おススメの本『赤と青とエスキース』2022年09月24日

1月の末に図書館で予約した本が、9月になってようやく順番が回ってきました。人気があるようです。もう、なぜ予約したのかも忘れましたが、とにかく何かの情報で、おもしろそうな小説だと思ったのでしょう。

青山美智子さんという著者の名前も知りませんでした。



物語は、プロローグに始まって、4つの章があり、エピローグで終わる構成。

各章には、赤色と青色をイメージするようなタイトルが付けられています。読み始めるうちに、各章は別べつの話のようで、じつは何かで繋がっているのだ、と気づきます。

エスキースとは、本番の絵を描く前の、いわば下絵のようなものだということもわかってきます。

 

少しずつ、私がこの本を読みたいと思った理由を思い出しました。絵にまつわる物語だったからです。

私は子どものころには漫画家になりたいと思ったくらい、絵を描くことが好きでした。高校の授業で油絵を始め、大学では4年間美術部に所属して、描き続けました。美術史の勉強はしましたが、絵画制作を専門的に学んだことはなく、趣味として楽しむだけで満足でした。

今では絵は描かず、絵は見て楽しむもの。アートにかかわる映画や物語も大好きなのです。

 

この小説の中では、絵を学んでいる若い人たちが恋をしたり、画家を目指す若者が新しい絵に挑戦したり、若手漫画家の才能が認められたり……と、次々と展開する各章それぞれの物語に、涙が出そうになります。懐かしい気持ちにもなります。

そして、30年以上におよぶ歳月が流れていくのですが……。

最後にエピローグを読み終えると、まるで赤と青のリボンの両端が結ばれて、愛しい物語をひとつ、プレゼントされたような気持ちになりました。プレゼントは、たくさんの想いを運んできてくれました。

 

私も若い時にきちんと絵の勉強をしていたら、どうなっただろう。凡人並みの才能が花開くほどの奇跡は起こらなかっただろうけれど……と、歩むことはなかった別の人生に、空想が膨らみます。

大学卒業後、大手の画廊の採用試験にもパスしたのに、そちらには進まなかった。画廊という職業には今でも憧れがあります。

せめて、クローゼットの奥に眠っている若かりし頃の絵を、素敵な額縁に収めて飾ってみようか……とも思ったりします。

 

もっと現実的に、図書館に返却した本を、今度は本屋さんに買いに行こう。もう一度読み返したい。そして、いつでもそばに置いておきたい。

それほど、この本が好きになりました。


さらに、ネタバレを避けるために詳しくは言えませんが、私の個人的な興味を離れても、小説としてのストーリー展開がよくできていると思います。


そして、もうひとつ。

この本のほとんどのページを、私はクリニックの待合室で読みました。

おかげで、精密検査の結果には喜べなかったけれど、さほど落ち込まずに済んで、救われました。タイムリーに私を支えてくれたのです。

 

絵の好きな方、小説が好きな方、そして明るい希望が必要な方に、おススメの一冊です。

 


『瓢箪から人生』を読んで2022年09月10日



皆さまもご存じの俳人夏井いつきさんのエッセイ集です。

彼女の存在を知ったのは、ご多分に漏れず、人気番組の「プレバト」。歯切れ良い俳句の添削と、愛情こもった褒め方、𠮟り方、気取らないオバちゃん然としたところも好感が持てます。

 

先月の新聞で、この本の紹介記事を読みました。そこには「俳句の種まき運動」を推し進めている、とあります。

夏井さんの生まれは愛媛県南宇和郡。現在も松山市在住です。松山といえば、あの正岡子規や高浜虚子を輩出した俳句の聖地。あたかも高齢者の趣味のように言われる俳句が、このままでは絶滅してしまう。危機感を持った夏井さんは中学校の国語教員だったので、まず子どもたちに俳句を広めようと思ったそうです。

 

