ダイアリーエッセイ:この日にあたり、ごあいさつ。2019年09月29日



今日は、929日。長男の33回目の誕生日です。

「軽い自閉症ですね」と、小児科医に診断を下された日から、30年が経ちました。なんとまあ、長い歳月だったことでしょう。涙あり、笑いあり、苦しみあり、喜びあり。あらゆる思いがぎゅうぎゅうに詰まった30年間でした。

 

そして、この春、自宅を離れて自立の第一歩を踏み出してから、7ヵ月。

毎晩、夕食後に電話があり、その日の食事のメニューや、サッカーJリーグの試合結果、大相撲の勝敗などを報告してくれます。

毎週土曜に帰宅し、翌日にはホームに戻ります。

生活は順調で、小さな問題はあっても、本人が自立して暮らしていることにプライドを持ち、満足している。それが何よりも大切なことなのではないでしょうか。

 

昨晩は、家族5人が集まって、近くのレストランで夕食をとりました。

33歳の抱負は?

「ホームでの生活をがんばります」 

 



介護施設にお世話になっている母も、健康状態は良好。穏やかに過ごしているので、ここらでほっと一息、ついてもいいかな、と思いました。

そんなわけで、10月上旬、1週間ほど旅行に出ます。

 

今回も3週間ぶりのブログ更新になってしまいました。

旅行の前後がとても忙しいのは毎度のこと。「何も今じゃなくてもいいのに……」と思うような用事が、向こうから手を振ってやってくる。それをクリアしていくことで、旅行の喜びも増すというものですね。(強がり?)

次回は帰国後に、楽しい写真をご覧いただければと思います。

行き先は、クロアチアです。


 



ダイアリーエッセイ:熱帯の花たち2019年09月08日


今日は、ちょっとばかり骨休めに……


沖縄の海デ~ス……と言いたいところですが、東京都板橋区です。熱帯環境植物館に行ってきました。ミニ水族館もあるのです。

 

ここでバイトをしている家人から、

「世界で一番大きなランのタイガーオーキッドに花が咲いたから、ぜひ見に来て」と言われました。えー、この暑いのに、とブツブツ言いながら、1時間半も地下鉄に乗って出かけていきました。屋内はまさに熱帯環境“。

お目当ての花は、なんとなく地味で、名前どおりにトラ柄……というより、ヒョウ柄では? 

この株の背丈はせいぜい3メートルぐらいだけれど、高いものでは7メートルにもなるらしい。▼



 

それよりも、私は甘い香りのプルメリアが好きです。▼





▲中に、実が生っているものがあって、とても珍しいのだとか。ちょっとオクラのようなサイズと形の硬い実が2本ずつ、花の間から左右ににょきっと顔を出しています。

ドラえもんのタケコプターみたい。


▲甘い香りと言えば、オンシジウム・シャーリーベイビー。

このランは、チョコレートそっくりの香りがしました。

バレンタインの贈り物にもいいですね。チョコを食べなくても、香りだけで満足できて、ダイエット効果もありそう……?

 

ところで、昨年ここに来た時に、ひと目で惹かれた絵があります。ブラジルの画家が、アマゾンのジャングルを描いた大作です。そこに生息するさまざまな動植物が描かれていて、その色づかいも筆づかいも、とても繊細で観ていて飽きません。

▼遠くから撮れない場所に展示してあり、右4分の1ほど欠けています。ごめんなさい。


昨今、アマゾンが加速度的に焼失していき、大問題になっています。かけがえのない大自然を、人間の欲望だけで変化させてしまうことのないように、解決の道を探ってほしいものですね。



「手元不如意」という言葉2019年08月24日



ご存じでしょうか、この言葉。

私が初めて知ったのは1年前、ある生徒さんの「詐欺にご注意」というエッセイの中に出てきたのです。

 

――高齢者を狙った振り込め詐欺が横行している。テレビニュースなどで、何百万もの額を取られたと聞くたびに、よくもまあそんな大金をお持ちで……と驚くばかり。わが家は高齢者の二人暮らしなのに、ちっとも電話がかかって来ない。きっと、お手元不如意が看過されているのだろう――

 

というものでした。

「不如意」なら知っています。思いのままにならないこと。

そして、「手元」とはつまり、お金のこと。手元のお金が思うようにならない、言い換えれば、懐が寂しいとか、持ち金が少ない、という意味だそうです。

わが家はお金持ちではなかったけれど、この言葉を両親から聞いたこともありませんでした。やはり、60代以下の世代ではあまり使われていないようです。

 

