母を想う日々 4: 800字のエッセイ「最期の言葉は」2022年02月11日

 

最期の言葉は

           

母が8月に亡くなってから数ヵ月、遺品の整理や住まいの片付け、相続の手続きなどに忙しく明け暮れた。悲しみに浸るひまもないほどだった。

そんな秋のある晩のこと、毎週欠かさず見ていた大河ドラマ「青天を衝け」では、渋沢栄一の母親の最期が描かれた。

栄一が、床に就いた母のそばに寄ると、彼の手を握って言った。

「栄一、腹いっぱい食べてるかい」

 栄一がうなずくと、安心した顔をする。

 そのシーンを見て、ああ、同じだ、と思った。

 

私の母は亡くなるひと月ほど前に、体調を崩して病院で診察を受けた。老人ホームの看護師さんと、駆けつけた私が付き添っているのに、車いすの母はほとんど、うとうとと眠ってばかりいる。

午前中にいくつも検査をして、最後にPCR検査の結果を待っていた時だった。母のほうから小さな声で話しかけてきた。

「あのかた、もう帰っていただいたら……? あなたもお食事まだでしょう」

自分もおなかがすいてきたに違いないのだが、看護師さんと私のお昼ご飯の心配をしてくれたのだ。

それから数日後、母の意識はなくなり、二度とその口から声を聞くことはなかった。あれが最期の言葉となったのである。

 

どの母親も、いくつになっても、たとえ子どもの世話になっていようと、自分の死が近い時でさえも、気にかかるのはいつも子どもの食べることなのだ。子どもが栄一のような立派な人物でも、私のような平凡な娘でも、母親は最期まで母親のままで死んでいく。そう思うと、胸がつまった。

忘れていた涙が、その時ぽろぽろと流れて止まらなくなった。

 



copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki