続・白内障手術を終えて2026年04月01日


先週の23日に左目の手術、そして1週間後のおととい、右目も無事に終えました。今回の手術直後のテーピングは容赦なく、右目の周囲を覆いつくし、口の真横まで。たださえ片目の食事はままならないのに、口を開けるのも難しく、やっとの思いでした。

そんな時、テレビも見にくいので、イヤホンでポッドキャストを聴くことにしました。

たまたま、以前チェックした番組が、画面にありました。このブログでも著書を紹介した石井健介さんと、ジェーン・スーさんとの対談です。

聴いているうちに、またまた目からうろこの落ちる心境になりました。たかが一昼夜の片目状態、たかが1週間の不便に対して、不平ばかり言い募っている自分を恥じました。彼はそれを、新しく誰かとつながるための便利な道具のようにとらえている。頭が下がります。

 

👁右目の手術で

 

手術中のドクターは、私に言葉をかけるだけでなく、後輩のドクターがその場にいるので、指導のため、そちらとも話をしています。

「クリスマスツリー○○があって……」

たしかにそう聞こえました。

クリスマスツリー?? 何のこと……? 

私の聞き違いだと、また笑われてしまうから、退院してから検索して調べてみようと思いました。

確信を持てたので、今日の診察で、思い切って尋ねました。

「先生、手術中にクリスマスツリーなんとか、っておっしゃいましたよね」

「ああ、クリスマスツリー白内障ね。ツリーみたいにきらきら光って見えるの。僕は好きなんだよ」

顕微鏡で見ると、さまざまな色と形で輝いていて、まさにクリスマスツリーのようだとか。よくこんなものがあって見にくくならないと思うほどだけれど、残念ながら本人には何も見えない。100人に1人あるかないかという珍しいものらしい。ああ、やっぱり。ネットの情報どおりでした。

ひとみの瞳の中にクリスマスツリーがあったなんて、ステキすぎる!

「でも、もうないけどね」と、ドクターは笑います。そう、超音波で砕かれて吸い出されてしまって、そこに新しい人工レンズが入ったというわけです。

代わりに授かった瞳で、今年のクリスマスツリーは、くっきりキラキラと美しく見えることでしょう。

 

私は子どもの頃からキラキラ光るものが大好きでした。ダイヤやサファイヤの付いた(もちろんおもちゃの)ブローチやネックレスをたくさん集めていたっけ。

その趣味は今でも変わりません。クリスタルのアクセサリー、スパンコールやラメ入りの服など、好んで着ています。加齢でみすぼらしくなった部分をキラキラで補いたいから、と自分では思っていたけれど、じつは目の中のキラキラを感じていたからかも。それとも、あまりキラキラを見すぎて、瞳の中にその映像がたまってしまったのかな……などと想い巡らしてみるだけでも楽しい。

 

さらに言えること。私の「ひとみ」という名前は、正真正銘のキラキラネームだったのですね。

 

▲本日午前中、1週間前と同じ大学のキャンパスで、桜を見てきました。降りだしそうな空の下、風に吹かれて花びらがたくさん舞っていました。


白内障手術を終えて2026年03月31日


先週の23日(月)に左目の手術、そして1週間後の昨日、右目を終えました。やっと、まともに文字が書けるようになりました。

この1週間は、左目だけよくなっても、右目をつぶっているわけにもいかないし、右目にはメガネが必要なわけで、本当に不便でした。ようやく新しい「ひとみの瞳」が二つとも揃いました。

まだ、本調子ではないけれど、さっそく読んだり書いたりしています。

「どんどん目を使ってもいいですか」とドクターに聞くと、

「どうぞ。減るもんじゃないし、どんどん使って」とのお答えでしたから。

 

👁最初の手術

手術着に着替えて、手術室に向かいます。

手術は過去3回ほど経験があるのですが、今回は局所麻酔なので緊張します。怖いです。

室内にはドクターや看護師さんたち、青い手術着と手袋をして待ち構えていました。リラックス効果でしょうか、軽快なポップスが流れています。

 

