ダイアリーエッセイ:黒い蝶が舞う朝2015年08月03日

 

朝、リビングのカーテンを開けると、黒い蝶がベランダにいた。

アゲハチョウの一種だろうけれど、ほとんど模様もなく真っ黒だ。

ひらひらというより、ゆらゆらという感じの弱々しさで、ガラス戸の向こうを着かず離れず飛んでいる。まるで、部屋の中に入れて、と訴えているかのように見える。

 

……誰かの化身だったりして。

起きたばかりのぼうっとした頭で、ふと思った。

死んだ人が蝶になって帰ってくる、という話をどこかで読んだような気がする。

それを信じるような趣味は持ち合わせないが、貴婦人が葬儀に身につけるドレスをまとったようで、その力ない飛翔も、不吉な想像をかき立てるに十分ではあった。

 

このところ、毎晩寝る前に、先日直木賞を受賞した東山彰良著『流』を読んでいる。幽霊と昆虫が出てくるくだりがあるのだ。しかも、かなりショッキングだった。

私の思考回路がその影響を受けてしまっているのかもしれない。

 

蝶は、鮮やかなマリーゴールドやサフィニアにも、美味しそうな香りのゴーヤの花にも近寄ろうとはせず、ただふわふわと、庭の上を漂うように舞っていた。15分もいただろうか。やがて、姿は見えなくなった。

 

それにしても、黒い蝶の出現はなぜ……?

「虫が知らせる」という言い方も、古くからあるではないか。

……やっぱり、何かの〈知らせ〉だったりして。

 

そうだ、ブログに書いておこう。みんなに喋ってしまおう。

黒い妄想が、ただの杞憂に終わるように。

 




2000字エッセイ:「娘が巣立つとき」2015年08月02日


娘が巣立つとき

 

社会人4年目になる娘が、職場に近いマンションを借りて独り暮らしを始める、と言いだした。

メガバンクの総合職として就職した娘は、とにかくハードな勤務を続けている。早朝、ご飯も食べずに出かけ、夜遅く帰宅する。テレビを見ながら一人で夕食をすませると、そのままリビングのソファで爆睡。朝5時に携帯電話のアラームが鳴り響き、あわててシャワーを浴びて出勤する。

 とくに最初の2年間は、都内でも1、2を争う超多忙な支店勤務によく耐えた。現在は、大手町の本部に移り、乗り換えなしの片道50分の通勤だが、それでもハードな生活であることに変わりはない。

ところが、さぞ疲れているだろうと思いきや、休日はほとんど家にいない。旅行に登山、競馬にゴルフ、そして飲み会……。娘なりのストレス発散なのだろう。たまに在宅のときは、夕方まで寝ていて、家事手伝いはおろか、自分の部屋さえ散らかったままだ。

「とてもとてもこのままでは、独り暮らしは無理ね。まして、二人暮らしをや……」

私は冗談半分でため息をついたものだ。いくらタフな娘とはいえ、体を壊しはしないかと、はらはらするばかりだった。

1時間でも睡眠時間を増やしたいという彼女の理由に、異を唱える気持ちはない。地方に転勤の可能性も十分にあったので、いずれは、と心づもりもしていた。

しかも、娘は高校生のうちから、マンションの4軒隣に住む母のところで寝泊りをしてきた。お風呂は母のところで入り、食事はわが家で食べていたが、最近では朝食も夕食も外ですませるから、週に12度しか顔を合わせないこともある。片足は家を出ているような感じだったのである。

 

次の週末に、「清澄白河のマンション、仮押さえしたから」と娘が言ってからは速かった。いい物件はすぐに押さえて契約も早くしないと、ほかにも希望者が何人も待っているらしい。それも不動産業者の手なのかもしれない。父親はのんきに母親に一任のかまえだ。とにかく、娘と一緒に出かけていった。

「清澄白河」と聞いても、以前、田園都市線の終点だったから知っているだけで、降りたのは初めて。大手町からは3つ目の駅だ。歩いてみると、街のあちこちで巨大なスカイツリーが顔をのぞかせる。清澄庭園に近く、東京現代美術館の最寄り駅でもある。すし屋、和菓子屋、豆腐屋などが並ぶ商店街があり、お寺の屋根もあちこちに見え、いかにも下町らしい風情が漂うなかに、新しい感覚のショップが入り混じって、魅力的な街に変貌しつつあるようだ。

