1000字エッセイ:娘の上海事情2022年05月15日




☆ 娘の上海事情  

            

娘は2021年2月、コロナ禍の真っ最中に、夫を東京に残して上海に単身赴任した。

その頃の中国は、厳しいゼロコロナ政策を取り、感染者数を抑え込んでいた。ところが、今年3月になると、上海市内の感染者数が急上昇し、ついにロックダウン。毎日のPCR検査以外は外出禁止で、娘の勤務はリモートワークとなる。

 

娘とはLINEでやりとりをする。込み入った用事があれば電話をすることもあるが、たいていはメッセージのみ。月に数回、仕事のじゃまにならないように、私にしては控えめな短めのメッセージを送ると、さらに短めの返信が来る。あまりおしゃべりな娘ではない。

 


上海の状況は、日本でも連日のように報道される。静まり返った街区や、PCRに並ぶ人々が映し出されている。

「検査の行列で、グレーのオーバーの女性、あなたにそっくりだったけど」

「残念、はずれ。今日は紺色のダウンでした」

 

ロックダウンは延長され続け、テレビニュースでは、「配給の食糧が届かない。餓死するよ!」と、ビルの窓から住人たちが叫んでいる。暴動まで起きているらしい。

もう子どもではないのだから、と思っても、さすがに心配になる。

「大丈夫なの?」と問えば、配給で届いた青菜やオレンジ、三十個入りの卵の写真などを送ってくる。一人では食べきれないほどの量だ。マンションで一括して取り寄せるという。欧米人の多く住む地域だから、優遇されているのだろうか。

 

五月初め、中国も労働節という五連休がある。久しぶりにのんびりと料理をした、と写真が届いた。

「トマト缶もオリーブ油もなくて、スープみたいだけど、ラタトゥーユです!」

トマト、ナス、マッシュルーム、ズッキーニなどの野菜が、お鍋いっぱいに入っている。買い物ができないので、香辛料もワインもないという。どんな味に仕上がったことやら。一緒に食べるはずの夫とも遠く離れて、それを一人寂しく部屋で食べているのかと思うと、母親としては切なくて涙が出た。

 

かと思うと、

「きのう、小麦粉と砂糖が来たから、今度はお菓子を作るね」

と、楽しそうなメッセージが届いた。

もともと娘は何が起きても動じないところがある。どこへ行ってもたくましくサバイバルするだろう。涙を拭いて応援しよう、と気持ちを切り替えた。

娘よ、がんばれ! 


 



ダイアリーエッセイ:次男の卒業2022年03月29日


 

昨日は次男の大学の卒業式でした。


 

27歳にもなる息子の個人情報ではありますが、私は母親としての胸の内を吐露します。

彼は2年の頃に、ある挫折を味わい、「大学をやめたい」と言いだした。しかし、ここでそれを許したら、この先どんなことでも嫌になるとすぐに諦めるようなことになりかねない、と思った。休学はいいけれど、とにかく大学だけは卒業しよう。そう説得しました。それが息子のためだと思ったからです。

 

その後、コロナのせいでリモート授業一色になって、彼はまたもつまずいた。当時は、もし卒業までこぎつけたら、合格発表を見に来た日のように、私はうれしくて泣いてしまうだろうと思っていました。

 

最終的に、1年休学し、在籍期限の8年間を過ごし、合計9年かかって卒業が決まりました。

でも本人はとくにうれしそうではない。やっと足かせが取れてせいせいした……ぐらいの気分のようです。

だからか、私もなぜかあまり喜べない。馴染めない場所に通わせ続けて、本当にこれでよかったのかな、と思えてきます。


いや、これでよかった、と思える日が必ず来る。ここで学んだことがきっと生かされる日が来る。そう信じ続けよう。就職もせず、やりたいことをとことんやって、フリーランスで生きていく彼を、これからも見守っていこう、と新たな覚悟をしました。

 

