映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て ― 2018年03月06日
今日は、本当は美術展に行くつもりでした。会期終了間近になると混んでくるから、一日も早く観に行かなくてはと思っていたところに、ひょいと空いたスケジュール。午前中にいそいそと出かけました。
が、見事に定休日のシャッターに阻止されたのでした。
そこで向かったのは、映画館。アカデミー賞に輝いたばかりの『シェイプ・オブ・ウォーター』を観てきました。
「美女と野獣」のようなラブストーリーです。口の利けない障害を持った孤独な女性と、エラとウロコに覆われた両生類のような不思議な生物との恋。
それはそれで、ファンタスティックでロマンティックでユーモラスです。
でも、舞台は米ソが冷戦状態だったころのアメリカの秘密研究施設。そこにはソ連のスパイが潜んでいた。生物をめぐって両国の対立が起こり、スパイと言えば生きるか死ぬかのバイオレンスが繰り広げられるのがお決まりのようです。
どんな映画でも暴力シーンが苦手な私は、何度客席から飛び上がったことか。
R15指定です。年齢的には十分すぎるほどなんですけど……。映画の余韻に浸るよりも、暴力シーンのショックから立ち直るのに、時間がかかりました。
この映画に、これほどの暴力シーンが、本当に必要でしょうか。
二人の愛の純粋さを際立たせるためにも、愚かな人間の血なまぐさいシーンが必要なのでしょうか。
ただ一つ印象に残ったのは、彼女が〈彼〉のことを手話で表現したこの言葉です。
「不完全な私じゃなく、ありのままの私を見てくれる」
愛の本質を言い得ているではありませんか。
そして、愛する〈彼〉のために、身の危険をかえりみず、〈彼〉を逃がそうと手を尽くします。
「何もしないなら、私たちも人間じゃないわ」
ご興味のある方は、映画のサイトで予告編をどうぞ。
お正月におススメの映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』 ― 2018年01月02日
皆さま、明けましておめでとうございます。
忙しさに紛れて、ご無沙汰のことも多いのですが、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいね!
今日はお正月2日目だというのに、夫はもう出勤。生き物相手の仕事なのでしかたない。毎度のことです。
で、こういうときはいつも、所在なく家に引きこもっている二人の息子たちを連れて、映画を観に行くことにしています。
今日はこれ。『DESTINY 鎌倉ものがたり』。
友人の熱い勧めで見ることにしました。
とにかく面白かったです!
例によって、ネタバレはしたくないので多くは語れませんが、『君の名は。』と同じような時空を超えたファンタジー。笑えて泣かされて、というところも同じ。こちらは実写版です。
ミステリー仕立ての演出も楽しめました。たくさんの伏線があって、エンドロールでなるほど、と思ったり。
石渡はもともと鎌倉の一族。お墓参りなどなど出かけることも多いのですが、その土地を舞台にこんな映画を作ってくれて、もう最高!!
今度鎌倉を訪ねたら、この人たちとすれ違ったりしてね……!
お正月休みは、この映画を観てから初詣でに鎌倉へ、なんておススメです。
映画『ローマ法王になる日まで』を観る ― 2017年06月24日
半月ほど前に、映画『ローマ法王になる日まで』を観てきました。
これは、宗教映画ではありません。
現在のローマ法王フランシスコは、1970年代、アルゼンチンが軍事独裁政権下にあったとき、一人の青年神父として、政府の圧力を受けながらも、たえず貧しい民衆に寄り添って、勇気を持って権力と闘ってきました。
彼の半生をできうるかぎり当時の事実に基づいて再現された物語です。
政府に対する反勢力という疑いをかけられては、民衆が捕らわれていくなか、仲間を殺されたり、友人を失ったりもしました。ひとりの人間として、どれだけ苦しんだことでしょう。
当時のアルゼンチンでは、ユダヤ人を虐殺したナチスと同様の残虐な行為で、国家が人々を苦しめていたのでした。しかもそれは、第二次世界大戦の話ではありません。
1970年代といえば、日本は昭和の後半、右肩上がりの高度成長期にあって、平和な時代です。私も青春を謳歌していたころです。
その暗黒時代のアルゼンチンで、民衆とともに苦しみ、生き抜いた神父が、現在、ローマ法王というカトリックの頂点に立っているのです。