めざすマンションは、駅から住宅街を歩いて5分ほど。築2年で、新しい設備が整い、快適に住めそうだ。買い物に不便はないし、治安もいいという。私はGOサインを出した。私まで、新しく別荘ができるような浮き立つ気分になっていた。

そして、7月の3連休、猛暑のなか、引っ越しを敢行した。初日は自宅から小さな荷物を送りだし、翌日向こうで受け取る。それまでに買っておいた電化製品や家具なども、3日間のうちに配送される予定だ。街を歩き回って買い物をしたり、収納を手伝ったり、私は娘とともに肉体労働に明け暮れた。娘も、自宅に戻ってきて後片付けやごみ処理など、夜中までがんばっていた。

一人でやらせておこうかとも思ったが、あえて私は口を出し、手を出した。娘はこれからもなにかと母親の世話になる必要が出てくるだろう。そんなときには遠慮せず頼ってほしい。だからこそ、まだまだいける、と印象付けておきたかったのである。

最終日には、自宅で最後の荷物を車に積み込み、首都高を飛ばした。そして、日が暮れかかる頃には、娘と手を振って別れた。

「ありがとうございました」

「気をつけるのよ」

行きは助手席に娘がいた。帰りは一人だ。渋谷辺りで渋滞する。右側には真っ赤な夕日がまぶしい。やがて、ピンク色の夕焼け空がひろがっていく。正面にはシルエットの富士山が見える。BGMは、娘の好きな嵐の、それも別れの歌が……。

不覚にも涙があふれて、視界がぼやけた。

 

後日談がある。母から聞いた話だ。

「あの子、前の晩にお風呂をピッカピカに磨いていったのよ。今までお風呂掃除なんてしたこともなかったのに。まさしく、立つ鳥跡を濁さず、だったわ」

 母は、日頃から娘の暮らしぶりがだらしなく見えて小言が多かったが、今回ばかりは驚いたという。要領のいい娘らしい、と思った。





旅のフォトエッセイ:Vacance en France 12 オンフルールで2014年10月11日



どこが一番よかった?

帰国してから、娘に尋ねたら、「オンフルール」という答えが返ってきた。

ドーヴィルの次に向かったオンフルール。何世紀も前から、セーヌ川の河口に開けてきた港町だ。

パリからモン・サン・ミッシェルを訪ねるツアーはたくさんあったけれど、その帰り道にオンフルールに立ち寄るということが一番の決め手となって、このドライバー付きのミニツアーを選んだのだ。

大好きな印象派とは切っても切れない町で、印象派という名前は、クロード・モネがオンフルールで描いた『印象・日の出』という絵のタイトルに由来している。印象派の画家たちは、この町の海や港町の美しさに魅せられて、たくさんの絵を残した。

日本の安野光雅画伯の描いたこの町の絵も有名だ。 

 

その旧港町の写真。もう少し晴れてくれたら……と、曇天がうらめしかったが、フランス特有のアンニュイなムードは、快晴の空の下では生まれないのかもしれない、と思い直す。

サント・カトリーヌ教会。

15世紀に建てられたもので、当時、石で作る経済的な余裕がなく、船大工たちが知恵を寄せ合ってこしらえた。フランス最大の木造の教会だという。

 

鐘楼ももちろん木造。石の建造物を見慣れてきた目には、木造りの古い建物が、何やら懐かしく親しみを感じる。


町で最古のサン・テティエンヌ教会。

現在は教会ではなく、海洋博物館となっていた。

その教会と狭い路地を挟んで隣のレストランでは、この地方のりんごで作ったシードルという軽いお酒で、のどを潤す。


何とも古めかしい旧総督の館。

街で出合った回転木馬。


娘がじっと見つめていた。

彼女だって20年くらい前には少女だった。でも今はもう、乗りたかった木馬も、あの日の夢も、目の前でくるくると回っているだけ……。

彼女がこの町を気に入ったのは、そんなノスタルジーのせいだったのかもしれない。

 








旧市街で見かけた老夫婦。二人の後ろ姿が印象的だった。


                                                         〈続く〉


旅のフォトエッセイ:Vacance en France 11 トゥルーヴィルとドーヴィルで2014年10月07日


モン・サン・ミッシェルからパリへの帰路、フランス北側の海辺の町に立ち寄った。

 