昨日の卒業式は、保護者はコロナのため出席できず、本人は出席もしたくない。私は独りでキャンパスの写真を撮りに行きました。満開の桜の下、晴れやかな卒業生や保護者が大勢いるなか、ちょっと寂しかった……。

今日は、ゼミの食事会があるそうで、スーツを着て大学に行くというので、またとない写真撮影のチャンスとばかり、またキャンパスへついて行きました。

一日遅れですが、ようやく記念の写真が撮れたのでした。

次男にとっては大学卒業、私にとっては子育て卒業の記念すべき一枚です。


 

この大学には、わが子二人、姉と弟が大変お世話になりました。

私は来年もまた、思い出の桜を見に来ましょう。






ダイアリーエッセイ:娘はふたたび大空へ2022年02月27日


朝から雲一つない真っ青な空が広がる。

娘は、東京勤務の夫に見送られて、ふたたび上海へと向かう。

彼女を乗せた飛行機が飛び立つ時刻、私はひとり空を仰いだ。

 

コロナ禍の収束が見えない今、次に会えるのは何年先だろうか。

今回は日本で1週間、上海で3週間の隔離が必要とされた。重責の仕事に就く身で、そうたびたび許されることではないだろう。

さらに、この一時帰国の間に、彼女の夫のロンドン勤務が決まった。

 

娘が数年後に長期休暇をもらえる時には、帰る先は日本ではない。夫のもとに向かうのだ。二人にとっての〈わが家〉は、もう日本にはなくなるということだ。

いずれはそんな日が来ることぐらいわかっていたはずなのに。

娘と同じ志を持つパートナーと二人、海外に羽ばたいていくことを、応援してきたはずなのに。

 

先日来、まさかのロシアのウクライナ攻撃に、憤りを覚え、胸を痛めている。

一昨日のテレビで、ウクライナ人女性のインタビューを見た。

彼女は日本在住で、彼女の母親はウクライナで暮らしている。母親とはSNSで連絡が取れているという。

「大丈夫、怖くない、と母は言うけれど、その表情には恐怖しかない」

彼女は流ちょうな日本語で語り、涙をぬぐった。

 

明日は我が身などと思いたくはない。

戦争でなくても、災害や、今回のようなパンデミックで、互いに何が起きてどうなるか、未来のことはわからないのだ。

 

娘が、また遠くなった。

その思いが募るばかりで、まだ何の覚悟もできていない。

元気でいるようにと、祈るほかはない。

そして、ウクライナの人々に平和が戻るようにと祈っている。

 


ダイアリーエッセイ: お帰り!2022年02月17日


今月の初め、上海に単身赴任していた娘が、1年ぶりに帰国した。もちろん、一時帰国。まだ数年は今の職場に勤務する。

コロナの隔離期間が国内でも短縮されたばかりで、帰国者の娘も、自宅で8日間だけ隔離となった。不要不急の外出さえしなければ、食品の買い出しなどは自由だという。会社からもその間はリモートワーク中として認められ、同様にリモートワークの夫と、久しぶりの「共働き」という水入らずを楽しんでいたことだろう。

 

そんなわけで、娘と会えたのは、帰国して10日目のことだった。

都内の地上40階のレストランで、あいにくの雨の夜景を眺めながら、ちょっと豪勢なディナーを楽しんだ。上海では、住まいは21階、職場も40階だそうで、わが娘ながら、高層ビルが似合っているような気がしてくる。

本来なら、まずは実家に帰ってきてもらって、わが家の手料理をご馳走したいところなのだが、あいにく次男が卒論と格闘中。提出期限を目前にしてナーバスになっているので、やむなく外食にしたのだった。

娘が帰宅したらみんなで飲もうと、大事にとっておいた美味しいお酒を手みやげにして行ったのに、なんと上海みやげを東京の自宅に忘れてきたというのだから、相変わらずの娘だ。かえってちょっとホッとする。

 

