自閉症児の母として(40):「桜の風」で宿泊体験2017年03月21日




昨年9月15日に、障害者支援施設「桜の風」を見学した記事を書きました。

あれから、その施設利用の登録手続きを済ませ、申し込みをして、体験入所の日取りを待ち続けて、ようやく実現の運びとなりました。

半年もかかったのです。まだまだ、施設の数が少ないのでしょう。

 

自立の第一歩として、たった一人で宿泊体験……とはいっても、支援員の方が何かあれば対応してくれます。

これまで息子は、家族と旅行に出かけても、それほど問題はありませんでした。養護学校の修学旅行にも行きましたし、入院中には付き添いもなく一人で夜を過ごしたこともあります。

場所が変わっても、ルールに従い、きちんと決められたスケジュールどおりに過ごすことができるだろうと思い、あまり心配はしていませんでした。



 

319日の午前11時に、車で送っていきました。

ボストンバッグには、着替えのほか、自由に過ごすためのゲーム機やゲームソフト、そのためのWifiなどが、ずっしりと入っています。たいくつすることもなさそうです。

個室は、畳に布団。1100円でレンタルできるテレビもあります。

息子は音楽やさまざまな音に過敏なため、大きな音量でテレビを見る利用者の方とは離れた部屋にしてくれました。

担当の支援員の方と荷物のチェックをすませると、早々に親は帰されました。

 

息子を託すのは、24時間。翌20日午前11時には迎えに行きました。

支援員のお話では、何の問題もなく、食事の時だけは食堂でみんなと会食ですが、ほとんどの時間は個室にこもりきりで、ゲーム三昧だったようです。

午後には、他の利用者と一緒に、車に乗せてもらって外出し、コンビニでおやつを買い求め、施設に戻ってから、それを食べたそうです。

何を買ったの、と聞くと、「ジャガリコとコカコーラでした」との答え。

消灯時間の930分になると、自分からきちんと電気を消して眠りについたとか。時間厳守は相変わらずですが、自宅では12時を過ぎても起きているのは、どうしたことでしょう。

朝は、やはり起床時間の8時きっかりに起きてきたとのことでした。

 

やはり、期待どおりでした。最初の体験は難なくクリアしたようです。

この調子で、もう少し体験を積んだら、次のステップへと進んでいこうと思います。


この施設の周りには、本当に桜の木がいっぱい。

桜の花には一週間早かったことだけが惜しまれましたが、それはまたの機会に……。


 



ダイアリーエッセイ:22年目の今年も2017年01月17日




22年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、産科のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

同じ病室に、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいた。幸い家族は無事だったけれど、里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……、と話していた。

退院後も、育児のかたわらで、泣きながら報道を見続けた。

6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実を想いながら。

 

だから、次男の誕生日は、阪神淡路大震災の記憶の節目とともにあって、どちらも忘れることはない。

 

……と、私は毎年のように、年の数だけ増やして、ほぼ同じことを書いている。思いは変わらないし、変わってはいけないと思うのだ。




 

 

自閉症児の母として(39):放課後等デイサービスのスタッフの皆さんとともに2017年01月07日





昨年12月の暮れも押し詰まった29日に、障害児向けデイサービスの現場で、自閉症児の母としてお話をする機会をいただきました。そのひとときが私の「仕事納め」となりました。

 

放課後等デイサービスという言葉をご存じでしょうか。

じつは、私はこの時、初めて知ったのでした。

障害のある小学生・中学生の子どもたちを放課後や休日に預かって、発達改善や社会適応を目的として、電車やバスの乗り方や買い物のしかたなどを訓練するもので、5年前に始まった制度だそうです。

長男が子どもの頃には、デイサービスなど何もありませんでしたから、世の中の変わりようを実感します。

 

私が訪ねていったのは、ボランティアを通して知り合った友人が運営する川崎市内のデイサービス。数名のスタッフは必ずしも障害の専門家ではありません。毎日、自閉症の子どもたちと関わるうえで、困ったり悩んだりされているとのこと。

とはいえ、私ももちろん専門家ではない。療育に通った自閉症専門の施設の先生方から教わった知識と、それを頼りに一人の自閉症児を育てた経験があるだけです。それらが何か解決のヒントにでもなれば、と思いました。

 