トゥルーヴィルとドーヴィル。

川を挟んで並んだ二つの町。トゥルーヴィルは庶民的で、ドーヴィルは気取ったハイソな街。

それもそのはず、ドーヴィルは、19世紀に貴族のリゾート地として開発されたそうで、瀟洒なホテルや、競馬場、カジノなどが造られている。今でもセレブの保養地なのである。

 

一方のトゥルーヴィルは、魚介類が水揚げされる港町として栄えてきた。

もちろん私たちのお目当ても、海の幸をいただくこと。

建物もおしゃれな魚市場。

街中の魚屋さん。


ドライバーさんのおススメで入ったレストラン、「ラ・マリン」。

この銀のお皿に山盛りの海の幸、これで1人前! 大きなカニも丸ごと。

プレートの下には、パンもたっぷり。添えられたバターを一口食べたらとても美味しい!

後から聞いた話では、この辺りはフランスでも有数の美味しいバターの産地だとか。

うーん、さもありなん。私の舌もなかなかのもの……。

 


食事の後は、隣町ドーヴィルへ。

ここノルマンディー地方の建物は、木組みの縦・横・ななめのラインが装飾的で美しい。

ドーヴィルの象徴的ホテルと言われるホテル・バリエール。

次回はぜひ泊まってみたい。

デパートのプランタンも、ここではこんなにかわいらしい。

この時期、どこでもセール中。ノルマンディーの海のような、青い模様のTシャツを買った。

こちらは、ご存じエルメス。写真を撮って、おしまい。

セレブのためのカジノ。もちろん、写真を撮って、おしまい。

そして、浜辺。空はどんよりと曇り、海風は冷たく、人影もない。

夏の日差しを待ちわびるように、身を細くして、パラソルたちが佇んでいた。


ドーヴィルと聞いて真っ先に思い出すのは、あのフランス映画。

同世代なら知らない人はいないだろう。ダバダバダ、ダバダバダ……のスキャットもアンニュイで、世界中の人々のハートをつかんだ『男と女』

ふたりが出逢って大人の恋に落ちたのが、ドーヴィルだった。


写真コンクールに投票のお願い!2014年10月04日



フランスの旅の写真を整理しながら、あれこれ調べているうちに、こんなサイトに出会いました。


〈フランスの旅 フォトコンクール 2014

さっそく、私も応募してみました。

素人だってかまわない。写真に込めた思いには自信がありますとも……!

 

写真を応募しなくても、写真へのコメントや投票だけでも、素敵なプレゼントが当たるそうです。ぜひぜひ、皆さまもご参加ください!

FacebookTwitterなどにアカウントがない方でも、メールアドレスと簡単なパスワードをご自分で設定すれば、その場でユーザー登録ができます。

そして、投票は次の10点に、どうぞよろしくお願いいたします!

それぞれ、タイトルをクリックすると、サイト内の写真のページにリンクします。

89103点は、娘の撮ったもので、私のセレクトです)


 

1. カルーセルパレス

彼女だって20年くらい前には少女だった。でも今はもう、乗りたかった木馬も、あの日の夢も、目の前でくるくると回っているだけ…… 

2. ギャルリー・ラファイエット

このデパートの吹き抜けは、店内のどの商品よりも繊細でゴージャスで美しい。 

3. 日の出

きのうは、海に日が沈むのを見た。そして今日は、カモメの鳴き声で起き、海から朝日が昇るのを見る。かつてここに暮らした修道士たちもこんな毎日を送っていたのだろうか。 

4.  ホテルの看板

泊まったホテルの別館は、狭い路地の坂道、石の壁の一角に看板を下げていた。娘がそれを見上げ、抜けるような碧空がそれを見下ろしている。 

5. シュノンソー城までの並木道

木洩れ日が模様を作っている。それを踏みしめて進むと、白い城が見えてくる。 

6. 午後955分の夕焼け

ようやくパリの長い一日が暮れていく瞬間、オペラ座の向こうの空が燃え上がった。 

7. 静かなる朝

海からの風が、朝日を浴びたフランス国旗をはためかせていた。

 

8. 旧市街の夫婦

オンフルールの旧市街で見かけた老夫婦の後ろ姿が印象的だった。 

9. 夏を待つパラソルたち

空はどんよりと曇り、海風は冷たく、人影もない浜辺で、パラソルたちは身を細くして夏の日差しを待っている。 

10. モネの庭

池に浮かぶ睡蓮と、池に写る柳の枝。モネの絵がそこにあった。 


どうぞよろしくお願いします!