思えばこの1年、娘の不在の間に、母を見送ることになった。その時にも娘がいなくて寂しいと感じることはなかったのに、ほかの人から「娘がそばにいない」ということを指摘されて初めて、孤独を意識して辛くなったものだ。

この晩の食事の席は、どちらも夫婦連れだったので、母娘の親密な会話ができず、心残りではあった。

 

さて、昨日のこと、もう一人帰ってきた。長男である。

グループホームの利用者の一人が、通所先に陽性者が出て、濃厚接触者になってしまった。抗体検査では陰性だったけれど、5日間は隔離の必要があり、グループホームに滞在することになるという。

連絡を受け、その間、長男は自宅に戻ることにした。何の準備もないまま、職場から急きょ自宅に帰ってきたのである。

よりによって、次男の卒論提出日に、にぎやかな長男のご帰還とは……。次男はあと数時間で締め切りだというのに、まだ最後の詰めに取り組んでいる最中だ。

長男は、今回の帰宅の事情をきちんと理解できているようで、次男のことも「大事な勉強中だから」と言うと、いつもの大きな声を出さないように努力してくれた。

弟のほうも、急な帰宅の兄に、いやな顔ひとつしない。それどころか、長男がゲーム機の充電器がなくて困っていると、卒論執筆を中断して、自分の充電器をきれいに拭いて貸してくれた。やさしい弟だ。

いつもはめったに会話もしないような兄弟でも、やっぱり血のつながった家族なのだ、と思うと、つかの間のほっこり気分を味わった。ナーバスになっているのは、この私だけかも。

 

さてさて、そんなふうに誰からも大事にされてきた次男は、大学8年目にようやく卒論に手が届いた。幼い頃から、なんでも時間のかかる子ではあった。

コロナ感染が広まると、大学はリモート授業になり、朝寝坊、宵っ張りが当たり前になる。コロナ禍の弊害で、そういうケースが多いとは聞くが、息子もご多分に漏れず、すっかり昼夜逆転していた。

しかし、この1週間ほどは、提出締め切り時刻が文字どおり秒読みになってくると、数時間の仮眠をとるだけで、パソコンに向かい続けた。彼の得意とするラストスパートだ。

提出当日。締め切り時刻の17時が過ぎてしまうと、気が気でない私は、息子の部屋の前でただおろおろ。ついに、30分も過ぎた頃、ようやく卒論のアップロードが終わった、と知らされる。それでも私は、大丈夫だろうか、ちゃんと受け入れてもらえるのだろうかと、安心できないまま今日を迎えた。

 

本日、リモートでの発表も無事に終え、及第点をもらったという。

やれやれ……。親としても感無量だ。長い長い8年間の忍耐が、ようやく報われようとしている。ひとまず大きな節目を迎えられそうだ。

もっとも、次男の社会人としての人生は、これから始まるのだ。手放しで喜ぶわけにはいかない。

この子も、いつか「お帰り!」と出迎える日が来るまで、もうしばらく親の心配は続きそうである。



 


自閉症児の母として(76):支援者の研修会で、講演をしました。2022年02月04日

 

昨日、東京都発達障害者支援センターで行われた支援員研修のなかで、自閉症児の母として、お話をさせていただきました。毎年恒例ではあるのですが、昨年1月は緊急事態宣言のため、初めて中止となりました。今回は2年ぶりとなります。

しかし、今年もまた感染拡大中。それでも中止にはせずに、リモートで行うことになりました。当初、研修会の参加者はそれぞれの場所からZoomで参加し、私は世田谷区のセンターまで出向いて、その一室からリモートで講演をする予定でした。ところが、2日前になって、センターから連絡があり、センター内の別の部署から陽性者が出たとのこと。急きょ私も自宅からZoomで参加することにしました。不要不急ではない社会活動を止めるわけにはいきません。

 

前回は、201912月に開催されました。その時のことは、ブログにアップしましたので、ご興味のある方、ぜひお読みください。(20191214日の記事はこちら

 

