東北ドライブ1000キロの旅:郡山へ2014年05月12日

わが家の車を3代目のオデッセイに替えてから、半年が過ぎた。

ヨッシーと呼んで、今ではすっかり私のかわいいパートナー。毎日毎日、四六時中でも乗っていたい……。

そこで、とことんヨッシーと過ごすために、このゴールデンウィークにドライブの旅に出ることにした。娘とその友人と、女3人、34日の旅だ。

目的地は、宮城県東松島市。ちょうど1年前の5月にもそこを訪ねたのだが、その時は仙台まで新幹線を利用した。今年は、いささか大冒険である。

これまで、私が車で一番遠くまで行ったのは、長野県の白馬あたりだろうか。距離にして270キロほどだ。千葉県の市川市に住んでいたころ、房総半島を一周したら、ちょうど300キロだった。この程度が、1日で走る限度かもしれない。

東松島までは400キロを軽く超えている。

ゴールデンウィークの東北道、渋滞は覚悟の上だ。

連休でなかったら、社会人の娘たちを連れていかれない。

それでも、渋滞回避の策として、私一人で平日のうちに北上し、郡山まで行くことにした。娘たちは勤めを終えてから、夜遅く新幹線で到着。合流して1泊する。

52日、午前9時に出発。

朝から快晴。吹く風もさわやか。絶好のドライブ日和だ。

前日、お気に入りのアーティストの曲を、USBスティックにダウンロードしておいた。いつものサザンや福山くん、懐かしのチャゲアス、ちょっとお試しのコブクロや嵐まで、アルバム15枚ほど。これなら、CDを入れ替える手間もない。便利になったものだ。ひとりハンドルを握りながら、次から次へと、大好きな歌を聴く。

青い空、沿道の木々の若葉がまぶしい。水をたたえた水田も春の陽を受けて光っている。

予定どおり、佐野と那須高原のサービスエリアで休憩をとった。

佐野サービスエリア


那須高原サービスエリア


那須高原サービスエリア

那須高原特産のおいしそうなチーズがたくさん並んでいる。今夜の一人きりの夕食で、ワインのおともにしようと、一つ買っておいた。


那須高原の特産のチーズ

午後3時、大した渋滞もなく、無事、郡山に到着。

ハナミズキがきれいに咲き誇っていた。

郡山




石畳のおしゃれな街並み

近くを散歩してみた。不思議な街だ。

駅前の広場に、なぜかどこでもドアが……。



壁にはスパイダーマンが張り付いていて……。


今夜の宿は、駅前のビジネスホテル。

窓からは、駅前の広場と、新幹線のホームが見下ろせる。そこで一人の晩餐。

クリームパンのように見えるのは、じつは餃子パン。那須高原SAで仕入れた。中にはごろんと大きな餃子が入っている。ピリ辛でなかなか美味しかった。



○○○                        (続く)



東北ドライブ1000キロの旅:女川へ2014年05月17日

2日目は、宮城県牡鹿郡女川町へ。

女川は、海に突き出た牡鹿半島の付け根の辺りに位置し、東日本大震災では津波によって壊滅的な被害を受けた。

そして、この町には昨年から暮らしている友人がいる。

彼女に会いたくて訪ねてきたのである。

タカコさんは、2012年に銀座で開催された東松島物産展の手伝いをしたときの仲間だ。

被災地のために働きたいという高い志を持ち、たまたま女川町に求人があるのを知り、独身ゆえのフットワークの軽さから、思い切って移り住んでしまった。

彼女が就いた仕事は、女川の蒲鉾製造業「高政」のウェブ業務。

被災地から現地の人々の声を発信したい。町の産業を復興させて、被災地だからというのではなく、都会の消費者を相手に営業をしていくために、ウェブの充実は欠かせない。だから、企業で働く地元の人々の意識も変えていきたい……。