手術台に横たわると、周りから手が伸びてきて、左目だけを残して、べたべたとテープが貼られて、シートがかぶせられました。

目の周りには円い枠が固定されて、目を閉じることができない。そこに液体がかけられ、視界がぼやける。光るシートのような天井と、青い光が三つ。まるで、手塚治虫のヒョウタンツギのように見えて、ちょっと気がまぎれます。

「動かないで、光をじっと見てて」とドクター。指示のとおりにヒョウタンツギを見つめていると、

「そうそう、上手だよ。みんなそんなふうに上手にしてくれるといいんだけどね」

とほめてくれるので、思わず、

「私、ひとみという名前ですから……」と呟く。

「あ、そうか。うまいこと言うね」とドクターは笑い、「患者さんの緊張をほぐすためにおかしなこと言うけど、自分が笑わせられたのは初めてだ。一本とられたなー」。

手術台の上のやり取りで、私もちょっとだけ緊張が解けました。

 

最後に、「終わったよ」と、べりべりと顔のテープをはがします。

「いたたたた!」

「これが手術で一番痛いんだよ」

開始から7分、手際のよい、あっという間の手術でした。

 

聞くところによると、この日の午後、ドクターは12人の白内障手術をほぼ時間どおりにこなしました。ちなみに私は9番目だったとか。

いやはや、お疲れさまでございました。



▲手術の翌日、退院した帰り、近くの大学のキャンパスで桜を見てきました。瞳孔を開く目薬がまだ効いており、眩しくて眩しくて、新しい目はついつい閉じていました。

 


2000字のエッセイ:「義母と私の白内障手術」2026年03月13日

 

   🌸義母の場合🌸

 

「この歳(とし)でも、白内障の手術ができるかしら」

御年104歳の義母がそう言いだしたのは、昨年の夏のことだ。

義母は2年前、自宅に近いホームに移り住んだ。そこでは月に2回、医師が往診に来て健康状態を見てくれる。義母がいかに元気かをよく知っている医師が「大丈夫です」と太鼓判を押してくれたので、夫が付き添ってT病院の眼科を訪れた。

「お歳がお歳ですので、いざという時に、こちらの病院では対応できないかもしれません。万全を期して、近くのS大付属病院で診てもらってください」と、外来の医師は紹介状を書いてくれた。

 

S病院の外来では、やさしい感じの女性の佐川先生が丁寧に説明し、「大丈夫ですよ。手術をしましょう」と請け負ってくれた。日帰り手術が増えているなか、ここでは23日の入院となる。

義母は、生まれた時からひ弱で、「この子は10歳までは生きられない」と言われたという。それでも両親に大切に育てられたおかげで、義母自身も健康には人一倍気を使い、ここまで長生きをしてきた。

とはいえ、子どもの頃から視力が弱く、メガネが必要だったらしい。細かい字を見る時は点眼鏡を使った。最近では点眼鏡をふたつ重ねて読んでいる。もう少し早く手術を受けたらよかったのに、と思うが、本人はその必要を感じなかったという。

かくして、左目の手術は無事に終わった。あとで医師から聞いた話では、さすがに筋肉が硬くなっていて、角膜を開く目薬が効かず、器具を使って押し開いたそうだ。

退院してホームの自室に戻ってくると、

「あら、壁の時計が見える。何時かわかるわ。時計の針が読めたことなんて、今までなかったのに」と、驚いていた。

1ヵ月後に右目の手術も終え、紹介状を書いてくれたT病院で診察を受けた。同じ医師はいなかったが、代理の医師が、

「上手に手術してもらいましたねー。完璧ですよ」

と、ほめちぎったそうだ。

 