「俳句の種まき」と聞いて、頭に浮かんだのは「エッセイの輪を広げる」という言葉でした。私は20代の頃から、カルチャースクールの木村治美教室でエッセイの書き方を学んできました。木村先生は当時、「エッセイスト」を名乗る草分けでした。教室には、先生に憧れてさまざまな年代の主婦が集まってきます。先生はそんな弟子たちを束ねて、主婦にも社会活動を促したのです。それが「エッセイを書く輪を広げる」活動でした。

バブル景気に沸く世の中で、グループのメンバーはエッセイ講師として各地で教室を持ち、少しずつエッセイを書く仲間を増やしていったのでした。

主婦だって、やればできる。そんな自信を持たせてくれました。

 

俳句とエッセイ、文芸の種類は違っても、目指すところは同じではなかろうか。

この本を買い求めたのは、そんな興味が湧いたからでした。

 

さて夏井さん。最初に相手にしたのは子どもたち。

男子校で、俳句を作らせて互いに良い句を選ばせると、1位になって拍手喝采を浴びる句は、

 

いもくえばパンツちぎれるへのちから

 

だというのですから、夏井先生のご苦労がしのばれます。しかし先生は怯まない。彼らの笑いを味方につけて、上手に俳句の楽しさを教え込んでいきます。

 

やがて先生は俳句集団を作り、句会ライブを思いつきます。会場に来たお客さんに、簡単な型をひとつだけ教え、俳句を作ってもらう。休憩時間に先生が選句し、決勝に残った7句から参加者全員の拍手で1位を決めるというやり方をとったのです。

無記名の俳句から、作者が明かされると、会場に笑いがこぼれたり、あらためて拍手が湧いたり、先生の人柄が醸し出す、なごやかな交流の場が目に浮かぶようです。

 

夏井先生はラジオやテレビにも顔を出し、「プレバト」はまさに種まきの効率を上げる格好の道具になりました。

さらに、リモートの句会やYouTubeまで利用し、時代の波に乗り遅れることなく、コロナ禍にもへこたれることはありませんでした。

そこには、おおぜいの人々との出会いと繋がりがありました。先生は、自分ひとりの力ではないのですよ、と強調します。

 

 

ところでもうひとつ、私が本を手にした理由があります。あれほど一語一語に神経をとがらせる俳人のエッセイには、さぞや煌めく言葉や表現が散りばめられているのでは、と期待したのです。

 

著書は、女性週刊誌に連載された文章を基にしていることもあって、口語に近い文体で、読みやすくてわかりやすい。期待したほどの文学的情緒的表現こそなかったけれど、読み始めるとすぐに引き込まれました。

教師として、俳人として、俳句の種まきに明け暮れる様子や、シングルマザーから再婚して家族会社を立ち上げるというエネルギッシュな生きざまは、文体がどうのこうのというレベルではなく圧倒的なおもしろさ。先生すごい! の一言です。

 

終盤には、生い立ちや家族のことも出てきました。温暖な土地とほのぼのとした愛情あふれる家族が、夏井先生を育てたことが伝わってきます。

父親が胃がんで亡くなって18年後、鰊(にしん)蕎麦をきっかけにして、嗚咽が噴き出したというくだりがあります。父の死を受け入れた瞬間を、てらいのない平易な言葉遣いでつづっているのに、読み返すたびにこちらまで泣けてくる。

まさしく名文でした。

 

俳句とエッセイと、違いは多々あるでしょう。とはいえ、どちらにも大切なのは、文体や言葉遣いなのではなく、作り手の魂が、日本語で伝えたい、言葉にしたいと思うことなのだと、改めて気づかされました。

 

 


『同志少女よ、敵を撃て』を読んで2022年07月14日


(▲はじめは図書館で借りたが、とても期限内には読み終わらないと判断して、途中で電子書籍に切り替えた)

 

ロシアのウクライナ侵攻が長期化するなかで、逢坂冬馬著『同志少女よ、敵を撃て』(2021年)を読んだ。戦争物などほとんど読んだことはなかったが、主人公がソ連の少女狙撃小隊だというので、興味がわいた。

