旅のエッセイ:「ランスを訪ねて 後編」& ランスのフォトアルバム2025年11月01日


 

ランスを訪ねて 後編

 


フジタ礼拝堂は、小さな一軒家ぐらいの大きさの石造りの建物で、正面の玄関の真上に、ふたつの鐘と、てっぺんには風見鶏がついている。なんともかわいらしい。内部に椅子などはなく、四方の壁に、目の高さから天井まで、びっしりと壁画が描かれていた。

キリストの生涯をモチーフにしたフレスコ画で、つややかに光を放っている。衣のひだも、人々の表情も、生き生きとこまやかな描写だ。

十字架上のキリストに祈りをささげる群衆の中に、メガネの自画像が描き込まれているのを見つけた時、なぜか涙が出そうになった。彼はこの地下に埋葬されているのだ。

予想をはるかに超えたすばらしさ。ずっと見続けていたい。そう思いながらも、どこか現実感がない。この地を訪れたいとずっと思い続けて、ようやくその夢がかなったのに、まさに夢の中にいるような気がした。


▲キリストの生誕


▲シャンパンの生産地にふさわしく、ブドウの房を持ち、ブドウの樽に腰掛ける聖母とキリスト。背景にはぶどう畑や大聖堂が見える。聖母が樽の上に腰掛けるという構図を描くにあたって、彼はきちんと教皇の許可を得たといわれている。


▲最後の晩餐。この絵が描かれたドームの下に、1968年に亡くなった藤田とともに、2009年に亡くなった妻も眠っている。


▲キリストの磔刑図、その群衆の一人として、自身の姿が描かれている。

 


刺激に満ちた一日だった。暑さのせいもあり、帰りの車内ではうとうとしているうちにパリに着いた。ホテルの部屋に戻った時、はっとした。かぶっていた帽子がない。車の中に置き忘れたのだろうと思い、サトカさんにメールをした。

ところが、車内にもないという。彼女は翌朝すぐに、最後に訪問した礼拝堂に連絡してくれて、そこに置いてきたことがわかった。入口脇のデスクでパソコンに向かう男性がいた。彼が職員なのだろう。「こちらで保管しておきます」とのこと。私はすでにパリをたって南仏に来ている。取りに行くのは無理だし、送ってもらうほどの物でもない。カンカン帽の形で、ぐるりとリボンがついたベージュ色の麦藁帽。去年の南仏旅行のために買い、愛用した思い出の帽子ではあった。

でも、しかたない、諦めよう。むしろ藤田と同じ場所に眠っていると思えば、ちょっとうれしいではないか。


▲置き忘れる前日、パリのエッフェル塔とともに自撮りした帽子。


 

ところが、後日談が生まれた。

帰国して10日後、サトカさんから、次のようなメールが来た。

ふたたび仕事でフジタ礼拝堂を訪ねると、たまたま居合わせた女性が、ランス市の美術館全体を管理する団体の幹部の人だった。そこで、私の忘れ物の一件を話してみると、

「忘れ物はお送りしましょう。送料はランス市が負担します」

と言われたというのだ。

さっそく、その団体に宛てて、私の住所を書いたメールを送ると、1週間後に返信が来た。

「夏休みの時期なので少し時間がかかりますが、かならずお送りします」

待つこと2ヵ月。美術館のパンフレットと一緒に、緩衝材の付いた大きな封筒に入って、私の帽子が帰ってきた。少しつぶれて、日に焼けている気がした。


 

メルシーボク! 一人の観光客の小さな忘れ物を、わざわざ航空便で送ってくれるなんて……と、私のフランス愛はまたまた大きく膨らんだ。

サトカさんの細やかな気遣いにも、感謝したい。

 


中国の旅のエッセイ:「本場で食べてみた」2025年11月14日


エッセイの勉強会で、「ラーメン」とうテーマが出ました。

本場中国から帰って来たばかりで、書かないわけにはいかないでしょ……と、腕まくりしたエッセイです。

 



本場で食べてみた

 

5年前から中国の上海に単身赴任していた娘が、ようやく転勤することになった。

101日からの国慶節が最後だから、一緒に旅行しない?」と誘ってくれた。

 

昨年の11月にも夫と上海の娘を訪ねている。まったく言葉の通じない中国で、右も左もわからない2人のために、娘は休みをとり、5日間の計画を立てて、連れ歩いてくれた。初中国は予想どおり何もかも刺激的だった。

中国料理は大いに期待していった。娘がたくさんの情報を集めては、ここぞという店に出かける。ちょうどシーズンだった上海蟹に始まって、北京ダック、ちょっと高級な広東料理から庶民の朝食の小籠包まで、ひとつとしてハズレはなく、大満足だった。 

 

さて、今年は何を食べようか。去年食べ逃したものに、麺類がある。

「今度こそ本場のラーメンを食べよう」と、麺キチの夫もうれしそうだ。

着いた翌日は、上海から新幹線で小1時間の蘇州へ出かけた。どこもかしこも聞きしに勝る中国国慶節の混雑に出合う。今頃日本にも中国人観光客があふれていることだろう。

ここには有名な蘇州麺がある。古い街道沿いに何軒も店が並ぶ。老舗風の店に入った。テーブルには、皿やコップ、箸などを一人分ずつラップに包んで置いてある。これも70円ほどの料金がかかるのだ。