今回もテーマは同じ、

「子育てを通して親が学んだこと/支援者に望むこと」

前回とほぼ変わらない内容でお話ししましたが、2つばかり前回のブログ記事には書かなかったことをご紹介します。

 

☆その1

自閉症は、自分に閉じこもるのではなく、混沌とした世界の中で生きているのだと思います。

例えば、プレゼントを誰が誰に贈ったのか、よくわからない。

例えば、テレビ中継のサッカー試合で小競り合いがあると、自分も同じように負の感情を受け入れてしまい、テレビの前で叫んだり、物を投げたりする。

つまり、自分と他者との境界がない。だからこそ、その不安な混沌の中にいる彼は、カレンダーやプログラムやルールブックのような秩序を好むのではないでしょうか。とらえどころのない世界を、かっちりと安定させるための枠組みが必要なのかもしれません。

カレンダーどおりに、予定表どおりに、自分で決めたルーティンのとおりに、日々の生活を送る。それが彼にとって、安心して生きるための手段なのだと思えるのです。

 

☆その2

ノーマライゼーションとは、社会が環境を整えて、障害者が暮らしやすい場に変えていくことであり、障害者を健常者に近づけることではないはずです。

大きな声で独り言を口にするのは、ひとつの障害特性です。それをみんなに迷惑だからやめさせる、というのでは、「障害は迷惑だ」ということになりかねません。

働き方改革が推し進められている時代に、障害者ばかりが「がんばれ、がんばれ」と言われるのも、時代に逆行している気がします。

誰もがプライドを持って生きていける豊かな社会。理想ではあるけれど、そんなダイバーシティに期待しています。

 

 

今回も、話の途中で、やはり涙なしではいられませんでした。生来の泣き虫の私は、おとなげないと思いつつ、泣かずにはいられないのです。

なぜなら、この障害者支援センターは息子が3歳の時からお世話になり続けている場所。35歳になった息子について語りながら、当時の自分がよみがえってきます。今の自分を想像すらできなかった若かりし自分に、エールを送りたい。

同じように、今も大変な思いをしている若いお母さんたちにエールを送りたい。いつもそう思うのです。

お母さん、胸を張って、がんばって。

そして、画面越しに耳を傾けていてくださる支援員の皆さん、温かい理解とご支援をどうぞよろしく!




自閉症児の母として(75):お金のこと2022年01月26日

 

そう、大事なお金の問題です。

皆さんのお子さんはどうしていらっしゃるでしょうか。

 

わが家の息子は、10年ほど前、障害者が働く喫茶室で、レジをやらせてもらったことがあるほど、お金の計算はきちんとできるのです。

でも問題はそこではない。自分のお金は自分で大切に守らなくてはいけない、という観念がなかなか育ちません。

街頭募金などで、私が下の子に小銭を渡している間に、さっさと自分の財布から500円玉を出して、募金箱に入れてしまう。募金の意味もどこまでわかっているのか、親としては心配でした。

作業所で働いて賃金をいただいていた頃、お給料袋をその辺にふらふらと置きっぱなしにして、行方不明になったことがありました。同僚を疑うつもりはないのですが、万一だれかに持っていかれたのだとしても、失くした息子自身の責任です。結局見つかりませんでしたが、その時は作業所から再度1万円、実際の半額程度をいただいたように記憶しています。

こんな調子では、「ちょっとお金貸して」と言われたら、平気で貸してしまうかもしれない。返ってこなくても気にしないかもしれない……。不安は今なお尽きません。

 

それでも、銀行のATMに連れていき、預けてあるお金を一緒におろしては通帳を確認させたり、給与明細を説明したりして、自分の働いたお金で生活するのだ、と自立に向けて少しずつ理解させてきたつもりです。

また、必要経費ばかりでなく、せめて収入の10分の1ぐらい、好きなことに使わせてあげたい。ゲームが趣味の息子が、高額なゲーム機器やゲームソフトを自分で買えるように、毎月3000円の積み立てをしています。

 

