ダイアリーエッセイ:転がり摩擦が重くて2014年11月02日

 

昔、松任谷由実さんがこんなことを言っていました。

「アルバムを定期的に、たとえば3ヵ月に1回と決めて、作り続けているときは、それほど負担に感じないのに、間隔をあけて1年以上たってからいざアルバム作りに取りかかると、とても大変な気がする。動き続けているときと違って、止まっている状態から動き始めると、転がり摩擦が働くんですよね」

彼女の言ったことを正確に覚えているわけではないけれど、おおかたそんな意味のことだったと思います。うまいことを言うなあ……と、いまだに忘れないでいるのです。

理系の人が聞いたら、意味が違うといわれるかもしれませんが、お許しください。

 

何が言いたいかといえば、つまり、私も3週間のご無沙汰で、さすがにそろそろ何か更新しなくては、と思ったのですが、はてさて、何を書いたらいいのやら、転がり摩擦が重すぎて、茫然となってしまった、ということなのでした。

 

この3週間、風邪をひいて、その風邪が治らないまま、松島へ出かけ、東北の美味しいものをお腹いっぱい食べてきました。スケジュールとにらめっこをして、余裕のないところを無理にこじあけて1泊の日程を確保したため、帰ってからは体調もいまいちなのに、連日なにかと超多忙、ブログに向かう時間がありません。

覗きに来てくださる親切な読者のみなさん、ごめんなさい。

 

長い言い訳でした。

さて、昨日は第1土曜。毎月、午前と午後に、横浜で2つのエッセイ教室がある日でした。

これまでにも何回かご紹介してきましたね。

 

午前中は金沢区で、「並木エッセイの会」というグループ。

町の名にもなっているように、この町が開発されたとき、たくさんの並木道が生まれました。

四季折々、木々は色を変え、花や実をつけて迎えてくれて、訪れるのが楽しみな所です。

現在、6名のメンバーが楽しんでいます。


昨日、雨が降り始める前に撮った、黄葉の始まったイチョウ並木。


こちらは今年の春の様子。場所は並木コミュニティ―ハウスです。


 

午後は、お隣の区の磯子センターで、「磯のつづり会」という古風な名前のグループです。

私は車で通いますが、磯子駅からこのセンターまでは、おしゃれな散歩道になっています。

メンバーは5名。


磯子センターと、駅からの遊歩道。



 

どちらも、笑いの絶えないクラスです。

ただいま、お仲間を募集中。初めての方でも、大歓迎です。

ご興味のある方、一度ご見学にいらっしゃいませんか。

詳しくは、メールでお問い合わせください。

hitomi3kawasaki@gmail.com

 

 



エッセイの書き方のコツ(23):どきどき・ドキドキ2014年11月09日


先日、添削講師の勉強会を主催しました。

そのなかで、こんな発言がありました。

「擬音語はかたかなで、擬態語はひらがなで書く。その原則どおりに直したほうがいいのでしょうか」

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音や声をまねてできた言葉、例えばゴロゴロ、ワンワンのような擬音語はかたかなで書き、様子を表す言葉、例えばふらふら、にやにやのような擬態語はひらがなで書く。――日本語の現代表記には、そのような原則が定められています。

でも、これは戦後に定められた「現代かなづかい」の流れのなかで決められてきたルールです。生涯学習としてエッセイを楽しむ方々の中には、戦前の教育を受けたご年配も大勢いて、なじむのは難しいのかもしれませんね。

そこで、上のような添削講師の悩みが起きてくるのでしょう。

 

私が添削をさせてもらっている受講者のなかにも70代・80代が多く、さらには90代の方もおいでです。

私なら「ちょっと出かける」と書くところを、「チョット出掛ける」、さらには「一寸出掛ける」と書かれる方もいます。私にはどう転んでも、「一寸」は一寸法師の一寸で、いっすんとしか読めないのですが。

 

世代を超えた言葉の問題もあります。

例えば、いよいよこれからステージに立つ。こんなとき、緊張した自分の体の状態をどんなふうに表現しますか。

――手はぶるぶる震えて、足もがくがく、胸はどきどき……。

では、そのステージが終わった安堵感をどんなふうに書きますか。

――ほっとしました。

「どきどき」は、擬態語としてひらがなで書きますか。でも、もとはといえば鼓動の音から生まれた言葉ではないでしょうか。実際に、口から心臓が飛び出しそうなときにはドキドキという心音が聞こえたりしませんか。

「ほっと」も、広辞苑を見ると、

「一回息を吐くさま。緊張が解けて、安心したり心が休まったりするさま」と出ています。つまり、ため息の音から派生した言葉のようです。ではかたかなで書きましょうか。

私はといえば、どちらもひらがなで書くことのほうが多いです。とくに、ほっとしたときには、「ホッとした」と書くよりも、その時の安らかになれた心持ちを字面からも表しているような気がします。

この字面から発する印象もあなどれない、と私は思っています。

ひらがなにするか、かたかなにするか。原則で割り切れない言葉もたくさんあるのです。

 

もう一つ、星が光るさまは、どうでしょう。

きらきら、ちかちか。

でも、キラキラ星のように、かたかなのほうが見慣れている気もしますね。

ちかごろのアニメでは、一瞬きらめくときに、ごていねいに「キラリン!」という効果音が入ったりします。そんな影響もあるかもしれません。

 

原則を踏まえたうえで、このエッセイの中ではどう書くのがいちばんふさわしいのか、あえてこだわってみるというのも大切ですね。

 