私の自閉症児の子育てを振り返ると、3つのキーワードが浮かびます。

たくさん安心させて、いろいろな経験をさせて、プライドを持って生きるように育てていくこと。

30年間の話をざっとそんなふうに総括したあとは、皆さんからの質問を聞いて、皆さんと一緒に考えてみました。

 

たとえば、こんな質問が出ました。

Q:中学生のA君は、毎日通ってくると、以前は「こんにちは」と挨拶していたのに、どこで覚えたのか、「お久しぶりです」と言うようになってしまいました。どうしたらいいでしょう。

毎日会っているのだし、昨日から一日しか経っていないから、「久しぶり」ではおかしいですね。ちょうど、今は冬休み。休み明けには皆で「お久しぶりです」と挨拶をする。翌日からはまた「こんにちは」に戻る。それを実際にやってみてはいかがでしょう。

さらに、1日だけと、冬休みの6日間との違いを、カレンダーで視覚的に見せたりすれば、理解しやすいのではないでしょうか。

 

Q:別の中学生のB君は、気に入らないことがあると、「ぶっ殺してやる」とか「やっつけに行こうぜ」などと汚い言葉が口をついて出るのです。どうやって止めさせたらいいでしょうか。

B君は、それを口にすることで、心のもやもやを解消しているように思えます。自分からは不満をうまく伝えられないから、そんなすごい言葉で表現しているのかもしれません。とはいえ、こんな言葉を吐いていたら、周りの友達からも嫌われて、B君自身がかわいそう。まずは、彼の悩みを聞いてあげて、気に入らないことを解決してあげられたらいいですね。

それが難しいようなら、汚い言葉を止めさせるのではなく、代用品を与えてみる。つまり、別の言葉……例えば、CMのキャッチコピーとか、早口言葉とか、アニメキャラクターの決め台詞とか、彼が好きな歌の一節を歌うのもいい。周りの大人が率先して、代用品を口にするのです。

なにか、B君が汚い言葉を忘れるきっかけにならないでしょうか。

イソップの「北風とお日様」の寓話のように、無理に旅人のマントをはぎ取ろうとしても失敗します。温かい安心を与えて、脱いでもらいましょう。





 

ところで、昨日のNHKニュースで、この「放課後等デイサービス」の制度について取り上げていました。(NHKニュースのサイトをご覧ください)


少しずつでも、この制度が整っていき、障害児とその家族の支援に役立っていくことを願っています。障害児を苦労して育てた、一先輩母の思いです。






自閉症児の母として(38):発達障害者支援の方がたに向けて2016年12月16日



今週14日には、昨年と同様、東京都発達障害者支援センター(TOSCA)において行われた支援者の研修のなかで、20年来の長男のママ友と二人、自閉症児の母としてお話をさせていただきました。

 

このTOSCAは、社会福祉法人「嬉泉」が、東京都の委託を受けて運営しています。私が30年間、長男を育ててこられたのも、3歳のときから一貫して、嬉泉でお世話になったからです。

そんなご縁もあり、現在の私がお話しすることで少しでもご恩返しができればと思い、機会があると、二つ返事で引き受けるのです。

 

お話しするテーマは、

【子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと】

 

私が学んだことは、嬉泉のなかの「めばえ学園」に通いながら、自閉症専門の先生がたに教わったことがすべてだと言っても過言ではありません。

それらを5つの項目にまとめてみました。

 

1.

最初に学んだのが「受容的交流方法」。あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育てのやり方は、私の基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

2.

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらうことが大切です。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいました。

本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

3.

うちの子に限って、どうして……と私もずいぶん思いました。子どもたちにも見えないように、台所の片隅にうずくまって泣いたこともありました。

そんなおり、園長先生は私たちにこう言われました。

「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。

その時から、私は「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなりました。

神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。

 

4.

もうひとつ、私がうれしかった園長先生の言葉は、

「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切に」ということでした。

どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。

今でも私のモットーです。

おかげで、ちょっとばかり自己チューな母になってしまったかな??

 

5.

こうやって長男を育てていくなかで、自閉症児の子育てにこそ、すべての子育ての基本があることに気がつきました。

自閉症は、いわば相手の心が見えないというコミュニケーションの障害です。だからこそこちらが子どもの気持ちに寄り添う必要がある。それは、どんな子どもにも必要なことです。そして、子どもに限らず、どんな人に対しても社会において大切なことではないか、と思えるようになりました。

長男を育てることで、親も人として育ってくることができた、といっては不遜かもしれませんが、神さまはダメな親だからこそこの子を授けてくれたのだ、とつくづく思わずにはいられません。

 

今後、障害者支援に望むことは?