年が明けて、新年の挨拶に、ホームの義母に会いに行った。帰る時、私がマフラーを巻くのを見て、言った。

「あら、ズボンと同じ色のマフラー、ステキね」

その日は、からし色のウールのパンツに同系色のマフラーを合わせていた。今まで義母に服装をほめられた覚えがなく、意外だった。

そうだ、今、義母の目は生まれ変わったようによく見えているのだ。ほめられたことよりも、母の変化が私にはうれしかった。

 

   🌸私の場合🌸

 

70代に入ってから、私の目もいよいよ怪しくなってきた。近くも遠くもすべてが二重に見えるのだ。裸眼ではもちろん、半年前に新調したメガネをかけても、近くは見えるが遠くが判然としない。ドライブ中に交差点の名称が読めない。これでは勝手知ったる近所は走れるが、知らない地域や遠出はもってのほかだ。

せっかく免許更新をすませたところで、あと5年は愛車とともに過ごしたいと思っていた矢先なのに、ドライブ人生の危機である。

 

とりあえず、眼科に相談してみようと思った。白内障手術をするなら、義母と同じ佐川先生がいい。迷うことなくS病院に予約の電話をかけたが、医師を指名して予約はできないと言われてしまい、佐川先生は諦めざるを得なかった。

そこで今度は、T病院の眼科に向かった。外来で診てくれた堀口先生は、大柄な男性で声も大きい。目の症状を話すと、

「二重に見えるのは、白内障の典型ですよ」と、こともなげに言う。

車の運転中は遠くが見えないと困るし、読書やパソコン作業には手元もよく見えてほしいから、多焦点レンズも考えている、と私の希望を伝えた。

というのも、数年前に多焦点レンズを入れてストレスフリーになったという友人から、つい先日、その話を聞いたばかりなのだ。もっとも、単焦点レンズと違って保険が効かないから両目で百万よ、とも聞かされていた。

「この病院は安いから、70万ぐらいですよ。私が開業医になったら、もっと高くしますけどね」と、先生は笑う。そして、

「費用の問題は別としても、以前はとても目が良かったあなたには、多焦点はお勧めしませんね。もう少し、のんびりした人に向いているんです」とまで言われた。多焦点とはいえ、すべての距離ではっきりと見える保証はないという。この程度しか改善されないの、と不満が残るのはよくないということらしい。

 

ともかく、遠距離の単焦点レンズを入れて、あとはメガネで微調整するのが一番いいだろうということになった。先生は白内障専門で多くの手術を行い、症例を見てきたという。先生を信頼しよう。口達者な先生との問答で、とんとん拍子に手術が決まっていった。

 帰宅して、夫に堀口先生のことを話すと、まさに義母の手術後を見てほめてくれた先生だったのである。

 

私の手術は3月下旬。

義母と私、今年の桜はどんなふうに見えるのだろうか。


       昨年4月、千鳥ヶ淵の桜。▲

 

 



おススメのひととき欄:「今日も編む」2026年02月26日


本日、226日付の朝日新聞朝刊に、私のかつての生徒さんの投稿が載りました。




書き出しは、手編み帽子と友人たちとのつながり。明るい色の帽子が、手から手に渡っていく様子が目に浮かび、温もりが感じられます。

ころころと毛糸玉が転がっていった先の記憶は、昭和の子育ての頃でした。ミカンとこたつと賑やかな家族。そして、やさしい夫の姿……。

それが一転、夫は病魔に侵されて、無言のうちに向き合う老夫婦。言葉少なでありながら、作者の悲しさ、悔しさが、あふれるように伝わってきました。

 

500字足らずのショートエッセイで、鈴木さんは大勢の読者の心を震わせたにちがいありません。

これからも、編み物を楽しむかたわら、エッセイも書き続けてくださいね。






おススメの本:川内有緒著『エレベーターのボタンを全部押さないでください』2026年02月08日

 