さっそく娘がメニューを読み解き、麺とトッピングを適当に選んでくれた。運ばれてきた麺は、日本のラーメンのように縮れてはいない。まっすぐな麺の束を丸めた形で丼に入れてある。野菜炒めとカニの卵とじを麺にのせ、さらに別添えのスープをかけていただく。

こちらの箸は先端でも五ミリほどの太さがあって、扱いにくい。1杯の麺を娘と2人で分けようとしたけれど、ひと苦労だった。

私は顎関節炎になって以来、硬い物が食べにくくなった。しこしこした麺の歯ごたえは苦手だが、この蘇州麺は食べやすい。

「ラーメンとそうめんを足して2で割ったような食感ね」

スープも辛くない。どろっとしたカニみそ風のトッピングもおいしかった。

記念に持ち帰った赤い箸袋の裏面には「一人一箸・健康新理念」と書いてある。「食器は消毒済みですので、安心してお使いください」とも。コロナ禍の教訓なのかもしれない。


▲水郷のある蘇州の街並み。赤い提灯が映える。

 

そして上海を去る日にも、空港内の有名チェーン店で最後の麺を味わった。娘の一押しの牛肉麺だ。これは、蒸した牛肉の薄切りが何枚も麺の上にのっていて、さらに好みでパクチーをどさっと入れる。蘇州麺の教訓から、1人1丼にした。

はて、箸がない。店の人に尋ねてみて気づいた。テーブルの下に、学習机のように引き出しがある。開けると、何本もの箸がむき出しのままケースに入っていた。一瞬だけ衛生面が気になったけれど、中国も2度目ともなれば、「まあいっか」と食べてしまえる。

ほど良い辛さと、お肉のだしのまろやかさ。これでほぼ600円なりの安さにも感激。

さすがは中国3000年の味でした。


▲牛肉麺を食べた陳香貴という店舗。上海の浦東国際空港内にある。



 


ゴッホの「夜のカフェテラス」を見てきました!2025年11月22日

 


今年8月4日の記事、「南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で」の中で、この絵のことを書きました。

晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先に、思いがけないニュースに出合ったのです。

「夜のカフェテラス」

「アルルの跳ね橋」

オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、「大ゴッホ展」と称して2025年から28年にかけて、神戸、福島、東京の順に、日本国内を巡回するということでした。


 

現在、「大ゴッホ展」は920日から神戸市立博物館で始まっており、その「夜のカフェテラス」も公開されています。

今月、大阪に出向く用事があったので、そのついでに神戸元町まで足を延ばしました。来年5月の東京開催を待たずに、一足早くこの絵を見るために。

 

 

そこで、昨年のプロヴァンスの旅の話に戻ります。

ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。

 

ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。

「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」

そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。

確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと想像できます。

ゴッホはクリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。

 

現在もアルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがあるのです。そこに案内してもらうのを楽しみにしていました。

 

ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。

ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼も憤慨していました。私も同感でした。

憧れてきたカフェは、よこしまな人たちの思いが通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。

 

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた実在したカフェは、第二次世界大戦で破壊されたという説がありました。

その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作を基に、店を再現しようと企てる実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。

しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。

 

ゴッホの描いたカフェが、その後にたどった運命を想うと、複雑な思いにかられます。それでも、とにかく絵を見てみよう、そう決心して神戸へ、市立博物館の展示室へと向かいまいした。


▼神戸市立博物館の玄関前には、開場時刻の1時間前から行列が。



思ったよりも小さな絵です。

電燈の明るみを黄色で表し、テラスの壁も天井も、きらめくように黄色い。そこへやって来る人たちも、すでにテーブルを囲んでいる客たちも、白い衣装のウェイターを中心に、細かく生き生きと描き込まれています。

濃紺の空には、星々。まるで青白い花びらを付けたように描かれているのは、星の瞬きを表現したかったのでしょうか。

 


もっと見たい。いつまでも見ていたい。

……と思うのですが、開館前から大勢の人が並んで待っていたのです。この絵の前のスペースには、写真を撮る人、鑑賞する人の位置がロープで区切られ、移動を強いられます。写真を撮った後は、何度も場所を往復して、鑑賞しました。

 

絵を見ているうちに、後年このカフェを再現したいと思った人の気持ちがわかるような気がしました。

ゴッホは、フォルム広場にイーゼルを立て、夜の闇の中で、この絵を描いたそうです。妹への手紙にも、「夜の絵を現場で描くのはとても楽しい。現場で直接描いてよかった」と書いているとか。

その楽しさが、絵を見る人にも伝わってくるのでしょう。

 

この絵を見ていると、昨年の旅の途中、忘れられた祭りの跡のようなカフェの前にたたずんで、寂しい歯がゆい思いに浸ったことをいやおうにも思い出していました。

と同時に、確かにあの場所は、この絵を模したものだったと感じます。

この絵を愛した人たちが、オマージュのようにあのカフェを作ったのではないか。あれは、ゴッホが見つめた本物ではない。逆に、このゴッホの絵を見つめた人々の思いが結晶している。ゴッホの絵の力、名作の力が働いている。それだけで十分なのでは。

ゴッホの楽しさがこの絵に込められて、それを見た多くの人を幸せにして、後世に名作として残されていく。名作はこの絵であり、この絵こそが真実。それだけで十分なのではないか。

 

東京からはるばる関西に赴いて、自分なりの結論が出せました。

1年前のもやもや気分はようやく消え去り、カフェテラスの黄色い輝きに満たされたような気分になっていました。







★ちなみに、「アルルの跳ね橋」が日本にやって来るのは、20276月。また神戸から巡回するそうです。


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