彼女の口調には、無理な気負いもなければ、危うさもない。彼女なら、時間がかかっても、少しずつ目標をクリアしていけそうな気がする。頑張ってほしいと思う。


石巻の海岸沿いを走る。



さすがに4連休の初日とあって、郡山からの道は混んでいた。約束の時間を大幅に過ぎて、ようやく女川町に到着。入り江の向こうに、高政の工場が見えてきた。




高政の店頭で、ようやくタカコさんと再会。

笹かまを目の前で焼きながら、震災被害の説明をしてくれた。

写真を見せるタカコさん。


ビデオも見せてくれた。

スクリーンに、女川の街が津波に流されていく凄まじい映像が流れる。


店の一隅にはスクリーンが津波の映像を流している。


工場見学もさせてもらった。

蒲鉾の工場。

その後、町立病院のある高台へ。この建物の1階部分まで津波はやってきたという。

○○

女川町立病院。

 ○○

見下ろす街に、あの日、津波は襲ってきた。

横倒しのままの銀行のビル。

ほとんど片づけられて、今残っているのは、横倒しになった七十七銀行女川支店の建物。緑色のところが屋上だ。当時、建物内にいた人たちが屋上に逃げて、犠牲になった。

銀行社屋ということで、いまだに撤去できない事情があるらしい。

「ビルが倒れている下に、高政の店長の実家があったんですって」

だから店長は、店頭であのビデオを流すのも、本当は嫌なのだという。車は水に浸かると警笛を発し続ける。何台もの車が流されていく、その大音響を店長は聞きたくない。当時の記憶がよみがえるからだろう。

それでも、遠方から訪ねてくる客のために、あえてあの映像を流す。

熊野神社。

さらに病院の裏手から、200段の階段を上ったところに、熊野神社がある。あの日も高いところから津波を見下ろしていたのだ。

ちょうど訪ねた日が例大祭で、神輿や太鼓も出ていた。

境内の八重桜も、女川湾を見下ろすように咲いていた。

境内から見下ろす女川湾。

タカコさんと、二人の旅の仲間。真ん中が娘の友人のチカさんで、右側が娘

被災した地域は5メートルほど嵩上げしてから、ふたたび家を建てるのだという。

そのため、この神社のある丘を一部崩し、その土が使われる。神社はまもなく解体されて一時移転ということになるそうだ。

女川は、まだまだ気の遠くなるような復興の途上だった。




東北ドライブ1000キロの旅:続・女川へ2014年05月18日

 

前回の補足です。

タカコさんの勤務している「蒲鉾本舗 高政」では、震災からの復興をめざして、

「万石の里」というショップをオープンしました。

そこで、タカコさんのお話を聞いた後、私たちもたくさん買って自宅に送り、家族や近所の友人たちにも食べてもらいました。

ぷりぷりとした触感がたまらない。

少し甘くて、とても美味しい。

ご飯のおかずにはもちろん、お酒のつまみにもいいし、ワインのつまみにもなる。

……と大好評でした。

あまりの美味しさに、写真を撮るのを忘れてしまい、お見せできないのが残念ですが、

高政のホームページをご覧になってください。

オンラインショップでも買うことができますので、皆さんもぜひどうぞ。

やはり翌日は筋肉痛……でした


熊野神社からの眺め。


200段もの階段を上って振り返ると、目の前に広がった景色。入り江の海の穏やかさ。季節が来れば咲くピンク色の桜……。

思わず、涙がこぼれました。


PRIDE2014年05月23日

長いこと彼らのファンだった。長男が生まれたころから、車の運転中はいつも彼らの曲をかけていた。

 

12年前に書いた「恋の歌」というエッセイの一節である。

彼らというのは、ほかでもない CHAGE&ASKA

今でも、同じ思いだ。

 

なんといってもASKAが好きだった。

その声も、作り出す歌も、クリーンでまっすぐな人間性も。

 

私のエッセイは、さらに続く。

 

長男は、3歳のときに自閉症と診断された。まだ生後2ヵ月の長女も連れて、療育施設へ通い始める。その往復にも彼らの歌を聞き続けた。意味のある言葉に慰められるというよりも、ビートの効いたロックや恋のバラードで魂を揺さぶられ、そこに生じるエネルギーで日々の子育てを乗り切っていたような気がする。

 

あの苦しかった時代に、私の大きな支えだったのだ。

 

いつか生のステージを見てみたい。行くなら息子と二人で。そう心に決めていた。

 

息子が15歳になったとき、その夢がかなった。彼らをまねて、二人とも黒ずくめのいでたちで、横浜アリーナのコンサートへ、腕を組んで出かけた。

 

