自閉症児の母として(38):発達障害者支援の方がたに向けて2016年12月16日



今週14日には、昨年と同様、東京都発達障害者支援センター(TOSCA)において行われた支援者の研修のなかで、20年来の長男のママ友と二人、自閉症児の母としてお話をさせていただきました。

 

このTOSCAは、社会福祉法人「嬉泉」が、東京都の委託を受けて運営しています。私が30年間、長男を育ててこられたのも、3歳のときから一貫して、嬉泉でお世話になったからです。

そんなご縁もあり、現在の私がお話しすることで少しでもご恩返しができればと思い、機会があると、二つ返事で引き受けるのです。

 

お話しするテーマは、

【子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと】

 

私が学んだことは、嬉泉のなかの「めばえ学園」に通いながら、自閉症専門の先生がたに教わったことがすべてだと言っても過言ではありません。

それらを5つの項目にまとめてみました。

 

1.

最初に学んだのが「受容的交流方法」。あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育てのやり方は、私の基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

2.

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらうことが大切です。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいました。

本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

3.

うちの子に限って、どうして……と私もずいぶん思いました。子どもたちにも見えないように、台所の片隅にうずくまって泣いたこともありました。

そんなおり、園長先生は私たちにこう言われました。

「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。

その時から、私は「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなりました。

神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。

 

4.

もうひとつ、私がうれしかった園長先生の言葉は、

「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切に」ということでした。

どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。

今でも私のモットーです。

おかげで、ちょっとばかり自己チューな母になってしまったかな??

 

5.

こうやって長男を育てていくなかで、自閉症児の子育てにこそ、すべての子育ての基本があることに気がつきました。

自閉症は、いわば相手の心が見えないというコミュニケーションの障害です。だからこそこちらが子どもの気持ちに寄り添う必要がある。それは、どんな子どもにも必要なことです。そして、子どもに限らず、どんな人に対しても社会において大切なことではないか、と思えるようになりました。

長男を育てることで、親も人として育ってくることができた、といっては不遜かもしれませんが、神さまはダメな親だからこそこの子を授けてくれたのだ、とつくづく思わずにはいられません。

 

今後、障害者支援に望むことは?

・障害がわかった時点からずっと、一貫した支援のシステムがあるといい。

・母親ばかりではなく、きょうだいや、父親に対する支援の充実も望む。

二人の母の一致した願いです。

 

参加者17名の方がたは、支援の現場でいろいろと悩み、ご苦労されていることでしょう。この日の私たちの思いが伝わって、少しでもより良い支援に結びつけてもらえたら、うれしいかぎりです。




おみやげ自閉症者のアーティストグループAUTOS〉のカレンダー。




 

 



ダイアリーエッセイ:花嫁の母の“べっぴん”2016年12月23日

 

娘の結婚式までひと月を切った。

忙しさのなかで17センチ四方のリングピローを作り続けてきた。結婚式で、二人の指輪を結びとめておくためのものだ。

今日、ようやく仕上がった。




 

今年7月のこと。手芸用品の店でこのキットを見つけたとき、母に作ってもらえたら、とひらめいた。胃がんを患い、入院手術を経てようやく退院できたのに、すっかり生きる気力を失った93歳の母。それまでは、手先が器用で洋服を作ったり編み物をしたりしていたのだ。そんな母が、せめて孫娘のために……と、手芸ごころを取り戻してくれたらしめたもの。だめもとでもいいからと、買ってきたのだった。

しかし、結局母は、封を開けることもないまま、3ヵ月が過ぎた。

そうだ、私が作ってみよう。刺繍なら経験がないわけではない。開けてみれば、必要な材料もすべてそろっているし、作り方も書いてあるし、何とかなるだろう。

そう思い立ってからも、なかなか時間が取れない。

 

12月になってしまった。気持ちばかりが焦る。

ドキドキしながら麻の生地にはさみを入れたのを手始めに、ちくちくと針を刺し、ビーズを通し、リボン刺繍をほどこしたりして、完成をめざした。

 

手を動かしながら、子どもたちの小さいころを思い出していた。私もよく洋裁をしたっけ。子供服の作り方の本を買って、兄妹おそろいの生地で半ズボンとスカートをこしらえたり、イニシャルの刺繍を入れたり……。同じ焦げ茶の小花模様で、娘はベスト、私はマタニティワンピースを作ったこともあった。捨てられず、今も押入れの奥で眠っている。

 

私は「門前の小僧」だった。物心ついた時には、すでに母がミシンをかけたり編み機を動かしたりするそばで遊んでいた。私の服は下着から学校の制服にいたるまで、すべて母の手作りだった。

小学校で手芸部に入り、中学の家庭科ではパジャマを縫った。どうしてもわからないところは、母が教えてくれた。

家を離れ、自分が子供服を縫うころには、母がそばにいなくても、気がつくと母の手つきをまねて、要領よくこしらえていたのだった。

 

洋裁も手芸からも遠のいて久しい。

そして今、母が作れなくなった小さな手芸品を、私が代わりに作っている。

何十年という歳月を想いながら。

 

おりしも、NHKの朝の連続ドラマは、子供用品店「ファミリア」の創始者のお話。あまり好みのドラマではないのだが、毎朝ケチをつけながらもついつい見てしまう。

「下手でも思いを込めて作ったもの、それがべっぴん」

子どもを残して逝ったヒロインの母親の言葉が、心にしみた。

 

私も、娘のために、“べっぴん”を仕上げることができた。

達成感とともに、いろいろな想いが込み上げて、思いがけず涙がこぼれる。

今から泣いていたら、式の当日はどうなることやら……。

 

 



copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki