GO, GO, GO!の旅(3)フォトエッセイ:しまなみ海道をゆく2022年09月06日





いつか、しまなみ海道をドライブしてみたい。私の小さな夢でした。

これまで長距離ドライブといえば、子どもの小さい頃に、よく夏の信州方面に出かけました。

10年前に北海道をレンタカーで走ったことは、ブログにも書きました。(☆この旅の記事については、最後にご案内しています)

2014年には「東北ドライブ1000キロの旅」も決行。

次はぜひ、海の上を……と思っていたのです。

 

ちなみに「しまなみ海道」というのは、広島県尾道市から、愛媛県今治市を結ぶ全長約60キロの自動車専用道路。途中、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島の6つの島々を通り抜けています。(▼地図は、るるぶのガイドブックを写させていただきました)

 

私のしまなみ海道ドライブは、四国側から始まります。

高知から北上して海岸沿いに出れば、しまなみ海道から中国地方に渡れる、と簡単に考えていました。間違いではないけれど、初めての土地で、けっして近い距離ではありません。

 

そこで、事前に計画を立てました。

グーグルマップで、だいたいの道順と距離を確かめ、時間を計って、食事や休憩などの行動予定を決めていきます。

高知から目的地の広島まで、ざっと300キロ。長距離ドライブを体験してきたとはいえ、残念ながら加齢による衰えや、視力の低下も気になります。ハンドルを握るのは、すべて私。事故でも起きない限り、夫はナビ係。いつものことです。

しかも、レンタカーは乗り慣れた愛車ではなく、HondaFitという小型車。ナビにも意外とくせがあるので、いつものような快適運転は望めないかもしれない。……見た目と違って気の小さい神経質な私です。

 

というわけで、あちこち見て回ろうなどと欲張らずに、ゆとりを持ってドライブスケジュールを立てたいとは思うのです。しかし、広島には、できれば夕方までに到着して、平和記念資料館に閉館前に入りたい。翌日は世界遺産の宮島まで足を伸ばしたい。厳島神社を見て、昼食にはカキとあなご飯を食べるお店まで決めていました。(やっぱりあちこち欲張っていましたね)

「干潮の時には歩いて鳥居まで行けるよ」との友人の勧めで、干潮時刻をネットで調べてみました。すると、あろうことか、鳥居は現在修繕中で白いシートに覆われていることが発覚! 出発の2日前でした。やむなく宮島行きは断念。

ということは、幸か不幸か、神社の神様のご配慮か、しまなみ海道を渡って広島にたどり着くのは、急がなくてもよくなり、とても気が楽になりました。

宮島へは、次の機会にぜひ!

 

そんなわけで、旅の2日目。いつもの時間までぐっすりと眠り、朝食をたっぷりと食べ、ホテルを出ました。

高知城を横目に、高速入口へと走ります。地元のドライバーなら慣れた道でも、余所者にはどうもわかりにくい。歴史のある街というのは、そんなものかもしれません。道を間違えて遠回りしました。

ちょっと予定時刻をオーバーしましたが、いざ四国横断自動車道に入ると、前後に車がほとんど見えないほど。すいすいと走ります。

四国横断道の名のとおり、高知から北上し、瀬戸内海を目指します。海沿いの四国中央市で松山自動車道に入り、こんどはほぼ真西に向かいます。そして、小松からふたたび北上して今治へ。地図上では三角形の二辺を通る進み方ですが、整備された自動車道を行くほうが結果的には早いわけで。

ここまで約150キロ。3時間で来ました。


これも友人のおススメの、来島(くるしま)海峡サービスエリアで一休み。最初に渡る来島海峡大橋が目の前に見えるのです。

うっすらと靄がかかっていますが、これから渡っていく来島海峡大橋が見えます。



▲レモン味のソフトクリーム。私はソフトクリームに目がないので、旅先では必ずと言っていいほど食べます。真冬の雪降る中でも食べます。今回も、ご当地フレーバーでエネルギーチャージは完ぺき。




最初の橋、来島海峡大橋を走ります。前にも後ろにも車がいないなんて、平日とはいえ、関東近辺の観光地では見られない景色。写真の画像が今一つさえないのは、天気が悪いのではなく、車窓越しに夫がさえないデジカメで撮ったからなのです。運転しながら写真撮影ができたらいいのに……。


予定では、最初に渡る大島で、亀老山展望公園に立ち寄って橋を見下ろす壮大な絶景を眺めるつもりでしたが、ドライブがあまりに快適なので、そこには寄らず、次の目的地を目指すことにしました。

4つ目の島、生口島(いくちじま)です。


▼大三島(おおみしま)から生口島へと向かう多々羅大橋。


生口島に上陸、耕三寺(こうさんじ)というお寺の広い駐車場に車を止めます。

今回の相棒、HondaのFit。よく走ってくれて、かわいい。▼


▲境内には蓮の植わった鉢が、ずらっと並んでいます。昼下がりには咲いていません。

 

ここもまた、友人の勧めで、耕三寺がおもしろいというので、行ってみたのです。

この寺は、昭和の半ばごろに、耕三寺耕三という名の大阪の実業家が、浄土真宗のお寺を建立したのが始まりだそうです。かなりのお金持ちでいらしたようで、東西の美術品や文化財などをたくさん集め、それらを博物館として公開することにしたとか。




金ぴかなお堂や、地下に掘られた長い洞窟には、興味がわきませんでしたが、白亜の大理石でできた「未来心の丘」は、国内ではなかなかに珍しいスポット。小径も階段もベンチも、そびえたつモニュメントも、すべてが真っ白な大理石で出来ているのです。

日本人の彫刻家が手掛けたというその広さは5000平方メートル。小高い丘をすっぽり覆うほどの大理石は、イタリアで採掘され、コンテナ船で運ばれたそうです。どれほどの費用が掛かったことか、お寺の財力はいかばかりか……と、観光客の私は俗な思いに駆られてしまいますが、瀬戸内海の青さ、空の青さ、そして白い石のコントラストは、たしかに印象的でした。




▲八百屋さんの店先のポストはレモン色!


