丸の内の別世界へ2012年08月03日


三菱一号館


さすような真夏の日差しの中、東京・丸の内の三菱一号館美術館へ、バーン・ジョーンズ展を観に行きました。

バーン・ジョーンズ展のポスター


エドワード・バーン・ジョーンズは、神話や聖書の物語を描き続けた
19世紀末の英国の巨匠です。
英雄と美女、女神や天使や妖精、百合や薔薇の花々……。写実的で精緻でありながら、現実逃避のロマンティックな世界。そんな画風に私が惹かれるのも、どこか少女マンガに通ずる美意識が感じられるからかもしれません。

印象に残った作品のひとつ、「ねむり姫」。
子どものころ、ディズニー映画に「眠れる森の美女」という作品がありましたが、原作は同じ童話です。悪い妖精に呪いの魔法をかけられて、宮廷中が深い眠りに落ちてしまう。可憐な野ばらの咲く中で、深い緑色の布に包まれるようにして眠る姫と女性たち。

横長の大きな絵で、数人が前に立っても、まだ十分見ることができるほど。
絵と同じ静寂が満ちているような、暗い部屋の一隅で、ほんの一瞬、だれも動こうとしない。まるで深い眠りの魔法が、見る者にもかけられたかのように……。

三菱一号館
 
 

三菱一号館は、明治時代の建築が復元されたものです。
足元は木の床。ヒールの音が立たないように静かに歩きます。
芸術品を守るために、美術館内の照明は暗く、室温も
20度。猛暑の外界とは別世界です。別の意味で、現実逃避ができました。

三菱一号館のカフェで

芸術鑑賞の後は、1階にあるカフェで、よく冷えた上品な白い泡のビールで一休み。
ここは、元は銀行だったところ。窓口の枠や、高い天井はそのまま生かされています。


「ねむり姫」の一部が表紙になっている解説書を買いました。
今夜はオリンピック中継のテレビを消して、この本を夢の入り口まで連れていきましょうか。

バーン・ジョーンズ展の解説書

夏のオフィス街の一角で、ねむり姫に出会う。
それもまた、日常を忘れる小さな旅なのかもしれません。

戦争体験をエッセイに2012年08月09日



今日は、67年前、長崎に原爆が落とされた日です。
家にいて、テレビで平和祈念式を見ながら、一緒に黙とうをささげました。
同じように、6日の広島原爆の日にも、自宅で黙とうをしながら、平和を祈りました。

この日、平和宣言の中で、広島の松井市長が次のように述べました。
「広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。」


被爆者の体験談はもちろんのこと、さまざまな戦争体験も風化させてはなりません。

私のエッセイ教室には、70代、80代の方々がたくさんおいでです。
私はそのご高齢の方々に、
「ぜひ、戦争体験をお書きください」
と、口ぐせのようにお願いしています。

現在、横浜・磯子の教室の最長老は、85歳になるKさん。
歩くときは杖をついていますが、自宅から車を運転してきます。
Kさんは、自分の戦争体験をよく覚えていて、それを子どもや孫たちに書き残しておきたい、と言います。

Kさんは19歳のときに終戦を迎えました。その直前まで魚雷に乗る訓練を積んでいたのです。1ヵ月後には復員しますが、お母さんは病床に伏していました。
「よう帰ってきた、夢じゃないよねえ」と、お母さんは自分の手をつねってみる。
心優しい息子のKさんは、おはぎが食べたいというお母さんのために、台所で餅を作り始めます。軍歌を口ずさみながら、終戦の4日前に戦死した仲間や、終戦直後に自決した親友のことを想っているうちに、世論が反転した世の中に対してむしょうに腹が立ってくる。無意識のうちに「エイッ!」と叫んで、釜を倒してしまう。
「やけを起こしたらいかんぞね」
お母さんの光る目に、Kさんは心底を見透かされたような気がしたのでした……

これは、Kさんのエッセイを要約したものですが、原文は、まるでドラマのシナリオのように生き生きとしています。
教室で、Kさんが自分の作品を朗読したあと、ほかのメンバーも講師の私も、涙ぐんでしまって何も言えませんでした。

Kさんの原稿には、旧かな遣いや難しい旧字体がたくさん使われています。それでもかまいません、と言うと、
「先生、遠慮しないで、どんどん教えてください。正しい書き方をしないと、孫に変なのって言われてしまいますからね」
向上心旺盛なKさんです。

どんどん書いてください。そして、戦争を知らない世代に読ませてください。
戦争の記憶を書き残してもらうこと。
エッセイの講師として、大切な仕事だと思っています。




『歌おうか、モト君。』再版のお知らせ2012年08月12日

『歌おうか、モト君。』

2005
年に出版した『歌おうか、モト君。~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~』は、新聞や雑誌の記事に取り上げていただいたおかげで、またたく間に売り切れて、2刷、3刷へ。合計2300冊の本が読者のもとに旅立っていきました。

