自閉症児の母として(60):シチリアのお皿のように2019年03月30日

 


この地域の桜が、今日にも満開を迎えようとしています。


3日前の千鳥ヶ淵。まだ五分咲きから七分咲きでした。)

 

ちょうど1年前の今ごろは、長男の問題に悩み、人知れず涙の日々が続いていました。(いずれ書く日も来るとは思いますが、今はまだ書かないでおきます)

それでも、いつもの友人たちと連れ立って、目黒川のお花見に行きました。



 

川沿いの道に、シチリア島の陶器を扱う小さなお店があります。

そこで目をとめたのが、このお皿。引き寄せられました。


 

思わず手に取って、思ったのです。

息子もこんなふうに明るく笑うお母さんが好きなのだろうな……。

もちろん買って帰りました。

 

それから1年、息子は家を出ました。

この1年間、宿泊訓練を積んで、息子なりにがんばってきました。

私はこのお皿のような笑顔になれたのでしょうか。まだわかりません。泣き笑いの顔をしているかもしれません。

少なくとも息子の問題は解消したように思います。

「長男の巣立ち」の記念として、今日、このお皿を飾りました。

 

どんなに障害を持っていても、成長しない子どもはいない。

私はいつでもそう思っています。

平成が終わって元号が新しくなるこの時に、私の子育ても一つの区切りを迎えて、新しい次のステージに移っていきます。

だから今、子育てに悩むお母さんたち、諦めないで。

かならず笑顔になれる日が来ますから。 

 

 



自閉症児の母として(59):グループホーム入所から1週間。2019年03月14日

 




一時帰宅の土曜日がやってきました。

8時半からのエレクトーンレッスンに間に合うように、平日よりも早く朝食を用意してもらって、ホームを出てきます。レッスンが終わるとその足で、自宅に戻ることになっています。


(ホームから駅へ向かう坂道。植え込みや並木があり、夏には木陰を作ってくれることでしょう。



「新生活は順調かい?」とは、誰あろう息子本人のセリフ。オーム返しは自閉症の得意技ですが、こんなふうに質問形式で自分の言いたいことを発することもあります。

「お洗濯、したの?」と、私が聞くと、「お洗濯した」とちょっと得意そう。お世話人の方に教わって、やっているとか。

表情も柔らかく、何の問題もなさそうな雰囲気で、まずはホッとしました。


(息子のエレクトーン。きれいに掃除をして、ヘッドホンも用意しました。▲)

 

先週、家を出た息子の後を追うように、3日後には息子の部屋のこのエレクトーンも、専門の運送屋さんのトラックで行ってしまいました。そして、エレクトーンの置かれていた場所にクリーナーをかけながら、突然ぽろぽろと涙がこぼれたのです。

息子は、毎日、家じゅうクリーナーをかけてくれていた。私が仕事でくたくたになって帰ってくると、玄関のドアの外までクリーナーの音が聞こえてきて、「ありがとう、モト君」と、感謝しながらドアを開けたものでした。

もう二度とあの日々は戻ってこない……そう思うと、たまらない喪失感に襲われたのです。

べつに、掃除をしてくれる人がいなくなったから悲しいのではありません。

思えば、31年間続けてきたあの子との暮らしを、たったの1ヵ月半で、あれよあれよという間に、あっけなく終わりにしてしまった。その日のために頑張ってきたはずなのに、なんともったいないことをしたのかと、悔やまれました。もっともっと別れを惜しめばよかった。もっともっと自立を喜んであげればよかった。もっともっと時間をかけて……。いえいえ、彼のためには、不安な時間を長引かせるより、早く新生活を始めるほうがいい、と考えての急な旅立ちだったはず……。

理屈はどうであれ、息子が出ていった日から、しんとした家にいると、朝な夕なに、何度となく涙がこみ上げます。私は自他ともに認める「人の10倍泣き虫」。ひさびさに寝た子を起こしてしまったのでした。

涙を止めるすべはないものか。このままでは、朝には私のまぶたがお岩さん状態になってしまう。なんとかしなくては。

とにかく週末になれば息子が帰ってくる。その時には、きっといつもの、こだわりの強い息子の吐く息が、あっという間に家じゅうに充満するだろう。その中で、私の感傷なんて嘘のようにかき消されてしまうにちがいない。