小説では、第二次大戦中のナチドイツの攻撃を受けて、ソ連が防衛戦を繰り広げる。そこに加わった少女たちが主人公である。

 

大学に進学する予定だったセラフィマは、目の前で自分の母親が銃殺され、村が焼き払われる。

「おまえは戦いたいか、それとも死にたいか」

彼女は、おそろしく美しい女性兵士から、究極の選択を迫られて、銃を取った。

その長身の女性兵士イリーナの部下となり、セラフィマの運命が変わっていく様子が、冷めた文体なのにドラマティックにつづられていく。当時の戦争についての解説も、史実に沿って淡々と語られ、毛嫌いするほど難解ではない。ぐいぐいと引き込まれる。

とはいえ、「斥候」など聞きなれない言葉が出てきて、その部分をなぞるだけで語義がわかり、電子本のありがたさを実感する。

 

しかし、今、毎日報道される現実の戦争は、ソ連崩壊後のロシアが攻める立場であり、国を守ろうとするのはウクライナだ。その違い。パラドックスに出くわしたような、小説と現実を錯覚するかのような臨場感が重すぎる。現実の映像が脳裏に浮かんで、長時間読み続けることができない。毎日少しずつ読み進む。

 

それにしても、この著者は36歳の若い男性。処女作で本屋大賞を受賞したのだという。戦争に巻き込まれた体験もないのに、銃を持って前線で戦ったこともないのに、どうしてこれほど戦いの場面を克明に描けるのか。しかも男性だというのに、どうしてここまで少女の心理を捉えているのか。膨大な量の資料を読んだとはいえ、それが作家の仕事とはいえ、すごい小説家だと思った。

 

銃は、猟師が生きるために獣をしとめる道具。人を殺める道具であってはならない。戦死した少女兵士や、セラフィマやイリーナたちのその後は、不条理な戦争の無意味さを静かに突き付けてくる。作者の反戦の思いが汲みとれた。

また、戦争では女性という性そのものが蹂躙され、犠牲となることが多い。作者はそのことにも疑問を抱いていたという。

「自分が書かなければ、誰書く。いや、自分が書かなければ、誰書く?」

そうやって自分を奮い立たせて執筆に向かったとか。その観点からも、女性の共感を呼ぶのだろう。私がこの本に興味を持ったように。

彼の才能に、今後もおおいに期待したい。

 

 

この本のことを書きたいと思っていた矢先、元首相が銃で撃たれ、亡くなった。しかも、凶器は容疑者自ら作製したという。この規制の厳しい平和な日本で。

犯人が銃を向けた映像や、傷の状態の説明記事に、またも小説を読んだ時の戦慄がよみがえった。

戦争で犠牲になる兵士も、凶弾に倒れた元首相も、命の重さは変わらない。

かつては、銃が自らの命を守るための道具だったアメリカでも、今は銃の乱射事件が後を絶たず、大きな社会問題となっている。

銃のない社会、人が人を殺めることのない世界は、もはやどこにもないのだろうか。



 

驚きの一冊、『非色』2022年05月11日

 

友人が絶賛して貸してくれた『非色』は、202011月に発行された河出文庫の一冊です。

当時、アメリカで黒人男性が白人警察官の不要な暴力によって命を落とし、BLMBlack Lives Matter)運動のうねりが世界的に高まったのでした。その後、コロナとウクライナ侵攻に報道番組が乗っ取られてしまったかのようですが、まだ記憶に新しく、根の深い問題として、人種差別とその抗議運動は、現在もなお続いています。

 

小説の主人公である日本人女性の笑子(えみこ)は、黒人と結婚してアメリカに渡り、4人の子をもうけます。その暮らしの中で人種差別を体験し、それはなぜなのかと自問し、理由を解き明かそうと苦悩するのです。

彼女と同じ境遇の女性たちが、実にたくましく生き抜こうとする姿には、感動を覚えます。

 

