自閉症児の母として(81):バレンタインデー ― 2024年02月16日
「僕はバレンタインデーに、ママからチョコレートをもらうよ」
長男が、1週間ほど前に、電話でこう言いました。
週末しか自宅に帰らないので、水曜日のバレンタインデーに、どこでチョコレートをもらえるのか、心配しているのでしょう。私はそれよりも、彼のセリフに感動しました。
なぜって、間違いのない日本語だったから。
自閉症の息子は、混とんとした世界で生きています。特に、人間関係の把握が苦手なので、コミュニケーションも苦手。まして、もらう、あげる、くれる、など、動作の方向性を表す言葉は、正しく言えたことがありません。
「ママが僕にチョコをもらう」だったり、「僕はママからチョコをくれる」だったり。考えてみれば、日本語は難しい。それが普通に言えるようになることこそ、不思議なことなのでは……と思えてくる。
ところが、彼の今年のチョコ催促は、完ペキ?でした。
今週は特別忙しいのだけれど、感動のあまり、待ち合わせの場所を決め、持って行ってあげることにしてしまいました。
バレンタインの前日は、息子の主治医のクリニックに行きました。これまでずっと、本人は行かずに私だけで1ヵ月の様子を伝え、精神安定剤を処方してもらっています。先生はこの地域の障害者福祉についても詳しいので、いろいろと相談に乗ってもらうこともあります。
その日、たまたま待合室で居合わせたのは、若い男性と私よりも少し若そうな女性の二人連れ。おそらく親子なのでしょう。男性は落ち着きがなく、ぶつぶつと独り言を口にしている様子からも、すぐに息子と同じ症状だと思いました。
「明日はバレンタインだ。明日はバレンタインだ」と彼。
「うん、そうだね」とお母さん。
しばらくすると、またその応答の繰り返し。彼もまた、チョコがもらえるかどうか気が気ではないのかな……。息子と同じだと思うと、親近感がわいて、マスクの下で思わず口元がにんまり。
ドクターとの面談で、たった今、待合室で見かけた母子の様子を、「息子と同じですよ。2月14日には、きちんとチョコレートがもらいたいんですよね」と、話しました。
「まさしく、他人の空似ですねぇ。そういうカレンダーどおりの行動がとりたいというこだわりの強い、よく似た人たちが、他人なのに確かにいるんですよね」
「自閉症スペクトラムというくくりに収まる人たち、というわけですね」
おもしろいですね。不思議ですね。二人でうなずき合いました。
さてさて、バレンタインデー当日、息子の仕事が終わった後、待ち合せの場所でチョコレートの包みを渡しました。さっそく箱を開けて、ふたりで1粒ずつ食べました。
その日の夜、いつものように夕食後に、グループホームの息子から電話がありました。その晩の夕食のメニューを教えてくれます。それから、
「あ、そうそう、バレンタインデーのチョコレート、いかがでしたか?」
「ちょっとぉ、それは私の言うセリフ。『いかがでしたか』じゃなくて、そこは『ありがとうございました』でしょう!」とつっこみを入れる。
「あ、そうか、チョコありがとう」
はいはい、どういたしまして。
かくして、無事に、年に一度のイベントは終了したのでした。
クリニックの男性も、チョコレートをもらったかしら。やっぱりお母さんからだったかな……
自閉症児の母として(80):「息子の起こした“大事件”」の番外編その2 ― 2024年01月31日
息子の通勤に付き添ったのは、正確には夫と私だけではありませんでした。自宅にいる次男も、時間の許すかぎり、付き添ってくれました。
そして、「福祉」ではなく、有料のヘルパーさんも。
私は、送迎のかたわら、移動支援のヘルパーを頼もうと、区役所の相談窓口に問い合わせました。ところが、幼児や小学生向けの通所サービスはあっても、息子のケースに該当するサービスはありません。グループホームで生活し、10年以上も就労継続A型の作業所に通っている37歳の息子には、必要がない。そう決めつけられているようです。
区役所福祉課の担当者は、
「通所サービスを受けるには、両親が障害や病気、仕事がある場合に限られます。その場合は診断書や就労証明書を提出して申請してください」と言います。
高齢者の仲間入りをしている私たちに、就労証明ですって?