このたび、7年ぶりにメディア・サーカスから再版することになりました。
これが、生まれ変わった本の表紙です。

『歌おうか、モト君。』再版本の表紙

今回も織物は息子の作品。それをアレンジした基調色が、茶色からブルーに変わりました。
発行日は、8月19日。定価は、お安くなって1,100円。

☆購読ご希望の方には私からお送りします。
コメント欄、あるいは hitomi3kawasaki@gmail.com まで、送付先をお知らせください。
代金・送料込みで1,000円とさせていただきます。

なお、近日中に電子本としても生まれ変わります。
アマゾン・キンドルという世界的にも大手の電子書籍サービスから発行になりますので、ご期待ください。日本上陸まであと少しです。


著書のチャリティ販売in銀座2012年08月15日


今年は、月に一度のチーム東松島物産展で、ボランティアとして参加してきました。
2月から始まって、今月が第7回目、この週末1819日です。
銀座5丁目のTSビルは、復興支援のために東急不動産が無償で提供し、東日本復興応援プラザとして利用されています。そのビルの歩道にブースを並べて展開するのです。
大勢のボランティアが集まって、販売からチラシ配布まで、手分けして物産展を手伝います。
でも残念ながら、ビルの取り壊しが決まっていて、この場所での物産展は今回限りとなってしまいました。

歩道の出店。前を行く人に声をかけます。

海産物、野菜、精米、和菓子、洋菓子、醤油、ドレッシング、日本酒……。
仮設住宅の女性たちの手芸品……。
毎回、たくさんの品々が東松島から運ばれてきて、回を追うごとにその数も種類も増えていきました。
東松島の美味しい物たち。

キャラクターたち。

プラザの2階でチャリティライブも行われるようになりました。
大曲浜獅子舞保存会の方たちの力強いパフォーマンスも行われました。
イートくん&イーナちゃんのキャラクターや、スタンプラリーも登場。
子どもから大人まで楽しめるにぎやかなイベントに発展してきました。
本当に残念ですが、最終回です。


『歌おうか、モト君。』再版本の表紙

この日に合わせて発行日819日が決まったのです。
『歌おうか、モト君。~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~』
私の著書の再版本。
19日、チャリティライブの会場の片隅で、本を販売させてもらうことになりました。
売り上げは、全額寄付。

私の持っている何か、私なりの何かを生かして、協力ができたら、と思いました。
そんな時期に、私の本が生まれ変わることになったのです。
ボランティアに関わったのも、本の再版を決意したのも、この時期に仕上がったのも、偶然ではない。苦しい日々のなかで出会った人たちが、私を導いてくれた。私はそう思っています。
〈ご縁〉という言葉が好きになり、よく使うようになりました。

私が自閉症の長男を25年間なんとか無事に育ててこられたのも、たくさんの人たちの支えがあったればこそ。感謝の気持ちでいっぱいです。
今度は私が、ご恩返しをする番です。

これを読んでくださっている皆さん、お時間がありましたら、1819日、銀座5丁目にいらしてください。
私のチャリティ販売は19日だけですが、18日でもかまいません。
最終回のチーム東松島物産展&チャリティライブを楽しんでいってください。
お待ちしています。



エッセイ「車内で出会った少年」2012年08月26日

 

 もうすぐ子どもたちの夏休みも終わろうとしています。
 市営地下鉄の車内は、それほど混んではいませんでした。ちらほら空席もあるくらいに。
 私の真向かいの席には、白いポロシャツを着た少年がいました。「バスケットボール部」と書かれたショルダーバッグを膝に置いている。たぶん、部活帰りの中学生なのでしょうけど、どう見ても少年と呼ぶのがふさわしいような男の子です。さっきから、熱心に文庫本を読んでいます。

 駅に止まると、お母さんと小学生ぐらいの女の子が乗ってきました。ちょうど私の隣が空いていたので、お母さんが座り、
「ほら、そこ空いてるわ」と女の子には、向かいの少年の隣を指さしました。
 女の子は、「うん」とうれしそうに座りました。
 すると今度は、少年がひょいと立ち上がってこちらにやって来ました。
「あっちへどうぞ」と、私の隣のお母さんに、自分が座っていた席を譲ったのでした。「あら、ありがとう!」
 お母さんと女の子は、一緒に座ることができました。少年は私の隣の席へ。

 えらいのね……と、少年に声をかけたかったけれど、言葉を呑みこみました。彼はなにごともなかったように、また本を開いて続きを読んでいます。じゃまをしないでおこうと思いました。
 お年寄りがいたら席を譲る。それはできるかもしれない。でも、乗り込んできた親子連れが隣同士に座れるように、さっと席を譲ってあげられるなんて……。しかも、当たり前のように、ごく自然に席を立った少年。
 どうしたら、こんなふうに相手の気持ちがわかる少年に育つのかしら。
 彼自身がかわいがられて育ったから?
 両親や周りの大人たちが、そうやって生活しているから?
 たぶんどちらも正解でしょう。
 ふと秋風を感じたような、小さな出来事でした。



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