これから渡っていく生口橋が見えてきました▼

▲青いのはフロントグラスの色。


 

生口島を離れ、尾道でようやく本州に到着。途中、休憩を取りながら、ひたすら広島まで西方向にどんどん走っていきます。

広島のビル群が見えてきた時には、ようやくホッとできました。

午後4時ごろ、無事300キロを完走!

うん、まだまだいけそう。



 

 

2012年、始めたばかりのブログに、8月の北海道の旅を、7回シリーズで載せています。写真も選りすぐりで、旅のアルバムを一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。

カテゴリ一覧の「北海道の旅」をクリックしても選択できるのですが、ブログの設定上、新しい順、つまり7回目が最初に出てきてしまいます。

1回目からお読みいただけるよう、以下に一つずつリンクを貼りましたので、ぜひご覧ください。

20120902日 旅のエッセイ: 突然ですが、北海道へ。

20120904日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ (1 

20120905日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ(2

20120908日 旅のエッセイ:ドライブin富良野(1 

20120916日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(2

20120923日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(3

20121007日 旅のフォトエッセイ:旭山動物園

 


長崎の原爆の日に2022年08月09日

 

201811月に五島列島を旅した帰り、立ち寄った長崎平和公園。

  



77年前の夏、86日に広島に原爆が投下され、さらに9日には長崎にも投下されました。

毎年、夏休みやお祭りなど、浮かれることの多い8月は、その一方で、戦争と平和について考える大切な時期でもあります。

特に今年は、ロシアがウクライナを攻撃するという現実の戦争が起きてしまいました。核を手放したウクライナを、核によって威嚇するという卑劣な手段で、ロシアは侵攻を続けています。

日本も、他人ごとではありません。「核兵器の使用がもはや杞憂ではなく、今ここにある危機だ」と、長崎市の田上市長も、今日の式典で述べていました。

日本は、世界唯一の被爆国として、その立場をはっきりさせ、核廃絶のための努力を続ける責任があります。まずは核兵器禁止条約に批准してから、核保有国に核軍縮を働きかけていかなければ。



原爆死没者慰霊碑。花もたくさん供えてありました。

長いこと、広島を訪ねたかった。初めて原爆投下された地に立ってみたかったのです。ようやく、この5月、悲願がかないました。

77年前のその日と同じように快晴で、広島の平和公園は、きれいに手入れをされた薔薇や緑が美しく、かつての惨状を想像することはできませんでした。

原爆ドームだけが時間の止まった芝居のセットのように、そこに佇んでいました。

 

日本のカトリック教会は、広島原爆の日の86日から長崎の9日を経て、終戦記念日の15日までの10日間を「平和旬間」としています。これらの出来事を深く記憶に留め、平和について考え、平和を祈り、平和のために行動することを求めています。




 


GO, GO, GO!の旅 (2)エッセイ:はりまや橋へ2022年07月27日

 


    はりまや橋へ

 

夫が「高知の牧野植物園に行きたい」と言った。

「えー、植物園? じゃあ私はその間に桂浜に言って、竜馬ぁ~~! って叫んでるわ」

 

というわけで、空港近くでレンタカーを借りて、最初に訪ねたのが桂浜。観光写真でおなじみの竜馬像が立ち、そのすぐ横には、櫓を組んで展望台が設けてあった。

年に2回の期間限定で、「竜馬と同じ目線で太平洋が眺められます」ということらしい。

100円を払って櫓に上ってみた。高さ13.5メートルの竜馬と同じ目線になっても、太平洋はほんの少し見えるだけ。松が大きくなりすぎているのだ。

あの松の木をなんとかしないと、桂浜は観光地として生きていかれないのでは、と心配になる。

 

私には、もう一つ訪ねたい場所があった。

はりまや橋である。

 

   ☆☆☆

 

さかのぼること40年以上前、大学卒業後もクラブのおおぜいの仲間たちと親しくしていた。その中には現在の夫も含まれており、結婚後も、さらには子持ちになってからも家族ぐるみでよく遊んだものだ。

 

飲み会の後には、当時流行り始めたカラオケにも行った。

そんなとき、なぜかまったく理由がわからないのだが、私が歌わされる定番の曲があった。

 

  南国土佐を後にして 都へ来てから 幾歳(いくとせ)

  思い出します 故郷の友が……

 

曲のタイトルは「南国土佐を後にして」。私たちが子どものころ、ペギー葉山が歌って大ヒットした。

カラオケで最初に振られた時から、私でもすらすらと歌えてしまったほどだ。

それにしても、なぜ私にこの歌を?