気をつけていたところ、80歳に近い女性がこう言うのを聞きました。

「手元不如意につき、受講をやめさせていただきます」

「お金がないので」などとあからさまに言わず、奥ゆかしさを感じました。

 

三浦しをんさんの小説『あの家に暮らす四人の女』の中にもありました。

 

――私は手もと不如意でカメラを持っておらず、悔しい思いをしました。――

 

離婚した父親が、わが子見たさにこっそり運動会を覗いた時のことを回想する。とはいえ、その後この父親は死んでしまい、現在はカラスとなってこの世に現れ、長々と独白するというユーモラスな内容です。そんな小説にはぴたりとくる雰囲気です。

 

若い人の間ではすでに知られていなくとも、何かの拍子にブレイクしそうな言葉だとは思いませんか。

2年ほど前に、「生まれる言葉、消える言葉」と題して、ブログ記事を書きました。その時に取り上げた「ほぼほぼ」は、ほぼほぼ定着した感があります。

この「手元不如意」も、「よみがえる言葉」となったら楽しいかもしれませんね。

 



800字エッセイ:「ですよねぇ」2019年08月14日

 

東京メトロの表参道駅に、オシャレなフードコートがあり、時々利用している。そこにはおいしいエッグタルトだけを扱っているブースがあるのだ。とくに出来立ては、本場ポルトガルで食べた味に近いので、懐かしさもひとしおだ。

ショーケースの向こうの若い女性店員さんに声をかけた。オバサンとしては本物を食べた自慢話のひとつもしたくなる。

「これ、おいしいのよね」

すると、明るい笑顔で、

「ですよねぇ」と返ってきた。

え? 私の笑顔が固まった。

共感してくれるのはうれしい。でも、私は客で、あなたは学生アルバイトかもしれないけれどお店側の人。ここはひとまず、「ありがとうございます」でしょ。

従業員の教育ができていないと思ってしまうのは、私だけ?

 

つい先日、息子がスマホを買い替えたいというので、二人で買いに出かけた。若手販売員君の流ちょうな説明に聞き入っていたが、ここでも、え? と耳を疑った。

「お返しスマホ」という料金割引があるという。それまでのスマホを返却した場合のことらしいのだが、客が返すのに、へりくだって「お返しします」と言わせるわけ? 

それとも販売側が「お返し!」と命令口調なわけ? 

どっちにしてもなんだか変なネーミング……。

「その言葉、おかしくないかしら」と、販売員君には言ってみたけれど、アハハと笑ってスルーされてしまった。

「ですよねぇ。上司に伝えておきます」と、ここでは答えてほしかったなぁ。




 


自閉症児の母として(61):息子の職場を訪問して2019年07月30日

 


長男の障害支援区分の認定は、3年おきに調査があります。その面接のため、職場を訪ねました。就労継続支援A型の障害者のための職場です。

せっかくの機会なので、彼が担当している作業を見せてもらいました。

 


何をしているのか、おわかりいただけるでしょうか。

専用の機械装置の前で、二つのジャックをプラス極とマイナス極に差し込んで、電通検査をしているところです。モニターに結果が表示され、少しでも具合が悪いと不良品としてはねるのです。

まるでゲーム機器かエレクトーンの調音部分のようで、彼にとってはお手の物なのかもしれません。

職場で、この作業を任せてもらっているのは、息子一人だとのこと。本来は職員の方が装置を備えて作業開始となるのに、彼は最初からすべて自分でやってしまうそうです。

「とにかく検査の精度が高いです。ほぼ完ぺき」と褒められました。

自閉症の過敏なほどの几帳面さと集中力。まさに、障害特性を生かせる作業です。そのことがとてもうれしかった。彼の求めてきた仕事が、ようやく見つかったような気がしました。

彼専用の小さなコックピットの中で、飽きることなくこの作業に没頭する毎日です。

 

そして、じつはこの部品、AEDに取り付けられるコードなのです。

いのちの瀬戸際で活躍する道具の、ほんの一部とはいえ息子が担っていることに、私は少なからず感動しました。

中国からの部品ですが、昨今のアメリカとの摩擦で、入って来ない時期もあったそうです。だから、習さんとトランプさん、仲良くして息子たちから仕事を取り上げないでくださいね。

  