そして、世界中のあらゆる問題に対して発言をします。環境問題や人種の問題、そしてアメリカ大統領候補に対しても、臆せずに意見する。その説得力、影響力は、この映画で描かれている体験から生まれているのだ、と確信できます。
おりしも、現在の日本は、テロの犯罪から国民を守るためという口実で、国民を監視するような法律を無理やり成立させてしまいました。映画の恐怖と似た思いを抱く人も少なくないのでは、と思います。
国内でも、上映が広がっているようです。
機会がありましたら、ぜひご覧ください。
映画『ローマ法王になる日まで』公式サイトはこちらです。
映画『美女と野獣』を観る ― 2017年05月06日
毎日青い空が広がり、花々が咲き乱れ、気持ち良いお天気に恵まれたゴールデンウィークですね。どのようにお過ごしでしょうか。
わが家は息子たちが連日在宅。その父親はほぼ連日出勤。私は洗濯おばさん兼おさんどんおばさんとして明け暮れています。
とは言いながらも、意外と面白いことにも出会って、ウフフ……と悦に入っています。
まずは今日のことから。
いつの間にかわが家には、大型連休には息子を連れて映画を観に行く、という習慣ができました。今回の映画はディズニーの『美女と野獣』。
1991年にアニメ映画として制作されましたが、新作はミュージカル仕立ての実写版です。
ヒロインはエマ・ワトソン。あの『ハリー・ポッター』でちょっと生意気そうなハーマイオニー役を務めた女の子です。すっかり「美女」になりましたね。
ディズニーの映画は、大人が観ても楽しめます。実写の歌や踊りも、CGをふんだんに用いた魔法の世界も、魅力にあふれています。
魔法で野獣にされてしまった王子と、心優しいヒロインとの純粋な愛は、素直に感動できました。
「人を外見だけで判断してはいけない」
「他人から変わり者と言われても自分の夢をあきらめない」
などのメッセージは、観ている子どもたちの心に染み込んでいくことでしょう。もちろん大人の私も、「変わり者」の息子たちを持つ親として、勇気づけられた気がします。
最後に、二人の愛の力で、魔女の呪いが解けて、野獣は美しい王子に戻ります。
なんとそのキャストは、世界的大ヒットドラマ『ダウントン・アビー』のなかでは長女の夫で、幸せの絶頂期に自動車事故で即死したマシュー役を演じたイケメン俳優、ダン・スティーブンスでした♡
あの野獣の姿で演技をするのは、さぞや肉体労働だったのではないでしょうか。なんでも20キロの筋肉スーツを着て、竹馬に乗っての熱演だったそうです。
そういえば、2年前の5月5日にも、ディズニー映画の『シンデレラ』を息子と観ました。そのときのブログには、子どもの頃、夢中になったディズニーのテレビ番組のことを回想しています。よかったらお読みください。
まだご覧になっていない方、おススメの映画です。
お子さまたちと一緒にいかがですか。
映画『ムーンライト』を観る ― 2017年04月18日
先月、新聞の8ページ全面を使ったすごい広告がありました。(写真はそのうちの4ページ)。
今月になって、その映画を観てきました。アカデミー賞の作品賞に輝いた『ムーンライト』です。アカデミー賞の白人偏重問題に対する「忖度」だとか、移民を排除しようとする現政権に対する抗議だとか、何かと話題の映画賞だったようですが。
これは、黒人の主人公シャロンのゲイの物語です。いじめられてばかりの子ども時代から、大人になった現在まで、3章に分かれており、役者も替わっていきます。
章が替わっても、ほとんど解説はありません。でも、寡黙にして饒舌。見ていると腑に落ちてくるのです。
全体を通して、ひたすら暗い。でも、時のたつのを忘れるほど、引き込まれます。
その映像は前評判どおりに美しい。浜辺、水の中、月夜……。青く冷たいけれど、どこか温もりが感じられます。
なんとも形容しがたい映画です。
映画を観たのは、桜が満開になってきた頃。桜の枝を見上げながらも、映像がふっと脳裏をよぎるのでした。
桜が散ってしまった今もなお、不思議な感動がひたひたとよみがえります。
そして、いくつかの忘れられない言葉も――
「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」
シャロンを不憫に思い、何かと目をかけてやる屈強な男フアンのセリフです。しかし、彼は麻薬密売人であり、シャロンの母親にも麻薬を売っている。
シャロンをかわいがるのは、その罪の意識、それとも自責の念でしょうか……? いえ、そんな単純なものではないかもしれません。
フアンがシャロンに泳ぎを教えるシーンでは、海に彼の体を浮かせながら、こう言うのです。
「感じるか? 地球の真ん中にいる」