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冒頭の質問には、そんな例をいろいろと話し合った後、

「原則はきちんとお伝えしましょう。そのうえで、受講者の年齢、作品の雰囲気などを考慮しつつ、臨機応変に対応していきましょう」というコメントを述べました。

 

だらだらと書いてしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

これも、「ダラダラと書いてしまいました」とすると、くだけた感じになりますね……

 





ダイアリーエッセイ:やがて、いつの日か2014年11月10日



月曜の午前中は、たいていコーラスの練習がある。次男の母校で、子どもの卒業後も母親だけはいまだにママさんコーラスを続けている。車で20分足らずの距離だ。

昨年から、その行き帰りを利用して、同じマンション内で独り暮らしをしている91歳の母を、デイサービスに送迎するようになった。

ちょうど学校のそばの、セコムが手がけている高齢者の施設。もちろんその送迎バスもあることはある。でも、少し遠いので、利用者が乗り合わせて走り回っていると、小1時間はかかり、それだけで疲れてしまう。そこで、ついでだからと私が送迎を買って出たのだった。

毎週月曜日、母はおしゃれをして、車に乗り込む。到着すると、杖を突いてしゃきしゃきと歩いていく。施設では、簡単な体操をして、お昼ご飯を食べ、午後からはお仲間とのマージャンを楽しむ。いつも帰りの車の中では、朝と違って母は饒舌になっていた。

 

ところが、11月に入り、寒くなってくると、急に体のあちこちの痛みを訴えるようになる。冬はいつも血流が悪くなるので要注意だ。そこで、デイサービスは、マッサージ中心の施設に変更することになった。家からも近く、もう私の送迎が必要ではなくなった。

 


今日も私はコーラス練習に出かける。でも、後ろの指定席に母はいない。

やがて、いつの日かほんとうに、私の車からも、母のマンションからも、母がいなくなる日が来るのだ。確実に来るのだ。

 

気づきたくないことに気づいてしまった。

それを振り払うように、一人きりの車をちょっと乱暴に急発進させていた。

 

 


自閉症児の母として(21):東田直樹さんのこと2014年11月20日

 

東田直樹さん。現在22歳。わが家の長男と同じ自閉症。

言葉をあやつる会話はできないのに、文章を書くことはできる。

その奇跡のような、稀有な才能を生かして、中学生のときに書いたのが、この本です。

『自閉症の僕が跳びはねる理由』 ()エスコアール出版部発行


 

「どうして質問された言葉を繰り返すのですか?」

「手のひらを自分に向けてバイバイするのはなぜですか?」

「どうしてこだわるのですか?」

などなど、自閉症の特徴的なことについて、58の質問が並び、それに対して、彼が一つひとつ真摯に向き合って、答えをつづったものです。

今まで謎だらけだった自閉症のことを、ほかでもない自閉症者である東田さん本人によって、解説してくれているのです。

自閉症児の家族にとって、彼はまさしく救世主となりました。この本は、そんな私たちにとってのバイブルと言えるもの。現在、世界各国で翻訳され読まれているそうです。

 

そこには、ある一人の自閉症児の父親との出会いがありました。日本語教師の経験を持つアイルランド在住の作家、デイヴィッド・ミッチェルさん。

二人の出会いは、NHKの番組で描かれ、紹介されました。

番組のタイトルは、

『君が僕の息子について教えてくれたこと』

(番組タイトルをクリックすると、番組紹介のサイトにリンクします)

10月に放映され、何回か再放送されて、反響を呼んでいます。

 すでに番組を見た友人たちからも、「感動した」という声をもらいました。

そして、またまた再放送の予定です。

1124日(月・祝)午前10時~11

ぜひ、ご覧になってみてください。


放映ののち、この続きを書かせていただきます。



自閉症児の母として(22):続・東田直樹さんのこと2014年11月25日

東田直樹さんが紹介された番組、ご覧いただけましたか。


 

彼は、重度の自閉症で、言葉による会話はできないのに、子どものときから文字盤を使う方法を取り、思っていることを表現できるようになっていったそうです。

もちろん、ご家族の深い愛情と努力も大きかったにちがいありません。

重度の自閉症でありながら、言葉を操って文章をつづる。豊かな文学的な表現力をもち、詩作や小説も手がけている。そのことはもちろんすばらしい。世界でも本当に稀有な能力だそうです。

さらに、私が奇跡だと感じるのは、自閉症なのに、健常者の目を持っているということ。つまり、自閉症の自分自身を、客観的に表現できる。健常者からどう見えるか、どう違っているのかを、理解しているところです。

 

まるで彼の中には、言葉が話せない重度の自閉症者と、細やかな感情と豊かな表現力を持つ健常者と、二つの魂が肩を寄せ合っているかのよう。いえ、ときにせめぎ合っているのかもしれません。

神様が、世界中の自閉症の家族のために、授けてくれた才能。彼は神様から私たちへのギフトのように思えてきます。

 

東田さんの本を英訳したミッチェル氏も、彼のことを「ヒーロー」だと言いました。彼にも重度の自閉症の息子さんがいます。

番組に登場した海外の自閉症児を抱えるたくさんの家族も、彼の本を読んで自閉症の心の中を知ることができて、とても救われました。

そして、彼自身が自分の能力と役割をよくわかっていて、それを喜びと感じている。それもまた、本当にすばらしいと思います。

 

でも、ちょっと心配でもあります。

彼が、マスコミに取り上げられて、もてはやされて、疲れてしまわないだろうかと……。

彼自身が望むように、これからもひとりの作家として平和に暮らしていけるように、願わずにはいられません。







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