自閉症児の母として(45):50周年に感謝です2017年09月18日



先日、社会福祉法人「嬉泉(きせん)」の50周年のお祝いに招待されました。

自閉症の長男が3歳の時からお世話になってきたところで、私の子育て人生を全面的に支えてくれたと言っても過言ではありません。

今でも、30歳を過ぎた息子とともに、お世話になることもあります。この先もずっと、関わりを切らすことはないでしょう。

 

転勤で静岡に住んでいるとき、2歳半の長男は自閉症と診断されました。

当時、NHKの教育テレビで放映されていた自閉症の療育番組で、嬉泉が運営する東京都世田谷区の施設の様子を見たのです。

ここに行こう。ここに行けば、きっと治る……。

そう思って、翌年の春には転勤を希望して東京に戻ってきました。

3歳からの幼稚園代わりに、テレビで見た「めばえ学園」に通い始めました。その園長先生からは母親もたくさんのことを教わりました。

「子どもの犠牲にならないで。自分の人生も大事にしてね」

今でも私の座右の銘です。

 


先生は、すでに80歳とのこと。この写真を見て、「あらやだ、おばあさんに撮れてる」と言われましたが、なんのなんの。相変わらず歯切れよい話しっぷりも、背すじのピンと伸びたところも、とてもお年には見えませんでした。

 

 

嬉泉の誕生には、感動的なエピソードがあったのです。会のはじめに挨拶された2代目理事長が、それを語ってくれました。



 

昭和40年ごろ、日本の自閉症研究の草分けともいえる石井哲夫先生が、日本女子体育大学で児童心理学を講義されていた。その中で、「まだ日本には自閉症児のための施設がない。ぜひ、広げていきたい」と述べたそうです。その講義を受けていたのが、理事長の妹さん。家に帰って父上に石井先生のことを話したところ、父上は関心を示し、石井先生から直接話を聞きました。そして、先生の情熱に感銘を受け、私財をなげうって支援することを決意されたのです。こうして財団が設立され、翌年には社会福祉法人となり、父上が初代理事長に就任しました。

彼は、戦後おせんべい屋さんで財を成したのですが、日頃から私利私欲はなく、収益はすべて世のため人のために使う、という考えの持ち主だったそうです。お子さんたちにも「美田」は残さなかったとか。

50年前に、石井先生の受容的交流方法という愛情あふれる自閉症の療育方法と、初代理事長の稀有な福祉の心とが出会いをはたした。そして嬉泉が誕生したというわけなのです。

日本の自閉症児の家族にとって、なんとありがたい出会いだったでしょうか。

 

さらに、2代目理事長のスピーチは続きます。

「石井先生初めたくさんの先生方、各方面で関わってくださった方がたに支えられて、50年目を迎えることができました。でも、忘れてはならないのは、それぞれの施設で、毎日食事を作ったり、お掃除をしたりと、裏方で働く方がたのおかげだということです」

そう言って締めくくられました。

組織のトップが、組織の底辺のことまで気にかけている。なかなかできることではありません。温かい気持ちになり、いいお話を聞いたと思いました。

 

現在、嬉泉は、東京と千葉県にいくつもの事業所や施設を構え、大きな組織になりました。地域にも根を下ろし、療育・相談・保育という三つの柱で、支援を必要とする人々のために活動を展開しています。

初代理事長はとうに亡くなり、石井先生も3年前に他界されましたが、若い後継者の方がたが、嬉泉をしっかりと受け継いでいくことでしょう。



 

ところで、この日の会場は、ホテルオークラ東京のアスコットホール。200名近い招待客は、その後、中華料理をごちそうになりました。

余談ながら、奇しくも35年前、このホテルの金屏風の前に座ったのは、ほかならぬ花嫁姿の私。時の流れに感無量のひとときでもありました。

 

 



自閉症児の母として(44):ちょっといい話2017年08月14日

 



今日は、精神科の主治医のところで、安定剤を処方してもらってきました。月に一度、4週間分の薬をお願いしています。そして、その処方箋はいつも、友人M子が務める近所の薬局に持っていきます。

受付に処方箋を出してしばらく待っていると、「お薬ができました」と名前を呼んでくれたのは、ほかならぬM子でした。薬や代金の受け渡しをしながらも、小声でおしゃべりをしてしまいます。M子とは子どもたちが幼いころから家族ぐるみのお付き合いをしてきました。私にはかけがえのない友人の一人です。