そうそう、きっと大丈夫。

 

案の定、息子は今までの土曜日と変わらずに、ルーティンをこなしていきます。みんなの食器を洗い、家じゅうにクリーナーをかけ、今日の新聞を私の部屋に届け、ソファにどかんとすわり、ゲームを始めます。

その合間にも、私の言葉づかいにチェックを入れたり、外出中の家族の行き先を確かめたり、天気予報の開始時刻になればパチンとテレビを付けたり、Jリーグの勝敗や対戦予定をいちいちアナウンスしてくれたり……。わが家は一転、賑やかなこと。一週間居なかったら、自閉症の息子のこだわりの多さが浮き彫りにされることに気づきました。

ちょうど、一匹のクモが見事な造形の巣を張って、その中でじっとしているように、息子もこだわりのネットを張り巡らせることで、安定して生活できるのです。長く一緒に暮らしてきた家族は、彼のネットにすっかり慣れて、気にならなくなっていたのでした。


 

息子は自分の部屋に入って、エレクトーンのあった場所ががらんとなっていることに、ちょっと感慨深そうに目をとめて、「エレクトーンは?」と言いました。これもまた、彼特有の表現。グループホームの自分の部屋に運ばれたことを再確認するかのように、質問してみるのです。

 

お風呂に入るとき、「週末用のパジャマはどこ?」と、息子が聞いてきました。

週末用と平日用。生活すべてをきちんと二つの枠組みに分けることで、新生活はつまずくことなくスタートできたようです。これから少しずつ新しい〈こだわりネット〉を作っていくのかもしれません。

 

私も見習わなくては。

あなたのいない平日の静かな時間をありがたく感じながら、有意義に過ごすことにしましょう。その代わり、掃除と食器洗いは、また私の仕事になりました。


 


自閉症児の母として(58):本日グループホームに入居しました!2019年03月03日

 


冷たい雨の中、自宅から車で30分、息子はグループホームに引っ越していきました。自立への大きな第一歩です。

雨降って地固まる。それを信じています。

 

このホームに決めた理由のひとつは、お世話をしてくださるスタッフに、障害児の保護者の方がたがとても多いことです。

今日も、いろいろ息子の生活習慣やこだわり、好き嫌いなどを伝えてきました。そのたびに、「そうそう、うちの子も」と分かってくれるのです。

きっとこの私の代わりを、実の母親以上に上手にこなしてくれるにちがいない。そんな安心感がありました。

 

夫と私とで、テレビを運び入れ、ゲーム機器を整え、インターネットに接続し、衣類もクローゼットに収納。息子はようやく落ち着きました。これで、第二のマイルームの完成です。しかも、これまでのマイルームより、微妙に広い!

まだ、エレクトーンだけは運んでいないので、ちょっと心配そう。今、業者の手配を急いでいるところです。


 

お仲間は、10代から30代までの6名。ご挨拶代わりの小さなプレゼントも用意して、それを入れる袋には、息子にひとこと書かせました。


 

私が選んだ品は、シャーペンです。なぜって?

「隣の部屋の住人」とかけて、「シャーペン」とときます。そのこころは?

「ノックすれば、出てきます」

おあとがよろしいようで……



不思議な照明の置いてある玄関▲

 

いよいよ私たちがホームを立ち去るとき、玄関ホールで見送ってくれた息子は、片手をあげて、ちょっと迷ってから、

「いってらっしゃーい!」

〈ただいま〉と〈いってらっしゃい〉、〈あげる〉〈もらう〉〈くれる〉は、自閉症の彼の一番苦手な日本語です。自他との区別や、互いの関係性が把握できないのです。


息子に、不安な表情は見られませんでした。

しばらくの間は、土曜の朝、エレクトーンのレッスンに行き、その足で自宅に戻ります。そして日曜の夕方、ホームに向かうことに決めました。毎晩8時に自宅に電話をする約束もしました。