朝日新聞「声」欄に掲載、〈息子と私、それぞれ人生がある〉2019年07月18日


本日718日(木)の朝日新聞朝刊「声」に、投稿を載せてもらいました。

お読みいただければ幸いです。(写真は、クリックかタップで拡大します)



 

これは、4月に「忘れられない言葉」というテーマで募集があり、そこに投稿したのですが、特集には載りませんでした。

 

忘れたころ、2ヵ月もたってから連絡がありました。

「特集ではなく普通の投稿として載せます。でも、石渡さんは『ひととき』欄に掲載したばかりだったので、少し時間を空けようと思い、こんなにお待たせしてしまいました」とのこと。

あっちに載ったから、こっちはボツに、という理由になってもおかしくないのに、編集者の心遣いに感激しました。

 

文章は、字数制限のため、編集者の手でかっちりと凝縮されてしまい、ちょっと自分の文ではないような、窮屈な感じはありますが、自閉症児の母として、伝えたいことは伝わったでしょうか。



反響を呼んでいる「断捨離」のエッセイをご存じですか。2019年07月14日

 

それは、519日の朝日新聞「男のひといき」に掲載されたエッセイでした。毎週日曜に掲載される500字ほどの投稿欄です。クリックすると拡大されますので、まずはお読みください。

 


作者は河崎啓一さんという89歳の男性。この3月に愛する奥様を亡くされて、遺品の整理をする気持ちをつづったエッセイです。

 

じつはこの作者、私のエッセイ仲間です。現在はグループから退き、ご縁あって私のエッセイ通信講座の生徒さんとして、エッセイを書き続けています。私は講師というよりも、最初の読者としてお相手を務めます。

「感謝離」という言葉も、かつての作品の中に登場していました。

河﨑さんのことは、2年前のブログ記事に書いています。(よろしければ201710月3日の記事をお読みください)

その部分を抜粋します。

 

――男性にしては珍しく、情感豊かなエッセイを書く。リタイアして、現在は鎌倉の老人ホームに愛するご夫人とともに暮らしている。エッセイを書くことを生きがいにしているので、その励みになるようにと、月に一度の通信添削講師を仰せつかった。彼から届く作品は、日々の暮らしから思い出される過去をいとおしむようなものが多い。私は、添削というよりも、一読者としての忌憚のない感想を真心こめてつづり、送っている――

 

さて、河崎さんのこのエッセイは、全国紙に掲載され、すぐに反響がありました。

まず、兵庫県西宮市のラジオ局のパーソナリティから連絡があったそうです。エッセイを「なばなネットワーク」という番組内で朗読したいとのことで、もちろん快諾。6月半ばの土曜日にオンエアされ、私はインターネットで聴くことができました。

女性のパーソナリティが朗読した後、河崎さんの近況を語り、リクエスト曲を流して、そのエピソードも紹介していました。

「うるわし春よ」というドイツ民謡は、30代のころ、奥様と阿蘇山に登った時に歌った曲。ビバルディ作曲「春」は、息子さんがドライブに連れて行ってくれる時にいつもかけるのだとか。

 

さらに反響は続きます。日本全国から感動の声が届きました。朝日新聞では、改めて河崎さんを取材して、それらを特集する記事を掲載しました。



「断捨離」という言葉の提唱者である、やましたひでこさんも、ご自身のブログの中で河崎さんのエッセイを紹介しています。新聞記事には、やましたさんの談話も載りました。

新聞の紙面では、白黒写真でしたが、ウェブ版のデジタル朝日では、カラー写真を掲載。奥様のセーターは、可愛らしい赤いチューリップが散りばめられたものでした。



 そして、朝日新聞の記事は、テレビ朝日に波及したらしい。来週にはテレビ取材を受けるそうです。さて、どんな番組内容になるのでしょう。今から楽しみにしています。

 

さらにツイッターでも大反響! エッセイ仲間の情報では、これを読んで涙したという女性がツイートして、既に10万件近くリツイートされているとのことでした。高齢者ばかりではなく、若い人の心も動かしているようです。

 

 

先週、お仲間と二人で鎌倉まで出かけて、河崎さんに会ってきました。私たちの来訪をとても喜んでくれました。

「さみしいよ。でも、しょうがない、もうちょっとがんばらないとね」

奥様を亡くされた悲しみを乗り越えて、明るくお元気そうでした。

ホームでは二人部屋に住み、車いすの奥様のお世話をし、最後までできる限りの介護を尽くされてきた河崎さん。今回のエッセイとその大きな反響は、天国の奥様からのお礼のプレゼントではないでしょうか。