仕掛けたのはたぶんN君だ。湘南ボーイの一人で、工学部とは思えない軽いノリの男子。いつもくだらない駄洒落を考えては、自分でバカ笑いしていた。

ウィンドサーフィンを楽しみ、スポーツタイプの車を乗り回し、夏は海、冬はスキーにと、よくみんなで遠出を楽しんだ。

彼は、お酒にはあまり強くないので、飲み会に車でやって来て、家まで送ってくれることもあった。とは言え、あくまでも、一つ年下の友人の一人だった。

N君はカラオケでこの歌を選曲しては、私を指名する。お決まりの流れに、私もマイクを握って、情緒たっぷりに熱唱しては、喝さいを浴びたものだ。

 

やがて、仲間は次々と所帯を持つ。N君もピアノ講師のかわいい奥さんをもらった。やがてかわいい女の子の父親になる。

湘南の海が見える閑静な住宅街に、広い庭のあるオシャレな家を建てた。玄関の壁には海岸で拾った貝殻が埋め込まれ、娘のグランドピアノを置くための防音室もしつらえてある。誰もがうらやむほどの暮らしぶりだった。

 

しかし、人生は何が起きるかわからない。

50代で、彼はくも膜下出血で倒れた。一命こそとりとめたものの、家族とは暮らせない状態になり、ホームに入所した。

詳しい話を聞くのもつらく、いつのまにか奥さんとも疎遠になったままである。

 

   ☆☆☆

 

高知へ行くなら、はりまや橋へ行かなくては。

牧野植物園でひとり感激して歩き回る夫を残し、私は一足先にホテルへ。車を置いて、高知の街へ向かった。

 

橋は、広い道路の交差点の一角にあった。

朱塗りの欄干の太鼓橋と、その横には大きなかんざし店。

橋は、江戸時代に造られて以来、何回か架けかえられ、昭和33年に初期の朱塗りの橋が復元されたとか。今では歌の知名度も落ちただろうに、「はりまや橋公園」として整備され、昭和を偲ぶレトロな観光スポットになっている。

 

  土佐の高知の はりまや橋で

  坊さんかんざし 買うをみた

 

木造りの橋をゆっくりと踏みしめながら、マスクの中で歌った。

N君、この歌まだ覚えてる? ついにここまで来ちゃったわ。

何か、おもしろいこと言ってよ。

 



 ☆ 旅のフォト ☆


▼ご存じ竜馬像。


▼展望台の櫓が並んで……


▼竜馬さまとツーショット♡♡


▼櫓の上からようやく見えた太平洋。

 

▼日本最古で日本最長23.5キロの路面電車が通る高知市の目抜き通り。


▼感慨もひとしお。本物のはりまや橋。

 


▼橋の向こうのビルの壁面に見える掛け時計。じつはからくり時計だったと、帰ってから知りました。1時間おきに、時計の上下左右から、はりまや橋や高知城など、高知の名物が現れるそうです。あと10分待っていればよかったのに。


▼高知城。


▼高知城に沈みゆく夕日。


▼先を急いだのは、ここへ来るため。夫と二人で下調べをして厳選した、高知名物藁焼きカツオのたたきのお店。その名も「たたき亭」。


▼この店のこだわりは、注文が入ってから捌いたカツオを、無農薬の藁で焼くのだそうです。


▼塩味でいただくたたき。今まで食べたことのない美味しさ! 高知まで来てよかったと思う瞬間でした。


▼酔鯨。日本人でよかったと思う瞬間。近くの「ひろめ市場」でおみやげに買って帰りました。


 


 


GO, GO, GO!の旅 (1)エッセイ:高知に行きたい2022年07月05日

 

この春、夫とふたりで、高知から広島まで、34日の旅をしました。こんなに長く夫婦だけで旅行をしたのは、新婚旅行以来ではないでしょうか。

「あなたのエッセイには、あまりご主人が登場しないわね」

とよく言われる私ですが、お待たせいたしました、今回は、恥ずかしながら、たっぷり書かせていただきます。

旅行中に拾ったエッセイのタネをどこまで咲かせることができるか、時間をかけてゆっくりと、書いていくつもりです。

おかしなタイトルですって? いずれお分かりいただけるでしょう。

では、写真とともにお楽しみください。

 

 

    高知に行きたい

 

コロナ禍になってからは、友人との旅行が難しくなり、同行者は夫になった。

「こんどGoToが再開したら、どこに行く?」

テレビでコロナ情報の番組を見ては、そんな話題になる。

ある時、「高知に行きたい」と夫が言った。

 

彼は定年後の1年間、ハローワーク主催の講座で造園業を学んだ。花好きな義母の影響もあって、植物には親しんでいるのだ。

講座終了後は、都内の熱帯植物館でパートの職に就いた。週3日の勤務で、マイナスイオンを浴びながら体を動かす仕事なら、健康にもいいだろう。毎日在宅になるのを恐れていた私はほっとした。

 

その勉強中に、高知市にある牧野植物園のことを知ったらしい。いつか行ってみたいのだと言う。自分で調べて計画を立てて出かけるほどのマメさはない。妻頼りの他力本願だ。

私にとって四国は未踏の地。これを機に初上陸も悪くない。

ゴールデンウィーク直後が、価格的にも混雑状況も、ねらい目だと聞く。梅雨入りにもまだ早い。GoTo再開を待っていては、いつ行けるかわからない。夫の背中を押すように、この5月、彼の出勤日と私の都合とをすり合わせて、3泊の旅行計画を立てた。

 

かくして5月下旬の朝、羽田から高知へ飛ぶ。機体右側の席で、雲の上に頭を出した富士山を眺め、旅は始まった。

座席のテーブルの上に昨日の新聞を取り出す。旅行前はいつも忙しくて新聞を読む暇もないから、旅立ちにはバッグに新聞を忍ばせるのが習慣になっている。持って出たのは、生活・文化の記事がほとんどの週末限定版だ。

めくっていて、あら? と手を止めた。見開き2ページの大きな特集記事だった。写真には花々の咲き乱れる花壇が写っている。手前には大きな口を開けて笑う背広にゲートル姿の男性がいる。

記事は、「はじまりを歩く」というテーマで、毎週その道の開拓者を取材している。今回は「日本の植物分類学・高知県」とある。わが目を疑った。なんと、今日これから訪ねていく牧野植物園ではないか!