懐かしの曲も、最近のお気に入りも、いっしょに歌い、ハートが熱くなる。そして、甘くやさしいありふれた恋の歌が始まったとき、ふと思った。

息子は、本当なら好きな女の子でも連れて、恋の歌を聞きに来るんだろうに……。いつまでもこの母親といっしょなのだろうか。いつまで私はこの子の恋人代わりでいられるのだろうか……。

不覚にもぽろりと涙がこぼれた。

 

この数年前にも、「プライド」というエッセイを書いている。

 

だれかが歌っている。眠りの底のわずかな意識でそれを聞いていた。

 

  伝えられない事ばかりが

  悲しみの顔で 駆けぬけてく

 

だれだろう……。ああ、息子の声だ、隣の部屋の……。一人でじょうずに歌ってる……。

 

  心の鍵を壊されても

  失くせないものがある

  プライド

 

チャゲ&飛鳥の「プライド」だ。こんなにいい歌だったなんて、今まで思わなかった。母親が運転中にかけるCDの曲を、息子は歌詞カード片手に聴いて、暗記してしまうらしい。午前6時まであと少し、ベッドの中で息子の独唱に聞き入っていた。彼がまだ小学校1年生のときのことだ。

 

自閉症の息子は、難しい歌詞を覚えてしまうほどの能力がありながら、言葉を使ってコミュニケーションをとるという社会性が育たない。

エッセイはさらに、小学校5年生のときのエピソードがつづられる。2泊の自然教室に参加したのだが、学校側の配慮で、女性の先生方の部屋に寝かせてもらった。

 

11時には寝てました。でも、起きたのは3時半。カーテンをぜんぶ開けて、『自然教室終了まで、あと36時間30分!』ってアナウンスするんです」

 先生が、もうちょっと寝てようね、と言うと、はーい、と布団を被るのだが、しばらくするとまたがばと起き出してカーテンを開けて「終了まで○時間×分」の繰り返し……。

 もうしわけなくて言葉もなかった。

 息子の障害は、相手の心が見えないところにある。目の不自由な人が触覚や聴覚を頼りに歩いていくように、息子も、手探りの体験を通して、人の心がわかる術を少しずつ覚えていかなければならない。

 でも、何より大切なのは自分の心。見失うことなく、プライドを持って生きてほしい。

「プライド」を聞くたび、凛とした気持ちで息子の将来に目を向ける勇気が湧いてくる。

 

やがて息子は立派に成長し、プライドを持って働けるようになった。

たくさんの人々、たくさんの歌に支えられて、がんばってきたのに……。

 

勇気をくれたはずのASKAは、いつのまに、プライドを失くしていたのだろう。

 


東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-12014年05月25日

宮城県東松島市。昨年のゴールデンウィークに訪れて、2回目の旅となる。

郡山から東北道に乗ったとたん、道路は混んでいた。

東松島を通り過ぎて先に女川へ向かうはずだったが、思いのほか時間がかかったので、途中、東松島に寄り道をした。どうしても、会いたい人たちがいたのだ。

それは、昨年、初めてやって来たときに、とてもお世話になった太田さんとゴローさん。彼らについては、昨年のブログに詳しく書きましたので、お読みください。

旅のフォトエッセイ:東松島へ(6)~あの店・この人~ 

旅のフォトエッセイ:東松島へ(7)~続 あの店・この人~ 

残念ながら太田さんは、ゴローさんのマルヤ鮮魚店で商品の仕込みを済ませると、入れ替わるように東北道を南下して、埼玉県東松山市へ出かけてしまう。

「東松」つながりで、復興支援をしてもらっているそうで、翌日は物産展が開催されるとか。ゴールデンウィークも忙しい。

 


ゴローさんは、大きな鍋を持ってきて、ホタテ貝を茹で始めた。

「運がいいなあ。明日はこれ、なかったぞ。来るなら来るって連絡してくれないと……」

しましたよ。フェイスブックに皆さんあてにメッセージ送りましたけど。

「そうか。忙しくて読んでない」

おだやかな笑みを浮かべながら、その漁師のフト腕で、茹で上げてくれたホタテ貝の、まあ美味しかったこと! 黒い部分は苦味があるので、取り除いて食べたほうがいいというのに、娘はそれまでもパクパク食べた。

そういえば、本名は康さんなのに、何故ゴローさん?という問いに、今度教えてやる、と言ったきり、もう1年になる。

とにかく、ごちそうさまでした、ゴローさん!