そして、3年前にグループホームで暮らすようになってからは、生活費として彼の銀行口座から2万円を渡して、使ったお金をきちんと記録するようにさせました。交通費は定期券を買ってあげているので、使うのはほとんど、毎日の昼食代と、毎週、毎月購入する雑誌類。ルーティンの買い物だけで、買い食いなどはしません。

几帳面な彼には、小遣い帳をつけることなど朝飯前。レシートを確認しながら小さな文字で商品名を書き、1円単位まで記入して、財布の中身の小銭を積み上げては数えるのです。

よしよし、これで無駄遣いもせずに、お金を大事に使っていく習慣ができた。そう安心していたのですが……。

 

世の中は、IT化が推し進められて、今やキャッシュレス時代。カード決済よりも一歩進んでスマホ決済へと突き進んでいる。この先、息子はこの波に乗らないまま、不便な現金主義で生きていけるでしょうか。

気になりながらも、私自身は乗り遅れまいと、カードや○○ペイに手を染めていました。

そんなある日、アッと思うような落とし穴に出くわしたのです。

 

息子は、以前から交通系ICカードのPASMOの定期券を利用しています。通勤範囲を超えて電車を利用することもあるので、便利です。残金が足りなくなると、自分でチャージすることもとっくに覚えました。

何しろ、趣味はゲームにエレクトーン。機械には強いので、一度教えればたいていのことはできるようになるのです。

毎日コンビニでお弁当を買う時に、カードやスマホ決済もやらせてみようかと思ったこともありましたが、そうすると、小遣い帳をつけるときに不便になるのではと思い、まだ思案中です。

 

息子は、PASMOにチャージをした時には「チャージ」と記しています。ときどき私も目を通すのですが、先月と今月で、その「チャージ」が1万円以上にもなっていることに気がついたのです。

遠出をしたわけでもないのに、なぜ?? 

PASMOを買い物に使っている? では何を買った?

小遣い帳をつけさせていて良かった、とは思ったのですが、本人に尋ねてもよくわからず、らちがあきません。ゲーム攻略本は読めるし、理解もできる。でも、こういう説明はできません。

私の想像は、誰かにそそのかされたか、だまされたか……?と、悪いほうにばかり膨らんでいきます。

私も最近は、私のアドレスを悪用して、様々な企業をかたる詐欺メールが舞い込まない日はありません。彼のスマホがそんなメールを受信して、彼が言われるままに動いてしまっているのでは……? 不安と猜疑心で胸がドキドキします。

 

駅の券売機で、彼のPASMOの利用履歴を調べて、駅員さんに尋ねてみました。

鉄道駅の「入」と「出」で、駅の改札を通っていることがわかる。その他に、「現金 ○○駅」という種別がチャージに当たること、「物販」とあるのがPASMOで買い物の支払いをしていることだ、と説明してもらいました。けれども、それ以上、どこで何を買ったかはわからないとのことでした。

 

もう一度、息子と向き合いました。まずは、リラックスさせます。詰問は絶対にNG。履歴の紙を見せて、

「ほら、ここ見て。16日に高津駅で5000円チャージしたのね」

「うん」

「それから、その日、チャージした後で5000円何か買ってるよね。何だろう」

「えーと、えーと……」と、いつもの口ぐせ。その後はたいてい、わかんない! と続くのですが、そうはならずに、一瞬ひらめいた表情を見せました。

「ニンテンドーショップ」

ああ、そうなの。ちょっとホッとしたのもつかの間、ショップの店員が何かした……? とまたもや疑心暗鬼に陥ります。

「何を買ったの。ゲームソフト?」

「ニコ動」

ニコニコ動画というYouTubeのサイトです。それって有料なの?