・障害がわかった時点からずっと、一貫した支援のシステムがあるといい。

・母親ばかりではなく、きょうだいや、父親に対する支援の充実も望む。

二人の母の一致した願いです。

 

参加者17名の方がたは、支援の現場でいろいろと悩み、ご苦労されていることでしょう。この日の私たちの思いが伝わって、少しでもより良い支援に結びつけてもらえたら、うれしいかぎりです。




おみやげ自閉症者のアーティストグループAUTOS〉のカレンダー。




 

 



自閉症児の母として(37):保育士や教諭を目指す学生さんに向けて2016年11月22日




昨日は、千葉県松戸市の聖徳大学に出向きました。

「障害児教育」の講義の中で、テキストの一つとして私の著書『歌おうか、モト君。』を読んでもらい、障がい児の母として、お話をさせてもらいます。

年に1度か2度、ここに来るようになって、もう10年近くなります。


今回も、5時限目の時間帯、3クラス合同の100名ほどの女子学生さんが、新館の階段教室で、教壇に立ってマイクに向かう私を見下ろしていました。

学生さんたちは、初めは長男と同じ年頃だったのに、だんだんと若い「女の子」になってきて、同じ話をしても、以前はもっと受けたはず……と思うことも増えました。年齢だけでなく、若い世代の状況も変化しているのかもしれません。

 

それでも、現在の長男の仕事ぶりを、写真を使って説明し、

「時給いくらでしょう?」

という質問をすると、700円かな、800円かな……と興味しんしん。

「正解は、438円です」と言うと、安過ぎ!とびっくり。

 

そして、10年前と変わらない、彼女たちに共通する思いの一つに、

「もし、生まれてきた自分の子どもが障害を持っていたら、どうしよう。落ち込んでしまうかも……」という心配があります。

「ぜったい大丈夫。母親になれば、この子は自分が何とかしなくちゃ、という気持ちが自然と湧いてきて、がんばれるものですよ」

先輩母としての私の言葉に、ちょっぴり安心した表情を見せてくれて、私もほっとするのです。私だって、どれだけ涙を流したか知れません。それでも、前を見て立ち上がれる強さが、母親には備わっているのだと信じています。

 

私の書いた本と、この日の私の体験談が、いつの日か、彼女たちの仕事や子育てのなかで、ほんのひとかけらの支えにでもなれば、と願いを新たにして、小雨の夜道を帰ってきました。

 


 






自閉症児の母として(36):30回目の誕生日2016年10月10日

 

「ボクは、あと10日で三十路(みそじ)です」

例によって、カウントダウンが始まりました。

毎日、「あと○日」を宣言して、当日はいたって冷静に迎えていました。

 

自閉症の息子モトは、子どもの頃から、予定変更や予測のつかない状態をとても嫌いました。だからこそ、24時間たてば予定どおりに翌日がやってくる、というカレンダーが大好きなのです。

もっとも、世の中には予定どおりにいかない場合がたくさんあるのだということを学んできた30年でもありました。最近では、変更の理由が明らかならば、納得できるようになっています。

けっして彼の心の中のこだわりがなくなっているわけではない。折り合いをつける強さを身につけてきたのです。


 


929日の誕生日には、家族4人のスケジュールが合い、近くのイタリアンレストランで食事をすることにしました。

両親からのプレゼントは、職場でタイムキーパーを務めている彼にふさわしく、G-Shockのデジタル腕時計です。それまで使っていた時計のバンドが切れてしまい、1ヵ月前の29日に贈呈式だけ行いました。

 

30歳になった抱負は?」と尋ねます。

「就職に向けてがんばります」

「それより先に、やることがあるでしょ。『桜の風』にお泊りとか」

「それより先にやることがありますよ……」とモトはオーム返し。

 

先日、見学した障害者支援施設「桜の風」に泊まってみようというばかりで、私は忙しさを理由に、申し込みを先延ばしにしていました。

数日後、リビングのテレビでサッカーJリーグの試合中継を見ていたときのこと。川崎フロンターレの大久保選手がレッドカードをもらった、その刹那、モトはひさびさの大パニックを起こしたのです。独りで見ていたので、詳しい状況はわからないのですが、おそらく中継画面の選手たちの怒りや抗議など、緊迫した負の感情をそのまま自分の中に流し込んでしまったらしい。これまでにも、何度かそういうことがありました。彼の中にもルールがあって、負の感情の高まりが限界に来たら大声を上げて扇風機を投げつける、と決めているようです。