さきほど読み終えたばかりですが、早く皆さんにおススメしたいと思いました。

昨年、この本についての誰かの書評を読んで、読んでみたくなったから図書館で予約をしたのだけれど、もうその書評のことは覚えていません。

ただ、大好きな本『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』の著者の初エッセイ集だというので、興味がわいたことは確かです。

(その本については、2年ほど前の記事で紹介しています)

 

6つの章に分かれていて、最初の章には、旅のあれこれ、些細なエピソードがつづられています。こんなふうに旅先の出来事が書けたらいいなあ、とうらやましく思うほどでした。

 

第2章には、子供の頃の話が続きます。

高橋留美子の漫画『うる星やつら』を絶賛しています。私もおとなになってから、夢中で読みふけった過去があって、大いに共感しました。

そして、このエッセイ集の長いタイトルにもなっている話が登場。抱腹絶倒というか、あきれてものが言えないというか、まるで映画のような冒険譚が展開していきます。

ただ、今なお、なぜこのタイトルを付けたのかは、よくわかりません。

まだ幼い頃、自分をとりまく世界の全てが「当たり前」だった。

作者はそうつづっていますが、作り話ではなく事実だとしたら、作者はフツーの大人にはなれるわけないわな、とさえ思えてくるのです。作者は豊かすぎるほどの子ども時代を過ごしたのですね。

 

第3章には、本の話や、ノンフィクション作家としての自分の話。

向田邦子さんのエッセイにもその生き方にも言及して、その魅力をつづっています。

私も若い頃、向田さんのエッセイが大好きで、読みつくしました。惹かれた理由が今初めて言葉になったようで、不思議な思いにとらわれています。

また、例の『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』の本を執筆中の時のエピソードも出てきて、わくわくしました。

作者は、白鳥さんを主人公にした映画も作っているのだと知りました。

そして、エッセイを書く私としては、推敲作業の仕方が似ている、とにんまりしたり、歩きながら書くという執筆方法には目からうろこ、やってみようと思ったり。

 

最後の章は、「未完成な人生に花束を」というタイトル。

人は生まれて死ぬ。

とあるように、自分のおなかの中に、待望の命が芽生えた話や、父の死、叔父の死も、心に深く残るようなエピソードをつづっています。

エッセイ集の最後の最後に、初めて泣かされそうになりました。

 

 

この本の面白さは、ひとことでは言い尽くせないけれど、しいて言えば、豊かな愛情と好奇心にあふれた川内有緒さんが、人生の冒険のかずかずを、抜群の文章力で表現したエッセイ集です。

今年の私の一押し。ぜひお読みください。




 

 

テーマ「笑う」で書いたエッセイ:「笑っていいの」2026年01月31日



昨年の10月、神奈川県公安委員会からハガキが来た。もうすぐ運転免許の書き換えなのだ。小さな字でびっしり書かれたお知らせ事項の中に、持参する顔写真の説明図もある。

それを見て、もう一つの写真案件があったことを思い出した。エッセイ講師を務めるカルチャースクールから、「ホームページをリニューアルするので、この機会に講師のプロフィール写真も新しくしてください」というものだった。それほど古い写真ではないし、差し替えはいつでもできると言われ、のびのびにしていたのである。

そうだ、T写真館に行こう。

  

運転免許証は本人確認のため提示する機会が意外に多いのに、更新時に出向く警察署内の公安委員会で撮られる写真は、いつも不出来で気に入らなかった。しかたなく諦めてはきたけれど。

5年前のある時、新聞でT写真館の広告を目にして、免許証の写真もここで撮ってもらおうと思いつく。以前から、T写真館で撮った就活の履歴書の写真は内定率が高いという定評があって、地元では話題の店なのだ。