しかし、私の驚きの理由は、そこではありません。

タネを明かすと、この小説は1964年に書かれたもの。故人となった作家の有吉佐和子氏が、アメリカ留学後に執筆した作品だそうです。初めは角川文庫から出版され、すでに絶版となっていました。BLM運動が盛んになった2020年、河出書房新社がタイムリーに再文庫化したというわけです。

小説としても古臭さはほとんどなく、「どうなる? どうする?」と、どんどん読み進めたくなるおもしろさがあります。米国の複雑な差別問題が、令和の世に生きる私たちに問いかけられても、笑子と一緒に考えたくなる謎解きのようなおもしろさ……と言っても大げさではないでしょう。

今から半世紀以上も前に、有吉氏33歳の時に書いたというのですから、作家としての筆力と、先駆的な洞察力には舌を巻きます。

 

有吉氏の著作で思い出すのは、『恍惚の人』。まだ認知症という言葉のなかった時代に、「痴呆老人」の介護問題を投げかけて、ベストセラーになった小説でした。私はまだ高校生でしたが、同居していた祖母も同じような症状が進んでいたので、興味を持って読んだのを覚えています。

今では当たり前になった認知症の常識や社会福祉が、当時はまだ整っていませんでしたから、彼女の先見の明には本当に感服します。

 

改めて、ご紹介します。

有吉佐和子著『非色』河出文庫2020年。

おススメしたい一冊です。



 

 


小説『ドライブ・マイ・カー』と、映画『ドライブ・マイ・カー』2022年03月13日

 

おススメしたい映画ではあるのです。でも、そのわりにはネタバレが多くて、がっかりされるかもしれない。じつは映画を見て、頭の中に「?」がたくさん浮かんだので、整理する意味でエッセイを書いてみようと思ったのです。

まだ見ていない方には先に「ごめんなさい」と言っておきます。

 

5ヵ月ほど前、この映画がカンヌ映画祭の脚本賞を受賞したと知り、まず村上春樹の原作を読んでみようと思った。ハルキストほどではないが、これまでに何冊か読んで、彼の小説には不思議な魅力を感じている。世界が認める作家という先入観もあるだろうが、文学的価値がわからなくても、おもしろいものはおもしろいと思う。特に、実在する具体的な地名が出てくるのに、その場所で平然と繰り広げられるファンタジックな物語。キツネにつままれたような感覚で読み進んでも、最後は謎解きもないままあっけなく終わってしまう。でも、それが不快ではないのだ。迷宮に閉じ込められた余韻に浸って、いつまでも忘れられなくなる。


 

しかし、映画と同名の原作は、『女のいない男たち』という短編集の中の一編で、どの小説もいたってリアルな現代の人間たちを描いている。妻を病気で亡くした舞台俳優の家福が主人公。彼は、年代物の外車サーブの運転手を雇った。現れたのは愛想のない若い女性、みさき。抜群の運転スキルを持っている。ほかにも、妻と不倫関係にあったイケメン俳優の高槻も登場して、二人で亡き妻を偲びながら、お酒を飲んだりする。女のいない男たちというのは、こんなふうにいつまでも女性を思い続け、悲哀に満ちてしまうのか。なんとなく情けない気がした。

 

濱口竜介監督の映画には、主人公に西島秀俊や、私の好きな岡田将生が出演する。いつか、映画も見てみたい、と思っているうちに、次々と海外の賞を獲得して、ついに日本映画史上初めて、アカデミー賞の作品賞にノミネートされたというではないか。 

それはぜひとも早く見なくてはと、ひとりで映画館に出かけた。約3時間にも及ぶ大作である。

初めのうちは、原作を思い出しながら見ていた。小説の車は黄色だったが、映画では赤いサーブだ。車が都会を走行するシーンと、さらりとしたベッドシーンが繰り返されるうちに、どんどん映画のストーリーに引き込まれる。妻が寝物語に語り始める女子高生の片思いの話は、短編集の別の小説に出てきた、と思い当たる。