「じゃ、ボクは『桜の風』には絶対行かない!!」

大声で叫んだのは、それでした。レッドカードうんぬんではなく、彼の心の中の不満が吐き出されたのです。

宿泊の予定すら立たない状態が、彼の不安と拒絶感を膨らませていることに、うかつにも気がつかなかった。しまった、と悔やんでも後の祭り。

扇風機がまた一つ壊れてしまいました。

 

30歳になっても、まだまだ課題が山積みです。

社会に出ていく親離れももちろんですが、家庭内だけで爆発するパニックのことは、親にとっても大きな課題の一つです。


 



娘は、職場の忙しい時期だから諦めていたのに、遅れて駆けつけてくれました。

 

モト君、30歳のお誕生日おめでとう!



 


自閉症児の母として(35):障害者支援施設を見学2016年09月15日





 

今日は、市内の障害者支援施設「桜の風」を訪れました。

身体障害者、精神障害者にも対応し、自立訓練や通所支援などを行っている施設です。いずれは地域での生活をめざした支援をしていく、いわば、通過型の施設というわけです。

息子は、短期入所(ショートステイ)を体験する目的で、見学させてもらいました。


息子はこれまで、社会人として働く訓練を受け、がんばってきました。とはいえ、家庭においては、ついつい過保護だったかもしれません。

息子ももうすぐ三十路。両親は高齢者の仲間入りも近いのです。いつまでも子どものように家庭で過ごしていては、いざというときに困るのは目に見えています。親亡きあとの息子の暮らしを考えるのに、早すぎることはないでしょう。

 

小高い丘に建つ4年目の施設は、木材の温もりとカラフルな色づかいが明るい雰囲気を醸し出していました。

どの部屋も廊下も広くとってあり、ミストシャワーで全身浴できる設備も、保温と冷蔵の両方を備えた配膳車も、目をみはるばかりです。





個室には、ベッドや布団のほか、テレビやクロゼットがあり、さらに窓の外には、家々の屋根とこんもりした緑の木々が遠くまで見渡せる。

「じつは、これ全部、桜の木なんです」

案内してくれる男性支援員が教えてくれました。

なるほど、それで「桜の風」という名前……。

「じゃあ、桜の咲く頃、お世話になれるといいですね」

私が泊まるわけでもないのに、思わず口にしてしまいました。

今日はあいにくの曇天だったからなおのこと、この窓から桜の風を感じてみたい……、そう思ったのかもしれません。


まずは、区役所の障害課で利用登録の手続きをして、それが完了すると、体験入所ができるそうです。

自立に向け、一歩を踏み出します。





 

 


自閉症児の母として(34):シドニー・オリンピックの閉会式2016年08月22日


今日は長男の職場も台風のおかげで休業となりました。画面の隅に出る台風情報が気になりながらも、なかよくリオ・オリンピックの閉会式をテレビで見ていました。

息子といると、シドニー・オリンピックがいっそう懐かしく思い出されます。




 

   閉会式

 

最終日。オリンピック・スタジアムに出かけていく。男子マラソンのゴールを見とどけてから、閉会式になる。

この日は、前から二番目の席。周囲には日本人の団体も多い。バックスタンドとはいえ特等席だ。チケットに書かれた値段は、1,382ドル、約10万円なり。いまだかつてこんな高い入場料を払ったことはない。これから数時間の価値だ。ちょっぴり緊張する。

フィールドには、なにやら仕掛けのありそうな白いステージや、スピーカーなどの装置が、すでに並んでいた。

そのステージの向こう側から、マラソンのトップランナーが現れた。エチオピアの選手だ。そして2位にはケニアのワイナイナ。日本で活躍するわれらの選手だ。辺りの日本人がどよめき立つ。

ゴールのあと、喜びのウィニングラン。バックスタンドまでやって来る。「ありがとうございます」と日本語で挨拶しながら、日本人の観客たちと握手を交わす様子を、テレビカメラマンが追っていた。その映像は、衛星放送で世界中に生中継されていた。

帰宅後、録画しておいてもらったテープの中に、私の笑顔と望人の横顔が、ちゃんと映っていたのである!