 

私たち、エッセイをやってきてよかったですよね。杖をつきながら、タクシーに乗り込んで帰っていく河崎さんに手を振りながら、そう思いました。

お仲間の喜びが心地よく満ちてくる、雨の降りだした午後でした。






2000字エッセイ:「母を書くこと」2019年06月22日

 

 

母を書くこと

 

 幼い頃、近所に小さな川があった。川というより道路に沿って海へと流れる用水路だったが、子どもたちは川と呼んだ。

ある日、その川に母が流れていた。いつもの深いえんじ色の着物を、水面に広げるようにして流れていく。橋の上から呼んでも答えない。母は死んだのだ。悲しくて泣くと、目が覚める。

「どうしたの」と、隣に寝ていた母が尋ねる。

「夢、見てた」

「こわい夢?」

「ううん、悲しい夢」

「もう大丈夫だから、寝なさい」

 何度か同じ夢を見た。そのたびに母に起こされ、安心する。でも、なぜ母は「こわい夢?」と聞くのだろう。悲しい夢の内容を聞いてはくれないのだろう。母が死んでしまうことほど悲しいことはないのに……と、子ども心に思ったものだ。

 

 母は、父が亡くなった後も、わが家と同じマンションの4軒隣で独り暮らしを続けてきた。しかし93歳で胃がんを患い、翌年には大腿骨を骨折。2度の入院・手術で、頭も体もすっかり弱って、もはや独り暮らしは無理になった。

現在、わが家からさほど遠くない老人ホームで、細やかで手厚い介護を受けながら、穏やかに暮らしている。全て自分の歯だというのが、何より母の自慢で、普通の硬さの料理を食べる。しかも、とても胃の3分の2を摘出したとは思えない食欲で、顔の色つやもいい。

 

 それでも、私は母の終活を少しずつ進めている。ホームでは看取りの説明を受ける。家族間でよく相談をして、意見をひとつにまとめておくようにと言われる。

 母のカトリック信徒としての籍も、現在の川崎の教会に移した。以前は横浜に住んでいたので、父も兄も、そちらの教会で告別式を執り行ってもらった。自分も同じ場所でお別れをという思いから、籍は抜かないままだったが、もうあちらには友人も知人も少なくなっている。

「こちらの方があなたたちにも便利でしょう」と母から言いだしたのだった。

 母の終活を肩代わりするだけではなく、私にはやっておくことが、もうひとつある。

 

 数年前のこと、身内が集まったときに、父の思い出話をしていると、母が呟いた。

「私が死んだら、ひとみはまた、あれこれ書くんでしょうね……」

父のことは、折に触れて書いてきた。私が子どもの頃の思い出や、晩年になってから描き始めた絵の話、4年間の入院中のエピソードなどなど、亡くなった後に、それらを冊子にまとめて配ったりもした。母はそれを覚えているのだ。

「お望みなら、いくらでも書きますよ」

母は黙っていた。望んでいるような、いないような、諦めているような、お好きなようにと思っているような、いつもの母の、つかみどころのない表情だった。死んだ後のことまで、どうでもいいわ、と思っているのかもしれない。最近は生きることにさえ気力を失いつつある。

 

そうだ、今のうちに書いておかなくては。母が本当に死んでしまったら、あまりに悲しくて書けなくなるだろう。冒頭の夢の話など、金輪際書けないだろう。それに、悲しみが癒されるのを待っていたら、私の記憶も薄れてしまうだろう。そうならないうちに、母のことを書いておかなくては……。

4人きょうだいの3番目だった私は、叱られた記憶はたくさんあるが、かわいがられた記憶は少ない。「褒めの子育て」などは無縁の母だった。大好きだったかと言われると、それほどでもないと思う。特段、孝行娘でもなかったし、できた母親でもなかった。

それでも、私にとっては唯一無二の母なのである。死なれればどれほど悲しいことか。

私の知る限りの、あるがままの母を思い出して、今のうちに書いておこうと思う。






川崎市登戸の殺傷事件に思う2019年06月08日


事件発生から10日がたちました。次々と明らかになる犯人の素性や犯行理由を聞くたびに、暗澹たる思いが胸をふさぎます。

書かなくては次に進めない気がして、書くことにします。

 

528日の朝、テレビのニュース速報で、

「川崎市多摩区登戸で刃物を持った男が、通行中の小学生を……」

という文字を見た時、不安が走りました。わが家のある高津区に隣接する区で、息子のグループホームも多摩区内。そしてすぐに、「カリタスの子どもたちは大丈夫かしら」と思ったのです。