さらに、映画では原作の東京での話が広島に移されており、家福が広島の芸術祭でチエホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の演出を任されるという設定になっていた。

 

劇中劇であるこの舞台がじつに興味深い。十名足らずの配役は、年齢も国籍も言語さえ問われず、オーディションで決められる。日本語、英語、ベトナム語、韓国語……、中には手話を用いて、役のセリフを言い、演技をするのである。ワーニャが日本語で問いかけると、エレーナが中国語で答える、という具合。いくつもの言語が飛び交うのだ。舞台の役者たちもこの演技方法に戸惑いながらも稽古を重ね、本番を迎える。まるで同一の言語が交わされている錯覚を抱くほど、息の合った芝居が続く。セリフはすべて日本語の字幕で理解できる。意表を突いたこの劇中劇が、映画を見る者をも圧倒していく。

芝居の最後のシーンでは、うなだれるように腰かけた家福扮するワーニャ伯父の背後から、姪のソーニャが両手を回し、彼の顔の前で、手話でやさしく語りかける。

〈仕方ないわ。生きていかなくちゃ……〉

饒舌な手話の、静寂の数分間。美しく感動的だった。

 

もう一つ、印象に残ったシーンがある。岡田将生が演じるのは、ご想像のとおり不倫相手の高槻だ。自分を律することができない弱さがあって、最後はみずから破滅していく役柄。その彼が、車の中で人生について長いセリフをえんえんと語る。緊迫感のある場面だ。大映しの彼の双眸のきらめきに、吸い込まれそうだった。

 

映画の後半で、さらに原作にはないストーリー展開がある。みさきは、母親が災害で死んだのは助け出さなかった自分のせいだと、自責の念を持っている。同様に家福は、妻の死は自分が早く発見しなかったからだと悔恨する。そんな二人が、みさきの郷里である北海道の小さな町まで、サーブを走らせる。その旅の途中で、二人が心を開いていく過程が丁寧に描かれた。過去から解き放たれ、明るい未来を感じさせて終わる。

 

海外でも定評のある村上春樹が原作だから映画の評価も高いのでは……と見ないうちから決めつけていたが、見終わった後はそんな自分を恥じた。

ズシリと重い感動。脚本も演出も研ぎ澄まされている。濱口監督は、村上氏の文学作品を、見事な映像作品へと昇華させた。見る人の心の奥底に響く映像や音声は、文化や言語を超えて、海外の人々の心をも動かすのだろう。映画を見て、改めて納得する。

 

余談ながら、この赤いサーブは、わが地元の区内の自動車整備工場から提供されたものだそうだ。親しみが湧くとともに、ますます応援したいと思った。

今月28日の朝、アカデミー賞授賞式の生中継を見よう。彼らの受賞シーンが見られることを期待して。





おススメの本、恩田陸著『薔薇のなかの蛇』2022年02月20日


 久しぶりに本の紹介です。

この本は、地元の図書館に予約を入れてから、8ヵ月後にやっと手元に届いたのです。なぜ読んでみようと思ったのか、どんな内容なのかもすっかり忘れていました。人気があることだけは確かです。たぶん私も、恩田さんの本ならおもしろいに違いないと思って、予約して待ち続けたのでしょう。




あえて、情報を持たないままで本を手に取りました。

表紙には、血のような深紅の薔薇、レンガ造りの館と、女性が一人、花の上に載っている。よく見ると、茎には緑色の蛇が……。

いかにもいわくありげな雰囲気で、誘われます。

おもむろに、目次のページを開くと、暗い靄に覆われた木々と館の絵とともに、10章の見出しはすべてカタカナ言葉。各章の扉のページにも同じ作者の絵がモノクロで挟まれている。序章を読み始めて、ようやく物語は異国、イギリスだとわかってきます。しかも、ストーンヘンジからもほど近い、巨石の並ぶ遺跡の中の村。人間のような大きな石がえんえんと続き、そこに暗く重い霧が立ち込めている……。なんとも不気味な、おどろおどろしい事件の起こりそうな……と思ったとたん、さっそく始まりました。