「こないだ、モト君を駅で見かけたわよ。電車の発車時刻が書かれてなくて、モト君、隣にいた女の人に、『電車、遅れてるよね』って聞いたの。そしたらその人も、『そうね、遅れてるね』って、ちゃんと答えてくれてね。私たちと同じぐらいのオバサンで、モト君のことをわかってくれたんだと思うけど、いい雰囲気だった」

そんなうれしい報告をしてくれました。ありがたいことです。

その女性にはもちろん、M子にも感謝です。

 

じつは、10数年も前、モトが中学生の頃、隣町の養護学校までリュックを背負って電車通学をしていました。ある日のこと、車内でサラリーマン風の男性がモトに向かって、リュックがじゃまだから下ろしなさいと注意をしました。ところが、息子は自分のことを言われているとは気づかず、知らん顔をしていたようで、ホームに降りると、男性は怒りだすし、息子は大きななりをして泣きだす始末。ホームに人だかりができ始めました。駅員もやって来ました。

たまたまそこに通りかかったのが、M子だったのです。

「あら、モト君じゃないの」と、事情を話し、その場をさばいてくれたおかげで、事なきを得たのでした。

 

渡る世間に鬼はなし。

M子だけではありません。

「今日、モト君、見かけたよ。いつも走ってるね」

「モト君、いつも同じ時刻の電車に乗って、同じ場所に立ってますよ」

地元の友人たちが、たびたびそんな報告をしてくれます。

皆さま、本当にありがとうございます。

社会に見守られて、彼は生きていけるのです。








 


自閉症児の母として(43):グループホームを見学して2017年08月01日


息子は、昨年9月に30歳になりました。

30代からは、親元を離れて生活することにチャレンジさせよう、と考えています。チャレンジ失敗となっても、いつでも帰って来られるわが家があるうちに。

私たち夫婦は高齢者の仲間入りも近い。息子も、いつまでも子ども扱いのまま家庭で過ごしていては、いざというときに困るのは息子本人です。親亡きあとの暮らしを考えるのに、早すぎることはありません。

グループホームで暮らすことを、この30代の目標するつもりです。

 

障害者のためのグループホームでは、数名の障害者が、スタッフの支援を受けながら共同生活をします。アパートやマンションを利用したり、空き家を再利用したりして運営されているようです。

基本的には個人の生き方が尊重され、個室を持ち、昼間は各自そこから通勤する。週末には自宅に帰るなどして、自由に過ごします。

グループホームの数は増えているそうですが、希望者も多く、すぐに適当な場所が見つかるとは限りません。まずは見学を、と申し出ておくと、「近くに空きが出ました」と、さっそく連絡が入りました。知的障害を持つ成人男性6名が利用するホームとのこと。とりあえず私ひとりで見学に出かけました。

 

自宅からバスで15分。まだ新しそうな2階建て。20畳ほどのLDKには、オープンキッチンと6人掛けのテーブル、テレビなどが置いてありました。

そこにいた70歳前後の男性が、どうやらオーナーのようです。

「タバコは吸いませんか」

テーブルに着くなり、そう聞かれました。

「火事が怖いので、タバコをやる人はお断りなんです」

たしかに、タバコの火は火災の原因になりますね。カーテンも壁紙も、燃えにくい素材でできているそうです。

管理責任者の女性が、そのほかにも詳しい説明をしてくれました。何事も、時間や順番などのルールを決めて、それを守ってもらう。食事はスタッフが作る。個室での過ごし方は自由。ただし部屋の行き来は禁止……などなど、利用者への配慮が感じられました。

その後、家の中を見せてもらいました。最初からグループホームを目的に新築したとのことで、至れり尽くせり。リビングの南側にサンルームがあり、洗濯機が3台、物干しざおも6本そろっています。洗面台もトイレも3つ。個室には、ベッド、クーラー、広いクローゼットが付いており、テレビやパソコン利用のための設備もあります。

ルールを守るのは、几帳面な自閉症者の得意とするところ。息子でもやっていけそうです。管理もしっかりしているし、室内もきれい。前向きに考えてみようか……と思いました。

 