息子はニンテンドーの最新ゲーム機器であるSwitchを使ってYouTubeを見ていることは知っていましたが、有料会員になっていたとは知りませんでした。プレミアム会員になればすべて視聴できる、とかなんとか画面に誘導されるままにクリックしていったのでしょう。これまでにもゲームソフトなどは、ショップのプリペイドカードを買い、それを利用して買っていましたから、その感覚で会員料金も払ったのでしょう。

そこで、ニンテンドーのホームページで調べたところ、有料サイトの視聴料は、PASMOで支払いができることがわかりました。ショップの店員さんに教わったのかもしれません。疑ってごめんなさい。少しずつ彼のチャージの理由が見えてきて、猜疑心も少しずつ溶けていきました。

 

ニンテンドーのゲーム機器は、親も子もが安心して楽しめるよう、親を介して契約するシステムになっています。息子が初めてSwitchを購入したときは、保護者として、夫がアカウントを登録したり、制限を設けたりしたのでした。

ですからこれまでは息子が何か購入すると、夫にメールが届いていました。今回は、購入というより、年会費を支払ったので、メールが届かなかったのでしょうか。これはまだ謎です。

ゲームで遊ぶぶんには、特に心配はないだろうと安心して本人の好きにさせていたのに、いつの間にか、ゲーム機器はYouTubeと紐づけされ、年間5000円ほどの視聴料を取るようになっていました。

改めて、Switchのアカウントを調べると、そこに残金として1万円以上の額が入っているのを確認できました。彼はこのお金の流れがわかっていたように思えてきました。

 

それにしても、息子は親の心配をよそに、自分からデジタルの世界に入り込んで、ちゃんと楽しんでいるのです。現金支払いだろうと、キャッシュレスだろうと、彼にとってはハードルなどないのかもしれません。

いやはや、やっぱり彼は宇宙人。日本語は上手く操れなくても、人間関係は大の苦手でも、機械相手ならお手のもの、ということなのでしょうか。

 

これからのITからさらにDXへと進んでいく世の中を、果たして彼は生きていけるだろうか。今回は一件落着したけれど、この先どんな悪の手が障害者に伸びてくるかわからない……という心配が結びになるはずでした。

でもこうして書いてくると、それは高齢者である親の私たちの心配であり、ダイバーシティの将来を生きる彼には、案外付き合いやすい世界になっていくのかもしれませんね。

そう、彼は宇宙人ではなくて、未来人。

ちょっと気持ちが軽くなりました。




母を想う日々 3:テーマ〈愛着〉で書く「タイムスリップはもうおしまい」2021年12月04日


 

タイムスリップはもうおしまい

           

母はこの20年間、わが家と同じマンションの4軒隣で一人暮らしをしてきた。母亡き後はその住まいを売却しよう。生前からきょうだいとも話し合っていた。私が譲り受けたとしても、母の思い出の染みついた部屋を維持するのはつらいだろうと思ったのだ。

今年の8月、とうとうその時が来た。遺品を整理し、それぞれが持ち帰ったあとは、バザーやボランティアに供出し、古物商に引き取ってもらい、廃棄業者に依頼し、すべてが消えていった。最後は、せめてもの思いから、なじみの清掃業者にぴかぴかにしてもらった。

肩の荷が下りた。寂しさよりも2ヵ月半でやり遂げた達成感が湧いた。がらんとした部屋には柔らかな秋の日が差し込んでいる。それを見て思い出したのは、意外にも、母を飛び越えて30年以上前のことだった。

 

最初にこの部屋を購入したのは、私たち家族だった。当時、都内の社宅に住んでおり、マイホームを求めてこの辺りを探し回った。出合ったのが築1年のこの部屋。駅から近く、子育て環境も良さそうだった。

引っ越しまでの間、3歳の長男と1歳の長女を連れて、ときどきやって来た。レジャー用の白いプラスチックのテーブルと椅子を室内に置き、お弁当を食べたり、子どもたちをお風呂で遊ばせたりして過ごす。

