長崎の原爆の日に ― 2022年08月09日


77年前の夏、8月6日に広島に原爆が投下され、さらに9日には長崎にも投下されました。
毎年、夏休みやお祭りなど、浮かれることの多い8月は、その一方で、戦争と平和について考える大切な時期でもあります。
特に今年は、ロシアがウクライナを攻撃するという現実の戦争が起きてしまいました。核を手放したウクライナを、核によって威嚇するという卑劣な手段で、ロシアは侵攻を続けています。
日本も、他人ごとではありません。「核兵器の使用がもはや杞憂ではなく、今ここにある危機だ」と、長崎市の田上市長も、今日の式典で述べていました。
日本は、世界唯一の被爆国として、その立場をはっきりさせ、核廃絶のための努力を続ける責任があります。まずは核兵器禁止条約に批准してから、核保有国に核軍縮を働きかけていかなければ。


長いこと、広島を訪ねたかった。初めて原爆投下された地に立ってみたかったのです。ようやく、この5月、悲願がかないました。
77年前のその日と同じように快晴で、広島の平和公園は、きれいに手入れをされた薔薇や緑が美しく、かつての惨状を想像することはできませんでした。
原爆ドームだけが時間の止まった芝居のセットのように、そこに佇んでいました。
日本のカトリック教会は、広島原爆の日の8月6日から長崎の9日を経て、終戦記念日の15日までの10日間を「平和旬間」としています。これらの出来事を深く記憶に留め、平和について考え、平和を祈り、平和のために行動することを求めています。

母を想う日々 5:母の命日に ― 2022年08月21日
今朝、日曜のミサにあずかりました。
1年前の今日、8月21日に母が亡くなって、ちょうど1年になります。
昨年、告別式をお願いした神父様に、命日にはミサの中でお祈りをしてくださるよう、事前に依頼しておきました。
昨年の8月はコロナ第5波の真っただ中で、身内15名だけの告別式でした。今年もまた、第7波のさなか、集まることは避けなければなりませんでした。
とはいえ、ミサの時刻にはみんな心を合わせて遠くで祈っているはず。その思いを胸に、母のために祈りました。
帰宅して、広げたのは昨日の新聞の夕刊でした。ある見出しとその写真に、くぎ付けになりました。

1945年5月18日、特攻隊員たちが、みずからの命を差し出して敵を攻撃する30分前に撮られた写真です。なんと明るいいい笑顔なのでしょうか。死に向かう直前にも、こんなにも屈託のない表情を見せるなんて……。涙が出ました。
未来への果てしない可能性とエネルギーを持った息子と同じぐらいの若者たち。彼らの笑顔を犠牲にしてまで戦い続けた戦争の残酷さを、愚かさを、むしろ笑顔だからこそ強烈に訴えかけてくるようでした。
涙が止まらなくなりました。
こうやって、私はこの一年、母を失った悲しみを何か別のことにすりかえて、涙してきたように思うのです。テレビドラマの死のシーンだったり、小説の文章だったり……。まだ本当に母の死と向き合えていないのかもしれません。
8月は、2つの原爆の日があり、終戦記念日があり、戦争と平和を考える日々でもあります。
私には、今年からもう一つ、母の命日が加わりました。
命と死の意味に、向き合ってみたいと思います。