 

写真に写る破顔の男性こそ、ほかならぬ牧野富太郎氏。日本の植物学の草分けで、江戸末期に南国土佐の豪商の家に生まれた。親から譲り受けた財産はすべて植物研究につぎ込んでしまう。おう揚な人柄で、周囲の人たちからは愛されたらしい。そんな偉人の功績を残すためにできたのがこの植物園だ。来年春のNHK朝ドラ、神木隆之介主演「らんまん」は、彼の人生がモデルとなっている。

「はい、今日の予習ね」と、夫に新聞を手渡すと、へぇ……と興味深く読んでいた。

それにしても、なんという偶然だろう。導かれてやって来たみたいだ。

 

さらに、植物園に到着すると、「ガンゼツラン特別公開」の看板があった。ふだんは非公開の場所で育てているその花が咲いたので、今だけ公開中だという。

「えーっ、ガンゼツランが咲いてるの?」

夫は職場で長いこと育てているが、いまだかつて咲いたことがないと言う。それが見られるなんて。なんという幸運!

 

木立の中の斜面一帯に、たくさんの株が植わっていた。クマザサのような細長い葉の間から30センチほどの茎が延び、子どもの手をすぼめたような形の黄色い花がいくつも咲いている。花の中心のしべの先だけが少し茶色い。華やかなランのイメージからは程遠いけれど、夫には憧れの開花なのだ。

「みんなに見せて、うらやましがらせてあげよう」と、しゃがんで花を接写する夫は、まるで小学生のようだ。好きなことにはとことんのめり込む。人との会話はあまり得意ではないのに、知っている花を見るとその名前を口にせずにはいられない。牧野博士に似たところがあるのかもしれない、と思った。

「ここでガンゼツランに出会えるとはなぁ」

にこにことご満悦な夫に、「誰のおかげ?」と口には出さずにおいた。

 



☆ 旅のフォト ☆

 

▼目にするのはいつも、車のフロントガラスの向こうだったり、新幹線の車窓からだったりする富士山を、珍しく見下ろしました。


▼これが、ガンゼツラン。



▼牧野先生とツーショット。


来年春から始まる朝ドラが、今から楽しみ。

 

▼新聞記事の写真と同じ場所のこんこん山広場には、手入れの行き届いたガーデンが広がります。園は、標高146mの五台山の上に造られているので、高知市を見下ろす風景も、絵のように美しい。お天気にも恵まれました。




 


▼ちなみに、これが機内で見た新聞紙。旅の記念にとってあります。



旅のフォトエッセイ:奇跡を呼ぶ4人の仲間2022年04月30日


コロナ禍の世の中になって、緊急事態宣言の出ていないゴールデンウィークは、3年ぶりだという。そう言われれば、たしかにそのとおり。ようやく解放されたかのように、人出はかなり増えている。もちろん、感染防止には注意を払ってのことだろう。

そこで私も、旅のエッセイを解禁としたい。じつは、感染拡大の大波をかいくぐっては、小さな旅行に出かけてきた。いろいろと忖度もあり、それをブログに書くことだけは自粛してきたのだった。

  

私には、同じマンションで一緒に子育てをしながら家族ぐるみの付き合いをしてきた仲間がいる。今では酒好き旅好きの気の合うオバサン4人グループとなった。

これまでに、北は北海道の雪まつり、南は沖縄まで、ヨーロッパへも遠征して、いったい何回旅行をしたことだろう。

何といっても記憶に残るのは、2008年と2017年の2度の弘前城公園や、2014年の京都・奈良のお花見ツアーだ。いつも晴天に恵まれ、満開の桜が迎えてくれた。

一説によると、日本三大桜の名所とは、吉野山、弘前城、高遠の桜だという。

となれば、残すは長野県の高遠の桜。ぜひともいつものメンバーで見に行きたいと思っていた。そして、ついにこの春、実現したのである。

 

車で出かけることも考えたけれど、バスツアーに参加して、欲張って信州のあちこちの桜名所を回ろうと思った。開花予報によれば、高遠の桜は411日が満開。そこで見つけたのが、13日出発の12日のツアー。忙しいスケジュールの私たちには打ってつけの日程だ。

気になるのは天気予報。初日は晴れるようだが、二日目は雨マークが消えないままだった。

 

出発当日は、予報どおりの快晴、初夏のような気温だ。

小諸の草笛という名物信州そばのお店で昼食をとる。食べるのが遅い私には、ちょっと時間が足りない。慌てて食べ終え、すぐ隣の小諸城址の懐古園を見て歩く。▼

 


その後、須坂市の臥竜公園へ。大きな池の周囲800mに、ぐるりと桜が並ぶ。満開の染井吉野はもちろんのこと、枝垂れ桜や黄緑色の八重桜など、種類も豊富で楽しめた。▼


 



夕方近くなると、長野県を北上し、県境を越えて新潟県へ。高田城址公園の夜桜を見物する。

バスを降りて歩き出すと、小ぬか雨が降ってくる。まあまあ、黄昏時の雨にかすんだ夜桜も風情があっていいのでは……? とプラス思考の私たち。

どんなに強がっても、明日の高遠は雨だろうなあ、と半分諦めの心境だった。

 



翌朝も、雨はやんでいたけれど、今にも泣きそうな空。天気予報は、ずばり雨。それでも私たちは晴れ女を自認しているのだ。雨が降っては沽券に関わるというもの。何とか4人のパワーを結集して、雨を吹き飛ばしたい……。しかし、その願いもむなしく、道中、バスのワイパーは動き続けていた。


伊那市の六道堤の桜という名所も、きれいだった。が、この曇天。▼


ところが、高遠城址公園にもうすぐ到着という頃になると、雨が止んだのである。しかも、園内の桜は、これ以上のつぼみは一輪もないくらいの100%満開! 