「まるでリゾートマンションね」と、夫と笑ったものだ。

引っ越してしばらくたっても、外出先で長男は「うちに帰ろう」と言うところを「リゾートマンションに帰ろう」と言っては私を苦笑させた。

 やがて生まれた次男は、この床の板目に沿ってミニカーを何十台も並べた。洗面所の壁一面の大きな鏡の前で、毎朝娘の髪を結った……。つぎつぎと記憶がよみがえってくる。

その後、私の両親が同じマンションの広い部屋に移り住んだ。母が一人になると、家族が増えたわが家と住まいを交換したのである。

 

母の部屋を売り出して1週間、買い手はすぐに決まってしまった。




 


自閉症児の母として(73):新しいグループホームに入居しました!!!2021年11月01日

 

去る916日に、それまで暮らしていたグループホームを退去したことをお伝えしました。

8月末日を退去日とする」という一方的な通達を受け、母が危篤だという事情も考慮してもらえず、母の葬儀の3日後には退去せざるを得なかったのです。

 

でも、そのブログの最後にこう記しています。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように

 

最初に出会ってから8ヵ月、ようやく入居がかないました。

8ヵ月も待ったのにはわけがあります。出会ったのは、新しく社団法人を始めたばかりの青年で、ホームは建設中。まだ基礎工事が終了したという段階だった。しかも、コロナ禍のおかげで木材は不足し、竣工の予定がひと月も遅れたのです。

それでも待ち続けました。そこしか考えられないと思ったのです。

 

なぜかと言えば、息子の迷惑の原因は、まず騒音と大声。このホームは、床も壁も防音対策がしっかりとされており、窓も二重サッシを使っています。

そして、建物という箱だけではなく、なにより、その法人の代表である若者に、息子を託すだけの信頼感を抱いたのでした。

 

息子は、最初の入居希望者として名乗りを挙げ、最初に体験入居をさせてもらって「何も問題はありません。どうぞお入りください」と言われ、入居第1号となりました。

10月最後の週末は、息子の引っ越し作業に明け暮れました。衣類や生活用品を整えたり、備え付けの家具はないので、夫と二人がかりでロフトベッドを組み立てたり……。

そして本日、111日、晴れて入居日を迎えることができました。

 

息子が家に戻ってからの2ヵ月は、亡き母の住まいの売却のために遺品の整理や片付けなど、あまりに忙しい日々でした。疲れているのに眠れない夜も多く、頭痛や腰痛にさいなまれることもたびたび。それでも、2ヵ月前に比べたら、明るい希望があり、だからこそがんばれました。

 

「今のホームはやめて、新しいグループホームに入るからね」と告げた瞬間、パッと輝いた息子の顔を忘れられません。彼も、前のホームに居続けることがつらかったのでしょう。

退去してからは、何度か工事中のホームの前まで見に行ったこともあります。

ずっと楽しみにして待っていました。

 

とはいえ、一度家を出た息子が戻って家にいるのは、「やれやれ」という思いもありました。息子の入居決定を祈り、入居日を指折り数えていたのは、ほかならぬこの私。それなのに……。

今日、息子は仕事を終えたら新しいホームに帰っていくのですが、朝は自宅から出勤。グータッチをしながら「行ってらっしゃい!」と言うと、いつもと変わらずそっけなく「行ってきます」と息子が出て行ったあと、涙ぐんだのも、この私。

母心は複雑で勝手なものですね。

 

まだまだ書きたいことはありますが、今日のところは、うれしくてちょっぴり寂しいご報告まで。


▲これが息子の新居。部屋は、向こう側、南側の二階の部屋です。

ハナミズキの並木が続く坂の途中にあります。いま紅葉真っ盛り。▼

▲坂道からは、8年前まで働いていた「障害者ふれあいショップ」のある武蔵小杉の高層ビルが遠くに見えました。




自閉症児の母として(72):グループホームを退去しました2021年09月16日


 あれほど気に入って、長男の入居にこぎつけたグループホームでしたが、2年半をもって退去しました。まずはそのご報告です。

 