 


              閉会式の大道具。(マリオは出てきません)


  

3日目にして初めて、スタジアムには冷たい風が吹いた。暗くなって寒さが増す。

閉会式の中でもとりわけ聖火の消えゆく瞬間を、私は神妙な気持ちで待ち受けていた。しかし、選手団入場やサマランチ会長の挨拶など、お決まりのセレモニーの後、期待はあっけなく裏切られてしまった。スタジアムの屋根のすぐ上、飛行機の爆音が聞こえてきたと思ったら、聖火は消し去られていたのだ。なんて物足りない幕切れなの……。


が、そんな感傷をも吹き消すかのように、次の瞬間、スタジアムの空間には、いっせいにクラッカーがはじけて、銀色の紙ふぶきが舞った。スクリーンには、”LETS PARTY!”の文字。耳に馴染んだモダンなミュージック。激しいビート。頭上にはミラーボールが回り、カラフルな照明がスタンドを浮き上がらせて揺れる。スタンドの人々も立ち上がり、リズムに乗り、一体となって揺れ動く。ビッグ・ウェーブも何回となくやって来る。一瞬にして、オリンピック・スタジアムは巨大なディスコと化したのだ。

ステージでは、一流のミュージシャンによるショーが繰り広げられる。トラックでは、次から次へとお祭りのようなパレードが続く。文字どおりのビッグ・パーティーだ。


夢を見ているようだった。いや、夢ではないのだ。今この時を、目の前に広がるこのシーンを、いつまでも覚えておこう、と思った。

この14年間、がんばってがんばって望人を育ててきた。そのご褒美のように、望人の夢に乗って、シドニー・オリンピックへやって来ることができたのだ。


ステージの仕掛けが動き、いつのまにか大きな球体のスクリーンが浮かんでいた。地球だ。大陸や海の映像が見える。

SEE YOU IN ATHENS!(アテネで会いましょう)の文字も読める。

このまま気球のように望人の夢に乗り続けて、世界中を旅することができたら……!

  私はもう一つの夢を見ていた。


       紙製の五輪メガネは、閉会式の観客用のグッズ。








自閉症児の母として(33):「夢シドニー二人旅」より2016年08月21日


今日は午前中、リオ・オリンピックのサッカー決勝がテレビ中継されましたね。ご覧になった方も多かったのではないでしょうか。

ブラジルvs.ドイツの試合は、11の同点のままPK戦へ。最後はネイマールの見事なシュートで、地元ブラジルが金メダルを手にしました。

 

私も、シドニー・オリンピックでは、サッカー決勝を観戦しました。

自著『歌おうか、モト君。』の中に収められた「夢シドニー二人旅」より、オリンピックのエッセイをいくつかご紹介します。

 


写真のはがきサイズのアルバムは、シドニーのおみやげに買い求めたもの。お金では買えない思い出の写真がたくさん入っています。

当時はデジカメではなく、フィルムを入れた一眼レフでした。



 

オリンピック・スタジアムで

 

自閉症の長男、望人と二人でオリンピックを見るため、2000年9月28日から6日間のツアーに参加した。このオリンピック観戦ツアーは、陸上競技、サッカー決勝戦、閉会式をメーンスタジアムで見ることになっている。ツアーとはいえ、ほとんどが個人行動。スタジアムへも自分で市電を乗り継いで行かねばならなかった。

 

 ヒューイ、ヒューイ、ヒューイ……

 歩行者用の信号が青になると、口笛を吸い込むような音がする。

カタカタカタカタカタ……

青の点滅に合わせて、木製のおもちゃを鳴らすような音に変わり、思わず走り出す。なんともユーモラスな効果音だ。

ホテルから最寄りの駅までは、にぎやかな大通りの歩道を歩いて10分ほど。街路樹のプラタナスが青々と繁ってすがすがしい。行き交う人々は、ラフなスタイルで表情も明るい。のんびりというよりは快活だ。一緒になって小走りに駅へ急ぐ。

渡された大きな観戦チケットを、ホルダーに入れて、首から提げておく。これがあれば、スタジアムのあるオリンピックパークまで市電がフリーパスなのだ。

駅はどこも混雑していた。けっして観光客にわかりやすい駅ではないけれど、カラフルなユニフォームを着たボランティアの係員があちこち立っていて、何でも教えてくれるので、迷うことはなかった。