ところが、仮入居の話になって、雲行きが変わりました。

「1ヵ月間、体験入居してもらいます。その間、休日に自宅に戻ってもいいのですが、泊まってくるのはダメ。外泊は一切禁止です。他の利用者やスタッフとなじんで、お互いに理解し合うための期間ですから、少しは我慢をしなくては。テレビもリビングでみんなと一緒に見ます。パソコンは持ち込み禁止。のめり込んでしまう人もいるので……」

これじゃ、まるで軍隊です。一気に気持ちが冷めました。

息子は毎日パソコンに向かいます。インターネットでスポーツの試合結果を調べたり、Jリーグのデータを打ち込んだり、ゲームや音楽のさまざまな情報を得たり……と、彼の趣味や生活に欠かせない存在です。コミュニケーションが難しい自閉症者にとって、パソコンが「友達」という人も少なくありません。乱暴な言い方をすれば、生きるよすがともいえるパソコンを1ヵ月も取り上げてしまうことは、目の不自由な人から白いつえを取り上げるようなものです。

自閉症に限らず、知的障害の人々にとっては、最低限の息抜きが保障されて初めて、新しい環境に適応する努力ができるのではないでしょうか。健常者だって同じでしょうに。家に泊まってリフレッシュしてくることに何の支障があるのでしょう。パソコンにのめり込んで困るのなら、「一日一時間だけ」というようなルールを作ればいいのです。なぜ、体験入居の締め付けにそれほどこだわるのでしょう。個性を消して暮らせるなら、障害者支援など必要ないわけで、そもそもそれができないことが障害なのです。

オーナーはパソコンになじめないアナログ世代? スパルタ教育をよしとする昔気質な人? 百歩譲ったとしても、私には納得できませんでした。障害者を支援してやる――そんなおごりが感じられて怖くなりました。

 

後日、この一件を主治医の精神科のドクターに話しました。地域の障害者支援に詳しく、頼りにしている先生です。

「そりゃ話になりませんよ。世の中の支援の流れに逆行しています。こちらからお断りだ」と一笑に付されました。

グループホームは、入所施設ほど規定が厳しくないので、経営者によって、それぞれに特色があるそうです。

「この件は、グループホームを監督する部署に伝えておきますね。諦めないで次を探しましょう!」

そうですね、もっと自閉症に理解のあるホームがきっとあるはずです。

先生の言葉で、やっともやもやが収まって、次へ進む気持ちになれました。


 

 

 


自閉症児の母として(42):「桜の風」でショートステイ2017年06月17日

 


長男は、今年3月に初めて障害者支援施設「桜の風」に泊まりました。自立に向けての第一歩を踏み出したのです。

その後は、順調に毎月1度、1泊2日のショートステイを続けています。

 

この宿泊のため、息子は職場で、有給休暇の利用申請書を事前に書いて提出しているそうです。

宿泊の前日には、自分から進んで持ち物の準備も始めます。

持ち物すべてに名前を書き、リストにすべて記入するのは私の仕事。

1泊2日のほとんどの時間、自分の個室でゲーム三昧なので、その量は半端ない。ゲーム機はニンテンドウ3DSだけにすると決めて、ゲームソフトはあれこれ数種類持っていきます。WiFiも持参します。

初回のとき、ゲームと攻略本は2種類だけにしようね、と言い聞かせ、前日には私が持ち物リストにその2つを書いてカバンに入れました。ところが、いざ施設に着いてカバンを開けてみたら、なんとゲーム6ケースと本が6冊も入っていたのでした。

でも、今回は本人の希望どおり、ゲームは5つ、本は2冊となりました。



 

施設到着は11時。車で連れて行きます。

担当の支援員の方と、持ち物のリストとカバンの中身を照らし合わせ、財布の中の金額を確認し、貴重品を預けます。そこまで私が付き添い、そこから先は、保護者退場。ひとりで過ごすのです。もちろん支援員に見守られながら。それが、彼にとっての訓練です。

 

まず、息子は、そこにあふれる音に過敏に反応します。音楽が流れていたり、他の利用者の声がしたりすると、とても気になる。耳をふさいで、自己防衛態勢に入ります。これも、彼にとっては必要な行為です。

 

食事は、食堂で一緒に食べるのだろうと思っていたのですが、希望すれば、自室で落ち着いて食べることができるそうで、今回もそれを希望していました。これまでは、自宅での食事同様、すべて完食!だそうで。