「もう一つの行動支援というのは、送り迎えだけではなく、外出先でも一緒にいて支援をするものです」
職場の中まで一緒に、というのでは、これはちょっと違う、と判断しました。
そこで、つぎは民間の相談支援センターに出向きます。
ここで、有料のヘルパーを派遣してくれる法人がいくつかあることを知りました。料金はいろいろだけれど、実費で柔軟なサービスが提供されるのです。3ヵ所の担当者とそれぞれ面接をし、ようやく1ヵ所と契約をして利用できるようになるまで1ヵ月半もかかりました。しかも料金は本人の収入に見合うものではありませんでしたが。
それでも、夕方だけ数回依頼すると、毎回同じおとなしそうな若い男性が付き添ってくれて、とても助かりました。
今回の一件では、いくつかの印象に残る言葉がありました。
「モトさんに適した福祉サービスがないのなら作ってください、ですよね」
区役所の福祉課でもらちが明かず、困っていた私たちに、グループホームの責任者がそう言いました。つまり、バスに乗るために付き添いが必要なのに、そのサービスが受けられないなら、新たなサービスが作られるべきなのだ、という考え方です。障害者一人ひとりに適した福祉サービスを提供すること。それが福祉だと彼は言いたかったのでしょう。
さすがに支援者のプロとして働く人は、視点が違うと思いました。頼もしい支援者です。
主治医のドクターは言います。
「障害者差別解消法という法律は出来上がっていても、まだまだそれを実践していく具体的な条例や施策が追い付かないんですね」
確かにそうです。今回のことで痛感しました。
それでも一歩ずつ、だれもが暮らしやすい社会になっていきますように!
自閉症児の母として(79):「息子の起こした“大事件”」の番外編その1 ― 2024年01月28日
息子は思春期の頃から、パニック発作を起こすことがありました。
激しい怒りや、小競り合いなどの敵対する感情など、テレビのワンシーンからでも、自分の中に取り込んでしまうのです。サッカーの試合ばかりではなく、かつてのプロ野球中継でも監督が怒りを表すシーンや、お笑い芸人の真剣なふりをした怒りに対しても、同様でした。
それはなぜか。少しだけ答えが見えています。
彼の世界観、つまり、息子がどのようにこの現実世界をとらえているのか、37年間に及ぶ彼の子育てで、ようやくここ数年前からわかってきたように思っています。彼の頭の中を覗き込むことはできませんから、あくまでも私の想像にすぎませんが。
彼の世界は、混沌としている。自分と相手の区別がつかない。だからこそ、その混沌を少しでも秩序を持たせるために、時間やカレンダーに興味がある。予定表があれば安心できる。逆に、予期せぬことが急に起きると、冷静な判断が難しい。
だから、熱中してくると、テレビ画面の向こうの世界も、それを見ている自分の空間も、区別ができなくなり、一緒になって暴れてしまう。面白いシーンで一緒になって大笑いするのと同じように。
ただし、このようなパニック発作が、かならずしも自閉症の特徴ではありません。誤解のないようにお断りしておきたいのです。同じ世界観を持っているかもしれませんが、自閉症のだれもがパニックになるわけではありません。残念ながら、息子の個性、性格的な部分からくるものでしょう。
そして、息子は同じ状況になると、パニックを起こすスイッチを入れてしまう傾向がある。そのルーティンを自分で断ち切ること、それが彼の重要な課題です。
「37年間に及ぶ子育て」と書きました。今なお、彼は成長しているからです。まだまだ、親の役目、苦労の種は尽きません。その分、息子の成長を感じる喜びがあります。たくさんの方がたに支えてもらいながら、もうちょっとがんばっていきますね。
自閉症児の母として(78):息子の起こした“大事件” ― 2024年01月22日
昨年9月のある日のこと、夕方5時ごろ、電話が鳴った。
「高津警察署の地域第3課の加藤と言います」
あ、詐欺電話? 一瞬身構える。