スタジアムが電車の窓から見えてくると、望人がうれしそうに指さした。



 

ゲートをくぐり、中に入る。スタンドの大きさに思わず「うわあ」と声が出る。高々と燃えさかる聖火。席はバックスタンドだったけれど、前から10番目といういい席だ。

ぎらぎらと西日がまぶしい。日が沈んでからも、気温は下がらず、用意していったダウンジャケットがじゃまになった。こちらでも異常な暑さだという。そのせいか蛾がたくさん飛び交っている。

初日の夜は、陸上競技観戦。まず、女子の円盤投げが始まる。巨大なスクリーンに選手の姿が映し出される。英語とフランス語のアナウンス、電光掲示板などで、競技の進行がわかるようになっている。

暗くなるにつれ、11万人収容のスタンドはどんどん埋まっていき、ほぼ満席の状態。観客の声援もパワフルになってくる。オーストラリアの選手が現れると、怒涛のような歓声がわき上がる。

やがて、フィールドでは、男子棒高跳びが始まる。人間がすごい高さに跳ね上がり、迫力がある。

トラックでは男子、女子のリレーが行われ、速さを競うアスリートたちがすぐ目の前を駆け抜けていく。3000メートル障害の一団が、波のようにハードルを飛び越えて、水しぶきを上げる。さまざまな競技が同時進行でおこなわれているスタジアムの中、アボリジニの民族音楽の響きが満ちていく。

跳ねる人、駆ける人、跳ぶ人、上がる水しぶき、唸りのような声……。そのとき、私は不思議な感覚にとらわれた。遠く太古ギリシャ時代の競技場にいるような気がしたのだ。

それもつかのま、すぐ周囲に鳴り渡る携帯電話の音で、現代に引き戻されるのだった。


         ほほには、日の丸のシールを貼っている。


翌日は、正午からサッカーの決勝戦を観る。

望人は、Jリーグの大ファンだ。こちらに来るまでは、テレビに釘付けになって、予選で戦う日本チームに声援を送ってきた。

にわかフリークの私が、初めて観るサッカーの試合がオリンピックの決勝戦だなんて、ぜいたくな話だ。スペイン対カメルーン、といったって、じつのところ何の知識もない。

 

ところが、これも旅の運というのだろうか。隣の席に日本人の青年が座った。一人でオリンピックを見に来たという。髪を後ろで一つに結んで、いかにもフリーターといった感じだ。スポーツにとても詳しい。

「カメルーンのエンボマ、10番です、注目してください。ガンバ大阪にいた選手です」

 スタジアムには、テレビの実況中継のような解説はない。審判の笛が鳴っても、プレーが中断されても、よくわからなかったりするのだが、彼に尋ねると親切に教えてくれる。物静かな声で、きちんと敬語を使って話す。いい青年だと思った。

 

 私たちの後方には、スペインの国旗をはためかせた一団がいて、

「エスパーニャア!」と、大声で応援している。

ところが、試合運びがスペインに有利に展開すると、なぜか、どよめくようなブーイングが起こる。スタンド全体としては、どうやらカメルーンびいきに傾いているようだ。

「カメルーンは強い国じゃないのに、ここまで来たからでしょう」

と青年が言う。

 スタンドは、真夏のような西日を浴びて、暑かった。座って観戦しているだけで、シャツの中を汗がたらたらと流れていく。

結果はPK戦のすえ、予期せぬカメルーンの逆転優勝となった。

 

「どうぞお元気で」

 表彰式の後、名前すら聞かないまま、私たちは別れた。一期一会。そんな言葉が浮かぶ旅先での出会いだった。



         聖火をかかげるモト。



自閉症児の母として(32):16年前の「ひととき」欄2016年08月17日

 

今朝の「ひととき」欄のもとになった16年前の投稿記事。これも皆さんに読んでいただきたいと思いました。




 

当時は、小学校の普通学級から養護学校の中学校に入ったばかりで、私の心も揺れていました。思い切って母子二人旅に出かけて、本当によかったです。気持ちを吹っ切ることができました。

そして、何でもやればできる、という自信が生まれたように思います。

若かったんですね……。

 

いずれやってくる「親亡きあと」のために、もう少しがんばりましょう。


 

写真は、シドニーのオリンピック・スタジアムで撮ったツーショット。

写真屋さんでカレンダーにしてもらったものです。

 

 




copyright © 2011-2015 hitomi kawasaki