新聞に投稿が載ってみると……2012年10月12日


半月ほど前、925日の朝日新聞「声」欄に私の投稿が掲載されました。当日のブログ記事でご紹介したとおりです。


掲載については事前に連絡があったので、その日の朝、朝刊で自分の投稿を確認するとすぐに外出してしまい、夕方帰宅しました。
すると、Facebookにはすでに、私の投稿の紙面を写真に撮って、アップしてくれた方がいました。さらに、その記事を10人以上の方が、「シェア」をして、さらに友達の友達へと拡散させてくれました。
私の投稿に共感してくれて、広めたいと思ってくれたのです。
改めて、命の問題を、障害の問題を、考えるきっかけとしてくれたのです。
たかが10人と思われるかもしれませんが、私のFacebook1年のなかで、初めてのことでした。


Facebookをご存じない方のために簡単に説明しましょう。
Facebookには実名で登録し、まず「友達」を作ります。「友達リクエスト」が承認されると「友達関係」ができ、さまざまな情報を共有できるようになるのです。ある友達の情報を「シェア」すると、今度は自分の友達にもその情報を広めることができる。
つまり、たかが10人、されど10人。100人の友達がいる10人がシェアしたら1000人に広まる、というわけです。

これが広がっていけば、あっという間に何万、何十万人となるわけで、どこかの国のように、革命だって起こしてしまえるエネルギーになるのです。私には、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の底力を垣間見た思いでした。

ただ、冷静に考えると、けっして私の投稿内容だけがすべてではない、といえそうです。
その媒体が朝日新聞だったからではないでしょうか。新聞という確かな後ろだてがあるから、安心して受け入れてもらえたのではないでしょうか。
もちろん私自身も、新聞が認めてくれたという安心感を持ちました。
逆から言えば、マスコミの情報はいつも正しい気がしている。
でもちょっと待って。本当に真実だろうか。
マスコミが容疑者をあたかも犯人扱いして、無実の人を苦しめたことがありました。原発事故以降の報道にも、いろいろと問題があるようです。
自分の投稿を載せてもらっておいて、こんなことを言ってはなんですが、新聞といえども、疑ってみる必要があるでしょう。

私の場合は、たかが一介の市民の体験談。どうこう言うほどのことはない。大げさだと思われるかもしれません。
でも、そんなちっぽけな私の投稿でさえも、新聞という権威を借りて、広めてしまうことができるのです。そのことを生で感じたのでした。
私自身、これからはますます責任あるエッセイを書かなくては、と襟を正しました。

ところで、この投稿文の主人公、次男ですが、これを読ませたところ、1行目を見るなり、
「母さん、もう57かよ~」ですと……。
でも、最後まで読んで、こう言いました。
「母さんが、そういう覚悟でオレを生んでくれたことが、よーくわかったよ」
きざなセリフを冗談めかしてサラリと言ってのけ、親を喜ばせる。彼にはそういう才覚が備わっているのです。末っ子ならでは、なのでしょう。
そして、私のその覚悟は、今でも変わりない、と思っています。
(いえ、もう生めませんが……)

10年前の次男、7歳の誕生日。


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