私のサッカー観戦物語 ― 2022年12月09日

2022年、日本ではサッカーワールドカップがいつにない盛り上がりを見せた。日本代表チームがEグループのリーグ戦で、優勝経験のあるドイツとスペインの強敵2チームを、見事に倒してしまったのだから。
地元川崎でも、鷺沼サッカークラブから輩出した選手が、4人も代表に選ばれて、鷺沼の交差点には、「鷺沼から世界へ!」という青い垂れ幕が光っていた。
そして、いよいよ決勝トーナメントの初戦、クロアチアとの対決に臨んだのだった。
私の脳裏をよぎったのは、22年前のスペイン戦だった。シドニー五輪で見たスペイン対カメルーンのサッカー決勝戦だ。
まだ13歳だった自閉症の長男が、「僕の夢はシドニーオリンピックを見に行くことです」と卒業アルバムに書いたのを見て、彼を連れてオリンピック観戦ツアーに参加したのである。観戦種目の一つに、サッカー決勝戦があった。ツアーとはいえ自力で移動し、メンバーたちの席もばらばらだ。サッカーの知識などほとんど持ち合わせないのに、今のように便利なスマホもない時代。目の前で生の戦いが始まっても、実況アナウンスも解説もない。ところがラッキーなことに、隣の席に一人旅の日本人青年が座った。彼はサッカーに詳しく、笛が鳴ったり試合が中断したりするたびに、わかりやすく説明してくれた。
後方の席にはスペインの旗を掲げた一団がいて、「エスパーニャア!」と大声で応援している。しかし、試合運びがスペイン優勢に傾くと、どよめくようなブーイングがスタジアムに湧き起こる。観客のほとんどは、カメルーンを応援しているようだ。
「強い国じゃないのに、ここまで来たからでしょう」と青年は言った。
カメルーンはその応援を力にして、PK戦のすえ、優勝してしまったのだった。
2年後の2002年、日韓W杯が開催される。Jリーグファンの長男のために、抽選に応募して、日本で行われる決勝トーナメントの観戦チケットを手に入れる。その日を楽しみにしていた。
開催国日本は、予選を戦わずにグループリーグから参戦となる。忘れもしない6月4日の夜、初戦の相手は強国ベルギー。格上のチーム相手に、日本は2対2で引き分け、勝ち点1を得た。ビール片手にテレビの前で応援をしていたわが家も、すっかり浮かれ気分になった。
とその時、父のいる病院から電話がかかった。
「もう間に合わないかもしれません」
長いこと入院し、覚悟はしていたが、昼間見舞ったときはいつもと変わらない様子だったから、安心していたのだ。母とタクシーで病院に駆け付けると、父はすでに霊安室に安置されていた。
かくして、サッカーどころではなくなった。せっかくゲットした試合のチケットも、サッカー好きの友人に譲った。息子のおみやげにと買ってきてくれたのは、クロアチアのユニフォーム。赤いチェック柄が鮮やかで素敵だった。まさか20年後の決勝トーナメントの初戦相手になろうとは、想像もしなかった……。
今回の観戦は、おみやげのユニフォームをお尻に敷いて座ろうか、裏返しに着て応援しようか、などと悩んだ。
もし、クロアチアの相手国が日本ではなかったら、私はまちがいなくウェアを着て応援しただろう。
コロナのパンデミックが起きる直前、2019年の秋、クロアチアを旅行した。この国は、第二次世界大戦後にチトー大統領が打ち立てたユーゴスラビア社会主義連邦に統合されたのだが、やがて大統領が亡くなると、あちこちで内紛が勃発し、ユーゴは崩壊していく。クロアチアにも独立運動が起こり、1991年、独立を宣言する。その後も旧ユーゴ軍の砲撃を受け、多くの死者が出て、世界遺産も危機に陥ったという。初めに訪れたドブロブニクは、「アドリア海の真珠」と言われるほど美しい街だったが、ここにも内戦の傷痕が残っていた。
ちょうど独立記念日には、国立自然公園まで出かけた。片道2時間の送迎を依頼した車のドライバーは、30代ぐらいのチョビ髭の若者。無口だったが、日本からのお菓子をプレゼントすると照れるように笑った。
「今日は独立記念日で祝日なんでしょう?」と問いかけても、
「だからって、僕には関係ない」と答えた。何もめでたくないよ。そんな印象を受けた。戦争で被った有形無形の傷が、まだこの国に暗い影を落としているように思える。車窓からは、サッカーで遊ぶ子どもたちが見えた。
先日の新聞に、クロアチアの中心的選手ルカ・モドリッチの生い立ちについて書かれていた。内戦の爆撃で、彼の大好きな祖父も犠牲になったという。貧しい暮らしの中でも、両親は彼をサッカー選手に育て上げたそうだ。
不幸な歴史が、クロアチア代表の精神的な強さを培ってきたのだと思う。前回の大会では準優勝に輝いた。
さて、日本との一戦はどうなることか。少し複雑な思いで、夜中遅くまで実況中継を見届けた。
そして4年後、さらに成長して世界に挑んでほしい。こんどこそ、新しい景色を見せてくれると信じている。

