白い寒さにハートがふるえ…… ― 2015年03月06日
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先月、札幌の雪まつりに出かけました。
夕方ホテルにチェックイン。カバンに詰めてきたあらゆる防寒グッズを身につけて、街に繰り出したのは午後5時。
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まずは、人が入れるほどの超特大の氷のジョッキがお出迎え!
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祭りの雪像はライトアップされて、たくさんの人でにぎわっていました。
上の写真は、ご存じ「スター・ウォーズ」のダース・ベイダー。世界初、ルーカス・フィルム公認です。
前々日の雨で一部が解けたと言われていましたが、いやいやどうして、大迫力でした。
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下の写真は、ほぼ原寸大の春日大社。
夜は、精巧なプロジェクション・マッピングのショーが行われ、すばらしかったです!
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日が落ちて暗くなり、時折、雪が降ってきます。スノーブーツを履いていても、油断をすると滑って転びそうな足もと。
気温はどんどん下がっていき、天気予報どおりマイナス10度だったかもしれません。とにかく寒かったです。
立ち並ぶスポンサーの出店で、ホットウィスキーやグリューワインを飲んでも、10分後には車の運転もできそうなほど、酔いが飛んでしまう。それほどの寒さです。
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ところが、寒くなればなるほど、なんだか楽しくなってきました。
「氷点下ハイ」などと、チューハイのような名前を付けて大はしゃぎ。観光客ならではの楽しさであり、ここに暮らす人々にとっては厳しい環境であることはわかっているのですが。
寒いと、発熱を促して体がふるえだすように、私はまずハートがふるえて熱を帯びる。楽しい気分が高揚してくる。結局は動き回って体温が上がり、寒さから身を守っているだけなのかもしれない。
氷点下ハイの理由も、そんなところでしょう。
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雪の降る街角にソフトクリーム屋さんを見つけて駆け寄って食べました。あまり冷たく感じられなくて不思議な美味しさでした。
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でも、若いころには、こんなふうに書いたこともありました。
「冬至生まれの私の心には、いつもどこかで雪が降っている……」
おのれの心の冷たさを持て余し、言い逃れていた。肯定していたかったのかもしれません。
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翌日は、小樽の雪明かりの路を歩きました。
雪深い街に、たそがれが忍び寄るにつれて、雪にしつらえられた手作りの明かりが浮かび上がる。静謐な美しさでした。
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その翌朝は、支笏湖畔の氷濤まつりへ。
氷点下ハイを言い訳にして、年がいもなく氷の滑り台で笑い転げては、日ごろのストレスをおおいに発散してきました。
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そして今度は、白い寒さにひかれて、スキーへ。
5年ぶりです。滑り方は体が覚えているでしょうから心配はないけれど、ギプスでもはめて帰ってきたら、年寄りの冷や水、とお笑いください。

おススメの本『邂逅の森』 ― 2015年03月14日
半年ほど前の9月8日のブログにも書いているように、私の読書には、ある目標がある。
【西暦2000年以降の直木賞受賞作を読破する】
その数、最新受賞作を含めて40作品。残すはあと6冊。

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熊谷達也著『邂逅の森』は、2004年上半期の受賞作である。
マタギと呼ばれる東北の狩人の物語だ。
2日前に文春文庫で読み終わった。ただただ、圧倒された。
読後に私の思ったことが、そのまま、田辺聖子氏の解説に書いてあったので、それを以下に引用させていただく。
大阪の町なかに生れて、山といえば、毎年、一家で避暑にゆく六甲山しか知らない、そんな子供時代を過して、そのまま、年を重ねた私。おそらく終生、東北の山々も、そこに住む人々も、その地の風、雪、獣たちを知らぬまま、人生の終りを迎えることになっただろう。
ところが、私は、人生の終りちかく、幸運にも、それらと、文字通り「邂逅」した。
本書の『邂逅の森』にめぐりあえて、よかった。私はこの小説によって、親愛なる狩人、マタギたちの人生や、東北の地の雪、氷、嵐、アオシシ(ニホンカモシカ)や熊の体臭、咆哮を、身近に感ずることができた。
(原文のまま)
田辺氏と違うのは、私の子ども時代は海のそばで育ったこと。山らしい山を間近に見たのも、小学4年の林間学校で、箱根の山並みだった。
私がマタギという言葉を知ったのは、子どものころ、兄が読んでいた少年雑誌の漫画だった。毛皮をまとって、黒い鉄砲を持った狩人。相手は何倍もありそうな巨大な熊。血なまぐさい戦い……。そんなことぐらいしか覚えていない。
だから、以前の私ならこの本を手にとっても、けっして読んでみようという気にはならなかったろう。
でも、今回は違った。直木賞の40冊を読破するという自分で決めた目標のおかげで、この本とめぐりあった。目標がなければ読まなかった本を読んだのだ。
そして、読まなければ知り得なかった世界に、とことん引き込まれた。いつの時代にも、どこの世界でも、人は生きる。……そのことに思い至るとき、読書のだいご味はそれに尽きるような気がしてくる。
思いがけない「邂逅」に感謝である。
じつは、私…… ― 2015年03月27日
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ずっと迷ってきた。
言うべきか、いや黙っていたほうがいいのか。

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これは2009年の2月初め、受験日で学校が休みの次男と二人、越後湯沢でスキーをした時の写真だ。
別にペアルックで赤いジャケットを着ているわけではない。息子のはたまたま、長男が紺色、次男が赤を色違いで買ったまで。
私のは、便利なポケットがたくさんついていて、着やすく、深みのある赤が気に入った。イタリア製で少々お値段は張ったけれど、思い切って買った。
「還暦まで着るから」と言い訳をして。
今から6年前のことだ。
その翌年あたりから、私は腰痛が出たり、子どもたちの受験があったりで、スキーどころではなくなった。
それでも数年がたち、身辺が落ち着いてくると、治らないかとあきらめていた腰痛も治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、スキーへの誘いが舞い込んだ。
……が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩んだ。
結局は、日程の都合がつかず、断ることになったのだが、3月6日のブログに書いたように、それと入れ替わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かける。
帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立てた。
それでも、不安がつきまとう。体が動くだろうか。怪我をしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか。
ふと、思った。そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。
娘と二人旅はなんといっても気楽だ。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫……。やっと気持ちが楽になった。

そして、気がつけば私は60歳。
みずからの予言どおりに、赤いちゃんちゃんこ代わりに、赤いスキージャケットを着ることになったのである。
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冒頭、迷っていたのは、年齢を明かすべきか否かということ。
迷っているうちに、立ち止まったまま動けなくなってしまった。カンレキという言葉にこだわっていたのだ。
でも、カミングアウトしないことには、次へ進めない。
はい、私はカンレキです。生まれ変わったつもりで、どうぞよろしく。
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