午後には、車に乗せてもらい、しばしのドライブのあと、どこかのお店で、おやつを買います。先月泊まったのは59日、ちょうどアイスクリームの日だったので、行事男の彼は、当然のようにアイスクリームを2つ食べて、ご満悦だったとか。

入浴は、時間になると声をかけてもらい、自分で入っているようです。

就寝、消灯、起床などの生活パターンは得意中の得意。そうやってルールを守ることで、自分を支えているのかもしれません。

翌日は、11時に迎えに行きました。家を出るのが遅れ、着いたのは5分過ぎ。

「遅れた理由は?」と、息子から質問されました。

「車が混んでいたので」と言うと、納得してくれます。ごめんね。

 

主治医のドクターが言われたとおり、自閉的な傾向がある人は、ルールさえ理解できれば、新しい環境でも何の問題もなく、それに従って生活できる強さがあるようです。

 

2ヵ月先まで、宿泊の日程が決まっているので、そのことにも安心できるのでしょう。この調子で、続けていけたらと思います。

次は、2泊に増やすことも考えていますが、焦らない焦らない。たっぷり時間をかけることが何より大切だということは、3歳のころから親の私が学んできたことです。



 

「桜の風」は桜の木々に埋め尽くされているような地域にあります。この時期、桜の青葉の下には、アジサイがたくさんの花を咲かせ始めていました。




自閉症児の母として(41):セサミストリートの放映を!2017年03月24日




セサミストリート。

残念ながら、日本では放映されなくなってしまいましたが、子どもたちの小さい時は、よくテレビを見ていました。

自閉症の長男は、とてもお気に入りでした。毎月テキストを買っていましたし、小学校に上がってからも、しばらくの間は、土曜の朝の放送を見終わってから登校することを大目に見てもらっていました。

給食袋などや手提げバッグなど、キャラクターの生地でたくさん作ったものです。

 

今度、セサミストリートに、自閉症児のキャラクター、ジュリアという女の子が登場するそうですね。おうむ返しにしゃべったり、音に敏感に反応したりするらしい。

そして、ジュリアのマペットを操る女性は、自分も自閉症の男の子の母親だとか。きっと、きめ細やかなパフォーマンスを見せてくれることでしょう。

 

ところで、以前にも書きましたが、毎月息子の精神安定剤を処方してもらうため、精神科のドクターのクリニックに出向いています。息子は連れて行かずに、私が彼の状況を話し、相談に乗ってもらうのです。

今日もドクターを訪ねました。深刻ぶることなく、いつも穏やかで明るい先生とお話をしていると、それだけで息子の問題が軽くなる気がして、私が癒されるようなひとときです。

「余談ですけど」と、先生が言いました。ジュリアの話題でした。

「女の子というところがいいですね。女の子の自閉症は、見過ごされることがあるんですよ」

ジェンダーの問題でもあるのですが、いかにも女の子らしく刺繍や編み物などに熱中していると、こだわりの強い自閉傾向が気づかれにくい。また、女の子の割合は低いので、疑われることも少なく、発見が遅れるのだそうです。

そういえば、これまで自閉症を主人公にしたドラマや映画は、どれも男性でした。もう少し、女の子の自閉症にも目を向けてもらう意味で、ジュリアが救世主になるかもしれませんね。

 

番組を見る子どもたちが、楽しみながら自閉症を理解して、自分の周りに同じような子どもがいても、戸惑うことなく仲良くできたら、すばらしいと思います。

そして、ぜひ日本でも番組が復活してほしいですね!



 

 


 


自閉症児の母として(40):「桜の風」で宿泊体験2017年03月21日




昨年9月15日に、障害者支援施設「桜の風」を見学した記事を書きました。

あれから、その施設利用の登録手続きを済ませ、申し込みをして、体験入所の日取りを待ち続けて、ようやく実現の運びとなりました。

半年もかかったのです。まだまだ、施設の数が少ないのでしょう。

 

自立の第一歩として、たった一人で宿泊体験……とはいっても、支援員の方が何かあれば対応してくれます。

これまで息子は、家族と旅行に出かけても、それほど問題はありませんでした。養護学校の修学旅行にも行きましたし、入院中には付き添いもなく一人で夜を過ごしたこともあります。