祭壇のような巨岩の上に、まるでいけにえのように置かれていたのは、頭と手足のない胴体。それも上下に切り分けられ……。

 

むごたらしい話は嫌いです。読むのをやめようか、とも思いました。

でも、イギリス人らしい男性二人が会話をするシーンは、文字どおり血なまぐさい話がドライなタッチで描かれて、しかも状況説明がわかりやすい。安心して読み続けました。

章が移ると、またまた興味をそそられるアイテムがたくさん。古めかしい館、落ちぶれた貴族、黒マントの人物、一族に引き継がれる「聖杯」、ハロウィンナイトの誕生会……。とはいえ、現代の話なのですから、時代錯誤を逆手にとって興味をそそります。

アーサー、デイヴ、アリスのきょうだいも、彼らの父親も、叔父たちも、日本人女性のリセも、それぞれに個性的で、魅力的。心理描写も、ウィットに富んだセリフも、イギリス映画を見ているような気分を味わいながら、謎の殺人と、脅迫と、失踪と、これでもかというくらいどんどん出てくる不可解なミステリーの渦に、どっぷりと浸かってしまいました。

終盤になって、ようやく謎解きが始まります。意外な展開の爽快さにも、心が躍りました。

 

ちょうど、ワクチン接種の直後で、副反応に備えて家にこもることにしていました。本は、スローな私でも、ほぼ一日で読了しました。

ああ、おもしろかった!のひとこと。久しぶりに、難しいことは考えずに楽しむだけの読書ができた気がします。

そんな読書がしたい方、おススメです。

 

ちなみに、この本は恩田さんの理瀬シリーズ全8作の最新作だそうです。読んだ後に得た情報で、それを知らなくても、この本だけでも完結していて楽しめます。

これから、前作を順番に読む楽しみもできました。


 


自閉症児の母として(71):『52ヘルツのクジラたち』を読んで2021年05月02日


町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』は、今年の本屋大賞に選ばれ、今話題を呼んでいるようです。新聞広告や書評欄でも何度も目にし、朝日新聞のコラム「天声人語」でも取り上げられました。

私も興味を持ち、書店で購入。読み始めたら止まりませんでした。

子どもに対する虐待や育児放棄、さらには耳新しいヤングケアラー、トランスジェンダー、自殺などの社会問題が詰め込まれています。

とはいえ、著者のたしかな文章力で、登場人物はキャラクターがくっきりと立ち上がり、主人公を取り巻く愛すべき人々が織りなすドラマを見ているようなわくわく感も味わえます。

 

424日の「天声人語」によると、本のタイトルになっているのは、米国の西海岸に生息すると信じられてきた一頭のクジラ。仲間には届かない超高音の52ヘルツで歌い続け、「世界一孤独なクジラ」と呼ばれるのだとか。

この小説の中では、親からたばこの火を舌に押し付けられるという虐待を受け、そのショックから言葉が発せなくなった少年のことを指しています。

 

私がこの物語のクライマックスを読んだのは、前回のブログ記事で書いた『僕が跳びはねる理由』の映画を見に行く前夜でした。本を読んで、久しぶりに涙腺全開、滂沱の涙。翌朝の瞼の腫れ具合を思うと、これ以上先へは進めない。結末を読まずにそこで本を閉じたのでした。

 