彼いわく、「グループホームは平日用、マンションは週末用だ」。

さあ、新しい生活のスタートです。

 

雨の中を運転して帰ってきた私は、ほっとしたとたん、緊張がほぐれ、涙腺も緩んでしまいました。さみしい? いえいえ、そんなシンプルなことではなく、もっと大きな思いがこみ上げてきます。

思い起こせば、

「あなたのお子さんは自閉症です」

と診断を下されたのが平成元年のこと。そして、ちょうど平成が終わる今年、息子は巣立ちました。カレンダーをこよなく愛する自閉症の息子らしい……と、思わず泣き笑い。

でも、けっしてこれで終わりではありません。

私の自閉症児の子育ても、次の時代に移っていくのですね。



 

 


自閉症児の母として(57):グループホームに入所します!2019年02月27日

 


自閉症の長男は、ついに家を出て、グループホームに入所することになりました。自立への大きな第一歩を踏み出します。

 

息子が30歳の誕生日を迎えるころ、これから先の10年間はグループホームを目指してがんばろう、と目標を立てました。

私たち両親は高齢者の仲間入りも近い。いずれは年老いて自分たちこそ誰かの世話になりながら暮らしていくようになるかもしれません。いつまでもそんな両親のもとで過ごしていては、いよいよというときに、一番困るのは本人。親亡きあとの息子の暮らしを考えるのに、早すぎることはありません。

障害の状況や程度からして、いきなり自立と言うのは、やはり難しい。家を離れても、社会の支援は必要です。

 

そこで、このころからグループホームの見学を始めました。「百聞は一見に如かず」です。

また、ショートステイのできる場所を探し、宿泊体験を始めました。

20173月、障害者支援施設「桜の風」で、初めての1泊体験。その半年後には、「陽光ホーム」というグループホームで、そこに泊まりながら職場に通うという実地体験もしてきました。

両方を組み合わせて月に一度、1泊か2泊。それを2年間、続けてきたのです。大きな体験を積んで、彼にはたしかな自信になったはずです。息子にとっては、どれほど詳しく説明するよりも、体験が大きくものをいうことを、子育ての中でつかんできましたから。

 

それでは、どこのグループホームに入所できるのか。これもまた簡単ではなく、需要はあっても、まだまだ数は少ないようです。

支援センターの担当者にお願いして、どこかに空きが出ると知らせてもらい、何ヵ所か見てきましたが、どこも帯に短したすきに長し。ここぞというホームには出会えず、気長に構えていました。焦ることはありません。10年がかりの自立が目標です。

 

また、自立に向けて歩き始めたころは、ちょうど私の母が病気やけがで入退院を繰り返した時期と重なりました。午前中に息子のためのグループホームを見て、午後からは母の老人介護施設を見に行く、ということもありました。

私自身も、毎年インフルエンザにかかったり、骨粗しょう症の薬の副作用で体調を崩したりして、なんとも慌ただしい時期でした。

 

そんな日々のなか、息子が小学生のときから東京都世田谷区の施設で一緒に療育を受けてきたお仲間のうち、たまたま同じ川崎市内に住む二人が、同じグループホームに入ったのです。男性6名のためのオシャレできれいなホームで、厳しいルールもなく、楽しく過ごしているということでした。

息子にはまだハードルが高いだろうか。見学だけでもさせてもらおうか。

ためらったり迷ったり……。


▲玄関ホール。


みんなで食事をするダイニング▲と、その食器棚▼

 

私の背中を押してくれたのは、主治医の精神科のドクターでした。障害者福祉にも詳しく、20歳のときからお世話になっている先生です。

息子がいま抱えている問題を解消するためにも、まずは家を離れて生活環境を大きく変えること。課題があっても、できることできないこといろいろとあっても、それをひっくるめて社会に託していけばいい、戻れる家があるうちに。そう言ってドクターは励ましてくれました。

 

思い切って、くだんのホームに電話を入れてみると、なんと2名の空きがあると言うではありませんか。事はとんとん拍子に進み、すぐに見学、そして34日の体験をさせてもらい、晴れて本日、契約を交わしてきました。数日後には、入居です。