場所が変わっても、ルールに従い、きちんと決められたスケジュールどおりに過ごすことができるだろうと思い、あまり心配はしていませんでした。



 

319日の午前11時に、車で送っていきました。

ボストンバッグには、着替えのほか、自由に過ごすためのゲーム機やゲームソフト、そのためのWifiなどが、ずっしりと入っています。たいくつすることもなさそうです。

個室は、畳に布団。1100円でレンタルできるテレビもあります。

息子は音楽やさまざまな音に過敏なため、大きな音量でテレビを見る利用者の方とは離れた部屋にしてくれました。

担当の支援員の方と荷物のチェックをすませると、早々に親は帰されました。

 

息子を託すのは、24時間。翌20日午前11時には迎えに行きました。

支援員のお話では、何の問題もなく、食事の時だけは食堂でみんなと会食ですが、ほとんどの時間は個室にこもりきりで、ゲーム三昧だったようです。

午後には、他の利用者と一緒に、車に乗せてもらって外出し、コンビニでおやつを買い求め、施設に戻ってから、それを食べたそうです。

何を買ったの、と聞くと、「ジャガリコとコカコーラでした」との答え。

消灯時間の930分になると、自分からきちんと電気を消して眠りについたとか。時間厳守は相変わらずですが、自宅では12時を過ぎても起きているのは、どうしたことでしょう。

朝は、やはり起床時間の8時きっかりに起きてきたとのことでした。

 

やはり、期待どおりでした。最初の体験は難なくクリアしたようです。

この調子で、もう少し体験を積んだら、次のステップへと進んでいこうと思います。


この施設の周りには、本当に桜の木がいっぱい。

桜の花には一週間早かったことだけが惜しまれましたが、それはまたの機会に……。


 



自閉症児の母として(39):放課後等デイサービスのスタッフの皆さんとともに2017年01月07日





昨年12月の暮れも押し詰まった29日に、障害児向けデイサービスの現場で、自閉症児の母としてお話をする機会をいただきました。そのひとときが私の「仕事納め」となりました。

 

放課後等デイサービスという言葉をご存じでしょうか。

じつは、私はこの時、初めて知ったのでした。

障害のある小学生・中学生の子どもたちを放課後や休日に預かって、発達改善や社会適応を目的として、電車やバスの乗り方や買い物のしかたなどを訓練するもので、5年前に始まった制度だそうです。

長男が子どもの頃には、デイサービスなど何もありませんでしたから、世の中の変わりようを実感します。

 

私が訪ねていったのは、ボランティアを通して知り合った友人が運営する川崎市内のデイサービス。数名のスタッフは必ずしも障害の専門家ではありません。毎日、自閉症の子どもたちと関わるうえで、困ったり悩んだりされているとのこと。

とはいえ、私ももちろん専門家ではない。療育に通った自閉症専門の施設の先生方から教わった知識と、それを頼りに一人の自閉症児を育てた経験があるだけです。それらが何か解決のヒントにでもなれば、と思いました。

 

私の自閉症児の子育てを振り返ると、3つのキーワードが浮かびます。

たくさん安心させて、いろいろな経験をさせて、プライドを持って生きるように育てていくこと。

30年間の話をざっとそんなふうに総括したあとは、皆さんからの質問を聞いて、皆さんと一緒に考えてみました。

 

たとえば、こんな質問が出ました。

Q:中学生のA君は、毎日通ってくると、以前は「こんにちは」と挨拶していたのに、どこで覚えたのか、「お久しぶりです」と言うようになってしまいました。どうしたらいいでしょう。

毎日会っているのだし、昨日から一日しか経っていないから、「久しぶり」ではおかしいですね。ちょうど、今は冬休み。休み明けには皆で「お久しぶりです」と挨拶をする。翌日からはまた「こんにちは」に戻る。それを実際にやってみてはいかがでしょう。

さらに、1日だけと、冬休みの6日間との違いを、カレンダーで視覚的に見せたりすれば、理解しやすいのではないでしょうか。

 

Q:別の中学生のB君は、気に入らないことがあると、「ぶっ殺してやる」とか「やっつけに行こうぜ」などと汚い言葉が口をついて出るのです。どうやって止めさせたらいいでしょうか。