初めて店を訪ね、カメラの前に緊張して座る。男性カメラマンが「笑ってくださーい」と言う。え、証明写真なのに? と一瞬戸惑う。

「歯を見せなければ笑っていいんですよ。もっと口角を上げてみましょう」

そう言われて、ちょっと安心して微笑んだ。写真の出来栄えは期待以上だった。

その後、パスポート用の写真もここに依頼した。中国のビザ申請にも同じ写真を使おうとしたがダメだと言われ、その場で写された。悪意があるのかと思うほどひどい写真で、妖怪のような顔だった。

   

今年の正月5日、予約したT写真館へ。

ヘアメイクからお任せのフルコース。シミもしわも上手に消されて輝く肌になり、ヘアブローの後はスプレーで白髪も隠れた。

スタジオのカメラマンは、何枚か撮ってから、「笑ってみましょうか」と言った。今度は大丈夫、気負いなく、にっこり。

「ああ、いい表情ですよー。講師をなさっているから、自然な笑顔を作るのも慣れていらっしゃる」と、彼のリップサービスに、さらに乗せられて微笑む。

今月新しくなる運転免許証は、おそらく人生最後かもしれない。その写真も、今回撮ってもらう中から選ぶつもりだ。

メガネをかけ、テキストを手にして、講師っぽくポーズをとる。その1枚を新しいプロフィールとしてスクールに提出した。

「あら素敵! 生徒さんが増えますね」

「だといいですけど……」

実物を見てキャンセルされたら、それこそ笑えない話です。



☆カルチャースクールの講座のページ「初めてのエッセイ」はこちらです。

 



2000字のエッセイ:「一人で行く旅のなぜ」2026年01月12日



 

ノンフィクション作家の川内有緒さんのエッセイを読んだ。一人旅のことをつづっていた。

「毎年一度は一人旅をしたい。何もしないで、ただ小説を読みふけるような船の旅がいいかも」

彼女は51歳。たくさんの経歴を持ち、海外でも暮らし、一人で娘さんを育てている。そんなパワフルな人だからこそ、のんびりした船の旅に憧れるのかもしれない、と70代に突入した私は思う。

私も一人旅をするが、旅に出たら、いや、出る前から綿密な計画を立て、時間を無駄にしないで、目的地を目指し、目的を果たすことに楽しみを見出す。私が元気でいられる時間は限られている。彼女との歴然とした年の差を感じてしまう。

 

なぜ一人旅をするの、と聞かれたことがある。とっさに答えが出てこなかった。しばらくそのことが引っかかっていたが、少しずつ答えが見えてきた。

最初のきっかけはコロナ禍だ。不要不急の外出は控え、人との交流も途絶えた。さすがに「一緒に行かない?」と誘える雰囲気ではなかった。それならばと、一人で出かけた。夫の休みがとれれば、一緒に行くこともあった。世の中ではGoToトラベルなどと旅行業界を支えるキャンペーンが盛んで、格安で旅行ができるし、どこへ行っても旅行客は少なく、むしろ快適な旅ができた。

 

コロナ禍でも、ミュージシャンのコンサートは人数制限を設けるなど、厳しい条件下で行われた。チケット入手は、別の意味でも厳しくなった。転売を防ぐために、本人のみならず同行者にも、事前登録と当日の本人確認が義務付けられるようになったのだ。

「一緒に行こうね」などと気軽に約束しても、万が一の時のキャンセルには手間がかかり、気やすく誘えない。コロナ禍をどう潜り抜けるかは、個人個人の状況や価値観に負うところが大きく、デリケートな問題だ。それならばと、やっぱり一人で行くことを選ぶようになる。

また、全国ツアーの場合には、首都圏よりも地方の会場のほうが当選確率が高いといわれる。そのチケットをゲットするためには、自分だけの都合で日程と会場を選ぶほうが気を使わないですむ。推し仲間と盛り上がるのなら、会場のロビーや近くのレストランなどで待ち合せて会える。会場の座席には、同じようにおひとり様が多く、お互い和気あいあいの雰囲気で寂しいことはない。