「石渡モトさんがバスの中で暴れましてね……」
その声の向こうで、息子が何かしゃべる声が聞こえた。間違いなく本物だ。いったい何をしでかしたのだろうか。
彼には自閉症という障害があり、4年前から家を出て障害者のためのグループホームで生活している。職場へは30分足らず、電車とバスを乗り継いで通う。バスには障害者用のフリーパスを利用して乗車し、療育手帳も携帯しているので、運転手はもちろん、通報を受けて駆け付けた警察官も彼の素性がすぐにわかったようだ。
加藤さんと何度か電話のやり取りをしたあと、夫と二人で、指定された場所に車で向かった。そこはホームに帰る途中のバス停の近く、物流倉庫の駐車スペースで、辺りは暗くなっており、すでにバスも乗客の姿もなかった。
バス停のベンチにいた息子は、「スマホのユーチューブで、サッカーの試合を見てたの」と何度も言った。それだけで夫も私もピンときた。彼は以前からテレビの試合観戦で小競り合いのシーンを見ると、怒りの興奮を自分の中に受け入れてしまってパニックを起こすことがあったのだ。そのたびに扇風機を倒したり、テレビのリモコンを投げつけたりする。自宅にいる時に限られていたのに、よりによって乗客の多いバスの中で起こすとは……。
若い巡査が、小さなスマホの動画を見せてくれた。バスの運転席の車載カメラがとらえた映像だ。鮮明ではなかったが、チェックのシャツを着た息子が急に立ち上がって動く様子が見えた。
巡査の話によると、座ってスマホを見ていた息子が、突然右隣の若い男性を殴り、左隣の60代女性にも手を上げたが、女性は出口に向かって逃げ、その後、向かいにいた男子小学生の足を蹴った。バスは停車し、その3人だけでなく、乗客たちは全員バスを降りて、次に来たバスに乗りかえていったという。
巡査は私たちの気持ちをなだめるように、「自分も障害者施設に仕事で行くことがあるし、いとこにも同じような障害者がいるので、よくわかりますよ」と話してくれた。
加藤さんは、「障害者ということで、今回の件は事件として成立しません。あとは、当事者同士で話し合ってください」と言った。
親として、迷惑をかけた3人の方にはお詫びの言葉だけでも伝えたかったので、こちらの電話番号を先方に知らせてもらい、電話を受ける方法をとった。ただ男性だけは、「障害者じゃ仕方ない」と言ってすぐ去ったそうなので、連絡先もわからないという。
足を蹴られた小学生のお母さんは、その夜、電話をかけてくると、「障害のある方とは気づかず、110番してしまってごめんなさい」と、逆に謝られてしまった。「子どもはケガもしていないし、何も気にしていない様子で今もポケモンゲームで遊んでるぐらいだから、心配いりませんよ」とも言ってくれた。理解あるやさしい言葉にほろりとする。
もう一人の女性からは、「出口に向かって逃げた時に、つまずいて足を捻挫したので治療費と、パートを休んだ分の賃金も補償してほしい」と言われた。息子は傷害保険に加入していたので、それですべて支払った。電話に出た夫に対しては、「もうバスに乗せないでほしい」などと、くどくどと小言を連ねていたようだ。当然だろう。私も同じ目に遭ったら恐怖で縮み上がって、家族に対して文句の一つも言いたくなるかもしれない。女性はその後は何か言ってくることもないので、良識ある人でよかった、と思っている。
さて問題は、バス会社だった。迷惑をかけたことを詫びて、「1週間ほど、同乗して通勤に付き添いますので」と申し出たところ、営業所の責任者から、「今後二度と再発しない対策をお願いしたい。1週間の同乗だけでは、その後が不安ですよね。お客様の100パーセント安全な保障が必要です。医師などの専門家の診断を聞かせてほしいのです」と言われてしまった。
主治医の精神科のドクターに相談する。
「付き添いをするにしても、せいぜい3ヵ月でいいのでは。ちょうど年末年始の休暇が区切りにもなるし。大事なのは、本人の意識のなかでの再発防止策、リスクヘッジが必要ですね」