はじめは、親亡き後も安心して生活できるように、グループホームでの自立を目指したのでした。ところが、コロナ禍の世の中になってしまうと、このホームはちょっと違うかも……と思うことが増えていきました。

ホームに見切りをつけたのは、今年の3月頃。ここではだめだ、他所を探そう。そう決めたのです。

その後、コロナ禍の影響もあって、息子とホームの問題は、ちょうど母の入院から危篤状態の続く夏の日々と重なるようにして大きくなっていきました。そして、とうとうホーム側から「退去」という言葉が出たのです。私にはふたつの重荷が両肩にのしかかったようで、苦しい毎日でした。

私の事情を話し、母が落ち着くまで(つまりは亡くなるまで、ということです)しばし待ってもらえないかと何度か願い出ましたが、受け入れてはもらえず、「10日後には退去してほしい」と一方的に決められてしまいました。福祉を提供するはずのこの組織のトップには、血も涙もない。それもまた、ショックでした。

そして、その10日の間に、母は亡くなりました。それでも、悲しむ間もなく、葬儀の翌日には片づけ、その2日後には退去し、息子は自宅に戻りました。

 

どんな理由があったのか、どんな経緯だったのか、とてもひとことでは言えません。

今は具体的な説明は控えますが、今後少しずつ整理して書いていくつもりです。

これからグループホームに入居することを考えている方に、少しでも参考になればと思います。

 

今回の挫折で、私は多くのことを学びました。グループホームの実態も、福祉のことも、そして息子自身についても。

息子は2年半でずいぶん成長した一方で、やはり変わることのない「自閉症」という難しい障害を持っている。改めて突き付けられた思いです。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように。

 


 


自閉症児の母として(71):『52ヘルツのクジラたち』を読んで2021年05月02日


町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』は、今年の本屋大賞に選ばれ、今話題を呼んでいるようです。新聞広告や書評欄でも何度も目にし、朝日新聞のコラム「天声人語」でも取り上げられました。

私も興味を持ち、書店で購入。読み始めたら止まりませんでした。

子どもに対する虐待や育児放棄、さらには耳新しいヤングケアラー、トランスジェンダー、自殺などの社会問題が詰め込まれています。

とはいえ、著者のたしかな文章力で、登場人物はキャラクターがくっきりと立ち上がり、主人公を取り巻く愛すべき人々が織りなすドラマを見ているようなわくわく感も味わえます。

 

424日の「天声人語」によると、本のタイトルになっているのは、米国の西海岸に生息すると信じられてきた一頭のクジラ。仲間には届かない超高音の52ヘルツで歌い続け、「世界一孤独なクジラ」と呼ばれるのだとか。

この小説の中では、親からたばこの火を舌に押し付けられるという虐待を受け、そのショックから言葉が発せなくなった少年のことを指しています。

 

私がこの物語のクライマックスを読んだのは、前回のブログ記事で書いた『僕が跳びはねる理由』の映画を見に行く前夜でした。本を読んで、久しぶりに涙腺全開、滂沱の涙。翌朝の瞼の腫れ具合を思うと、これ以上先へは進めない。結末を読まずにそこで本を閉じたのでした。

 

そして、映画を見て、思ったのです。

自閉症の息子たちもまた、52ヘルツのクジラなのだと。

言葉を発することがなかったり、たとえ話せたとしても、自分の感情や本当の思いを伝えることができなかったりする。そんな自閉症者も同じだと思いました。

小説のヒロインのように、52ヘルツのクジラの声を聞こう。息子の本当の心の叫びに耳を傾けなければ。初心に返った瞬間でした。

これからも、息子の代弁者として、彼の声を世の中に伝えていきます。親亡き後も、息子を支援してくださる人々に、息子の声が正しく届きますように。母としての願いです。


ところで、物語の少年はどうなったか。声なき声は届いたのか。

それは、ぜひご自身で読んで、お確かめくださいね。

本屋さんがいちばん売りたい本として、一押しのこの一冊、もちろん文句なしに私からもおススメの本です。




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