フアンは、母子家庭のシャロンにとって父親代わりだったのかもしれません。
シャロンもまた、長じては屈強な肉体に自らを鍛え上げていました。そして、フアンと同じ生業に手を染めていったのです。
彼の人生は、哀しくもある。
一方で、肌の色や性別や生まれた環境がどうであっても、人間の真実……つまり、生きる意味や、人を愛する衝動は、それらを超越して、純粋で崇高なものといえるのではないか。
私は未消化ながらも、言葉にすればそんなことを感じました。
映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』を観る ― 2015年12月02日
「黄金のアデーレ」とは、正式名称「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅰ」という絵画で、描いたのはウィーンの画家グスタフ・クリムト。彼は19世紀末のアール・ヌーボーという革新的な芸術を代表する画家です。
この絵は、写実的なアデーレの像が、金箔をあしらった幾何学模様の中に埋め込まれ、そのコントラストが不思議な魅力を醸し出しています。
アデーレの一族は、裕福なユダヤ人ファミリーでした。それゆえ一族は、オーストリアに侵攻したナチスの迫害を受け、この名画は没収されてオーストリアの国立美術館に展示されてきました。
ところが60年を経て、アメリカに亡命していたアデーレの姪、マリア・アルトマンが、自分に所有権があると言い出します。友人の息子である駆け出しの弁護士を雇い、オーストリア政府を相手取り、法廷闘争に持ち込むのです。8年という長い歳月をかけて、ついに彼女はその絵を取り戻します。
戦争と迫害と亡命、家族の愛と絆……、たくさんの過去がマリアの脳裏に浮かんでは消えていく。彼女の苦悩は史実に基づいているからこそ、私たちにも迫りくるものがあります。感動を呼ぶ映画でした。
さらに私には、80代の女性でも、真実を信じて立ち向かえば希望はかなえられるのだ、ということを教えられた気がします。
おススメの映画です。
ところで、舞台となったウィーン。
私は4年前の今ごろの時期に訪れています。
マリアが夫と亡命しようとする日、ナチスの追手から逃れるため、二人は人々の間を縫って、市庁舎の外廊下を走り抜けます。
(上の写真は4年前に撮ったウィーン市庁舎です)
その廊下には、私も思い出がありました。
私はその日、市内を一日中歩き回って、疲れ果てていました。ところが夕食をとろうにも、レストランはどこもいっぱい。最後に、市庁舎地下のレストランにやって来たものの、予約で満席だと断られました。
途方に暮れて座り込んだのが、外廊下の石のベンチの上。
この季節、4時には暗くなります。そこからの眺めは、庭にしつらえたクリスマスマーケットの小屋にも、背の高い木々にも、あたたかなクリスマス・イルミネーションがあふれていました。
荷物ひとつ持たずに、命からがら走って逃げたマリア。追手を振り切って、ついに空港からスイスへと飛び立ちます。
私はといえば、空腹を持て余すだけの異国の観光客。ほんの2時間後には、ウィーンでピザ!?とぶつぶつ言いながらも、美味しいピザとビールにありつけたのでした。
平和な時代の、たわいない思い出です。
自閉症児の母として(26):おススメの映画『海洋天堂』 ― 2015年10月22日
中国の映画『海洋天堂』を、数年前に映画館で見たとき、私は初めから泣きっぱなしでした。
自閉症の息子と二人暮らしの父親が、余命わずかだと宣告され、息子に一人で生きていくすべを教えるという、哀しくも心打たれる映画です。
主人公は自閉症の親子ではありますが、そこに描かれているのは、海のように深く包み込むような普遍的な親の愛情ではないでしょうか。
自閉症児を抱えているご家族だけでなく、すべての方にお薦めしたい素晴らしい作品です。
明日10月23日(金)午後11:45~1:23
NHKBSプレミアムで放映されます。
映画『ヴェルサイユの宮廷庭師』を観る ― 2015年10月13日
連休が明けて、今日は私の完全オフ。おだやかな秋の日の昼下がり、映画を観てきました。
『ヴェルサイユの宮廷庭師』
監督のアラン・リックマンは、ご存じハリー・ポッターのスネイプ先生です。ルイ14世を演じる俳優としても登場しています。
ヒロイン役のケイト・ウィンスレットは、『タイタニック』よりはるかに落ち着いて、『愛を読むひと』よりさらに成熟して、存在感がありました。
私は、フランスには何度か訪れていても、ヴェルサイユ宮殿にはまだ行ったことがありません。が、そんなことはどうでもよかったのでした。