ここの桜はコヒガンザクラという濃いピンクでやや小ぶりの花が愛らしい。








さらにさらに、私たちが園内で桜をめでて、そろそろ帰るころになると、今度は風もないのに急に桜が散り始め、紅白のトリの紙吹雪か、宝塚のグランドフィナーレか、というほどの豪華な桜吹雪となったのだ。

明日までひとひらも残さないで、今日の私たちのために、桜の力を振り絞ってもてなしてくれているかのようだった……。

 

この日の桜のことを、私たちは高遠の奇跡と呼ぶことにした。




自粛の日々につづるエッセイ:「空港ピアノ」2020年08月13日

 

外出自粛の日々は、期待したようには終わってくれない。また今月もいくつかの予定が消えていった。

猛暑の夕方は雷が鳴る。用心のためパソコンの電源を切り、テレビの前でアイロンかけを始めた。作業をしながら見るのはBSNHKの人気番組「空港ピアノ」の録画。

ステイホーム中にはコロナのニュースをよく見るようになった。そんな折、偶然出会ったのがこの番組だった。一度でとりこになり、それ以来、毎回録画している。当然、コロナ以前に作られた番組の再放送だ。



 

世界各地の空港のロビーや、駅や街角の一角に、ピアノが置かれる。小型の定点カメラが付いている。通りすがりの人たちが、足を止めては弾き始める。

画面のテロップで、曲名と作曲者や、演奏者の簡単なプロフィールが流れる。手短なインタビューのシーンもある。ピアノを奏でるのに国境はなく、老若男女、職業もさまざまだ。

演奏の合間には、その都市の映像と音ともに、歴史や特色などが字幕で紹介される。BGMもナレーションもない。

 

ある日の空港で、髭もじゃの男性が、つたない指遣いで「エリーゼのために」を弾いた。ピアノの勉強を始めて3か月。貧しかった子どもの頃にこの曲を聞いて、なんと美しいメロディだろう、いつか自分も弾いてみたい、と思っていた。ようやく夢に手が触れた。最近女の子が生まれ、エリーゼと名付けた、と語った。彼のエピソードは、まるで小説のように私の心に刻まれる。

 

自分にピアノを教えてくれた母は、10歳の時に亡くなった。ピアノを弾くと、母を感じる、とつぶやく若い女性もいた。

 

ほろ酔いで「男と女」を奏でる老婦人。

ときどきこの場所に来て練習するという近所に住む労働者。

幼いわが子を膝にのせて弾く母親もいれば、並んで連弾する恋人たちもいる。

コーラス隊を引っ提げて演奏を楽しむ先生、仲間とともにセッションを始めるミュージシャンたち……

 

プロのピアニストが、音楽は人生だと言う。

コンピューターのプログラマーが、音楽は言語だと言う。

若いカップルが、音楽は喜びだと笑う。

 

演奏が終わると、人々はまた旅を続けるために去っていく。

そして、ひとときの静けさをかき消すように、そこにあるがままの喧騒が聞こえてくる。行きかう足音、ロビーのカフェの物音、空港内に響くアナウンス、飛行機のエンジン音……。

 

画面のこちら側の私は、ふっと切なくなって、涙が込み上げる。外出自粛の日々だから、目を背けていたつもりだけれど、失われたものが何か気づいてしまった。

私は旅がしたい。あの場所に身を置いてみたいのだ、と。



旅のフォトエッセイPortugal 2018(9)リスボンの手袋屋さん2020年01月30日

 

ちょうど2年前の今頃、娘と二人でポルトガルの旅をしました。

ブログのシリーズは、(8)まで終わっていますが、本当はまだ途中。あえて冬を待って続きを書きました。

 

スマホの読者は、先に写真だけこちらで見て、最後にスマホ用のリンクがありますから、そこから文章をお読みくだされば、と思います。

 

 



旅行の前にリスボンのガイドブックを見ていたら、この小さな手袋屋さんのことが載っていた。

ルヴァリア・ウリセス。1925年創業。

「ここに行きたい! このお店で、絶対に手袋を買いたい!」

なぜか強い気持ちがわいたのだった。

 

 

扉の上に、店の名前があり、そこにも手袋のフィギュアが。▲

近づいて狭い店内を覗くと、まじめな銀行員風の男性が、奥から現れた。

「この手袋が欲しいんです」と、ショーウィンドウの中の一つを指さす。

真冬に着る焦げ茶色のコートに合わせて選んだのは、焦げ茶色のスエードで、指の側面とベルトなどのトリミングはネイビーがあしらわれている一品。

「では、片手をここに置いてください」

穏やかに彼は言った。

左利きの私は、いつも左手が出る。私の左手、小さいのに指は太くて短くてごつい手を、遠慮がちにカウンターの上に置いた。

OK

彼は、ほんの一瞬、0.5秒間、私の手をちらりと見ただけ。すぐに奥に入っていき、壁にびっしり並んだ引き出しを一つ、持ち出してきた。

そして、カウンターの上の小さなクッションに、肘を載せるようにと言う。彼が私の手に、手袋をはめてくれるのだ。ちょっときつそう、と心配するまでもなかった。まずは木製の大きなピンセットのような道具を、指の一本一本に入れて革を伸ばす。それを私の手に、す、す、す、と被せ、指の根元がきちんと合うように着けてくれた。▼



Just fit! ぴ~ったりだわ! というわけで迷わず即決。

お店のポスターと同じ紙袋に入れてもらい、クレジットカードの控えも手にして、ご満悦で店を出たのだった。




 

帰国してから、はたと思いだした。もう何十年も前、昭和の頃のこと。

母は、国際学会に出席する父にくっついて、ときどき海外旅行をしていた。いつだったかヨーロッパ旅行から帰ったとき、どこかの国のどこかの店で手袋を買ったという話を聞いたことがあった。英語もできない母だったのに、