電話をかけた日から一ヵ月半の早さですが、ご縁とはそんなものかもしれません。機は熟していたのでしょう。


▲息子が入ることになった部屋。家具付きです。

オシャレなラグやクッションまで置いてあります▼


 

息子本人は、「ぼくは自立しますよ」と言ったり、「3月から新生活のスタートです」とテレビのCMまがいの言葉を口にしたり、心躍らせているようで、ほっとしています。

もちろん、手放しで喜んでばかりもいられません。うまくいかなくて戻ってくることも視野に入れて、家から巣立つのです。親は、社会の支援と手を組んで、これからの自立を見守っていくという、新体制のスタートです。

息子にも、親にも、新しい春がやって来ます。

 

このホームの良さは、見かけだけではありません。

それは、また後日、ご報告したいと思います。お楽しみに。





 



自閉症児の母として(56):「うちの子に限って、どうして……」2019年02月06日

 


今日は、東京都の発達障害者支援センターで行われた支援員のための研修会で、障害児の母として、お話をさせていただきました。

この支援センターは、息子がお世話になっている社会福祉法人「嬉泉」が都の委託を受けて運営しており、その関係で、毎年私にお呼びがかかります。

 

おもに子どもたちの支援をしている方がたが対象なので、長男が幼いころの子育てを振り返ります。話す時間は40分。話したいことは山とあって、全部話したら明日の朝までかかるでしょう。

毎年、少しずつ変えてみたり、最近気づいたことを加えたりしますが、いつも必ず話していることがあります。

 

息子が3歳から通った「めばえ学園」の女性の園長先生は、いわば母親たちの教育係で、たくさんのことを教えてくれました。

息子の障害がわかった頃は、「うちの子に限って、どうして……」と私もずいぶん思いました。子どもたちから見えないように、台所の片隅にうずくまって泣くこともありました。

ある日、園長先生が私たちにこんな話をしてくれたのです。

「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労して自閉症のお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表となって自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは代表なんだ。選ばれたんだ、神様に。そう思えました。

その時から、私は吹っ切れたのです。「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなったのでした。

神さまに選ばれたプライドを心に抱くことで、今でいうポジティブシンキング、前を向いてひたすらがんばることができたのです。

 

涙をふきながらのところもありましたが、無事話し終えて帰宅すると、さっそく参加者のアンケートに書かれたコメントが、メールで届いていました。

皆さんは私の思いをまっすぐに受け止めてくれたようで、ほっとしました。

その中に、こんな言葉がありました。

「涙が出た。まさに1000人に1人の代表だと思った」

またまた私も涙……。

障害児を授かって、苦労が多い分、私の人生は豊かになった。それを改めて感じた瞬間でした。

 



24年目の1.172019年01月17日



24年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、市内の病院のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

予定日を10日近く過ぎて、陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

6人部屋の病室には、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいて、「里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……」と話していた。

退院してからは、次男に母乳を飲ませながらも、泣きながらテレビ報道を見続けた。

阪神淡路大震災。6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実をかみしめていた。

 

毎年のように、この日のエッセイを書く。震災が起きたことと、次男出産の記憶とは、私のなかでしっかりとリンクしている。それを書かずにはいられない。

 

今年は、前日に『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』というドラマを見た。関西出身の友人がFacebookにアップした記事で知ったものだ。

震災で分断された鉄道を復旧させるため、技術者たちは崩れかけた駅舎を復元しなければならなかった。2年以上はかかると言われた工事を74日で成し遂げた男たちの物語だ。たくましく誠実に難工事に立ち向かう姿も感動的だが、その駅を取り巻く人びとの温かな人情や、犠牲者への悲しみも描かれ、丁寧に作られた見ごたえのあるドラマだった。

 

私がどうも気になったのは、春日という少年。震災当時、世をすねて盗みを働くようなワルだった。23年たった2018年の彼も語り部として登場するのだが、なんとも得体のしれない人物である。彼は罪を償わないまま、大人になった。そのことが彼の心の傷になっているらしい。それぞれ野村周平と椎名桔平が好演している。