舞台は17世紀フランス。これからヴェルサイユ宮殿を造ろうというルイ14世の時代です。登場するル・ノートルという国王お抱えの造園師も、実在の人物です。
ヒロインのサビーヌは、植物を愛し、庭園造りに打ち込むひたむきな女性。その豊かな感性と素直さゆえに、同僚の男性たちからも人望を得て、妃を亡くした国王の心を慰め、やがて、敬愛する師であるル・ノートルと結ばれる、という物語です。
しかしながら、そんな時代に、一介の女性が庭師として自立して生きていけるはずはない。そこが、リックマン監督のフィクションなのだそうです。
現代社会にも通じる女性の強さは魅力的です。一方で暗い過去に苦しむ母親としての姿や、恋に落ちていく表情には、やはり胸がふるえます。
きらびやかな王宮の世界と、緑あふれる映像。しばしスクリーンの中に引き込まれ、日常を忘れました。
情熱と静けさと……。今の季節にぴったりの映画でした。
おススメです。
映画『この国の空』を観る ― 2015年08月18日
新井晴彦監督の映画『この国の空』を観てきました。
戦闘シーンのない戦争映画。銃後の人々を静かに描いた作品です。
隣の席のオジサンは、退屈したのか寝息を立てて眠っていました。
エンドロールのときに、ヒロインの里子が茨木のり子さんの詩を読みます。
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた……
里子の周りから、子どもやお年寄りはみな疎開していき、若い男性は赤紙が来て戦争に行ってしまう。19歳の里子は、38歳の妻子ある男性に、青春の血を燃やすしかなかった。
ふと、私の母も彼女と同じ年頃だったことに気がつきました。母も22歳で終戦を迎えています。
もう、モンペじゃなくてスカートをはいていいんだ、ということがうれしかった。でも、はこうにもスカートは一着もない。オシャレをしたくても、何もなかった、と言います。
私は、きらびやかな物であふれかえっている都会の街を歩く気にもなれず、重い気持ちで帰宅しました。
ダイアリーエッセイ:映画「シンデレラ」 ― 2015年05月05日
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珍しくどこへも行かないゴールデンウィーク、今日だけは長男と映画へ。
彼の好きなディズニー映画の最新作「シンデレラ」を見てきた。
ディズニーの映画だけは、たとえ子供向きのアニメでも実写でも、丁寧に作られているから、私も安心して一緒に楽しめる。
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舞踏会の夜、魔法使いの魔法で、かぼちゃが馬車に変身していくシーンも、
キラキラと光る青いドレスで王子と見事なダンスをするシーンも、
12時の鐘の音とともに、御者がアヒルに戻っていく悲しいシーンも、
何もかも忘れて、ドキドキはらはら、そしてうっとり……。
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思いおこせば、私が小学生のころ、金曜日の8時から「ディズニーランド」という番組があって、わが家の白黒テレビで楽しみに見ていた。
このディズニーランドには、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の四つがあり、毎週そのうちの一つが紹介される。だぼだぼの背広を着たおひげのウォルト・ディズニーさんが案内役で現れて、
「今日は、おとぎの国へ……」
と言ってくれる日が一番うれしかった。
何を見ていたのか、ちっとも覚えてはいないのだけれど、小さなモノクロ画面の中でも、外国のキラキラした夢の世界が、子どもの私の心を十分満たしてくれていたのだろう。
私はこのころから夢見る少女だったらしい。よく、広告の裏に、お姫様の絵を描き、プレゼントにねだるのは、ピカピカキラキラのアクセサリーだったっけ。
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劇場には、そのころの私と同じ女の子たちがいっぱい。ポップコーンの匂いが満ちている。
あなたたちも、シンデレラにあこがれるのかしら……?
人生の振り出しに戻ってきたロクマルの年、その「こどもの日」に、たまたま見た映画で、私は童心に返っている。
そのことに気がつくと、胸がいっぱいになって、涙がこみあげてきた。
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