「店員さんがね、ぴったりサイズのものを選んで、こうやって手に着けてくれたのよ」

と話しながら、母が指先から手首までなでおろす仕草をした記憶があるのだ。もしかしたら、リスボンの同じ手袋屋さんだったのかもしれない……。

もちろん確証はないし、今では母に尋ねても、何にも覚えてはいない。

でも、時を経て、母と娘が偶然同じ店で同じ物を買った。そう思うだけでも楽しいではないか。

旅行前にガイドブックの記事で「ここに行きたい!」と強く思ったのは、眠っていた記憶とともに、母のみやげ話に憧れた気持ちが、目を覚ましたからに違いない。私がヨーロッパの旅がどこより好きなのは、母の影響であることだけは確かなのだから。



 

今年は暖冬で、なかなかこの手袋の出番がない。手袋をはめる時間も惜しんで、着けやすい普段用をつかんではバタバタと飛び出していってしまう。

それでも、先日、珍しい柄のコートを試着したとき、この手袋が脳裏をかすめ、思いきって買った。茶色とネイビーの複雑な縞模様のそのコート、リスボンの手袋とコラボさせて着てみたい。大事にしすぎて、春が来ないうちに。






スマホ用はこちらです。 

 



旅のフォトエッセイCroatia2019 ④続・ドゥブロブニクは☆パラダイス2019年12月01日

 


城壁に囲まれた旧市街は、観光客にとって本当に天国のような街。治安も良く、清潔で、従業員のサービスも気持ちよく……。

そんな体験談をもう少しご紹介します。

 

一日だけ現地のツアーを利用して、ボスニア・ヘルツェゴビナを訪ねる予定にしていました。早朝630分に迎えの車が来るので、ホテルの朝食をとる余裕がありません。

そこで、何か簡単にお弁当の用意をしてもらおうと、フロントに頼んでみました。ところが、このフロントマン、この街では見かけない不愛想な男性です。

ホテルに到着した朝、「チェックインは12時からだ」というので、その時間にふたたび戻ってくれば、「まだだ」と言うだけ。何の言い訳もお詫びの言葉もなく。でも、結局その場で手続きをしてくれて、すぐに部屋に入れたのでしたが。その時から笑った顔を見たことがない。(ラグビー日本代表選手にいましたね、けっして笑わない男。あんな感じ)

とはいえ、彼はお弁当を請け負ってくれました。当日の朝早く、無人のフロントのカウンターの隅には、紙袋が二つ置いてありました。



部屋に持っていき、広げてみました。コッペパンのハムチーズサンド、オレンジジュース、ヨーグルト、リンゴ、バナナ。ありがたいことです。

あら、なぜか片方の袋にはバナナが1本、もう一つには2本……。

あら、なんで? 二人で顔を見合わせると思わず吹き出して、フロントマンの分まで笑わせてもらったのでした。


泊まったホテルは、グランド・ヴィラ・アルジェンティーナ。

旧市街に近く、アドリア海に面して建っており、小ぢんまりとしているけれど、見晴らしは最高です。

部屋のテラスから、夕日が旧市街の向こうに沈んでいくのが見えたり、早朝には、照明がきらめく大型観光船が近づいてくるのが見えたりしたものです。


▼隣のビーチから眺めたホテル。


ホテルの玄関前。道路も狭い▼


 ほとんどは愛想のいいスタッフがいる、ロビーのカウンター▼


部屋のテラスでワインを飲みながら、夕日を眺める。▼

パステル画のような夜明けの空の下、船が音もなくやってきた▼

 

ドゥブロブニク最後の夜は、アルセナルという素敵なレストランへ、ちょっとおしゃれをして出かけました。古くからの建造物の一部を利用して造られたそうで、旧港に面していて、半テラスのような室内からは、一幅の絵のような美しい港の夜景が臨めます。



私たちをテーブルに案内してくれたスタッフは、「真面目な高田純次」といった感じの男性で、黒くて長いエプロンを腰につけて、きびきびと歩き、人懐こい笑顔で、メニューの説明をしてくれます。


厚さ3センチのマグロのステーキは、絶品でした。彼のおススメのココナツパウダーのケーキもとても美味しい。


店内はかなり暗く、壁のアーチの向こうに夜景がきれいに見えました。店の片隅でミュージシャンがヨーロッパの懐かしの名曲を奏でます。なんとロマンチック……♪ 

遠くはるかな天国のような街で、気のおけない友人と旅を楽しんでいられることに、感謝しなくては……。

 

2人の記念写真を撮ってもらおうと、純さん似のスタッフに声をかけました。

港側を背景に、と思い、「こちらから撮ってもらえますか」とタブレットを渡すと、

「まあいいから、私に任せなさい」と、バシバシ撮り始めました。

しかも、テーブル脇に据えられた花を植えたスタンドを動かしてみたり、隣のテーブルから別の色の花を運んできてみたりして、あらゆる角度から、見栄えのするスナップショットをたくさん撮ってくれたのです。彼の仕事ぶりにも、サービス精神にも、頭が下がりました。

帰り際、チップをはずんだのは言うまでもありません。



 

観光客には天国のような街。またしても思いました。

そして、そう思ったのは、もちろん私だけではありませんでした。

 

「この世の天国が見たければ、ドゥブロブニクに行かれよ」

 

先日、図書館で借りた本の中で、この言葉に出会って、びっくりしたのです。

気候温暖、風光明媚なアドリア海沿岸は、古くから、避寒や保養のための場所、観光に適した場所として注目され、発展してきたそうです。

1929年に1週間滞在しただけで、イギリスの劇作家バーナード・ショーは、くだんの言葉を残したのでした。

今では、この国の70%が観光業に携わっているとか。クロアチアの〈おもてなし〉は、年季が入ったものだったのですね。

 