春日のような悪さをしたわけではないのに、次男が春日にダブって見えた。

明日24歳になる次男は、大学に入ってから挫折を味わい、卒業の見とおしも持たずに、人生に迷子になっているように思える。

いつも、彼の誕生日が近づくと、世の中はあの大震災を振り返り、犠牲者を悼むとともに、災害への備えを話題にする。それに呼応するように、私の気持ちのなか、次男の誕生日には暗い影が落ちる。明るく素直に喜べない気がするのだ。それは震災のせいばかりではないのかもしれないが……

 


旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり②「心に残る」2018年11月30日


五島に行きたいと思うようになったのは、9年前にさかのぼります。
次男の忘れられない出来事にあるのです。

当時、それをエッセイにつづりました。まずはお読みいただきましょう。

 

 

    「心に残る」――母バージョン

 

ゴールデンウィークが明けた日、ひさしぶりに一人の静けさを味わっていると、次男の中学校から電話がかかってきた。

385分のお熱がありまして、今保健室で休んでいるのですが……」

車を飛ばして20分後、保健室には青い顔の息子がいた。

 

ちょうど、アメリカ帰りの大阪の高校生が、重症になりやすい新型インフルエンザで隔離された、というニュースが日本列島を不安に陥らせていた頃だ。

保健室の先生の話では、息子のクラスにもインフルエンザの生徒が数名出ているという。

私も青くなった。中3の息子たちは、5日後に長崎への修学旅行を控えていたのである。

「でもご安心ください、B型ですから」と、先生はにこっと笑った。

恐怖の新型はA型で、学校では安心のB型というわけだ。おそらく息子もその菌をもらったのだろう。

「発熱して1日たたないと菌が出ないことがあるので、検査は明日のほうが確実かもしれませんね」

とりあえず息子を連れて帰って寝かせる。夜には40度になり、解熱剤を飲ませた。大丈夫、出発まで5日ある。諦めるにはまだ早い。

あいにく私は、翌日の午前中は自分の習い事、午後からは仕事先の年に一度の総会が控えていた。しかたがない。午前中は休むことにして、医者に連れて行こう。総会では大事なお役目もあるから休むわけにはいかない。薬を飲んで眠っているうちに出かけてこよう。

 

翌日、午前中にかかりつけの小児科に連れて行く。検査の結果は予想どおりのインフルB型。

「ほうっておいても寝てれば自然に治るんだけどね」と医者は前置きして、「一刻も早く治したい事情があるということなので、特効薬を処方しましょう」。

薬はリレンザ。従来のタミフルは、副作用でまれに幻覚や妄想が起こるとされている。子どもの患者が異常行動で亡くなって以来、未成年には許可されなくなった。

「リレンザでも同様の副作用があるという報告もあります。服用したら24時間、目を離しちゃだめですよ」

大声を上げて外へ飛び出したり、窓から飛び降りたりする可能性もあるというのだ。

 

万事休す。午後からの総会もあきらめ、急きょ欠席のお詫びを入れて、代理を頼んだ。

吸飲式のリレンザは、簡単な器具に薬のパックを装てんして投与する。息子はやがて眠りについた。1時間おきに部屋をのぞいても、いつも死んだように眠っていた。

結局その日は、夜まで息子の爆睡を見守っただけだった。総会に出かけても大丈夫だったのに、と思う。でもそれは結果論だ。

わが家にはもう一人保護者がいるのだが、夫の育児への協力は土日祝日限定である。育児のために仕事を犠牲にするのはいつだって私。収入の多寡だと言われればそれまでだけれど、仕事である以上、私にも社会的な責任はあるんだけどな……。

 

翌日には息子の熱も下がり、リレンザのおかげで快方に向かった。2日間平熱が続けば完治とみなされる。旅行の前日には医者の診断書をもらって、午後からは登校できた。なんとか修学旅行に間に合ったのだ。

さて旅行当日の朝、最後のリレンザを吸いこんで、いざ出発……のはずが、トイレに入ったきり出てこない。薬の副作用から下痢を起こしたようだ。今度は下痢止めを飲ませる。ぎりぎりの時刻まで待って、集合場所の羽田へ向かわせた。中学生にとって、修学旅行に行かれないことぐらい悲しいことはない。そんな私の信念が、息子を送り出したのだった。