というわけで、その3ヵ月を、夫と私、有料のヘルパーなどで手分けして通勤に付き添うことにする。夫が休みの日にはホームに迎えに行き、バスと電車で職場の最寄り駅まで付き添う。腰痛を抱えていた私は、ほとんど車で送迎。朝夕1時間ずつかかる。誰も付き添いの都合がつかない日は、息子は欠勤した。
そして、もう一つの対策は、息子のスマホに視聴制限を設けること。YouTube、NHK、ニコニコ動画など、動画を見るためのアプリ9つを対象に、平日の通勤の時間帯には利用できない設定にした。ルールを破ってまで、車内で動画を見ることは、彼の几帳面な障害特性からいっても考えにくい。これが一番の決め手だと思えた。
息子は私の運転する車の中で、「ゲーム・プレイ・オンリー」と呟いてはスーパーマリオに熱中する。合間に「迷惑行為を防ぐには?」などと口にする。自分の状況はわかっているのだ。
かくして3ヵ月が終わろうとする頃、主治医のドクターからのアドバイスで、障害者問題に詳しい弁護士にも相談した。今回のバス会社の対応は障害者の人権を侵すもので、障害者差別解消法からすれば明らかにアウトだという。その件に関してバス会社との話し合いの場を設けるため、第三者によるあっせんをしてもらえることを知った。
しかし、バス会社には乗客の安全を守る責任もあるわけで、行き過ぎだったとも思えない、と私が首を傾げると、弁護士は、「バス会社は『今後はどうしたらいいのか、一緒に対策を考えていきましょう』というスタンスを取るべきだったんです」と教えてくれた。
大ごとにはしたくなかったので、バス会社にひとこと報告したうえで、息子は1月から以前のように単独でバスと電車に乗って通勤することにした。ときどきは、一緒に乗って見守る必要もありそうだ。
さらに「スマホの動画視聴は生涯禁止です」と言い渡しておいた。
息子がトラブルを引き起こした日は、彼の誕生日だった。中秋の名月が頭上に輝くころ、ようやくホームに戻って、世話人さんたちに「ご迷惑をおかけしました」と謝ったあとは、用意してあった誕生日祝いのごちそうやケーキをおいしそうに食べたという。
私たちがこの3ヵ月に味わった苦労は、けっして無駄ではなかったと思う。息子の脳の障害の難しさを改めて思い知ると同時に、彼は社会に守られ、理解ある人々に助けられていることを実感できた。
私は障害者の家族であり、一般市民でもある。2つの立場を行ったり来たりしながら、障害のある人もない人も、より暮らしやすい社会になるように、この経験を次につなげていきたい。
ダイアリーエッセイ:私へのプレゼント ― 2023年12月24日
12月20日に、その日発売のCDが届く。
桑田佳祐&松任谷由実の「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」。長男はサザンのCDやDVDのすべてを買いそろえてきた。
この曲は、桑田君の以前のアルバムに入っていたから知ってはいたのだ。それでも、今回はレコーディングもし直して、リメイクしたというので、楽しみにしていた。
翌朝、10月からのルーティンで、車で息子をグループホームに迎えに行き、職場に送り届ける。息子は、9月にバスの車内でトラブルを起こしたため、もっか「単独乗車は謹慎中」なのである。そのドライブの時にCDを聴いた。
イントロは10年前と同じなのに、なんと桑田君の歌い方はやさしいのだろう! 彼のこてこてハードロックの歌いっぷりからは想像もつかない。
ユーミンの少女のような高い声も、なんとかわいらしいのだろうか。
どちらも、今の私の心にしみこんできた。
2人とも、私とはほぼ同年齢。シンパシーとリスペクト……あえてカタカナ言葉が浮かぶ。
そして、以前のアルバムにはなかったフレーズが聞こえてきた。
「恋人がサンタクロース♪ 本当はサンタクロース♪」と、桑田君が歌う。
すると今度は、ユーミンがスローテンポで歌う。
「だから好きだと言ってー♪ 天使になってー♪」
あの名曲、「波乗りジョニー」だ!