さらに、もう一つの理由を見つけた気がしたのは、城壁ウォークの時に撮ったこの写真です。


 

手前の古い瓦と、向こうの新しい瓦との違いが見てとれます。

 

クロアチアという国は、ヨーロッパの長い歴史の中で、さまざまな支配を受け、戦争を繰り返してきました。国土の形も国家の形式もそのたびに変化しています。

第二次世界大戦後は、チトー大統領がユーゴスラビア社会主義連邦を打ち立て、クロアチアを含む6ヵ国を統合したのです。多民族、多宗教、多言語を内包したこの国は、ガラス細工のような国家だったことが想像できます。それでも、チトー大統領のカリスマが、そのバランスを保っていたのでした。

懸念されたとおり、1980年に大統領が逝去した後、あちこちで内紛が勃発し、ユーゴは崩壊していきます。

クロアチアにも独立運動が沸き起こり、1991年、独立宣言をするのですが、その後もドゥブロブニクは旧ユーゴ軍の砲撃を受けました。100人以上の死者が出て、世界遺産も危機に陥ったといいます。

しかし、旧市街は復旧され、98年には「危機遺産」から除外されました。そのときに、壊れた屋根に新しい瓦が使われたというわけです。

この地で、たくさんの建物が爆撃で壊され、大勢の血が流れた。その証の写真です。

 

ヨーロッパは昔から、隣国と地続きでありながら、それぞれの国では異なる民族が異なる宗教のもと暮らしている。それゆえの争いは絶えず起こり、大きな権力が攻め入ることもありました。

日本人のように、海に囲まれた一定の国土の中で、一つの国家として、長い歴史と伝統を育んできた国民には、理解を越えるものがあります。それを改めて思い知らされました。


ほんの20数年前まで、ここでは戦闘が繰り返されていた。天国のような街で、楽しい旅を満喫しながらも、その事実に目を向けずにはいられません。

瓦は新しくなり、壊れた家は修繕されました。とはいえ、クロアチア人の心の傷は、そう簡単には癒されないことでしょう。

だからこそ、この街は観光客にとって、天国なのではないでしょうか。

多くの犠牲を払い、長い紛争の果てに独立を勝ち取り、ようやく平和が訪れた今、彼らの胸の内には、いまだに乗り越えられない悲しみもあるでしょう。と同時に、平和な営みへの渇望があるにちがいない。天から授かった美しい場所で、世界遺産のこの街で、この地を訪れる人々を誠実にもてなし、観光業を充実させていくことが、彼らの豊かさを取り戻すことにつながるはずだからです。

 

ガイドブックは読んだけれど、クロアチアの歴史をよく知らないまま旅立ってしまった私は、帰国してから、もっと知りたい、と思うようになりました。

こうしてブログに文章をつづるとき、関連する本やサイトを読んでは助けてもらっています。

いつまでも、この地が平和であるようにと祈りつつ。


バーナード・ショーの言葉はこの本に書かれていました。▲

 

 



旅のフォトエッセイCroatia2019 ③ドゥブロブニクは☆パラダイス2019年11月23日



城壁に囲まれた旧市街は、何百年の歴史を持つ教会や修道院をはじめ、プラッツァ通りを中心に細い路地が縦横に並び、カフェやレストラン、銀行やこぎれいなみやげ物屋が並び、ほとんどが観光客のために営業をしているようです。土日に休業することもありません。

私たちが3泊した5つ星のホテルは、城壁のプロチェ門から徒歩5分の近さ。ほぼ毎日のように2往復して、朝から晩まで楽しい時間を過ごしました。

 

プラッツァ通りは、12世紀に水路を埋め立てて造られたそうです。今では石畳がぴかぴかに光っています。▼

 

 日本のわが家を出発したのが、10月3日の午後4時ごろ。成田空港からトルコ航空を利用、イスタンブールで乗り継いで、ドゥブロブニクのホテルにたどり着いたのは、翌4日の午前8時過ぎ。時差7時間を足せば日本時間の午後3時ごろ。ほぼ丸1日の長い旅だったわけです。

ホテルに着いても、まだ部屋には入れず、着のみ着のままで、街へくり出しました。

 

せめて長旅の疲れを癒やそうと、最初に入ったレストランは、プロトという店。ガイドブックにも載っており、創業100年以上の老舗だとか。ランチタイムから糊のきいた白いクロスのかかったテーブルが整然と並んでいて、ちょっとスノッブな雰囲気です。

コースを頼まなくても嫌な顔をされないかと心配しましたが、イケメンのスタッフが「OK!」と言って、にこやかにテーブルに案内してくれました。

まだ12時前だったので、店内も静かで、落ち着いていました。▼


 


まずは、クロアチアワインとともに、カキの養殖で有名なストン産のカキ。▲

平たい岩ガキです。もちろん生で、レモンを絞って食します。冷たい海の味がたまらない。アドリア海の澄んだ青が口の中に広がるようです。

クロアチアワインは、日本ではまだなじみがありませんが、ヨーロッパでは人気があるそうです。たしかに安くておいしい♡


▲そして、なんと、名産の黒トリュフ入りのパスタ! ほっぺたが落ちそうでした♡



 次の夜には、広場にテーブルを置いているカメニツェというレストランへ。青と白のストライプの椅子がトレードマークで、ここも人気があるそうです。▼


カメニツェというのはクロアチア語でカキのこと。ストンに自家専用の養殖場を持っている、とガイドブックに書いてありました。これは、はずせません!

