

☆それから、ずっとオンライン配信だったサザンの桑田君のライブが、ついに正真正銘の生で開催されました。11月にさいたまスーパーアリーナまで、いつものように長男と二人で出かけていきました。

ああ、やっと再開したんだ! なんと長い間、我慢を強いられてきたことだろう……と、こみ上げてきて、マスクが涙と鼻水でぐしょぐしょになりました。

 

☆そして、特筆すべきは、藤井風君との出会い。コロナ禍での母の最期の頃に、ハンドルを握ってヴェゼルを走らせる私の、かけがえのないパートナーとなってくれたのでした。

(彼のことは、昨年6月「藤井風の不思議」の投稿記事に書いています)

大晦日にはNHK紅白に出場し、ゆるぎない音楽の才能と、不思議な魅力を、テレビ画面からもまき散らしていました。

2022年も私の〈推し〉として輝き、パワーを注いでほしいものです♡

 


風君は、お正月のYouTube配信の中で書初めをして見せると、「ふじい・そよかぜ」と読みました。今年も、彼のやさしい風に吹かれてみたい……。
そこで私は、思ってみるのです。そよ風のように心地よくなくてもいい、微風は「びふう」のままでいいから、私の書く駄文が、読み手のなかに小さな風を起こすことができたら、と。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。



 


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