カリタス学園は、姉が中学高校と通った学校。私も子どもの頃は、毎年秋の学園のバザーのたびに、お祭りに行く気分で出かけたものです。どこよりもなじみのある私立学校でした。

 

やがて、さほどの時間をおかずに、カリタス小学校の児童が被害に遭ったという続報が入ります。不安は戦慄に変わりました。

他の学校だったら平気だったというわけではなく――

その日は偶然にも、ケベック・カリタス修道会のシスターとご一緒する予定になっていたからです。しかも、その80代のシスターは、カリタス学園のために長いこと尽力されてきた教育者でもありました。

 

朝、動転したままの気持ちで、修道院に迎えに行くと、シスターはいつもと変わりない様子でした。刻々と被害者の情報が伝わり、小学生が亡くなったという知らせにも、「私があわててもどうしようもないでしょ」と、平常心で私たちに接してくれました。

シスターの携帯には、ひっきりなしにメールや電話が入ります。冷静に対処するシスターに、頭が下がりました。その落ち着いた姿に、救われました。

 

翌日、所用で南武線に乗って川崎方面に出向きました。その帰り、疲れて眠っていた私は、乗り過ごしてしまいました。降りたのは、登戸の一つ手前の駅。頭上には現場を取材に来たのでしょう、ヘリコプターが飛んでいました。

引き返そうと反対側のホームに向かいます。目の前のエレベーターに乗り、階段を降ります。……が、まだ寝ぼけていたのか、やはり同じホームに立っていました。今度来た電車に乗れば、次は登戸です。事件の現場に行ってこようか。一瞬迷いました。呼ばれているのかもしれない、と思ったのです。

でも、家族のため、これ以上遅くなるわけにはいかない。今度こそ、反対方向の電車に乗って、帰宅の途に就きました。

 

自宅でも、事件に関する報道を見続けました。近くで起こった事件に、いたたまれない気持ちがさらに膨らんでいきます。

事件から2日目、花を手向けようと、思い切って登戸に向かいました。

前夜の雨で地面は洗われ、照りつける強い日ざしがあふれ、事件の生々しい雰囲気など皆無でした。2日前に救急車が列をなしていた車道には、いつもどおりの車の流れ。テレビで見るよりも狭い歩道には、硬い表情で人々が通り過ぎていきます。

そして、現場となったファミリーマートの駐車場には、ずらりとマスコミの取材カメラが並んでいました。気圧されて献花に近寄れない……。それでも、せっかくここまで来たのだからと、日傘で顔を覆い隠しながら、その場に近づき、ピンクとオレンジ色のガーベラを供えて、手を合わせました。この場だけは異様な静けさでした。

山のように盛り上がる献花。愛らしい色彩の花々は、亡くなった少女の笑顔のようでもあり、手向けた人たちの言葉にならない辛い思いを、吸い取って昇華させているようにも見えました。

 



数日後の日曜のミサで、くだんのシスターは、「ご心配をいただきまして……」と挨拶されました。よく通る声、凛とした姿。

「犯人を憎むよりも、あの加害者のように、今も暗闇の中で生きている人がいることに思いを馳せてください。あなたのことを心配していますよ、と心を寄せてあげてください」

そういえば、事件翌日の新聞にも、心理学者のコメントがありました。同じような事件が起きないようにするには、「社会の中で絶望を感じる人を減らすしかない」と。

 

これから何をなすべきか、少しずつ見えてきたような気がします。

けれども、私の気持ちが落ち着いても、犠牲者の遺族の悲しみは決して消えることはありません。

亡くなられたお二人が、天国で安らかに憩うことができますように。

そして、ご遺族の方々の悲しみが少しでも癒されますように。

心から祈りたいと思います。



 

「ひととき」欄に載りました。2019年05月18日


本日18日(土)の朝日新聞の「ひととき」に、投稿が掲載されました。

エッセイ仲間の勉強会で、800字エッセイとして書いたものを、さらに500字に縮めて仕上げました。

少々読みにくいですが、写真をクリックすると拡大しますので、お読みいただけたらうれしいです。


 

 

土曜日の生活面は「はぐくむ」という特集ページなので、ふさわしいと思ってもらえたのでしょう。

障害児でも健常児でも、母親の喜びや苦しみ、そして巣立ちの寂しさに、変わりはありません。




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