ブログの Vacance en France も、まだ続く予定です。




旅のエッセイ:Vacance en France 6 「パリのプチ盗っ人」2014年08月17日


写真の列挙はしばし中断して、ブログ本来のエッセイをお届けします。

どうぞお読みください。

   パリのプチ盗っ人

バスの窓の外は雨……


 

リムジンバスはシャルル・ド・ゴール空港から1時間足らずでパリ市内に入った。

 土砂降りの雨だ。傘を持っている人でさえ、軒下で雨宿りをしている。が、バスがオペラ座の横の降車地点まで来ると、雨はぴたりとやんだ。

雲の切れ間に、旅の神さまのウインクが見えるような気がした。

この7月、娘とフランスへ出かけた。1週間のバカンスだ。社会人3年目の娘が、せっかく早めの夏休みが取れるのに、早すぎて一緒に行く友達がいない、とさびしいことを言うので、じゃ私が、と手を挙げた。新婚旅行以来32年ぶりとなる。

娘は初めてのフランスだが、ヨーロッパは3回目。初回のときはやはり母娘でロンドンとバルセロナの2都市を旅した。私には娘を守らなければ、という緊張感があったのに、娘は意外と平常心。夜にホテルが停電したときも、あわてたのは私だけだった。

娘はそれ以来、毎年のようにアメリカや東南アジアを旅行している。だいぶ旅慣れて自信をつけたころかもしれない。

でも、旅慣れたころの油断が思わぬ失敗のもと。観光客が多いところは、それを狙ったワルも多いから、気をつけていこうね……。

 そう言いながら、ホテルに荷物を置くと、すぐ街にくり出した。ホテルもオペラ座の近くにあり、観光の中心地で便利な地域だ。

さっそく、そのオペラ座へ。オペラを鑑賞する余裕はないので、入場券を買って建物の見学だけにする。それにしても絢爛豪華。床も柱も壁も照明も天井も、あらゆる美を注ぎ込んで装飾の限りを尽くしている。19世紀、文化が花開き、パリが元気だった時代に、富裕層のための社交場だったのだから、うなずけるというものだ。

まだ、あのごみごみとした日本を出てからたったの10数時間しかたっていない。それなのに、とんでもない別世界にいる。圧倒されそうな美の洪水のなか、目くるめく感覚にしばし酔いしれる。

 

オペラ座と、雨上がりの空。


オペラ座を出て、次はオランジュリー美術館に向かおうと、オペラ広場を歩いた。歩道はたくさんの人であふれていた。バスの中から見た雨が嘘だったかのように、青空が広がり、夏の日が差している。浮き立つような気分だ。

娘は歩きながら、斜め掛けにしたショルダーバッグから日焼け止めクリームを取り出し、白い液を手に付ける。

「いる?」と聞くので、私も手を出した。

すると、横から「私にも!」と手が伸びてきた。ちょっと背の高い若い女の子。フランス人だろうか、イタリアあたりの観光客かもしれない。その隣の子も手を出した。

娘は、え?と戸惑いながらも、二人の手に少量付けてあげる。

「これは何なの?」と聞かれ、

「フォー・サンシャイン!」と娘。

 えー、そのブロークン、違いすぎない?と思ったが、相手には通じたらしく、

「オー、サンシャイン!」と納得して、もっと、と手を出す。もう一度付けてあげたら、次の瞬間、娘のクリームをさっと取り上げ、

「サンキュ、サンキュー! フォー・マイ・ベイビー!」

と、自分のお腹をさすって見せた。ポコリと妊婦のお腹をしている。

娘も私もあっけにとられているうちに、彼女たちはふたたびサンキューと手を振って、人混みに紛れていってしまった。

それ、お腹の子にはよくないわよ、とかなんとか、追っかけて取り返すこともできたかもしれない。でも、ふっと抑制がかかった。

 こちらのスリは巧妙なグループで、役割を決めて相手の気をそらし、まんまと盗みを働く、と聞いていた。そのことが一瞬頭に浮かんだのだ。深追いしてはかえって大ごとになる。日焼け止めクリーム1本でそれを免れることができたら安いものだ、と直感的に思ったのだった。

たぶん、なれなれしくてずうずうしいどこかの国のヤンママだったに違いないけれど、人前で目につくような行動をした娘にも責任はある。用心するに越したことはない。ここは東京ではないのだ。