 

車の旅で、一度だけ電車に乗った。

仙石線。仙台と石巻を結んでいる。津波の被害で、いまなお高城町―陸前小野の七つの駅の間が不通で、代行バスが走っている。

私たちは石巻の小さなホテルにチェックインして、石巻駅から東松島市の矢本駅まで、15分の旅だった。

何故に電車かといえば、それはもちろん、夜のお楽しみが待っていたから。

東松島の友達6名が集まってくれて、ご覧のとおりの美女子会!


地元の美味しい海の幸、山の幸に舌鼓を打ちながら、女子トークで大盛り上がり。

帰りは、おうちでお留守番の旦那さまが車でやってきて、ホテルまでわざわざ送ってくれました。どうもありがとうございます!!

東松島の男性は、皆やさしい……♡

                             (続く)



 

 


東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-22014年05月26日

この時期、東松島に出向く目的は、この青い鯉のぼりの下に立ちたいから。

今年も大曲浜にやって来ることができた。

☆「青い鯉のぼり」プロジェクトのことは、マスコミでもずいぶん取り上げられてきたので、ご覧になった方も多いと思います。

ホームページはこちらです。

また、私も昨年のブログ記事に詳しく書きましたので、それをお読みいただけたら、うれしいです。

旅のフォトエッセイ:東松島へ(1

昨年はまだ取り残されていた家屋があったが、それも撤去されており、辺りはすっかりきれいになった印象だ。

でも、同じ五月の青い空の下、強い風のなかで鯉のぼりたちは今年も元気に泳いでいた。

近くに、震災と津波の犠牲者の名前を刻んだ慰霊塔がある。

昨年は、のり工房矢本の清美さんと千佳子さんがここに案内してくれて、お線香をつけて祈った。

今年は、自分でお線香とライターを持参したが、強風にあおられてなかなか火がつかない。若者ふたりは意外と根気よく、15分かけてようやく火をつけてくれた。

観音様の頭のてっぺんまで約6メートル。この地を襲った津波の高さだという。

                          (続く)

 

 




東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-32014年05月30日

 

私は根っからの甘党である。体の半分は砂糖でできている、と自認する。

え?と思われる方も多いかもしれない。お酒も好きだが、けっして強いわけではない。

父親はまったくアルコールを受けつけない体質の人だったから、家の中にお酒がないのが当たり前。子どものころ、日曜日に家族そろってケーキ屋さんに行き、好きなケーキを買ってもらい、みんなで食べる。わが家の楽しみの一つだった。

 

そんな私に、東松島で、このお店は外せない。

パティスリー・ジュリアン。

物産展のお手伝いのときは、販売にも熱が入るし、自分でもたくさん買い込む。

もちろん、昨年も足を運んだ。これは、その時の写真。

女の子の指さしているのは……

 ○

トトロとクロスケ! 食べるのがもったいないくらいかわいい。

  

ふわふわ生クリームのようなお店のマスターは、私たちのことを覚えていてくれて、当店人気ナンバーワンのチーズプリンを、コーヒーとともにごちそうしてくれた。

とろけるようで濃厚な味わいのプリン。甘党の私も大満足の美味しさ!

ごちそうさまでした!



もう一つ感激したのは、店内のボード。2012年の銀座で開催された東松島物産展のときの寄せ書きが貼ってあったのだ。みんなで一緒に撮った写真を真ん中に、お手伝いをしたメンバーがコメントを書いた。

みなさんに会えてうれしかったです。今度、東松島に行きますネ! 石渡

石渡の文字の上あたりにいるのが私。



ジュリアンでは、地元の食材を生かしたケーキ作りにこだわっている。

ずんだ大福、ホヤ味のパイ、トマトのゼリー、米粉を使ったマドレーヌなどなど、この食材が!?と驚くほどの美味しいお菓子に生まれ変わっているのだ。

そろそろ恋しくなってきたので、私もお取り寄せしなくては……

☆ジュリアンの商品は、Yahoo! 復興デパートメントで購入することができます。

スイーツ大好きの皆さん、ぜひ一度お試しくださいね。

 

 



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