そして、翌日はライブの余韻に浸りながら、会場近くの旅を楽しみ、美味しい名物料理を食し、一人旅の醍醐味を満喫して帰っていく。私は、そんなふうに、浜松、名古屋、大阪での藤井風君のライブ&一人旅を楽しんできた。

 

ほかにも、一人旅の目的地を選ぶ時、参考にする本がある。

『日本の最も美しい教会』という写真集だ。

国内の61ヵ所のキリスト教会を紹介している。この本との出合いはコロナの少し前だった。2016年に発行されると、興味がわいて、アマゾンで購入。わが家に届いたのは日曜の午後で、その日の朝は、友人に誘われて都内の教会でミサにさずかってきたところだった。

梱包をほどいて驚いた。本の表紙になっている写真は、今朝訪れたばかりの碑文谷教会の聖堂内部だったのだ。この本に呼ばれている気がした。

そうだ、これらの教会を一つずつ、巡礼のように訪問してみようか。すでに訪れたことのある教会も少しはあるけれど、北は北海道から南は長崎まで、旅行のたびにチェックしてみよう。私ならではの楽しい旅の目的ができた。

弘前のお花見旅行のついでに2ヵ所、五島列島の旅で4ヵ所など、いくつか巡ってきたが、その後はコロナ禍に突入、教会も入場制限がかかるようになって、訪ねた数がなかなか増えない。

そんななかでも印象に残っているのは、たかとり教会だ。コロナの真っただ中、神戸に一人旅をした時、震災の被害が大きかった地域に足を延ばした。この教会も焼け落ちたが、震災後の復興の拠点となり、信徒たちの努力で再建された、と本には解説があった。しかも、私が幼児洗礼を受けた教会なのだ。

また、現在地元の教会の主任司祭をしている神父がここに赴任していた時期があり、掲示板には彼の若い頃の写真も貼ってある。教会のお世話役をしている中年の女性と、そんな話題でついつい話しこんでしまった。彼女はベトナム難民だったという。

今年はもう少したくさん巡ってみようかと、これを書きながら心が浮き立った。無理なく自由気ままに計画を立てる。初めての場所で知らない人と語らう。一人静かに祈りの時を持つ。それには、やっぱり一人旅がいい。

夫や友達と行く旅も楽しいけれど、一人で行く旅だからこその魅力が、そこにはある。


 


▲『日本の最も美しい教会』

八木谷涼子=文、鈴木元彦=写真

株式会社エクスナレッジ発行

自閉症児の母として(82):新たな発見2025年12月23日


このシリーズは2年近く空きましたが、久しぶりの長男登場です。

1400字のエッセイとして書いたものです。

 

   

        ☆☆  新たな発見 ☆☆


自閉症の長男は、障害者のためのグループホームで生活を続けている。温かな理解に支えられ、現在のホームに入ってもう4年になる。

部屋は6畳ほどの広さだ。入居の際、自宅で使っていたテレビや本棚などのほかに、大型のエレクトーンも置くため、ベッドの下が有効利用できるような高さのあるベッドと、小さなデスクと椅子を、お手頃価格のN店で買って運び入れた。

 

2年ほど過ぎたある日、「椅子の脚が折れました」とホームから連絡を受けた。

1000円もしない「お手頃」以上?の値段の丸いパイプ椅子だったので、やっぱり、と思った。今度はもう少しがっしりした木製の四本脚に布製の座部が付いたスツールに買い換えた。

中肉中背の息子ではあるが、扱いが乱暴なのか、しょっちゅう持ち物が壊れたり、服や靴に穴が開いたりする。毎日たくさんの荷物をカバンに詰めて出勤し、ゆっくり歩くより走るほうが得意なほど活動的だ。しかも、服も持ち物も替えの数は少ないから、どうしても消耗が激しいのだろう。そう思ってあまり深く考えず、その都度買い替えていた。