ともあれ、厄払い代わりの施しをした、と割り切ることにした。クリームは余分に持ってきていたし、曇り空の涼しい時間が長く、あまり必要とも感じなかった。

それも、旅の神さまの思いやりだったのだろう。

涼しいパリ。



新年のご挨拶~2012年を振り返って~2013年01月03日

皆さま、明けましておめでとうございます。

2012
年は本当にあっという間の1年でした。
写真とともに、ちょっと振り返ってみます。

まず、エッセイに関わることから……

☆新しくエッセイ教室を開講。
横浜市磯子区の区民センターで10回の講座の後、「磯の綴り会」という自主グループが生まれました。30代から80代までの生徒さんで、いつも笑いの絶えない2時間です。
磯子の生徒さんと



☆銀座のエッセイサロンも充実していました。
毎回、常連さんと新しくご参加の方がたとの出会いが生まれ、講師としてうれしいひと時です。
私もまた新しいエッセイ教室のご縁をいただきました。今年の春から横浜南部にも、もう一つ開講の運びとなりました。

11月のエッセイサロン



☆著書をオンデマンドで再版することになりました。
在庫がいつの間にかなくなってしまった……ということは、まだまだ皆さんがご購読くださっているからにほかなりません。改めて御礼申し上げます。
また、時流に乗って、電子本にもしてみました。
新しいものにはなかなか飛びつけない性格なのですが、ここにも新しいご縁があり、その方のお勧めでした。



OFFの時間も充実していました。
まるで向こうからやって来たような、思いがけない体験がたくさんあった年でした。

2月にチーム東松島に加えていただき、初めてのボランティアに参加したことは、私の人生でも大きな出来事です。
たくさんの方がたとの出会いが広がりました。

ばんざ~い! がんばったね!



7月には湘南の海でセイリング~~~!!
船酔いするかと思いきや、潮風に吹かれていると、まるで波の一つになったような心地よさ……! これも初体験です。
ヨットの上で飲むビールの美味しさと言ったら……! 

葉山マリーナ

葉山沖

江の島と、ウィンドサーファーと……

海の男たちが、タコを生け捕った。

潮風に乾杯!



☆夏の北海道の旅は、ブログにも詳しく書いたとおり、次男が受験生だから、旅行はしないつもりでした。が、ひょんなことから行くことになってしまった。
レンタカーのドライブ旅行も初めてでしたが、改めて北海道の素晴らしさを実感してきました。



☆京都で紅葉狩り。
障害児の母として講演するというありがたいお話を頂戴して、大阪まで出向き、その帰りには京都であでやかな紅葉を楽しむことができました。
前年訪れたときは11月の初めで紅葉には少し早く、今回は11月下旬。まさに紅葉絶頂期でした。

東福寺の紅葉

嵐山祇王寺の紅葉

嵐山の化野念仏寺

高台寺のライトアップと月と



☆クリスマスのゴスペルライブ。
横浜の商業施設が募集した「100人で歌うゴスペルライブ」。
コーラス仲間で受験生の母3人が、祈りを込めて歌いました。
イルミネーションの灯った大きなツリーの前で、おなかの底から出した声が、夜空の下に響き渡っていく快感。これもまた初めてでした。病み付きになりそうです。

友人が撮影



☆何といっても最後を締めくくったのは、7年ぶりの横浜アリーナ!
桑田君の年越しライブです。
チケットは、ファンクラブに入っていても「抽選」の狭き門。もちろん、自閉症の長男と二人で行ってきました。
13000人のファンとともに、2013年の到来をカウントダウン。0時の瞬間には花火の代わりに銀色のテープが放たれた。舞い降りてきたそのテープを、息子は大事に持ち帰ってきました。
サザンとの出会いは、13年前に彼がもたらしてくれたものなのです。著書に詳しく書きましたので、お読みいただければ幸いです。

横浜アリーナ入口

ライブで舞った記念のテープ




そして、今年もまた、皆さんに支えていただきながら、ぼちぼちとブログを続けていきたい、と思っています。
明るく楽しいことばかりではないけれど、心のなかには闇もたくさん抱えているけれど……
私の言葉を皆さんのハートに、生き生きと届けられたら、うれしいです。

今年も、~HITOMI'S ESSAY COLLECTION~をどうぞよろしくお願いいたします。



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戦争体験をエッセイに2012年08月09日



今日は、67年前、長崎に原爆が落とされた日です。
家にいて、テレビで平和祈念式を見ながら、一緒に黙とうをささげました。
同じように、6日の広島原爆の日にも、自宅で黙とうをしながら、平和を祈りました。