 


34日の旅を終え、元気に帰ってきた息子は、開口一番、こう言った。

「ありがとう、母さん!」

初日は辛かったけれど、2日目からは食欲も出たという。五島の海の青さ、班長として班別行動をとった思い出……口下手な息子の話でも、楽しかった様子が想像できた。

母さんが治してあげたわけではないけど、でもよかったね、みんなと行けて。

 

1ヵ月後、さらにおまけがつく。

国語の苦手な息子が書いた「心に残る」というタイトルの修学旅行記が、学校通信に載ったのである。

「仕事を休んでまで看病してくれた親のためにも、楽しめなければ悪いという気がした」

旅行記は、私の心に残る“最高傑作だった。




 ぎりぎりセーフの病み上がりで出かけ、元気になって帰ってきた息子。彼が見た海を、いつか私も見てみたい。願いは9年目にかなったのでした。

次回、「③頭ヶ島教会」に続きます。

 

 

自閉症児の母として(52):ショックです! 息子の頭が……2018年10月16日

 

朝、息子は出かけるときに、「今日は髪を切ります」と言っていました。

帰宅した息子を見て、絶句。坊主頭になっていたのです。ショックで息が止まりそうでした。

 

もう何年も前から、駅なかの1000円ぐらいで簡単にカットしてくれる床屋さんにお世話になっていました。最初は私がついていきましたが、すぐにチケットを買うやり方も覚えて、一人で行かれるようになりました。

その店が閉店になっても、隣駅や商店街などで、別の床屋を見つけてはそこで散髪していました。コミュニケーション障害のある彼が、理容師さんとどんなやり取りをしているのかと、ちょっと心配ではありましたが、いつもこざっぱりとして帰ってくるので、理容師さんにも何とか理解してもらえているのだろう、床屋に関してはすっかり自立した、と安心しきっていたのです。

 

息子は、私が驚いても、さほど悪びれるでもなく、「バリカンで??」などとおどけている。「床屋さんには何と言ったの」と聞いても、そういう説明は彼には無理なのです。あまり突っ込んで尋ねても、息子が傷ついても困るし、坊主頭が悪いと思い違いをされても困るので、あまり悲しい顔はできません。

おそらくは、「短くしてください」と頼んだら、「バリカンで?」と理容師さんに聞かれた。わけもわからず「はい」と答えた……といったところなのではないか。憶測するばかりです。

 

今日はたまたま、刑務所の話を聞いてきたのです。服役を終え出所した人の社会復帰を支援しているシスターの講話でした。なぜか、息子が受刑者のように見えてしまい……、ショックです。

話が通じているようでも、見かけと違って、息子の理解能力はかなり低い。そのことを改めて思い知らされたこの一件。いえいえ、行き違いがこの程度のことですんでよかった。そう思っておきましょうか。

髪が伸びるまでの1ヵ月、母は反省しながらじっと我慢の毎日です。

 


東国原さんみたいで、とても正面からの写真はお見せできません。

ただひとつ、頭の撫で心地だけは快感ですけどね。

息子は今夜も、何事もなかったように、ルーティンの食器洗いをしています。



自閉症児の母として(51):自閉症児を抱えた若いお母さんたちへ2018年09月28日


今日は、長男が3歳から通ってお世話になった療育施設で恩返しをしてきました。

現在、そこに通園している自閉症児のお母さんたちに、先輩母として、お話をさせてもらったのです。十数名の若いお母さんたちは、話を始める前から、もう目が潤んでいる。人の十倍泣き虫の私も、それを見ただけで早くももらい泣き……。

それでも、将来に対する不安や、兄弟間の問題など、困っていることを少しでも軽くしてあげたいという思いで、体験をお話ししました。

 

この施設では、母親ももちろん勉強でした。わかりにくい自閉症児の育て方を学びます。最初に教わったのが「受容的交流方法」。それは、あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育ての基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらいましょう。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいましょう。