そして、映画を見て、思ったのです。

自閉症の息子たちもまた、52ヘルツのクジラなのだと。

言葉を発することがなかったり、たとえ話せたとしても、自分の感情や本当の思いを伝えることができなかったりする。そんな自閉症者も同じだと思いました。

小説のヒロインのように、52ヘルツのクジラの声を聞こう。息子の本当の心の叫びに耳を傾けなければ。初心に返った瞬間でした。

これからも、息子の代弁者として、彼の声を世の中に伝えていきます。親亡き後も、息子を支援してくださる人々に、息子の声が正しく届きますように。母としての願いです。


ところで、物語の少年はどうなったか。声なき声は届いたのか。

それは、ぜひご自身で読んで、お確かめくださいね。

本屋さんがいちばん売りたい本として、一押しのこの一冊、もちろん文句なしに私からもおススメの本です。




伊吹有喜著『彼方の友へ』を読んで2021年04月16日



「面白いから読んでみて!」と友人が貸してくれたのがこの本。実業之日本社文庫の分厚い一冊です。

小説は、平成29年下半期の直木賞候補にもなっています。

 

時は昭和12年。佐倉ハツという16歳の少女が、憧れの少女雑誌『乙女の友』の編集に関わるようになるところから物語は始まります。最初は雑用係として、やがて編集部のれっきとした一員になり、さらには小説も執筆するようになっていく。

しかし、少女の成長していく様をつづっただけの物語ではありません。昭和12年から昭和20年といえば、日本が戦争に向かって走っていき、やがて敗戦を迎えるという時代背景がある。この時期の小説がそこから逃れることはできません。

 

前半は、雑誌の販売が軌道に乗っていた頃の話が展開します。出版社の社長や編集長、主筆と呼ばれるイケメン風の男性、ハーフのような美形の画家、気の強そうな女性執筆者たち……。こと細かく描かれたたくさんの人物に囲まれ、少し気の弱そうな主人公ハッちゃんが、右往左往しながらも彼らに支えられて頑張る毎日がつづられます。

 

ところが、半分を過ぎた辺りから、がぜん事態は深刻になっていくのです。

世の中に戦争の影が暗く落ちてくる。日本国民一丸となって戦争に勝利するための行動をとらなくてはならない。紙の無駄遣いのような少女雑誌はけしからん。華美な装飾はけしからん。敵性語はけしからん……。

雑誌はどんどんと追い詰められ、男たちは戦争に駆り出されていきます。

そして、空襲が東京を覆いつくす日々。ハツたちの体験した空爆の様子に、ただただ息をのむばかりでした。

 

若い頃の物語に、時々さしはさまれるのが、現代の介護施設に暮らすハツ。車いすで、うとうとしては、遠い日々の夢を見たりしています。

ある時、そこへ若い訪問者が現れて面会します。ハツが90歳を過ぎた今、最後の最後に、彼の言葉によって物語の全景が見えてくる。昭和の昔に埋もれてしまったような謎のかずかずが明らかになるのです。

前半の詳しい情報は、すべて伏線だったということに気づかされます。戦争がもたらした悲劇。それを乗り越えて進もうとする人々の熱い思い。そして、恋……。謎のまま残された部分さえも、いとおしく思えてきます。

前半を読んでいた時、いまいち入り込めないなどとちょっとでも思ってしまった自分に恥じ入りながら、後半は涙が止まりませんでした。

 

そして、巻末の解説によると、この小説はあくまでもフィクションだけれど、実在する『少女の友』という雑誌がモデルになっているのだそうです。1908年に実業之日本社から創刊され、1955年まで続き、当時の少女たちを夢中にさせたとか。執筆者には、川端康成、吉屋信子、堀口大學などなど、一流の作家たちが名を連ね、イラストは中原淳一が人気を博していたといいます。

 

残念ながらこの雑誌は、私の少女時代にはすでにこの世にありませんでしたが、2009年に、『少女の友』100周年記念号というものが発行されたとのこと。さっそく調べて図書館に予約を入れたところです。

 

私より、少し先を行くお姉さま方なら、きっと覚えておいでではないでしょうか。そんな皆さまにおススメしたい一冊です。




おススメのエッセイ集、『金木犀の香るころ』壬生幸子著2021年03月03日



エッセイ仲間の友人が、これまでのエッセイを一冊の本にまとめました。

彼女とは20年以上もの長いお付き合い。NHK学園の通信エッセイ専任講師を二人で務めてきた仲です。

 