目くるめく思いが沸き上がる。もう20年以上前の曲で、あの頃の思い出をすべて乗っけて、サーフボードがこちらに向かってくるようだった。
当時、新しく乗り換えたホンダ車オデッセイのナンバーには、
「7373」と付けた。曲のタイトルをもじって、この車を「ナミナミジョニー」と呼んでいたっけ。
歌詞のなかで、次のようなくだりがある。
「どこへ向かっているのか 時々わからなくて きっと大丈夫だよね 新しい日を夢で変えてゆける♪」(一部抜粋)
さらに、「あなたへの プレゼント……♪」と、ささやくように歌ってくれて、涙がこみ上げる。
今年は、激動と混乱の日々だった。必死で乗り越えてきた今、この曲は、私へのプレゼントなのだ、と思えた。
フロントガラスの向こうには、この日も冬晴れの青空が広がり、葉を落とした並木道の木々が、天に突き刺さるように並んでいる。
12月21日、この日は私の誕生日だった。
皆さん、メリークリスマス❣❣
800字のエッセイ:「モヤモヤするバアバたち」 ― 2023年11月05日
モヤモヤするバアバたち
私の友人たちの多くは、子ども世代の子育てを手伝う日々を送っている。
たまに集まると、孫話で盛り上がる。
ある時、M子がこんな話をした。
娘が幼い孫たちに昼食を用意する時に居合わせた。
「お昼、何が食べたい」と娘。
「ラーメン!」と孫たち。
「わかった」と言って娘は、スーパーに食材を買いに行き、そして作り始めたという。
「娘は、子どもの自主性が育つから、と言うんだけどねぇ」とM子は首をかしげる。「私たちの子育て中は、子どもに聞いたりしないで、冷蔵庫にある材料で、栄養も考えて作って、はい食べなさい、と与えたよね」。
すると、今度はA子が話し始める。
嫁が2歳の孫娘を連れて泊まった時、パンをたくさん買ってきた。
嫁は孫に、「これ好きでしょ?」とパンをちぎって与える。「これもおいしそうだね」と別のパンを与える。すぐに2歳の胃袋はいっぱいになり、ごちそうさまとなる。
そして、残ったパンを嫁がゴミ箱に捨てた時は、さすがにA子の目が点になった。
「フードロスだけはいけないよね」
私たちは昔から「食べ物を残すな。粗末にするな」と言われてきた。
私たちの子育ての常識が子ども世代に通用しない。わが子の気持ちを大事にするのはわかるけれど、今のご時世、なんだかね……とみんなでモヤモヤする。
でも、私たちの子育てだって、親の世代からすれば「ちょっと変」だったことだろう。時代が変われば子育ても変わる。温かく見守ってあげなくては、と思う。「でもさ、絶対譲れないことだけは、きちんと説明してわかってもらおうね」と、みんなでうなずき合うのだった。
800字のエッセイ:「母の日のユリの花」 ― 2023年06月22日
母の日のユリの花
わが家の36歳の長男は、知的障害があるのだが、家を出て障害者のためのグループホームに暮らし、週末だけ自宅に戻る。
2年前の母の日、彼はひとりで花屋に行ったらしく、帰ってくるとカーネーションの花束を差し出して、「母の日、おめでとう!」と言って手渡してくれた。予期せぬことに、私はびっくりして泣きそうになった。
でもそのあとで、花屋のレシートまで渡されたときは、苦笑してしまった。
1年前もカーネーションをもらった。そして今年は、たまたま夫も一緒に出かけて、花屋の店先で、「ママはユリが好きだよ」と教えたそうだ。
息子は「おお、わかった」と言って、大ぶりの白いユリの枝を一本買ってきてくれた。「わあ、ありがとう!」と受け取り、ガラスの花瓶にさして、リビングに飾った。
開いた花は見たこともないほど大きい。つぼみも3つ付いている。毎日1つずつ咲いて、濃厚な甘い香りが家中に立ち込める。この香りが好きなのだ。
花粉が服に付くと落ちにくいので、いつもならおしべを取ってしまうのだが、今回はそのままにしておいた。オレンジ色のおしべが目鼻口で、まるで白い顔が笑っているように見えて、なんだかおかしい。花のサイズも私の顔と変わらない。
そういえば息子が子どものころ、「ママの顔」の絵を描いたことがある。ピースマークみたいに、口は耳元まで延び、両目は半円を描いて笑っていた。息子にとって、ママはいつでもこんなふうに満面の笑みでいてほしいのだろうなあ、とつくづく思ったものだ。
子育ての日々はそうそう笑ってばかりはいられなかったけれど、これからはずっと、この花のような笑顔でいよう。息子はこんなに素敵な紳士に成長してくれたのだから……。
いつまでもつかわからない花のように、いつまで続くかわからない小さな誓いをこっそり立ててみるのだった。
自閉症児の母として(77):支援者の皆さんにお話をしました ― 2023年02月02日
毎年冬の時期に、東京都発達障害者支援センター主催の支援員研修会のなかで、自閉症児の母として、お話をさせていただいています。
コロナ禍で、中止になったり、オンラインになったりして、今回は3年ぶりに対面となりました。
講話のテーマとして、「子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと」とあります。これも毎年ほぼ同じで、年に一度、子育て振り返りの機会をいただくと、お話ししたいことが少しずつ違っていることがわかります。過去のエピソードが変わることはありませんが、新しい気づきがあったり、意味を見出したりするのです。なんと貴重な機会を頂いていることかと、ありがたく思います。
◎まず、子育てを通して学んだことは?
