おススメの本、又吉直樹著『火花』 ― 2015年07月26日
一部のマニアは快挙を喜んだでしょうけれど、私も含め、一般の人々はへえ!と驚いたにちがいありません。
お笑い芸人のコンビ「ピース」の又吉直樹さんが、7月16日に芥川賞を受賞しました。候補に挙がったというだけでニュースだったのに、本当に受賞してしまったのですから。彼の文才は本物だったようです。
本物かどうかぜひこの目で確かめたくて、さっそく読みました。
どこも書店では売り切れで、通販アマゾンでも在庫切れ。こういう時に便利なのは電子書籍です。データの売り切れはありえない。
ブログにも書いているように、私の愛読書といえば、もっかのところ西暦2000年からの直木賞受賞作品です。芥川賞作品も読むことは読みますが、はっきり言ってつまらないものもあり、途中でほうりだすこともあります。
直木賞は大衆文学で、芥川賞は純文学というくくりがあるからでしょうか。
そもそも、私が追求するエッセイといえば、読みやすくわかりやすいことが一番。芥川賞を敬遠してしまうのも無理もない、と自分で言い訳をするのですが。
『火花』も、つまらなかったらどうしよう、と心配しなかったわけではありません。それも、数ページ読んで杞憂に終わりました。
まず、文体がきちんとしている。若い作者にありがちな、カタカナ言葉やはやり言葉が少ない。意外だったというのは失礼ですね。
売れない芸人の「僕」と、先輩として尊敬し、あこがれる神谷さんという人物との関わりが、感情を抑えた筆致で淡々とつづられていきます。
時に、漫才の掛け合いのようなセリフのやり取りが続いて、無条件におもしろい。時に、的確な言葉を用いて丁寧に人物を描写し、リアリティを生みだしている。その混ざり具合が心地よいのです。
そして、いつも章の最後の一文で締めている。これが静かなリズムを生んでいます。全体としても、構築の上手さを感じました。
もちろん技巧的なことだけではなく、私がいいなと思うのは、表現というものに正面から向き合っていること。神谷さんは漫才について次のように話します。
「……平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になりさがってしまわへんか?」
まさに、芸術すべてに共通することかもしれませんね。お笑い芸人であれ、前衛芸術家であれ、表現者の苦悩はその辺りにありそうです。
また、神谷さんは漫才師のことを、こんなふうに説明します。
「……あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動のすべてはすでに漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。……」
ここで私は、エッセイも同じだ、と思ったのです。
エッセイとは、その人自身が表れているもの。「文は人なり」です。巧みな文章力を持ったエッセイストだけが、優れたエッセイを書けるものではない。その人自身が魅力的でなければ、魅力的なエッセイは生まれない……
漫才も、小説も、エッセイも、自己表現の一つの手段に過ぎないことを、『火花』は改めて教えてくれました。
奇をてらわず、流行に流されず、自分を見つめ、生きることを真面目に見つめた好感のもてる小説でした。
まだまだ、ご紹介したいくだりはありますが、これから読む皆さんのために、このぐらいにしておきましょう。