そう教わってきました。

私たち親子も、思い出すまでもなく、感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

「私も、『うちに子に限って、どうして?』ってずいぶん思いましたよ」

と、私が口にしたとたん、ほぼ全員がハンカチを取り出していました。そう思わなかったお母さんは一人もいないのです。

当時の園長先生は、私たちにこう言いました。

「自閉症児は、1000人に一人の割合で生まれると言われています。皆さんが大変な思いをして育てているからこそ、他の999人のおかあさんがフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは神様に選ばれたんだ、と思えた。代表としてのプライドを持って、この子のために前を向いてがんばろう、と思えたのです。

さて、何人のお母さんにわかってもらえたでしょうね。

 

写真はおみやげにいただいた、自閉症者のアーティストの絵はがき。

非凡な才能がほとばしっていて、惹かれる絵です。




自閉症児の母として(49):NHKさん、どーも!2018年06月10日




息子は、子どものころから、NHKのテレビ情報誌「週刊ステラ」を毎週欠かさず買っている。おそらく、「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」の番組からの興味で、創刊号から買い始めたのだと記憶する。



ちなみに、何歳から買っているのか、息子に聞いてみた。

4歳かな~」

ウィキペディアで調べてみた。創刊は1990523日。確かに彼は4歳だった。今から28年前である。ざっと数えても、年に約50回発行されるから、創刊号から1400冊ほどを購読してきた計算になる。

NHKから表彰されてもいいのでは、と思う。

 

いつ頃からだったか、クロスワードパズルが掲載されていて、息子はマス目を埋めるようになる。とはいえ一人では完成できず、週末には家にいる娘が、よく助け舟を出していた。

3年前の夏、娘が家を離れた翌週から、その役目が私に回ってきた。息子が自分で書きこんだ部分を見ると、難しい四文字熟語を答えていたり、流行りの言葉を知っていたり、と思えば、ヒントのやさしい漢字が読めなかったりと、彼の知識の偏りがおもしろい。

すべてが埋まったところで、指定されたマスの文字を拾ってクイズの答えがわかると、「できたー!」と満足するのだった。

 

そのパズルが、この4月から、ナンバープレースに替わってしまった。数独のクイズである。私はクロスワードのほうが断然好きだ。語彙がひらめくと自己満足に浸れる。数独は、時間をかけて解いていけば、かならず正解にたどり着けるはずだ、と高をくくっていた。

仕方がない、息子に付き合おう。彼こそ数字には強いから、解き方のコツさえ覚えれば、すぐに一人で解けるようになるだろう。

案の定、初回からルールを飲み込んだ。9つの四角の中と、縦と横の列の中に9つの数字がダブらないこと。それだけだ。

そのうちに、私より先に答えを書き込むようになり、やがて何回目かにはほぼ一人で仕上げてしまった。ナンプレ自立である。



ふと見ると、

「正解者の中から抽選で3人に、以下のプレゼントを差し上げます」

おなじみの文句が目に入った。せっかくだから、初応募してみようか。

「西郷どん どーもくん手ぬぐい」だって、いいじゃない。

はがきに、住所・氏名・年齢など必要項目を書かせて、投函する。

 

そして1ヵ月が過ぎた今日になって、届いたのである。

NHKステラと書かれた、ふにゃふにゃした分厚い封筒が。

 

Congratulations モト様!

厳選の結果、貴方様が当選されました。

 

ステラの誌上発表によれば、当選倍率67倍とある。私はそのあたりの規約には詳しくないのだが、ひょっとしたら、抽選ではなく、特別に選んでもらったのではないか、と密かに思った。

応募はがきの項目の最後は、「本誌へのご意見・ご感想など」だった。そこに、ステラと息子の28年の歴史を、母の手で書き込んだのである。

それを読んだ編集部の方が、一人の障害者を応援してくれた。いや、長年の購読者への感謝の気持ちかもしれない。

いずれにしても、私は素直にうれしい。私たち親子を支えてくれる人に、また出会えた。息子のことでメソメソしてばかりの近ごろの私には、何よりの励ましのプレゼントだった。

 

NHKさんどーも!


 

やったね、モト君!





 

 



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