B君は、それを口にすることで、心のもやもやを解消しているように思えます。自分からは不満をうまく伝えられないから、そんなすごい言葉で表現しているのかもしれません。とはいえ、こんな言葉を吐いていたら、周りの友達からも嫌われて、B君自身がかわいそう。まずは、彼の悩みを聞いてあげて、気に入らないことを解決してあげられたらいいですね。

それが難しいようなら、汚い言葉を止めさせるのではなく、代用品を与えてみる。つまり、別の言葉……例えば、CMのキャッチコピーとか、早口言葉とか、アニメキャラクターの決め台詞とか、彼が好きな歌の一節を歌うのもいい。周りの大人が率先して、代用品を口にするのです。

なにか、B君が汚い言葉を忘れるきっかけにならないでしょうか。

イソップの「北風とお日様」の寓話のように、無理に旅人のマントをはぎ取ろうとしても失敗します。温かい安心を与えて、脱いでもらいましょう。





 

ところで、昨日のNHKニュースで、この「放課後等デイサービス」の制度について取り上げていました。(NHKニュースのサイトをご覧ください)


少しずつでも、この制度が整っていき、障害児とその家族の支援に役立っていくことを願っています。障害児を苦労して育てた、一先輩母の思いです。






自閉症児の母として(38):発達障害者支援の方がたに向けて2016年12月16日



今週14日には、昨年と同様、東京都発達障害者支援センター(TOSCA)において行われた支援者の研修のなかで、20年来の長男のママ友と二人、自閉症児の母としてお話をさせていただきました。

 

このTOSCAは、社会福祉法人「嬉泉」が、東京都の委託を受けて運営しています。私が30年間、長男を育ててこられたのも、3歳のときから一貫して、嬉泉でお世話になったからです。

そんなご縁もあり、現在の私がお話しすることで少しでもご恩返しができればと思い、機会があると、二つ返事で引き受けるのです。

 

お話しするテーマは、

【子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと】

 

私が学んだことは、嬉泉のなかの「めばえ学園」に通いながら、自閉症専門の先生がたに教わったことがすべてだと言っても過言ではありません。

それらを5つの項目にまとめてみました。

 

1.

最初に学んだのが「受容的交流方法」。あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育てのやり方は、私の基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

2.

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらうことが大切です。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいました。

本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

3.

うちの子に限って、どうして……と私もずいぶん思いました。子どもたちにも見えないように、台所の片隅にうずくまって泣いたこともありました。

そんなおり、園長先生は私たちにこう言われました。

「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。

その時から、私は「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなりました。

神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。

 

4.

もうひとつ、私がうれしかった園長先生の言葉は、

「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切に」ということでした。

どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。

今でも私のモットーです。

おかげで、ちょっとばかり自己チューな母になってしまったかな??

 

5.

こうやって長男を育てていくなかで、自閉症児の子育てにこそ、すべての子育ての基本があることに気がつきました。

自閉症は、いわば相手の心が見えないというコミュニケーションの障害です。だからこそこちらが子どもの気持ちに寄り添う必要がある。それは、どんな子どもにも必要なことです。そして、子どもに限らず、どんな人に対しても社会において大切なことではないか、と思えるようになりました。

長男を育てることで、親も人として育ってくることができた、といっては不遜かもしれませんが、神さまはダメな親だからこそこの子を授けてくれたのだ、とつくづく思わずにはいられません。

 

今後、障害者支援に望むことは?

・障害がわかった時点からずっと、一貫した支援のシステムがあるといい。

・母親ばかりではなく、きょうだいや、父親に対する支援の充実も望む。

二人の母の一致した願いです。

 

参加者17名の方がたは、支援の現場でいろいろと悩み、ご苦労されていることでしょう。この日の私たちの思いが伝わって、少しでもより良い支援に結びつけてもらえたら、うれしいかぎりです。




おみやげ自閉症者のアーティストグループAUTOS〉のカレンダー。




 

 



自閉症児の母として(37):保育士や教諭を目指す学生さんに向けて2016年11月22日




昨日は、千葉県松戸市の聖徳大学に出向きました。

「障害児教育」の講義の中で、テキストの一つとして私の著書『歌おうか、モト君。』を読んでもらい、障がい児の母として、お話をさせてもらいます。

年に1度か2度、ここに来るようになって、もう10年近くなります。


今回も、5時限目の時間帯、3クラス合同の100名ほどの女子学生さんが、新館の階段教室で、教壇に立ってマイクに向かう私を見下ろしていました。

学生さんたちは、初めは長男と同じ年頃だったのに、だんだんと若い「女の子」になってきて、同じ話をしても、以前はもっと受けたはず……と思うことも増えました。年齢だけでなく、若い世代の状況も変化しているのかもしれません。