ところが、先日、また椅子の脚が根元から折れたという。さすがに驚いた。まだ1年もたっていない。

翌日、彼の部屋に出かけていって折れた脚の断面を見ると、一見木材のように見えても、合板のような素材だった。しかし、N店の商品が粗悪とは思えないし、男性一人が座って壊れるはずもない。やはり息子の座り方が悪いのだろう。傾けて座っているのかも。

 

そういえば、と記憶がよみがえった。

数年前のこと、便座のふたの付け根部分に、亀裂が走っているのを見つけた。おかしい……、と思っているうちに、亀裂は大きくなり、あわててメーカーに電話して、新品のふたと交換してもらった。

犯人はおそらく長男だ。他の家族は心当たりがないと言う。彼に何を聞いても、「うーん」とあいまいな返答ばかりだったが、その表情からして、彼の仕業だろうと推測できた。背もたれのように、もたれかかったにちがいない。開閉以外の力がかかれば、壊れるのも無理はないだろう。

 

N店の椅子は1年間の保証期間内だったので、お客様センターに問い合わせてみた。電話口の女性は、

「お怪我はございませんでしたか」と、まず気遣いの言葉をくれた。

今後の参考にしたいので、壊れた椅子の写真を送ってほしい、と言う。

自宅ではなくグループホームに住んでいるため、すぐには難しいと事情を告げると、それでは宅配便で新品を届けるから、その場で壊れたほうを空いた箱に入れて引き取りたい、とのことだった。

ホームのスタッフに対応してもらい、椅子の交換は完了した。

N店には、お手頃以上の誠意を感じた。

 

息子の障害は、コミュニケーション障害ともいえる。人との付き合いがうまくできないのだ。おそらく彼は、物との付き合い方も下手なのだろう。

長男の子育て39年目にして、いまだに新たな気づきがある。さて次は、と楽しみに思えるようにまでなってきた。





オススメの本:石井健介著『見えない世界で見えてきたこと』2025年12月12日



 

この本を知ったのは、朝日新聞の読書欄に連載される「著者に会いたい」というコラムでした。

 

「ある朝、目を覚ましたら目が見えなくなっていた」

 

それは、映画や小説ではなく、著者の石井さんの身に起きたことです。彼はその日まで健康に過ごしてきた30代の男性。彼がつづったエッセイ集だというので、読んでみたいと思い、図書館で借りて読みました。

 

石井さんは、はじめは絶望の淵で泣き続けても、やがて自分を客観的に見つめるようになるのです。その心の動きを的確な言葉で表現しているので、エッセイとしても光っている。不条理な運命を嘆きながらも、自分を受け入れます。

さらに、新しい世界に飛び込んだようなワクワク感さえ抱きながら、生きるすべを、生きる場所を作り上げていく。

すごい人だと思いました。

 

あえて言わせてもらえば、私も障害児の母として、同じ社会的少数派です。その立場からも、共感しました。もちろん、彼とは違いが大きすぎるけれど、こういうとらえ方をして、価値観を見出して行けばいいのだ、と何度も膝を打ちました。石井さんの見えない目で見たことを読み、私は見える目からうろこがぽろぽろと落ちました。

 

石井さんは、その自身の名前から、みずからの行動を、石が転がるイメージで表現しています。私自身にも石を渡っていくイメージがある。そんな共通点も見つけて楽しめました。

そして、彼の自己肯定感や、適応能力の高さには驚かされます。そんな石井さんだからこそ、神様は彼を選んでこの病を与えたのだろうとさえ思えたのでした。

 

抽象的な推薦の文章です。あえて、具体的な本の内容、エピソードには触れていません。ぜひ、この本を手に取って、彼の言葉で、彼の文章で、この本の価値を感じていただきたいと思うので。

 

ちなみに、私がこの本を読むきっかけとなった新聞のコラムを書いた記者は、20205月に、わが家にやって来て取材をし、記事を書いてくれた田中陽子さんでした。本を読み終わって新聞記事を読みなおし、初めて気がついたのでした。