まずはこの本を手に取っていただくために、とっておきの情報からお伝えしましょう。

幸子さんは、あの今話題の人物、渋沢栄一さんのひ孫さんなのです。

とはいえ、ひいおじいさまのお顔も知らず、あまり関心もなかったそうですが、やはり偉人の残した業績は大きかった。75年前に彼が日米親善のため力を尽くした慈善事業の記念式典に、彼女も立ち会うことになったのでした。

――「人形たちの同窓会」より

 

彼女は本物のセレブなのに、全然お高くとまったところがなく、かと言って、あえて隠し立てするでもない。あるがままの自分を見つめ、飾らずに素直に書きつづります。

大勢の家族やたくさんの友人とのエピソードを読んで感じるのは、彼女のこまやかな心遣い、女性として年を重ねていく心の機微。同世代の私には、とても胸に響きます。

文は人なり。そこが彼女の魅力です。

 

しかも才色兼備の幸子さんは、見かけによらず行動的でエネルギッシュ。ご主人の転勤で暮らしたロンドンの日々や、旅先で訪ねた各地のエピソードにも印象深いものがあります。

 

その一方で彼女は、慌てふためくようなハプニングにたびたび遭遇するのですね。それをまるで外国の喜劇映画のように、オシャレで面白おかしいエッセイに変えてしまう。彼女は三枚目の女優さんとなって登場します。

例えば、タクシーの運転手から加藤登紀子に間違えられた話、江口洋介にマンションの部屋を貸した話、パリでイケメンの青年にお金をだまし取られた話……などなど。何度読んでも笑えます。

 

最後に置かれたエッセイ「心を寄せる」は、ほかでもない美智子さまのこと。今の上皇后陛下であられるお方とのエピソードです。

一人の女性として幸子さんのお手本は美智子さまなのだ、と気づくとき、彼女の内面の美しさも見えてくるようです。

この珠玉のエピソードは、ぜひ皆さんご自身が、本をお手に取ってお読みください。

 

このエッセイ集はアマゾンなどでお買い上げいただけます。

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続・想像力2021年02月02日


前回の記事には続きがあります。

ヤマザキマリさんの『たちどまって考える』を読んで、想像力の大切さを説いているように感じた、と書きました。

ちょうどその本を読んだのと同じころ、朝日新聞のオピニオン&フォーラムに、「不寛容の時代」と題して、作家の桐野夏生氏が寄稿していました。


 

桐野氏といえば、20年以上前に『OUT』という小説を書いています。パート勤めのふつうの主婦が、何かのきっかけで夫を殺してしまう。その遺体をパート仲間で解体するという壮絶なシーンがありました。登場人物と一緒になって悲鳴を上げながら読み、友人たちと本を回し読みしたものです。すごい作家だと驚きました。女性でもこれだけ凄惨なシーンを書くのだと、半ばあきれ、半ば敬服したい思いに駆られたのでした。

 

新聞の寄稿文では、桐野氏はこんなふうに述べています。

あるインタビューで、「なぜ犯罪者を書くのですか」と問われます。それは彼女自身にもわからない。わからないまま闇の中を進むのも、小説を書くことなのだという。

正義と悪、右と左のように、二元論で語られるほど、人間は単純ではないから、法を犯すという事実を、単なる「犯罪」という言葉だけで片付けて、おもんぱかろうともしない人々は、傲慢で不寛容だ、とも書いています。

 

小説は、自分だけの想像力を育てる。他者と違うことが他者を認める礎となり、他社が取り巻かれている事実をおもんぱかる力を養うのである。それが想像力という力だ。

 

その言葉は、ヤマザキマリさんの言わんとする想像力の大切さと同じなのだと思いました。

そしてそれは、小説を読む醍醐味でもあり、小説愛好家へのエールにも思えたのでした。

赤い文字は、ほぼ原文のまま引用させていただきました)


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