この日、平和宣言の中で、広島の松井市長が次のように述べました。
「広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。」


被爆者の体験談はもちろんのこと、さまざまな戦争体験も風化させてはなりません。

私のエッセイ教室には、70代、80代の方々がたくさんおいでです。
私はそのご高齢の方々に、
「ぜひ、戦争体験をお書きください」
と、口ぐせのようにお願いしています。

現在、横浜・磯子の教室の最長老は、85歳になるKさん。
歩くときは杖をついていますが、自宅から車を運転してきます。
Kさんは、自分の戦争体験をよく覚えていて、それを子どもや孫たちに書き残しておきたい、と言います。

Kさんは19歳のときに終戦を迎えました。その直前まで魚雷に乗る訓練を積んでいたのです。1ヵ月後には復員しますが、お母さんは病床に伏していました。
「よう帰ってきた、夢じゃないよねえ」と、お母さんは自分の手をつねってみる。
心優しい息子のKさんは、おはぎが食べたいというお母さんのために、台所で餅を作り始めます。軍歌を口ずさみながら、終戦の4日前に戦死した仲間や、終戦直後に自決した親友のことを想っているうちに、世論が反転した世の中に対してむしょうに腹が立ってくる。無意識のうちに「エイッ!」と叫んで、釜を倒してしまう。
「やけを起こしたらいかんぞね」
お母さんの光る目に、Kさんは心底を見透かされたような気がしたのでした……

これは、Kさんのエッセイを要約したものですが、原文は、まるでドラマのシナリオのように生き生きとしています。
教室で、Kさんが自分の作品を朗読したあと、ほかのメンバーも講師の私も、涙ぐんでしまって何も言えませんでした。

Kさんの原稿には、旧かな遣いや難しい旧字体がたくさん使われています。それでもかまいません、と言うと、
「先生、遠慮しないで、どんどん教えてください。正しい書き方をしないと、孫に変なのって言われてしまいますからね」
向上心旺盛なKさんです。

どんどん書いてください。そして、戦争を知らない世代に読ませてください。
戦争の記憶を書き残してもらうこと。
エッセイの講師として、大切な仕事だと思っています。




丸の内の別世界へ2012年08月03日


三菱一号館


さすような真夏の日差しの中、東京・丸の内の三菱一号館美術館へ、バーン・ジョーンズ展を観に行きました。

バーン・ジョーンズ展のポスター


エドワード・バーン・ジョーンズは、神話や聖書の物語を描き続けた
19世紀末の英国の巨匠です。
英雄と美女、女神や天使や妖精、百合や薔薇の花々……。写実的で精緻でありながら、現実逃避のロマンティックな世界。そんな画風に私が惹かれるのも、どこか少女マンガに通ずる美意識が感じられるからかもしれません。

印象に残った作品のひとつ、「ねむり姫」。
子どものころ、ディズニー映画に「眠れる森の美女」という作品がありましたが、原作は同じ童話です。悪い妖精に呪いの魔法をかけられて、宮廷中が深い眠りに落ちてしまう。可憐な野ばらの咲く中で、深い緑色の布に包まれるようにして眠る姫と女性たち。

横長の大きな絵で、数人が前に立っても、まだ十分見ることができるほど。
絵と同じ静寂が満ちているような、暗い部屋の一隅で、ほんの一瞬、だれも動こうとしない。まるで深い眠りの魔法が、見る者にもかけられたかのように……。

三菱一号館
 
 

三菱一号館は、明治時代の建築が復元されたものです。
足元は木の床。ヒールの音が立たないように静かに歩きます。
芸術品を守るために、美術館内の照明は暗く、室温も
20度。猛暑の外界とは別世界です。別の意味で、現実逃避ができました。

三菱一号館のカフェで

芸術鑑賞の後は、1階にあるカフェで、よく冷えた上品な白い泡のビールで一休み。
ここは、元は銀行だったところ。窓口の枠や、高い天井はそのまま生かされています。


「ねむり姫」の一部が表紙になっている解説書を買いました。
今夜はオリンピック中継のテレビを消して、この本を夢の入り口まで連れていきましょうか。

バーン・ジョーンズ展の解説書

夏のオフィス街の一角で、ねむり姫に出会う。
それもまた、日常を忘れる小さな旅なのかもしれません。

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