★その1
あるがままを受け入れて心を通わせていく〈受容的交流方法〉。
キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。
子どもの気持ちに寄り添うことは、障害児の子育てばかりでなく、健常児でも、高齢者の世話をするときも、人との付き合いにおいても、人間関係の基本ではないかと思います。
★その2
子育ては、みんなに助けてもらうことが大切です。
家族、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらわなければできません。親が子どもを抱え込んで壁を築いては、いつか行き詰ってしまいます。
本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。
★その3
毎年、必ずお話ししたい2つのエピソードがあります。
うちの子に限って、どうして……と悩んでは泣いてばかりいたころ、施設の園長先生から聞いた言葉です。
「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」
ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。
その時から、私は神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。ポジティブシンキングは大切ですね。
同じように、園長先生はこう言われました。
「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切にしてください」
どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。
今でも私の座右の銘です。
だからこそ、エッセイを書き続け、エッセイに支えられ、仕事にもなり、私の人生に、なくてはならないものになりました。
自閉症の息子についてのエッセイ集を出版したことも、こうしてお話しすることに役に立っているのです。
★その4
自閉症は、自分に閉じこもるのではなく、自分と他者との境界がない、混沌とした世界の中にいるように感じています。だから、人と自分との関係性がわからないのです。
・ただいま。おかえり。その区別がわからない。
・プレゼントは誰が誰に贈るのか。だれからもらったのか。
・母の日には、ママとカーネーションが必須アイテムで、誰が買ってきても、それはまったくの不問。
・「暴力事件が勃発した!」と言うのだけれど、誰が誰をたたいたのか。加害者と被害者の区別がわからない。
・スポーツ中継など、テレビの画面で小競り合いが起きると、その感情が自分の中にも流れ込んでしまって、パニックになる。
だからこそ、その混沌を秩序立てるために、変更のないカレンダー、前もって決められたプログラム、例外のないルールなどが必要なのでしょう。彼には大事な生活の必需品です。その枠組みで世の中が正常に動いていれば、突発的な異常事態が起きなければ、彼は安心していられるのです。
そこで気がついたこと。
息子は、16歳の時に側わん症になり、背骨をまっすぐにするために、8時間に及ぶ手術を受け、20日間も入院していました。完全看護でしたが、特別に私が付き添いを認めてもらって、2人部屋で寝泊まりしました。それでもよく頑張って、退院までこぎつけたと思います。
そういえば、彼は小さい頃から、注射や薬などで、親を困らせることはありませんでした。
おそらく彼は、病気という異常事態こそが許せないのです。熱が出たら、早く熱を下げたい。背骨が曲がってくれば、まっすぐに治したい。その価値観が強かったから、治療にもおとなしく従ったのではないか、と思うのです。
そして、その後2度も手術を受けますが、最初の経験がしっかりと生きて、怖がらずに自分から進んで手術室に入っていった姿がとても印象的でした。
◎支援者に望むことは?
療育や支援は、けっして障害者を健常児に近づけることではない、と思うのです。ノーマライゼーションとは、社会が障害者の環境を整えることで、健常者と同じように暮らしやすい場を作っていくことではないでしょうか。
例えば、自閉症の人たちは、息をするように独り言をいうのですが、それをうるさいからやめて、というのでは、障害イコール迷惑だ、となりかねません。周囲の人が気にしないですむ環境作りを工夫してほしいのです。
障害児を普通に近づけようとすることは、障害は良くないものという前提があって、障害児を否定することに通じてはいないでしょうか。
息子のことを「面白いですよね」と言われると、うれしくなるのはなぜでしょう。障害を持っている、そのままの息子を受け入れてくれていると感じるからです。
36歳の息子は、今なお成長を続けています。
自閉症は決して消えません。治るものではありません。