 

☆自閉症児の母として(65):朝日新聞の記事になりました! 
20200527日)



ゴッホの「夜のカフェテラス」を見てきました!2025年11月22日

 


今年8月4日の記事、「南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で」の中で、この絵のことを書きました。

晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先に、思いがけないニュースに出合ったのです。

「夜のカフェテラス」

「アルルの跳ね橋」

オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、「大ゴッホ展」と称して2025年から28年にかけて、神戸、福島、東京の順に、日本国内を巡回するということでした。


 

現在、「大ゴッホ展」は920日から神戸市立博物館で始まっており、その「夜のカフェテラス」も公開されています。

今月、大阪に出向く用事があったので、そのついでに神戸元町まで足を延ばしました。来年5月の東京開催を待たずに、一足早くこの絵を見るために。

 

 

そこで、昨年のプロヴァンスの旅の話に戻ります。

ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。

 

ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。

「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」

そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。

確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと想像できます。

ゴッホはクリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。

 

現在もアルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがあるのです。そこに案内してもらうのを楽しみにしていました。

 

ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。

ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼も憤慨していました。私も同感でした。

憧れてきたカフェは、よこしまな人たちの思いが通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。

 

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた実在したカフェは、第二次世界大戦で破壊されたという説がありました。

その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作を基に、店を再現しようと企てる実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。

しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。

 

ゴッホの描いたカフェが、その後にたどった運命を想うと、複雑な思いにかられます。それでも、とにかく絵を見てみよう、そう決心して神戸へ、市立博物館の展示室へと向かいまいした。


▼神戸市立博物館の玄関前には、開場時刻の1時間前から行列が。



思ったよりも小さな絵です。

電燈の明るみを黄色で表し、テラスの壁も天井も、きらめくように黄色い。そこへやって来る人たちも、すでにテーブルを囲んでいる客たちも、白い衣装のウェイターを中心に、細かく生き生きと描き込まれています。

濃紺の空には、星々。まるで青白い花びらを付けたように描かれているのは、星の瞬きを表現したかったのでしょうか。

 


もっと見たい。いつまでも見ていたい。

……と思うのですが、開館前から大勢の人が並んで待っていたのです。この絵の前のスペースには、写真を撮る人、鑑賞する人の位置がロープで区切られ、移動を強いられます。写真を撮った後は、何度も場所を往復して、鑑賞しました。

 

絵を見ているうちに、後年このカフェを再現したいと思った人の気持ちがわかるような気がしました。

ゴッホは、フォルム広場にイーゼルを立て、夜の闇の中で、この絵を描いたそうです。妹への手紙にも、「夜の絵を現場で描くのはとても楽しい。現場で直接描いてよかった」と書いているとか。

その楽しさが、絵を見る人にも伝わってくるのでしょう。

 

この絵を見ていると、昨年の旅の途中、忘れられた祭りの跡のようなカフェの前にたたずんで、寂しい歯がゆい思いに浸ったことをいやおうにも思い出していました。

と同時に、確かにあの場所は、この絵を模したものだったと感じます。

この絵を愛した人たちが、オマージュのようにあのカフェを作ったのではないか。あれは、ゴッホが見つめた本物ではない。逆に、このゴッホの絵を見つめた人々の思いが結晶している。ゴッホの絵の力、名作の力が働いている。それだけで十分なのでは。

ゴッホの楽しさがこの絵に込められて、それを見た多くの人を幸せにして、後世に名作として残されていく。名作はこの絵であり、この絵こそが真実。それだけで十分なのではないか。

 

東京からはるばる関西に赴いて、自分なりの結論が出せました。

1年前のもやもや気分はようやく消え去り、カフェテラスの黄色い輝きに満たされたような気分になっていました。







★ちなみに、「アルルの跳ね橋」が日本にやって来るのは、20276月。また神戸から巡回するそうです。


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