 

それでも、現在の長男の仕事ぶりを、写真を使って説明し、

「時給いくらでしょう?」

という質問をすると、700円かな、800円かな……と興味しんしん。

「正解は、438円です」と言うと、安過ぎ!とびっくり。

 

そして、10年前と変わらない、彼女たちに共通する思いの一つに、

「もし、生まれてきた自分の子どもが障害を持っていたら、どうしよう。落ち込んでしまうかも……」という心配があります。

「ぜったい大丈夫。母親になれば、この子は自分が何とかしなくちゃ、という気持ちが自然と湧いてきて、がんばれるものですよ」

先輩母としての私の言葉に、ちょっぴり安心した表情を見せてくれて、私もほっとするのです。私だって、どれだけ涙を流したか知れません。それでも、前を見て立ち上がれる強さが、母親には備わっているのだと信じています。

 

私の書いた本と、この日の私の体験談が、いつの日か、彼女たちの仕事や子育てのなかで、ほんのひとかけらの支えにでもなれば、と願いを新たにして、小雨の夜道を帰ってきました。

 


 






自閉症児の母として(36):30回目の誕生日2016年10月10日

 

「ボクは、あと10日で三十路(みそじ)です」

例によって、カウントダウンが始まりました。

毎日、「あと○日」を宣言して、当日はいたって冷静に迎えていました。

 

自閉症の息子モトは、子どもの頃から、予定変更や予測のつかない状態をとても嫌いました。だからこそ、24時間たてば予定どおりに翌日がやってくる、というカレンダーが大好きなのです。

もっとも、世の中には予定どおりにいかない場合がたくさんあるのだということを学んできた30年でもありました。最近では、変更の理由が明らかならば、納得できるようになっています。

けっして彼の心の中のこだわりがなくなっているわけではない。折り合いをつける強さを身につけてきたのです。


 


929日の誕生日には、家族4人のスケジュールが合い、近くのイタリアンレストランで食事をすることにしました。

両親からのプレゼントは、職場でタイムキーパーを務めている彼にふさわしく、G-Shockのデジタル腕時計です。それまで使っていた時計のバンドが切れてしまい、1ヵ月前の29日に贈呈式だけ行いました。

 

30歳になった抱負は?」と尋ねます。

「就職に向けてがんばります」

「それより先に、やることがあるでしょ。『桜の風』にお泊りとか」

「それより先にやることがありますよ……」とモトはオーム返し。

 

先日、見学した障害者支援施設「桜の風」に泊まってみようというばかりで、私は忙しさを理由に、申し込みを先延ばしにしていました。

数日後、リビングのテレビでサッカーJリーグの試合中継を見ていたときのこと。川崎フロンターレの大久保選手がレッドカードをもらった、その刹那、モトはひさびさの大パニックを起こしたのです。独りで見ていたので、詳しい状況はわからないのですが、おそらく中継画面の選手たちの怒りや抗議など、緊迫した負の感情をそのまま自分の中に流し込んでしまったらしい。これまでにも、何度かそういうことがありました。彼の中にもルールがあって、負の感情の高まりが限界に来たら大声を上げて扇風機を投げつける、と決めているようです。

「じゃ、ボクは『桜の風』には絶対行かない!!」

大声で叫んだのは、それでした。レッドカードうんぬんではなく、彼の心の中の不満が吐き出されたのです。

宿泊の予定すら立たない状態が、彼の不安と拒絶感を膨らませていることに、うかつにも気がつかなかった。しまった、と悔やんでも後の祭り。

扇風機がまた一つ壊れてしまいました。

 

30歳になっても、まだまだ課題が山積みです。

社会に出ていく親離れももちろんですが、家庭内だけで爆発するパニックのことは、親にとっても大きな課題の一つです。


 



娘は、職場の忙しい時期だから諦めていたのに、遅れて駆けつけてくれました。

 

モト君、30歳のお誕生日おめでとう!



 


copyright © 2011-2015 hitomi kawasaki