ですから、彼の成長とは、障害を抑え込んで健常者に近づくのではなく、社会で少しでも生きやすいように、折り合いをつけるすべを身につけていくことなのです。
これからも、どうか温かいご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
▲東京都発達障害者支援センターは、息子が3歳からお世話になってきた施設が受託しています。この建物は、一度建て替わりましたが、ここには30年以上も通い続けていることになります。
1000字エッセイ:娘の上海事情 ― 2022年05月15日
☆ 娘の上海事情 ☆
娘は2021年2月、コロナ禍の真っ最中に、夫を東京に残して上海に単身赴任した。
その頃の中国は、厳しいゼロコロナ政策を取り、感染者数を抑え込んでいた。ところが、今年3月になると、上海市内の感染者数が急上昇し、ついにロックダウン。毎日のPCR検査以外は外出禁止で、娘の勤務はリモートワークとなる。
娘とはLINEでやりとりをする。込み入った用事があれば電話をすることもあるが、たいていはメッセージのみ。月に数回、仕事のじゃまにならないように、私にしては控えめな短めのメッセージを送ると、さらに短めの返信が来る。あまりおしゃべりな娘ではない。
上海の状況は、日本でも連日のように報道される。静まり返った街区や、PCRに並ぶ人々が映し出されている。
「検査の行列で、グレーのオーバーの女性、あなたにそっくりだったけど」
「残念、はずれ。今日は紺色のダウンでした」
ロックダウンは延長され続け、テレビニュースでは、「配給の食糧が届かない。餓死するよ!」と、ビルの窓から住人たちが叫んでいる。暴動まで起きているらしい。
もう子どもではないのだから、と思っても、さすがに心配になる。
「大丈夫なの?」と問えば、配給で届いた青菜やオレンジ、三十個入りの卵の写真などを送ってくる。一人では食べきれないほどの量だ。マンションで一括して取り寄せるという。欧米人の多く住む地域だから、優遇されているのだろうか。
五月初め、中国も労働節という五連休がある。久しぶりにのんびりと料理をした、と写真が届いた。
「トマト缶もオリーブ油もなくて、スープみたいだけど、ラタトゥーユです!」
トマト、ナス、マッシュルーム、ズッキーニなどの野菜が、お鍋いっぱいに入っている。買い物ができないので、香辛料もワインもないという。どんな味に仕上がったことやら。一緒に食べるはずの夫とも遠く離れて、それを一人寂しく部屋で食べているのかと思うと、母親としては切なくて涙が出た。
かと思うと、
「きのう、小麦粉と砂糖が来たから、今度はお菓子を作るね」
と、楽しそうなメッセージが届いた。
もともと娘は何が起きても動じないところがある。どこへ行ってもたくましくサバイバルするだろう。涙を拭いて応援しよう、と気持ちを切り替えた。
娘よ、がんばれ!
ダイアリーエッセイ:次男の卒業 ― 2022年03月29日
昨日は次男の大学の卒業式でした。
27歳にもなる息子の個人情報ではありますが、私は母親としての胸の内を吐露します。
彼は2年の頃に、ある挫折を味わい、「大学をやめたい」と言いだした。しかし、ここでそれを許したら、この先どんなことでも嫌になるとすぐに諦めるようなことになりかねない、と思った。休学はいいけれど、とにかく大学だけは卒業しよう。そう説得しました。それが息子のためだと思ったからです。
その後、コロナのせいでリモート授業一色になって、彼はまたもつまずいた。当時は、もし卒業までこぎつけたら、合格発表を見に来た日のように、私はうれしくて泣いてしまうだろうと思っていました。
最終的に、1年休学し、在籍期限の8年間を過ごし、合計9年かかって卒業が決まりました。
でも本人はとくにうれしそうではない。やっと足かせが取れてせいせいした……ぐらいの気分のようです。
だからか、私もなぜかあまり喜べない。馴染めない場所に通わせ続けて、本当にこれでよかったのかな、と思えてきます。
いや、これでよかった、と思える日が必ず来る。ここで学んだことがきっと生かされる日が来る。そう信じ続けよう。就職もせず、やりたいことをとことんやって、フリーランスで生きていく彼を、これからも見守っていこう、と新たな覚悟をしました。
昨日の卒業式は、保護者はコロナのため出席できず、本人は出席もしたくない。私は独りでキャンパスの写真を撮りに行きました。満開の桜の下、晴れやかな卒業生や保護者が大勢いるなか、ちょっと寂しかった……。
今日は、ゼミの食事会があるそうで、スーツを着て大学に行くというので、またとない写真撮影のチャンスとばかり、またキャンパスへついて行きました。
一日遅れですが、ようやく記念の写真が撮れたのでした。
次男にとっては大学卒業、私にとっては子育て卒業の記念すべき一枚です。
この大学には、わが子二人、姉と弟が大変お世話になりました。
私は来年もまた、思い出の桜を見に来ましょう。