もちろん、とてもおいしかったです。▼

 ▲この青いラベルのワインは、クセのない味がいい。大衆的なものらしく、スーパーやおみやげ売り場にも置いてあったので、日本に買って帰りました。


カキ同様においしかったのが、こちらのムール貝のリゾット。▲

テーブルクロスもお皿もお店の雰囲気も、前日のプロトとは対照的でカジュアルでしたが、お値段もリーズナブル。プロトの約半額で、おなかいっぱいになりました。

 

 

夜空の下、暑くもなく寒くもなく、海のそばでも湿気がなく、これ以上ないくらいに快適です。街のレストランのお客さんは、観光客に交じって、地元の人々も、外での食事を楽しんでいるようでした。

 

帰り道、聖ブラヴォ教会の向こうに、月が。▲

 

▼これがプロチェ門。ここをくぐってホテルに戻ります。何度出入りしたことでしょう。

 


ドゥブロブニクは、料理やワインがおいしいだけではなく、従業員のサービスも本当に気持ちの良いものでした。適度に控えめで、きびきびと動き回り、お客さんの要望にはいつもにこやかにOKしてくれるのです。

街の中には、ほかの国のように、お金をせびってくる乞食もいません。たむろするゴロツキや、大声を上げて騒ぐような若者もいない。

治安がいいのは、警備が厳しいわけでもなさそうです。お巡りさんは見かけませんでした。

そして、街中の清潔なことにも驚きます。アイスクリームやサンドイッチの食べ歩きはしても、ごみを路上に捨てる人はいない。ごみ箱の周りさえ、ごみが落ちていないのです。観光客のお行儀がいいから? どこかのテーマパークのように、神業で掃除をしてしまうから……??

 

不思議な街でした。

観光客には本当に天国のような街……。そう思いました。

 

この話は長くなるので、また次回に…… 

 

《続く》

 


旅のフォトエッセイCroatia2019 ②ドゥブロブニクの城壁を歩く2019年11月05日


 

紀元前の昔から、ヨーロッパという地域は、多くの巨大勢力が台頭し、領土を奪い合う歴史を繰り返してきました。クロアチアも例外ではありませんでした。ローマ帝国、フランク王国、ビザンツ帝国、オスマン帝国、ハプスブルグ家、ナポレオン軍、そしてハンガリー、オーストリア、イタリア、ナチス・ドイツ、ユーゴスラビア……などなど、次々と支配が入れ替わる変遷の歴史をたどってきました。

 

そんな中で、ドゥブロブニクはローマ人がラグーサ共和国をうち建てて、14世紀に独立し、ベネチア同様の海洋都市国家となりました。海運貿易で富を蓄え、イタリアからルネサンス文化が入り、1516世紀には繁栄を誇ったそうです。

都市をぐるりと取り囲む頑強な城壁が完成したのもその頃でした。

 

「アドリア海の真珠」と呼ばれるほどに美しい街、ドゥブロブニク。その旧市街は、1979年に世界文化遺産に登録されています。

 

着いた次の日の夕方、ロープウェイで町の北側にそびえるスルジ山に上りました。標高412mのこの山からは、旧市街を見下ろすことができます。

「みなさま、下に見えますのが、ドゥブロブニクの旧市街で、ございます!」というぐらい、手に取るように見えました。 


▼旧市街が城壁で囲まれているのがおわかりいただけるでしょうか。

 

日が落ちて、城壁がライトアップされてきました。


 新市街の向こうに広がる西の海に日が沈み、しばらく雲をオレンジ色に染めていました。


 

その翌日には、朝から城壁を歩きました。12km。快晴の空の下、真夏のような強烈な日差しが降り注ぎます。



 

▼ここが入り口。この階段を上って城壁に上がります。

料金は大人150n(クーナ)。日本円にして約2550円

 

城壁にはところどころに要塞が設けられ、狭い通路や階段が続きます。幅1メートルほどしかない箇所もあります。当時の兵士たちは戦闘服を着て、武器を持ち、この狭い城壁の上を機敏に動き回ったのでしょうか。

今は、のんびりと観光客が歩くばかりです。


▲今回の旅の相棒、ヒロミさんです。赤い帽子と黒いサングラスがお似合い。


私はといえば、スーツケースに一度入れた半袖のTシャツを、寒そうだからと出して置いてきたことが悔やまれてならず……。寒さ対策だったストールが、直射日光を遮ってくれる日よけになりました。


対岸の崖の上にも、ロヴリイェナツ要塞という名の大きな要塞が、海をにらんでいます。手前の、大砲が置いてある所が、今通ってきたボカール要塞です。▼


▼これは何の箱でしょう。銃や弾丸を入れたのかしら。謎の石の箱です。



城壁に守られている内側の家々を見るのも楽しい。

洗濯物、よく乾くでしょうねぇ。




さて、ほぼ半周を歩いたところで、聖イヴァン要塞に来ました。北側には、昨日上ったスルジ山がこちらを見下ろしています。▼


▼ここから、旧港が見下ろせます。


さらに進んで、聖ルカ要塞へ。

旧港の手前に見えるのは、ドミニコ会修道院。▼



 えっちらおっちら上り坂を進んでいくと、向こうに筒状の建物が見えてきます。ミンチェタ要塞です。城壁ウォークのなかでも最も高い場所なのです。暑い暑い。さらに要塞の中の狭い階段を何段も上って……


▼やったー! 城壁征服! 真っ青な空に踊るクロアチアの旗の下で、思わずVサイン。


そして、見下ろす旧市街。オレンジ色の屋根の波。▼




私が滞在している間、ドゥブロブニクは毎日明るい陽ざしを浴びて、平和そのもののように見えました。

しかし、「アドリア海の真珠」と呼ばれるこの街は、世界遺産になった12年後、爆撃を受けてかなり破壊された。それでも、ユネスコの支援のもと、再び元の姿を取り戻したのでした。

戦争の話は、また次回に。

 

ともあれ、お疲れさまでした!!



 


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